皇室ニュースなどで耳にする
御料牧場とはどんな牧場のことなのでしょうか。
その牧場は見学することはできるのでしょうか?
現在の高根沢に移る以前の御料牧場だった跡地は、
今どうなっているのでしょうか?
ちょっと気になることをお伝えします。
御料牧場とは、どこに何のためにあるのでしょうか?
御料牧場(ごりょうぼくじょう)とは、
皇室で用いられる家畜の飼養や、農畜産物の生産している農場(牧場)で、
宮内庁が管轄しています。
明治時代初めの1875年(明治8年)9月、
大久保利通によって現在の千葉県成田市に、
宮内庁下総御料牧場として開設されたのが始まりです。
1969年(昭和44年)8月、
新東京国際空港(現在の成田国際空港)の建設計画に伴い、
栃木県塩谷郡高根沢町に移転しました。
御料牧場は、
栃木県塩谷郡高根沢町・芳賀郡芳賀町にまたがる標高145mの丘陵地にあり、
「皇室の牧場」として、
外国大使の信任状捧呈の際の馬車列など皇室用の乗馬・輓馬の生産を始め、
各種家畜・家禽の飼養管理や牛乳・肉・卵及び野菜などの生産を行っています。
また、皇室の方々のご静養の場として、
さらには在日外交団の接遇等国際親善の場としても活用されています。
牛乳・肉・卵及び野菜などのホームメイドの生産品は、
皇室のおもてなしとして、宮中晩餐会や園遊会など、
国内外の賓客接伴のための各種行事に用いられる食材などです。
皇室の方々のご日常にも利用され、
その生産に当たっては、新鮮かつ高品質な品物を生産することはもちろんのこと、
栽培方法などについても化学肥料や農薬などを極力控えるなど、
より安全性に配慮した食材等の生産に努めています。
御料牧場は、総面積 約252ヘクタールです。
その用地の内訳は
耕地・放牧地 134ヘクタール
樹林地 66ヘクタール
建物・道路敷 52ヘクタール
なんと東京ドーム約54個分の広さがあります。
御料牧場で飼養されている家畜家禽の種類は、
馬(乗用馬) :アラブ種,アングロアラブ種
(輓用馬) :クリーブランドベイ種,クリーブランドベイ系種,半血種
乳牛 :ホルスタイン種,ジャージー種
めん羊 :サフォーク種
豚 :ランドレース種,バークシャー種
鶏 :卵用種,肉用種
きじ :日本きじ
などです。
御料牧場で生産されているものは、
(1)乗馬,輓馬の生産育成
(2)牛乳,乳製品(バター・クリーム・ヨーグルト・チーズ等)の生産加工
(3)羊肉の生産
(4)豚肉及び肉加工品(ハム・ソーセージ・ベーコン・缶詰・燻製若鶏)の生産
(5)鶏卵,食鶏の生産
(6)乾牧草,ヘイレージなどの飼料の生産
(7)野菜(トマト・レタス・大根など約24種類)の栽培などです。
世界各国の要人が来られた時など、宮中晩さん会の模様がニュースで報道されますが、
その晩餐会のテーブルに並べられている素晴らしい御馳走は、
御料牧場で生産された食材で作られているのですね。
御料牧場は誰でも見学できるのでしょうか?
御料牧場では、これまで牧場の所在する高根沢町の町民と、
栃木県内の小学生を対象とした見学会を実施してきました。
御料牧場は、口蹄疫、鳥インフルエンザ等家畜伝染病の侵入防止等に、
万全を期すためもあり、一般の方の見学はできませんでした。
しかし、平成28年3月30日、政府によってまとめられた、
明日の日本を支える観光ビジョン構想会議の決定を受け、
御用牧場のある高根沢町の人々と、栃木県内の小学生を対象とした見学会だけでなく、
新たに地域住民以外の方も見学できる機会を設けることになりました。
2017年は、10月19日(木)と20日(金)に実施されますが、
見学申し込みの受付は終わっています。(8月31日まで)
午前の部が 10時30分開始 12時頃の解散
午後の部が 14時30分開始 16時頃解散で、全4回実施されます。
当日は、
集会場で事前説明及び概要説明を受けた後、徒歩で厩舎へ移動します。(約300m)
厩舎で、馬を見学後(馬とのふれあい・馬車の展示あり)、
バスに乗車し牧場職員から説明案内を受けながら場内を回ります。
募集対象者は、どなたでも申込できます。
ただし、小学生以下の方は保護者又は成人の同伴が必要です。
1件あたりの申込み人数は、1人~4人までとします。
見学会当日に他の畜産関係施設に立ち入った人や、
見学会当日から過去1週間以内に海外から入国し、又は帰国した人は、
家畜防疫のため入場できません。
募集定員は各回40人程度
応募方法は、郵便はがきに次の事項を明記して郵送
(あて先)〒329-1224
