平安神宮と時代まつりの歴史と起源は?2019年の日程と行列のコースをご案内!

神社仏閣

平安神宮の時代まつりは 京都三大祭りの一つで
古の都 京都の都大路を行く
時代装束に身をやつした2千人の大行列です
平安神宮と時代まつりの歴史や起源を伝え
平安絵巻を繰り広げる時代まつりの
日程と行列の巡行コースをご案内します

 

2019年 令和元年の時代まつりは、日程が変更になります!

 2019年 令和元年10月22日は、
皇居宮殿にて「即位礼正殿の儀」斎行にあたり、

時代まつりの日程は

・10月21日時代祭前日祭

・22日時代祭本殿祭

・26日時代風俗行列(雨天順延)

・27日時代祭後日祭斎行となります。

時代まつりのメインイベント
時代絵巻の行列は、10月26日(雨天順延)となりますので、
間違えないように、京都観光の予定を立ててください。

平安神宮の歴史と起源は?

平安神宮は 1895年(明治28年)3月15日創建の
京都市左京区岡崎にある神社です

その歴史は意外と浅く
1895年(明治28年)4月1日に平安遷都1100年を記念して
京都で開催された内国勧業博覧会の目玉として
平安京遷都当時の大内裏の一部復元が計画されました

当初は 平安時代実際に大内裏があった千本丸太町に
朱雀門が位置するように計画されましたが 用地買収に失敗し
当時は京都の郊外だった岡崎の地に 実物の8分の5の規模で復元されました

それが今の平安神宮です

1893年9月3日 京都市左京区岡崎の地で地鎮祭が執り行われ
博覧会に先立つ3月15日に平安神宮が創建され 
平安遷都を行った天皇であった第50代桓武天皇を祀る神社として創祀されました

皇紀2600年にあたる1940年(昭和15年)には 
平安京で過ごした最後の天皇である 第121代孝明天皇が祭神に加えられました

平安神宮では、京都を守る四神の御守が授与されています

四神とは 中国の神話にある 天の四方の方角を司る霊獣のことで
東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武のことを言います

この平安神宮で 1976年1月6日 火災が発生し
本殿・内拝殿など9棟が炎上し焼失しました

外拝殿である大極殿は延焼をまぬがれたのですが
創建が比較的新しかったことから 
当時はこれらの建物が文化財指定を受けていなかったため
再建のための国からの補助金が見込めませんでした

しかし 全国からの募金により 本殿や内拝殿は3年後に再建され
1994年(平成6年)3月15日には 平安神宮御鎮座百年祭が執り行われました
そして
2010年12月には 大極殿など6棟が国の重要文化財に指定されました

平安神宮の応天門から約300メートル南の神宮道に面する参道には 高さ24.4mの大鳥居があり 
2002年(平成14年)8月21日付で国の登録有形文化財に登録されています

この大鳥居は 平安神宮のシンボルで
1928年(昭和3年)に昭和天皇御大礼の記念事業として建設計画され
地鎮祭を6月1日に執り行い 10月6日に工事完了
1929年(昭和4年)4月10日に竣工奉告祭が執り行われました

時代まつりの歴史と起源は?

時代祭は 平安神宮のお祭りで 平安神宮の創建を祝って始められたものです

京都三大祭りの一つであるものの 葵祭や祇園祭に比べると歴史は浅いのですが
各時代の中心であった京都市でしかできない祭であり
京都市民が主体となる市民上げての祭りなのです

平安神宮の管理と保存のための市民組織として平安講社が作られ
その記念事業として 平安神宮の時代「祭り」が始められました

時代を盛大にするため 東京奠都以前の京都の風俗を遡る時代行列が提案され
「時代祭り」と呼ばれるようになりました

第1回目の「時代祭り」は 創建されたばかりの平安神宮への参拝として
1895年10月25日に行われ その次の回からは
祭神である桓武天皇と孝明天皇の二柱の御霊が
住まいであった京都御所から
街の繁栄を見ながら行列のお供を従えて平安神宮へ行くという形になりました

開催日も桓武天皇が長岡京から都を移し新しい都に入ったとされる日
すなわち京都の誕生日とも言える10月22日となり
祭り自体は10月15日の参役宣状祭(行列の役柄任命)から
23日の後日祭までの期間行われます

時代まつりの行列は 8つの時代 20の列で
それぞれに時代を再現した衣装や道具を身につけた人々で行われます

先頭に 名誉奉行として 京都府知事・市長・市議会正副議長などが続いた後
明治維新 ついで江戸・安土桃山・室町・吉野・鎌倉・藤原・延暦と
時代を遡って続きます

行列の前方 明治維新・維新勤王隊列の鼓笛隊は官軍の山国隊で
1895年(明治28年)の第1回から大正時代までは
生存していた旧山国隊の隊士とその子弟が行列に参加していました

『ぴーひゃ~ら ぴっぴっぴ♪』と 足並みをそろえて行進します

続く徳川城使上洛列は 
大礼や年始などの際に親藩または譜代の諸侯が城使として上洛したものを再現したもので
行列の先頭には 槍持・傘持・挟箱などの奴振りがみられ
いわゆる大名行列の形をとっています

また 明治以降
南朝を正統とする皇国史観や明治から終戦まで
後醍醐天皇に叛き室町幕府を開いた室町幕府の初代将軍 ・足利尊氏を
国賊としていた歴史的経緯などから 室町時代は除外されていましたが
2007年(平成19年)より桓武天皇1200年記念大祭を機に室町時代列が新たに行列に加わりました

