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神社仏閣

伏見稲荷大社はいつ建てられた神社で作られた理由と作った人は?狐との関係は?

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朱塗りの鳥居が延々と続く伏見稲荷大社の千本鳥居は、
インスタ映えするとSNSで評判ですが、
その千本鳥居がある伏見稲荷大社は、いつ建てられた神社なのでしょうか。

また何故、伏見の地に作られたのか、
誰の手によって作れた神社なのかなど、
伏見稲荷大社の創建の歴史をまとめました。

また、伏見稲荷大社と言えば“キツネ”のイメージが大きいのですが、
伏見稲荷とキツネとの関係や、
稲荷信仰についてお伝えします。

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伏見稲荷大社はいつ建てられた神社なのか?

『お稲荷さん』と親しみを持って呼ばれ、
もっとも身近な神社といえる伏見稲荷大社。

稲荷社は全国に30,000社あるといわれ、
全国各地で老若男女を問わず親しまれているその総本宮が伏見稲荷大社で、
稲荷信仰の原点が、伏見稲荷大社のある稲荷山です。

伏見稲荷大社の御祭神である稲荷大神様がこのお山に御鎮座されたのは、
奈良時代の和銅4年(711年)2月初午の日のことです。

伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)が、勅命を受けて、
稲荷山にある三つの峯に稲荷大神を祀ったことで、
これが伏見稲荷大社の起源となりました。

稲荷大神のご鎮座に関する最も古い記録とされているのは、
『山城国風土記逸文伊奈利社条』で、
ここに和銅4年という年代が出てきます。

和銅4年にご鎮座になった由縁として、
この頃全国的に季候不順で五穀の稔りの悪い年が続いたので、
勅使を名山大川に遣わされて祈請させられたときに神のご教示があり、
山背国の稲荷山に大神を祀られたところ、
五穀大いに稔り国は富み栄えたということです。

816年(弘仁7年)
社殿が建設される。

823年(弘仁14年)、
弘法大師空海は、
「東寺」の境内に自らの理想であった伽藍の一環として、
「五重塔」の建設に踏み出します。

その際、伏見稲荷の稲荷山を含めた周辺の山々から、
五重塔を建てるための木材を得るために、
山の木々を切り出します。

しかし、これに怒りを示した稲荷山の神である「稲荷神」は、
空海に怒りの形相を向けます。

これを察知した空海はすぐさま山の切り出しを中断し、
827年空海は、稲荷神を「東寺」の守護神として崇め祀ることを誓い、
稲荷神へ許しを乞います。

その後、
空海は稲荷神の分霊をお祀りするようになったと云われております。

963年(応和3年)
都の巽を鎮譲する神社として定められました。

伏見稲荷大社は、平成23年(2011年)に御鎮座1300年を迎えました。

伏見稲荷大社が作られた理由と作った人は?

稲荷神が最初に歴史に現れた記録は、
『山城国風土記』の逸文に残っています。

京都の伏見にある深草の里と、深い関わりを持つ渡来人である秦氏は、
稲作によって富を得ていました。

深草の秦氏族は、太秦の秦氏一族で、
松尾大社を祀った秦都理(はたのとり)の弟が、
稲荷社を創建した秦伊呂巨(はたのいろぐ)となっていて、
いわば分家と考えられていたようです。

ある日、その秦氏がおごり高ぶって、餅を的に弓を放つと、
それが白鳥になって山の峰まで飛んでいき、
そこに稲が生えました。

それで社の名前を『伊奈利(いなり)』としたというのもです。

この伝承からわかることは、
稲荷神は稲の神であり、
穀物の神として崇められていたということで、
渡来人によって祀られた、稲と穀物の神なのです。

記録の上では大宝元年(701年)太秦の秦氏族は、
桂川畔にそびえる松尾山に松尾神を奉鎮し、
深草の秦氏族は、和銅4年(711年)に、
稲荷山三ケ峰の平らな処に稲荷神を奉鎮しました。

現在、伏見稲荷大社には、五柱の神様が祀られています。

その主祭神である宇迦之御魂大神(うかのみたまおおかみ)は、
『古事記』にも登場する神様で、
同じく『古事記』に登場する豊宇気毘売神(豊受大御神))と、
同一視されています。

豊受大御神は伊勢神宮の外宮である豊受大神宮の御祭神で、
天照大御神の食事や五穀を司る女神なのです。

大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)も、
神様に供える食事を取り扱う巫女を神格化したものと言われ、
食物に関する神様です。

こうして稲荷神は、より穀物神としての側面を色濃くしていきました。

伏見稲荷大社の歴史 千本鳥居の由来と奉納の仕方 お山めぐりの所要時間は?

伏見稲荷大社の稲荷神とキツネの関係は?

稲荷と聞いたとき、赤い隈取りが施された白いキツネの姿や、
朱塗りの千本鳥居を思い浮かべる人は多いと思います。

その中でもとくに伏見稲荷大社は有名で、
どこまでも続く朱色の鳥居などはインパクトがあり、
パワースポットとして、またインスタ映えする風景として人気があります。

実はこの千本鳥居の由来は、よくわかっていないのです。

しかし、江戸時代後期の『再撰花洛名勝図会』には、
千本鳥居が既に確認できます。

また、キツネ=稲荷というイメージが強いのですが、
あくまでキツネは稲荷神の使いであり、
キツネ自身が神様として祀られているわけではないのです。

稲荷がキツネではないのなら、
稲荷神とはいったいどんな神さまなのでしょうか。

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稲荷神は元々は農業神ですが、
キツネは穀物を食い荒らすネズミを捕食することや、
キツネの色や尻尾の形が実った稲穂に似ていることから、
キツネが稲荷神の使いに位置付けられたとも言われています。

