祇園祭 還幸祭のルートは?花傘巡行の時間と神輿渡御の神輿を舁ぐ男衆たち

お祭り

祇園祭の還幸祭とは、
いつどのようにして行われるのか?,
神幸祭や還幸祭の神輿渡御で、
神輿を舁ぐ人たちはどういう人たちなのか?
また、祇園祭の還幸祭の花傘巡行とは、
いつ、どこを巡行するのかをまとめました。

  

祇園祭の還幸祭とは そのルートは?

祇園祭と言えば、山鉾巡行のイメージが強いのですが、
実は祇園祭の本質は神興渡御にあるとされています。

7月17日の祇園祭 前祭の夜に神幸祭が行われ、
八坂神社から三基の神輿が、四条寺町の御旅所に移されます。

三基の神輿には、中御座・西御座・東御座があります。

そして、祇園祭の後祭り山鉾巡行が終わった日の夜、
還幸祭が行われます。

四条寺町の御旅所にお祀りされていたお神輿が、
再び市内を渡御し、八坂神社に還る、
これが還幸祭です。

威勢のいい掛け声を上げながら、神輿を担ぎ、
京都の町を練り歩く勇壮な神事は見ごたえがあります。

神幸祭によって御旅所にお祀りされていたお神輿が、
八坂神社へ還幸し、神事を行います。

還幸祭では神幸祭より渡御範囲を広げて、
氏子地域をくまなく渡って、お神輿は八坂神社へと還ります。

長い道のりを経て、八坂神社に最初に到着するのは中御座です。

中御座は、舞殿を右回りに三周回って、神輿を据えます。

そのあとに東御座、最後に西御座と続きます。

八坂神社に神輿がそろった午後11時半過ぎから神事が開始されます。
南楼門が閉ざされ、境内の明かりがすべて消されると、
月明かりのもとで御祭神が神輿から本殿へと還されます。

神輿を担いで市内を渡御していた時の、
勇壮活発な雰囲気は一転し、
厳かにフィナーレを迎えます。

祇園祭の三基の神輿は、どれも個性的です。

美しい装飾を施した神輿そのものだけでなく、
奉仕する人々をはじめ、
歴史的背景とともに興味深いものがあります。

祇園祭の還幸祭 花傘巡行の時間はいつ

花傘巡行は、
かつて山鉾巡行が、前祭17日、後祭24日に分かれていたのを、
昭和41年に統合された時、
山鉾巡行が17日のみになったことがきっかけで、始まった行事です。

