祇園祭の後祭大船山の歴史とご利益は?山鉾巡行復活と無言参りの風習

お祭り

祇園祭の後祭りで復活した大船鉾の歴史や
大船鉾の御神体によるご利益は何か、
祇園祭で後祭りの山鉾巡行が復活した理由について、
まとめてみました。
また、
祇園祭の変わった風習として、
京都の花街に今も伝わる
無言詣りという風習についてお伝えします。

  

祇園祭の後祭り 大船山の歴史とご利益は?

祇園祭の後祭りに建てられる『大船鉾』は、
「四条町大船鉾」と言われ、下京区新町通り四条下ル四条町にあります。

四条町大船鉾は、応仁以前から存在する歴史ある鉾で、
かつては凱旋の船鉾と呼ばれていました。

御神体の神功皇后は、鎧を脱いだ狩衣姿。

安産のご利益で知られていて、
宮中での出産には、たびたび御神面が差し出されました。

大船鉾は、元治の大火で類焼しました.

「蛤御門(禁門)の変」による火災で鉾本体が焼けてしまい、
以後は「休み山」になっていたということです。

「四条町大船鉾」の町内には、
応仁の乱後の作といわれる神功皇后の御神体や御神面をはじめ、
江戸後期作の懸装品や装飾品は守られ、
121点が京都市の有形文化財に指定されています。

この「四条町大船鉾」は、平成26年(2014年)
150年ぶりに祇園祭の後祭巡行に復活して、最後尾を飾ります。

「四条町大船鉾」は、くじ取らずの鉾です。

大船鉾のある四条町は、
明治2年まで北四条町と南四条町に分かれていました。

二つの町内は、祇園祭に隔年で鉾を出していました。

今も残っている大金幣は、船鉾の舳先を飾ったもので、
南四条町の装飾品です。

一方、北四条町は龍頭を飾っていたということですが、
今その龍頭は存在していません。

大金幣が、2メートル余りあるものですから、
きっと龍頭も大きなものだったことが想像されます。

神の依り代の幣と、神獣の龍。

さぞかし巡行の時には風を切るような勇壮な様子だったことでしょう。

平成21年に、祇園祭が世界文化遺産に選定されたことで、
大船鉾復興の機運は盛り上がっていきました。

各方面からの寄付や支援が集まり、
お祭り関係者からは、
菊水鉾保存会から石持、車輪、車軸、
黒主山保存会からは、欄縁、
三若神與会から、音頭取り力綱などの寄贈品がありました。

お囃子は、これより早く平成8年に、
岩戸山の囃子方の指導を受けて復興し、
平成9年にはお披露目を果たしました。

こうした様々な応援によって、
「四条町大船鉾」は、悲願の巡行復帰が実現したのです。

祇園祭の後祭り 山鉾巡行復活

2014年 祇園祭が大きく変わりました。

49年ぶりに、神様をお迎えに行く「前祭」と、
神様をお見送りする「後祭」と、
2回に分けて山鉾が巡行することになりました。

これが本来の祇園祭の姿だったのです。

平成26年に復活した祇園祭の後祭ですが、
これによって、神幸祭と還幸祭、
それぞれを寿ぐために山鉾巡行が執り行われるという、
祇園祭本来の姿が戻ってきました。

昭和41年に、前祭と後祭が合同化されてから、
半世紀以上が経ち、
その間に祭りを取り巻く様々な状況や環境が大きく変化しました。

また、
かつての後祭りの風情やありようをしっかりと記憶している世代も、
年々少なくなってきています。

度重なる災害を乗り越えて、文化都市として復活してきた京都が、
営々と続けてきた祇園祭の、
本旨や山鉾が持つ意味を、きちんと説明して伝えていくことが、
祇園祭、ひいては京都という都市の未来を考え、
次代へ引き継いでいくうえでも重要だと考えられたのです。

このように、49年ぶりに祇園祭本来の姿と言われる、
前祭と後祭を分けて行われる形になりました。

しかし何故、
昭和41年に、前祭と後祭が合同化されたのかということについて、
記載されているものを見つけられません。

今となっては、
なんとなくそのことに触れてはいけないような感じになっていますが、
そこには観光都市としての『京都』という街の目論みさえ感じます。
(これは個人的な感想です!)

祇園祭の風習 無言参りとは

祇園祭の前祭山鉾巡行の日(17日)から後祭り巡行の日(24日)までは、
四条寺町にある御旅所に、八坂神社のお神輿が鎮座されます。

この間、一言も口を利かずに、毎晩欠かさず御旅所に夜詣りをすれば、
願いごとが叶うと言われています。

7日目の24日は、一晩に7回半詣らなければならないそうです。

四条大橋から四条寺町の御旅所までの往復を一回とし、
7回往復を繰り返し、8回目は御旅所止まりで7回半と数えるのです。

祇園の舞妓さんや芸妓さんの願掛けに交じって、
一般の人の姿を見かけることもありましたが、
最近では、無言詣りをする人もあまり見かけなくなったようです。

祇園の女性たちに伝わってきた無言詣ですが、
四条大橋から御旅所まで7日間、
誰に会っても口をきいてはいけないのです。

口をきくと、その願いごとは御破算になるのです。

そのためなるべく人と会わずに済む真夜中におまいりするのですが、
舞妓さんや芸妓さんにとって、四条大橋から御旅所までと言えば、
仕事場である花街も近く、知り合いに会うことも多い場所です。

しかも、お祭りのにぎわいで結構夜遅くまで人通りが絶えず、
向こうから知っている人がやってくるのが見えたら、
慌てて四条通の反対側へ渡って逃げたということです。

昔は、
なじみの舞妓さんや芸妓さんが無言詣りをしていると知ったお客さんが、
何とか口をきかせようと、いたずらを仕掛けるといったこともあったようです。

そんなわけで、無事にお詣りするのが難しい無言詣りは、
成就すればそれだけご利益もあるのでしょう。

なかなか風情のあるお詣りですね。

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まとめ

祇園祭の前祭と後祭が合同巡行となる前の記憶はありません。
きっと連れて行ってもらってたと思うのですが、
幼かったもので。。。。
ですから、祇園祭が前祭と後祭りに分かれると聞いて、
祇園祭の凝縮された数日間が、
間延びしてしまうのではないかと思ったりもしました。
でも、これが本来の姿だったのですね!
祇園祭にはいくつもの行事があり、
それぞれに深い歴史と意味があることを、
改めて知りたいと感じました。