祇園祭 鉾と山の違いはどこ?山鉾の種類 それぞれの御神体とご利益は何?

お祭り


祇園祭では山鉾巡行が見どころですが、
その山と鉾の違いはどういうところなのでしょうか。

祇園祭の山や鉾は、
たくさんあって一日では見て回り切れません。

前祭では、‌九基の鉾と十四基の山が、
後祭では、一基の鉾と九基の山が巡行します。

巡行に参加しない鷹山と布袋山は休み山と呼ばれています。

それぞれの山や鉾にお祀りされている
御神体と、そのご利益についてご紹介します。

  

祇園祭 鉾と山の違いはどこ?

祇園祭の鉾と山は、
『山鉾』とひとまとめにして呼ばれることが多いのですが、
山と鉾には、その形状に大きな違いがあります。

まず、船鉾を除く大型の鉾は、
車が付いた胴組の上に、囃子方が乗る床と、
大屋根がかかった屋形を据えています。

屋根の中央に、約20メートル以上の真木(しんぎ)と呼ばれる鉾を立て、
そのてっぺんに鉾頭を付け、
その下に“天王”といわれる御神体人形が安置されています。

船鉾には、真木はありませんが、
四体の御神体人形が安置されているのです。

傘鉾は、
中世の巡行に登場する風流鉾(ふうりゅうぼこ)の流れを汲んでいて、
これには『棒振り踊り』をともなう古い形を残しています。

山は、曳山(ひきやま)と、舁き山(かきやま)に分けられます。

大型の鉾と同じような形をしている、
北観音山や南観音山、岩戸山は曳山で、
山なので真木はなく、真松を立てています。

舁き山は、胴組の上に舞台を作り、松を立て(立てない山もあります)、
そこに様々な趣向の人形が飾られています。

唯一、太子山だけは真松ではなく、真杉を立てています。

山鉾には、作事三者という『技術者集団』の存在が欠かせません。

鉾や山を建てるときや、山鉾の巡行には、
大工方と手伝い方、車方という人たちが大活躍します。

車方(くるまかた)は、山鉾の進行を調節する人たちです。

山や鉾には、進路を変えるための装置がありませんので、
『かぶらでこ』『かけや』『ささら』『おいでこ』『おさえ』などという、
独特で特殊な道具や技術を用いて、進路の調節や方向転換をします。

山鉾巡行の見どころ、辻回しの際の活躍は特に注目です。

ささらを道路に敷いて、水を撒き、
おいでこを使って車輪を乗せ、方向転換をします。

祇園祭 鉾と山の種類 前祭の御神体とご利益は何?

長刀鉾

鉾頭に大長刀を付けているところから、長刀鉾と呼ばれます。

大長刀は、平安時代の刀工・三条小鍛冶宗近の作で、
宗近が愛娘の病気平癒を願って奉納したものといわれています。

巡行は『くじ取らず』の先頭で、
山鉾の中で唯一、生き稚児が二人の禿(かむろ)を従えて乗り込みます。

御神体の天王は、和泉小次郎親衡
厄除け・疫病除け

函谷鉾

重要文化財の前懸(まえかけ)は、16世紀のベルギー製タペストリー
稚児人形(御神体)は、一条実良卿がモデルで身長120㎝、名前は『嘉多丸』

祭事は男性が執り行う慣習で、鉾上りも女人禁制でしたが、
昭和24年、函谷鉾がほかの鉾に先がげて解禁しました。

厄除け・疫病除け

月鉾

月鉾は、鉾頭に三日月を飾り、
御神体に月読尊(つきよみのみこと)をお祀りしています。

懸装品の豪華さは有名で、円山応挙筆の『金地著彩草花図』や、
波と兎の破風蟇股(はふかえるまた)は左甚五郎の作と伝わっています。

厄除け・疫病除け

郭巨山

中国の史話に基づく山で、
御神体の郭巨は、貧しさのあまり家族を養いきれず、
母を守るために一時は子供を捨てようとしたその途中の山中で、
財宝の詰まった釜を掘り当てたことから、金運招福の山とされています。