栃木県塩谷郡高根沢町大字上高根沢6020
宮内庁御料牧場見学会担当 宛
はがきの裏面に
希望回(第1回から第4回のいずれかを記入)
「未記入」「どちらでもよい」等は無効となります。
氏名(全員分)(代表者に○印を付してください。)
郵便番号(全員分)
住所(全員分)
年齢(全員分:見学会実施日時点での年齢)
性別(全員分)
電話番号(代表者のみ)
応募に当たっての注意事項
(1)申込みできるのは、4回のうちの1回分に限ります。
(2)申込多数の場合には、抽選を行います。
(3)次の場合には、無効といたします。
①郵便はがき以外での申込み。
②同じ方の重複申込み、複数の希望回の指定。
③5人以上の申込み。
④必要事項(希望回、住所(全員分必要)、年齢(全員分必要)等)の記入漏れ。
⑤申込み期限を過ぎたもの。
(4)参加費は無料です。
(5)申込み後の参加者の追加・変更はできません。
6.参加者の決定及び通知
抽選結果は、当選者にのみ9月8日(金)頃までに通知します。
(代表者あてに「当選証及び参加要領」を郵送します。)
落選された方への通知はありません。また、当落のお問合せにはお答えできません。
当日の注意事項
・見学中の事故については、当庁では一切責任を負いかねます
・案内者の指示に従わない者、酒気を帯びている者
及び見学会を意図的に妨害する者については、見学をお断りします。
・場内は、未舗装の場所があり、途中に天候により足下が悪くなる場所がありますので、
歩きやすい靴・服装でお越し下さい。
・雨天時も原則として開催しますが、車椅子等での見学は困難な場合がありますので、
予め御了承下さい。
・荒天時は、中止又はルートの変更を行う場合があります。
・急な行事等、特別な事情が発生した場合には、
急遽日程を変更又は中止することがあります。
・水分補給のための飲み物はご持参ください。
・当日は日本語による案内になります。
・写真撮影は可能ですが、案内者が撮影を禁止した場所での撮影はご遠慮下さい。
・動物の同伴はできません。
・自家用車で来場される方は集会所前の駐車場に駐車して下さい。
・家畜防疫のため御料牧場に入場する車両はすべて消毒薬の噴霧を行いますのでご承知おき願います。
・見学会当日に他の畜産関係施設に立ち入った方及び見学会当日から過去1週間以内に海外から入国し、又は帰国した方は家畜防疫のため入場できません。
・家畜防疫のため見学会当日から過去4ヶ月以内に海外で使用した衣服、靴等を持ち込まないで下さい。
詳細はこちらへ↓
〒329-1224
栃木県塩谷郡高根沢町大字上高根沢6020
宮内庁御料牧場庶務係
TEL 028-675-1111(代表)
http://www.kunaicho.go.jp/info/bokujo-kengaku-h29.html
高根沢に移った御料牧場の跡地はどうなっているのでしょうか?
高根沢御料牧場が開設されたのは、1969年(昭和44年)8月19日です。
所在地は、
栃木県塩谷郡高根沢町上高根沢6020
宮内庁の管轄で、農・畜産事業の総合的経営を行う約250haの牧場です。
皇室用の乗馬・輓馬の生産を始め、
各種家畜(乳牛、羊、豚)・家禽(鶏、雉)の飼養管理や、
皇室・内外賓客接伴用の牛乳・肉・卵などの生産を行い、
在日外交団の接遇の場としても使用されています。
一般開放はしていませんが、南北に走る構内通路は通行できます。
以前は桜並木の名所として有名でしたが、近年伐採され、面影は薄いようです。
御料牧場で生産される食料品は本来、
全て皇室(皇族の食事、晩餐会や園遊会などの宮内庁行事)で利用されるもので、
一般に出回ることはまずありません。
ただし、御料牧場で生産している牛乳については生産量に余裕がある場合、
宮内庁職員の福利厚生のために使われ、宮内庁の食堂で購入できます。
しかし、2011年(平成23年)3月11日に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生し、
それにより多くの犠牲者や被災者が出た事から、
被災者の身を案じる天皇・皇后の意向で、
御料牧場で生産された卵・豚肉・サツマイモ等の食料品が、
支援物資として避難所へ提供されました。
宮内庁下総御料牧場(くないちょうしもふさごりょうぼくじょう)は、
1969年(昭和44年)8月18日まで、
千葉県成田市の三里塚地区に存在していた御料牧場の名称です。
現在その跡地の一部は三里塚記念公園となっています。