祭を統合して還幸祭に先立つ後祭りの行事がなくなってしまったため、
後祭りの意味を伝えていくために再現されました。

新たに花傘巡行を行うために『祇園祭花傘連合会』が結成されました。

花傘は、山鉾の古い形態を現代に再現したもので、
芸能色がかなり強いのが特徴です。

花街のきれいどころを初め、六斎、祇園囃子の曳山や、傘鉾10基あまりと、
総勢1000人の行列が京の町を巡行します。

花傘・祇園太鼓・獅子舞・祇園囃子・馬長・鷺踊など、
芸能的な要素の強い巡行は、
山鉾巡行とはまた違った趣で楽しませてくれます。

平成26年からの後祭り巡行復活に伴い、
花傘巡行の進行ルートがこれまでとは逆になりました。

後祭りの山鉾巡行とほぼ同時に行われ、
より華やかに祭りを彩ります。

花傘巡行は24日の午前10時 祇園石段下を出発します。

祇園石段下から四条通を西へ向かい、四条寺町の御旅所から、
寺町通りを上がります(北へ進みます)。御池通に出ます。

寺町御池を東に進み、河原町通りへ。
河原町御池から、河原町通りを南下し、四条河原町へ。

河原町通りを東に向かい、八坂神社石段下に到着します。
午後12時頃の到着です。

花傘巡行列の内容は、

花傘巡行旗を先頭に、先祓い→子供神輿→神饌行列→神饌花車→祇園太鼓旗

→祇園太鼓→花傘→金獅子→銀獅子→幌武者→児武者→高士→馬長旗→

八坂神社清々講社馬長→八坂神社婦人会馬長→祇園萬灯会馬長→花傘→

八坂神社清々講社旗→花傘→八坂神社婦人会旗→久世六斎保存会旗→六斎

→京都織物卸商業組合花傘→花傘娘旗→花傘娘→織商鉾→

祇園甲部または祇園東お茶屋組合花傘→雀踊または小町踊→

宮川町または先斗町お茶屋組合花傘→コンチキ踊または歌舞伎踊→

祇園萬灯会旗→花傘→鷺踊旗→鷺踊→萬灯踊旗→萬灯踊→祇園囃子

総勢1000人を超す大行列は、次から次へと時間を忘れるほど見ていて飽きがきません。

祇園祭の還幸祭 神輿渡御の神輿を担ぐ男衆たち

祇園祭の還幸祭で、四条寺町の御旅所から、
御神体を八坂神社へ還す神輿渡御の神輿は三基です。

・三若神輿会の中御座
三若神輿会の起源は三条台若中三若神輿会にあります。

江戸時代中期から明治時代まで、三基の神輿渡御に携わっていましたが、
現在は、中御座のみを舁いでいます。

三若神輿会の会員は現在40数名、
神輿の奉仕をしてきた一族の末裔しか入会できません。

24日の還幸祭で、
祇園御霊会の始まりとなった神泉苑まで巡行するのは、
この三若のみで、
古来より、中御座の神輿には、綾戸國中神社の久世駒形稚児が、
騎乗にて先導するのが慣例です。

三若の男衆は、祭りの早朝から、
伝統の「弁当打ち」というみこし弁当づくりを行います。

御祭神は素戔嗚尊(すさのをのみこと)で、
御旅所では西御殿に鎮座されています。

・四若神輿会の東御座
明治以後、
東山三条の若松町・若竹町の人々が中心となって奉仕していました。

法被には引両紋に「若」の文字が入り、
唯一、四若の小・中学生で構成された
四若の少年部が舁ぐ子供神輿(東若御座)があります。

瓔珞(ようらく)の数は少ないのですが、
ひとつの大きさと重さがほかの神輿より重いのが特徴です。

2006年には、約100年ぶりに、
長さ14メートル、200キロもある轅(ながえ)が新調されました。

神輿が振れずに高い位置で神輿を回す「さし回し」は、
高い技術が必要です。

御祭神は櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)です。
御旅所では東若御座とともに西御殿に鎮座されています。

・錦神輿会の西御座
京都の台所・錦市場の錦神輿会が奉仕する西御座の神輿は、
大正時代に壬生村の壬生組が奉仕していましたが、
戦後、壬生組は解散しました。

神幸祭復興に向けて、
昭和22年から錦組(現・錦神輿会)が西御座神輿の奉仕をすることになり、
三若、四若そして松尾大社の神輿の舁ぎ手たちの教えを受け、
神輿の継続と、錦市場の活性化につながっています。

錦神輿会の西御座の見どころは、17日 神幸祭の祇園石段下と、
24日の還幸祭での四条御旅所前の神輿振りです。

平成13年 神輿修復完成披露を込めた三基のさし上げで、
荒々しく舁ぐ神輿から、見てもらう神輿へと変わっていきました。

御祭神は八柱の御子神(やはしらのみこがみ)です。
御旅所では東御殿に鎮座されています。

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まとめ

祇園祭は、一年の12分の1 ひと月間を、
京都の町が祇園祭一色に染めるお祭りです、

いつも見たり行って楽しんだりするのはそのうちの一部です。

神幸祭と還幸祭、これが祇園祭の元となる姿だったと
初めて知りました。

祇園祭はまだまだ深いです!