御神体は郭巨と童子
金運招福・開運・厄除け・疫病除け・母乳の出を守る

四条傘鉾

鉾の歴史は古いのですが、明治五年にいったん巡幸から姿を消し、
昭和六十年に復活し、3年後巡行にも参加するようになりました。

棒振り踊りも再開している四条傘鉾の御神体は、傘と松です。

招福・厄除け・疫病除け

山伏山

右手で斧を担ぎ、頭には兜巾(ときん)を被った御神体は、
浄蔵貴所の中年から晩年にかけての姿と思われます。

山伏山の歴史は古く、応仁の乱以前にも巡行していた記録が見られます。

雷除け・無病息災・学業成就・厄除け・疫病除け

菊水鉾

町内に古くからあった『菊水の井』にちなむ鉾で、
古い町名の夷(えびす)三郎町ゆかりの夷像を屋根に安置しています。
鉾頭には16弁の金色の菊花をつけ、
真木の中ほどに彭祖像が祀られています。

不老長寿・商売繁盛・厄除け・疫病除け

鶏鉾

文久3年制作といわれる鶏鉾の稚児人形は、
山口源ノ光好の作で、面長な顔立ちと少し大人びた印象は、
この時代の特色ともいわれ、口元からほんの少し歯をのぞかせています。
稚児人形に名前はありません。

厄除け・疫病除け

白楽天山

白楽天山の舁き山の上では、
唐の詩人 白楽天と、道林禅師が問答をする場面が表現されています。
御神体は白楽天と道林禅師
前懸は、トロイ戦争を描いた16世紀ベルギー製で、
5枚シリーズのい1枚を分割したもの。

学業成就・厄除け・疫病除け

放下鉾(ほうかほこ)

町角で芸を披露しながら仏法を説く放下僧をお祀りする鉾です。
鉾頭は日・月・星の三光が、下界を照らす形を表しています。
この鉾頭の形が州浜に似ていることから“すはま鉾”とも呼ばれています。

御神体は稚児人形の三光丸 天王は放下僧

厄除け・疫病除け

船鉾

鉾全体が船の形をしていて、
舳先(へさき)には瑞鳥である想像上の水鳥 金色の鷁(ゲキ)、
船尾には黒漆青貝螺鈿細工でこしらえた飛龍の舵が付いています。
鉾の上には、御神体 神功皇后と皇后を守る龍神磯良(いそら)
住吉明神・鹿島明神が安置されています。
神功皇后は、妊娠中に出陣して戦勝したうえに、無事皇子を出産されたことから、
安産の神とされ、御神体に巻かれたさらしは腹帯として授与されます。

安産・厄除け・疫病除け

岩戸山

日本神話の「天の岩戸」と「国生み」を色濃くあらわした曳山です。
天照大神・手力男尊(たぢからおのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の
三柱が御神体としてお祀りされています。
14日には『岩戸神楽』の奉納が行われます。

開運・厄除け・疫病除け

保昌山(ほうしょうやま)

御神体は、和泉式部に恋をした平井保昌が、
式部の願いで紫宸殿の梅を手折っている姿を表しています。

御神体は平井保昌

縁結び・盗難除け・厄除け・疫病除け

木賊山(とくさやま)

世阿弥の謡曲「木賊」に由来しています。
信濃の国で子供がさらわれた翁が、ひとり木賊を刈る姿を表しています。

御神体は木賊の翁

迷子除け・再会・厄除け・疫病除け

綾傘鉾

台の上に大きな傘を載せた古い形態を今に伝える傘鉾です。
公家風の装束姿の六人の稚児も巡行に参加します。

御神体は金鶏

安産・縁結び・厄除け・疫病除け

伯牙山(はくがやま)

琴の名人 伯牙が自分の琴の理解者である鐘子期(しょうしき)の死を嘆き、
琴の弦を絶ったという「知音(ちいん)」の故事を趣向にした山です。

御神体は伯牙

技芸向上・厄除け・疫病除け

芦刈山

謡曲「芦刈」にもとづく山で、
ゆえあって妻と離れて難波の浦で芦を刈る翁が、
やがて妻との再会をはたす夫婦和合の物語。

御神体は芦刈翁

夫婦和合・縁結び・厄除け・疫病除け

占出山

神功皇后が肥前国松浦川で鮎を釣って、
戦勝の兆しとしたという故事によっている。
身重であった皇后は凱旋後に無事出産し、
そのご縁で安産のお守りと腹帯の授与があります。

御神体は神功皇后

安産・勝運・厄除け・疫病除け

霰天神山

京の町に大火があった際に、時ならぬ霰が降って鎮火した。
その時降ってきた一寸二分の天神様をお祀りしたのが起こりと伝わっています。

御神体は天神様

火除け・雷除け・除災招福

孟宗山

呉の国の孟宗が、病の母の好物の筍を雪中の竹藪で掘り当て、
それを食べた母の病が癒えたという故事に由来する山です。

御神体は孟宗

親孝行・厄除け・疫病除け

蟷螂山(とうろうやま)