時代まつりの行列

時代まつりの行列は20列で、約2000人、
70頭を超える牛馬などで構成されています。

明治維新から平安時代初期へとさかのぼる
一大時代絵巻の写真をご覧ください。

明治維新時代
鼓笛隊を先頭に「維新勤王隊」の行装を模した行列や、
明治維新の立役者たちが登場します。

江戸時代
時代祭最大の行列となる「徳川城使上洛列」から、
江戸時代に活躍した女性たちの「婦人列」が登場します。

安土桃山時代
織田信長が上洛する様子を表した「織田公上洛列」では織田信長をはじめ、
羽柴秀吉や柴田勝家など戦国武将たちの勇ましい姿が見られます。

室町時代
「室町洛中風俗列」では、京の町衆に広まった「風流踊り」を再現しており、
頭に赤熊をかぶったり、奇抜な格好で太鼓や鉦に合わせて踊って参加しています。

吉野時代
美しく歴史を彩った女性たちが登場する「中世婦人列」の中には、
職業集団ともいえる大原女や、桂女の女性風俗も加わって、
当時の女性の様々な姿が見られます。

鎌倉時代
平安時代から武者の嗜みとして盛んに行われた流鏑馬を、
後鳥羽上皇は朝廷の権威回復のため、
城南離宮で近畿十余国の武士を召集して行いました。
「城南流鏑馬列」は、その一場面です。

藤原時代
藤原氏が最も栄えた頃の文武両様の姿を表した「藤原公卿参朝列」と、
女性の服装が大きく変化し、
時代風俗の変化を示した構成の「平安時代婦人列」の行列が見られます。

延暦時代
坂上田村麻呂の行軍の姿や、
公卿諸臣が朝廷に参上する様子を表した列に続き、
祭神の行列「神幸列」が現れ、いよいよ祭の雰囲気が高まります。

平安神宮の時代まつり その日程とコースをご案内!

時代まつりは 明治維新によって著しい衰退を見せた京都の町おこし事業の集大成として
平安神宮が創建され そこに寄せられた人々の熱意の象徴として
まったく同じ意志のもとに創始されたのが時代祭です

平安神宮の祭神である桓武天皇と孝明天皇の二柱の御霊が
住まいであった京都御所から 街の繁栄を見ながら行列のお供を従えて
平安神宮へ行くという形で行われます

ですから 行列のコースは
正午に京都御所の堺町御門を出て 丸太町通りを西へ向かい 烏丸通を南下して御池通へ
烏丸御池を左折して 御池通を東に進みます

河原町御池を右折し 河原町三条を左折 三条大橋を渡り 
東山三条 三条神宮道 慶流橋 そして 平安神宮へと 約4.5㎞を練り歩きます

約2千人の行列は 全長2㎞に及びます

この時代まつりは 桓武天皇が長岡京から都を京に移し
新しい都 平安京に入ったとされる日
すなわち京都の誕生日とも言える10月22日となっています

行列の一部は 学生によるアルバイトが担っています

秋頃になると 京都大学・同志社大学・立命館大学など各大学に求人が出され
大学ごとに役割が決められています

同志社大学の学生は「織田公上洛列」と決められていて
学生は早朝に平安神宮内の 予め周知された場所に集合し 決められた衣装に着替えます

その後 京都御所に移動し昼食を済ませた後 時代祭の本番に望みます

平日に長時間拘束されるため 最近は成り手が減っていて
直前まで定員に空きがあることも珍しくないそうです

<<<時代祭祭事スケジュール>>>

●10月15日
13:30 時代祭宣状祭
時代祭執行を1週間後に控え 本年の行列の主な参役に選ばれた平安講社員(京都市民)
約500名がご神前に行列の無事執行を祈願します
祭儀終了後は宮司より参役の任命書にあたる宣状が一人一人に授与されます
また この日午後3時からは境内で京都市地域女性連合会会員300名による
「時代祭奉祝踊り足固め」が行われます

●10月21日
10:00 時代祭前日祭

●10月22日
7:00 時 代 祭
祭典には総長・奉行が参列し 平安講社を代表して総長が祭文を奏上します

8 :00 神 幸 祭
2基のご鳳輦に御霊代をお遷しし 午前9時に行列を整えて神幸列が本宮を進発
行在所に向かい 午前10時頃建礼門前在所に到着します

10:30 行在所祭
崇敬者並市民代表が参列し 神饌講社(京都料理組合)より神饌が献じられ
白川女の献花奉仕があります 
     
12:00 行 列 進 発

16:00 大極殿祭並還幸祭
全行列到着後 御鳳輦を大極殿へ奉安し 延暦文官参朝列の三位が代表で祭文を奏上します
続いて御霊代をご鳳輦より本殿にお遷しして祭典を終了します

●10月23日
10:00 時代祭後日祭
祭典終了と共に祭具片付け格納を実施します

まとめ

平安神宮の時代まつり
子供のころからよく見に行った思い出があります

『ぴーひゃ~ら ぴっぴっぴ♪』って
リコーダーで吹きながら行進してみたり

ホウキで奴さんの槍振りをマネしたり

でも
桓武天皇と孝明天皇が
京都御所から 街の繁栄を見ながら
行列のお供を従えて平安神宮へ行くという
ストーリーがあったなんて
知りませんでした