宮内庁下総御料牧場の前身は、
江戸時代、
下総台地の北部に江戸幕府によって、
佐倉牧が設置されて軍馬や農耕馬の放牧地がありました。
佐倉牧は7つの牧から構成されていたことから「佐倉七牧」とも称され、
三里塚一帯には七牧の1つであった「取香牧(とっこうまき)」が置かれていました。
佐倉牧は幕府の終焉により1869年(明治2年)に廃止されました。
一方、文明開化の煽りを受け国内での羊毛の生産を高める必要性が起こりました。
青草に富むこと
樹林地に恵まれていること
物資の輸送に便利な所
これらを条件に内務省は用地選定に、
アメリカの牧羊家アップ・ジョーンズを起用して各地の実地調査を行いました。
その結果、七牧の一つ取香牧(現:成田市取香、三里塚周辺)の、
隣接地が牧羊場に定められ1875年(明治8年)9月、下総牧羊場が開場しました。
この時、取香牧も閉場し牛馬の改良に当たる取香種蓄場として発足しました。
この頃、内務卿・大久保利通は現地の視察を行い、
また牧羊場・種蓄場両場の初代場長に内務省の岩山敬義が就任しました。
現地に伝わる逸話として、
視察に来ていた大久保利通が、両国区(現:富里市両国)付近で、
取香牧の馬が田畑に侵入しないために設けられていた野馬土手に駆け上り、
「ここが適地である」と一言、同行者に告げたといわれています。
1878年(明治11年)5月、大久保が暗殺され非業の死を遂げると、
その影響もあってか1880年(明治13年)1月、両者が合併して下総種蓄場となりました。
この合併は事業を整理する意味合いが含まれていたとされています。
下総種蓄場は場内を三里塚区、両国区など七区に分けられており、
本庁は両国区高堀に置かれました。
下総種蓄場の管理は1881年(明治14年)に、
それまでの内務省から新設された農商務省に移され、
1885年(明治18年)6月には宮内省御料局の直管となり、
1888年(明治21年)10月に「宮内省下総御料牧場」と改められ、
それまで高堀にあった本庁が三里塚に移されました。
その後、牧羊事業は次第に縮小され綿羊の数も減少しました。
明治から大正にかけて牧場経営は改善が図られ、事業は更に縮小へと向かいました。
1922年(大正11年)には牧場の経営が悪化し、馬の繁殖を一時中止し、
翌年、牧場の総面積の6割にあたる2,044町歩を帝室林野局へ移管し、
かつての7区から三里塚、両国の2区だけとなりました。
昭和に入り馬の繁殖が再開されサラブレッドだけでなく、
アングロ・アラブ(フランス原産)などの競走馬も手がけ、
かつての活況が取り戻されました。
1966年(昭和41年)3月、
政府は「臨時新東京国際空港閣僚協議会」を改組し、
千葉県と協議・検討を続けた結果、
富里の東方約10kmに位置する三里塚付近が、
航空管制、気象条件などの諸条件面で富里と差異がなく、
また国有地である下総御料牧場および県有地を最大限に利用し、
かつ敷地面積を航空審議会答申規模の約半分にする事により、
民有地の買収を極力少なくして、
地元住民に対する影響を最小限に留めることができるなど、
利点があることが判明しました。
同年7月4日の閣議で、
「新東京国際空港(現・成田国際空港)の位置及び規模について」を決定。
牧場は、空港敷地となることに決まりました。
1969年(昭和44年)8月、
御料牧場は栃木県高根沢町に移転することが決定され、
同月18日に牧場の閉場式が行われましたが、
成田空港反対闘争激化の折であり空港反対派が場内に乱入するという場面もありました。
かくして宮内庁下総御料牧場は、明治以来の歴史に幕を閉じたのです。
新牧場へは80家族約300人、家畜約400頭が移転しました。
下総御料牧場の一部は三里塚記念公園として保存され今日に至っています。
御料牧場移転後「社台牧場」など、民間のサラブレッド生産牧場も、
北海道日高地方にその拠点を移しました。
しかし今なお三里塚周辺には、
「出羽牧場」「新田牧場」「新堀牧場」「千代田牧場」「鈴木牧場」などが点在し、
かつての馬の産地の面影を垣間見ることができます。
また、成田空港第一ターミナルの住所などに「御料牧場」の名が残り、
宮内庁下総御料牧場があった昔を垣間見ることが出来るのです。
あとがき
皇居での晩餐会の様子がテレビに映し出されると、
どんな御馳走が並んでいるのかが気になります。
世界の要人をおもてなしするお料理に
使われている食材が作られている御料牧場って
食通(ただの食いしん坊)の私にとって、
とても興味のあることなんです。