当町在住の公卿・四条隆資公の生き様が『蟷螂の斧』のようであったことから、
四条家の御所車に蟷螂を乗せて巡行したのが始まりとされています。

御神体は大蟷螂

厄除け・疫病除け

油天神山

社殿に、天明の大火後、
町内の復興に尽力した公家・風早家伝来の天神像を安置。
勧請の日が丑の日であったので「牛天神山」ともいわれる。

御神体は天神様

学業成就・厄除け・疫病除け

太子山

四天王寺建立に際して、聖徳太子が良材を求めて山城国に入り、
霊験によって得た大杉から六角堂頂法寺が造られた縁起に由来した山です。

御神体は聖徳太子

知恵・学業成就・身代わり・厄除け・疫病除け



祇園祭 鉾と山の種類 後祭の御神体とご利益は何?

役行者山(えんのぎょうじゃやま)

日本に古くからある山岳信仰で、修験道を主題にした山です。
御神体は修験道の開祖・役行者と鬼の姿の一言主神・女神の葛城神
役行者が大峰山と葛城山の間に橋を架けさせようとした故事に因んでいます。

安産・交通安全・肩こり・厄除け・疫病除け

黒主山

謡曲「志賀」により、歌人・大伴黒主が桜花を仰ぎ見ている姿を表している。
御神体は寛政元年(1789年)の作で、山に飾る桜の造花は、
翌年のちまきに添えられ、
この桜を玄関に挿すと悪事除け、泥坊除けになると言われている。

御神体は大伴黒主

盗難除け・泥棒除け・厄除け・疫病除け

鯉山

龍門の滝を登りきった鯉は、
龍になるという中国の「登龍門」の故事に由来します。
飛沫を上げながら滝を登る鯉の彫刻は、左甚五郎の作と伝わっています。

御神体は素戔嗚尊

開運・立身出世・家内安全・厄除け・疫病除け

八幡山

山の上に八幡宮を勧請。総金箔の小祠は天明年間(1781~1788)に製作され、
欄縁の彫金「飛鶴」は、天保九年(1838年)、工芸家河原林秀興の秀作。

御神体は八幡神と応神天皇

子供の健康祈願・夜泣き封じ・夫婦和合・厄除け・疫病除け

北観音山

文和二年(1353年)創建の曳山。
最初は屋根がなかったが、長い年月を経て、
文政十一年から天保二年には現在の形に収まってきたという。

御神体は楊柳観音とその右脇に祀られる韋駄天(いだてん)

厄除け・疫病除け(一般の方への厄除けちまきの授与はありません)

南観音山

楊柳観音と脇侍の善財童子を祀る曳山で、
長らく山鉾巡行のしんがりを務めていた。

御神体は楊柳観音と善財童子

厄除け・疫病除け

四条町 大船鉾

応仁以前から存在する歴史ある鉾で、かつては凱旋の船鉾と呼ばれた。
御祭神の神功皇后は、鎧を脱いだ狩衣姿です。
安産のご利益で知られ、宮中での出産には、たびたび御神面が差し出された。

安産・勝運・厄除け・疫病除け

浄妙山

平家物語に描かれた宇治川の橋合戦での、
三井寺の僧兵筒井浄妙と一来法師の奮闘ぶりを表しています。
平家に反旗を翻し、源氏勝利のきっかけとなった戦いなので、
宵山には「勝運お守り」が授与されます。

御神体は筒井浄妙と一来法師 

勝運・厄除け・疫病除け

橋弁慶山

謡曲「橋弁慶」をもとに、弁慶と牛若丸が五條大橋で戦う様子を表す山。
御神体には永禄六年(1563年)の銘が記されています。
古来、くじ取らずで後祭巡行の先頭を務める山です。

御神体は弁慶と牛若丸

心体健康・厄除け・疫病除け

鈴鹿山

応仁の乱以前に起源をもち、よそへの移転なく今日に至る山です。
御神体は、鈴鹿山で道行く人を苦しめる悪鬼を退治したという、
瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)で、
能装束の出で立ちで面(おもて)をつけ、大長刀を持っているのが特徴です。

雷除け・安産・盗難除け・厄除け・疫病除け



あとがき

京都に住んでいると、祇園祭はやっぱり特別の日です。

コンコンチキチン コンチキチン
この御囃子で育ったようなもんです。

浴衣を着て、
宵山 行かへんと夏が来たような気ぃ せぇ~しまへん!


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