京都の教王護国寺(東寺)に伝わる
『稲荷大明神流記』という書物があります。

それによると816年、真言宗の開祖である弘法大使空海が、
紀州(和歌山)の田辺で、稲荷神の化身である翁に出会いました。

空海は、日本に密教を広めたいので、
東寺に来てほしいと言い残します。

そして823年、稲を担いでやってきた稲荷神を歓待し、
鎮座してもらった場所が伏見稲荷だというものです。

この伝説によって密教との結びつきができ、
稲荷神は茶枳尼天(だきにてん)と結びつけられ、
習合してイメージが定着したようです。

茶枳尼天は、元はヒンドゥー教の女神さまで、
剣と宝珠を手に持ち、キツネに乗った姿で描かれることから、
『辰狐王菩薩(しんこおうぼさつ)』
『喜狐天王(きこてんのう)』などと呼ばれます。

茶枳尼天と習合したから稲荷にキツネのイメージがついたのか、
稲荷と習合したから茶枳尼天にキツネのイメージがついたのか、
明確な史料は存在していません。

しかし、伏見稲荷大社は密教と結びつくことで、
これまで以上に広く信仰されていくことになったのは間違いありません。

伏見稲荷大社の稲荷信仰によってご利益は拡大していき、
稲の神様として人々に崇められていきました。

漁村地帯では豊穣神としての側面が転じて、
漁業神として信仰されることになっていきました。

江戸時代になると、武士たちが江戸に住む際、
土地の神様を稲荷神として祀るようになり、
屋敷神として広まっていくことになったのです。

そしてそれを商人たちが真似るようになり、
武運長久、商売繁盛の御利益をもたらすこととなって行きました。

このような流れで、各地に無数の稲荷社が建てられていき、
今現在も幅広い世代に信仰され広まり続けているのです。

稲荷信仰が危険と言われるのはなぜ?

稲荷信仰の形態はさまざまで、
それは個人の理解の仕方や見解からくる考え方の違いです。

稲荷信仰は様々ですが、
伏見稲荷大社(京都府)を中心とする、
神道的形態の信仰が主流となっています。

神道的稲荷信仰

神道的稲荷では、
祭祀者が神職で宇迦之御魂神・保食神などを祀る神社によるものです。

伏見稲荷大社は、渡来人の秦氏が和銅4年(711年)、
宇迦之御魂神を主神とする三神を、
伏見の地に祀ったことにはじまるとされています。

主神は『古事記』や『日本書紀』に記された神話神で、
「食物の霊」を意味し、
とりわけ稲の霊・農耕の神として崇められました。

稲荷との呼び名は「稲成り」から生じ、
また「稲を荷なう」に由来するといいます。

伏見稲荷などで祭る神は、神話による神であって、
この信仰は奈良時代、
秦氏の勢力拡大とともに各地に弘まっていきました。

さらに平安時代には、神仏習合の思想によって、
教王護国寺(京都の東寺)の鎮守(ちんじゅ)となって真言密教と融合し、
やがて京都朝廷の鎮守社として信仰されるとともに、
民間にも広まりをみせました。

仏教的稲荷信仰

仏教的稲荷では、祭祀者が僧侶・修験者で、
寺の鎮守堂で荼枳尼天を祭祀しているものです。

神仏習合の思想から、
各地の仏教寺院にも稲荷社を祀るところが現われるようになりました。

有名なものには、豊川稲荷や最上稲荷などがあります。

豊川稲荷は、曹洞宗妙厳寺が仏教で説く神を、
稲荷神と同じものとして解釈して祀っています。

最上稲荷は日蓮宗系の妙教寺が稲荷を祀って、
ともに本来の寺院名よりも、稲荷名の方が有名になったものです

寺院が守護神として稲荷神を取り入れたことからはじまっていますが、
もともとの仏教寺院の本尊と、
その守護神である稲荷神が、完全に混乱して祀られており、
主従が顛倒しています。

民俗的稲荷信仰

民俗的稲荷では、
祭祀者が土地所有者や氏子・講員などで、
狐神・山の神・水神・福神・御霊神などとして、
信仰されているものがあります。

俗信としての稲荷信仰は、
現世利益を祈願する「おいなりさん」として民間に弘まっていきました。

とくに江戸時代以降は、庶民によって田畑・山・川・屋敷など、
あらゆるところに稲荷の祠(ほこら)が造られ、
稲荷の意義づけも、もとの食べ物、農業の神から、
屋敷神や衣食住、商業や工業の繁栄、商売繁盛を祈願する神様へと、
多岐に変化して現在にいたっています。

人間よりも低い境界であるキツネを神として崇め拝むことは、
その人間の生命に具わる畜生根性(ずるがしこい命)を呼び起こすこととなり、
その結果、その人は人格が低落したり、
他人を欺いてでも自ら金儲けしようとする汚れた生命となっていきます。

これは神社を運営する人間の都合や商売気によって、
信仰が変えられたということを意味しています。

また、
通俗でいう「キツネ憑き」という精神的な異常行動の基となるなどとして、
稲荷信仰は危険だと怖れられることもあります。

京都のパワースポット伏見稲荷大社 七不思議に纏わる狐と朱塗りの鳥居

あとがき

千本鳥居で世界的に有名になった伏見稲荷大社ですが、
子供の頃、毎月お一日に月参りをしていました。

境内のハトにエサをやることと、
キツネのお面のおせんべいを買ってもらうことが楽しみでした。

参道にあった“お昆布やさん”のおばちゃん、
お元気でしょうか?
今度行ってみます。

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