菅原道真の怨霊伝説と天神信仰とは?北野天満宮が学問の神様となった理由は?

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受験生やその親御さんは、北野天満宮のお守りを授かり、
絵馬に合格祈願の願いを書き、
志望校合格を祈願してお祓いを受ける人もたくさんおられます。

そんな受験の合格祈願で人気の天神信仰ですが、
北野天満宮の御祭神は菅原道真公です。

菅原道真公は、大出世を果たすも、
左遷され怨霊と畏れられることに・・・

怨霊と畏れられた菅原道真公が、
学問の神様と祀られるようになった理由は何故なのでしょうか。

菅原道真の北野天満宮と天神信仰についてまとめてみました。

  

菅原道真の怨霊伝説と天神信仰とは?

現在でこそ菅原道真公は、神様としてお祀りされていますが、
菅原道真公は実在の人物です。

そんな菅原道真公を御祭神としてお祀りする天神社は、
全国に約1万2千社あるとされています。

これは、日本の神社の中で八幡神社や稲荷神社にに次いで、
3番目に多い数です。

菅原道真は、雷神と同一視されたとはいえ元は普通の人間なのに、
なぜこれほどまでに信仰されるようになったのでしょうか。

豊国神社や東照宮の例を見ても、
人を神様として祀ることはそれほど不思議なことではなく、
珍しいことでもありませんでした。

ただ、神様としてお祀りされた人たちは、
称えられて神様としてお祀りされるようになったのですが、
菅原道真公の場合は真逆でした。

最初、菅原道真がお祀りされていたのは、
怨霊としての祟りを鎮めるために祀られていたのです。

ではなぜ、菅原道真が怨霊と化してしまったのか、
それは菅原道真の生涯を追っていくことで見えてくるようです。

菅原道真の怨霊伝説と天神信仰 天満宮が学問の神様となったのは?

菅原道真の生まれた菅原家は、
学問の家として知られていました。

菅原道真の祖父にあたる菅原清公は『文章博士(もんじょうはかせ)』で、
文章博士というのは、大学寮での漢文学や中国正史の教授で、
大学頭(だいがくのかみ)という大学寮の長官を歴任する人で、
桓武天皇に儒教の経典を講義する職務(侍読)も務めました。

菅原道真も同様に出世し、
15歳で元服した時からすでに、
朝廷に奉る文書である上奏分を代作していました。

一時は宇多天皇の傍に侍ることとなり、
最終的に右大臣の位にまで上り詰めました。

901年、
そんな菅原道真は、突如として大臣経験者の左遷ポストと言われる、
太宰府長官の代理・太宰権師(だざいごんのそち)に任命されます。

原因は醍醐天皇を廃して、
斉世親王を立てようとする陰謀に加担したからとされていますが、
真意のところは不明です。

『東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ』

これは菅原道真が京の都を去る時に詠んだ句ですが、
その梅が、京の都から一晩にして道真の住む屋敷の庭へ飛んできたという、
「飛梅伝説」は有名です。

大宰府に左遷された菅原道真は、
903年、病に倒れなくなってしまいます。

しかし、
菅原道真の名前はここで消えることはありませんでした。

『日本紀略』によると、
923年、皇太子である保明親王が21歳の若さで亡くなり、
これが菅原道真の怨霊によるものとされ、
醍醐天皇は菅原道真を右大臣へと戻し、
左遷の詔を破棄しています。

公に怨霊の存在が認められたということです。

これ以来、大きな災厄があると、
京では菅原道真の仕業とされてきました。

925年には、天然痘が流行し、5歳だった皇太子が亡くなり、
930年には、藤原清貫や平希世が落雷によって亡くなっています。

藤原清貫は大宰府に左遷された菅原道真を、
監視するように命じられていたこともあり、
菅原道真が雷神を操っていたとか、
雷神を操って殺したという噂が広まる契機をあたえました。

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菅原道真の北野天満宮が学問の神様となったのは?

947年、近江国比良宮の神官・神良種(みわのよしたね)の子に、
菅原道真の霊から託宣が下がったのです。

この託宣に従って、神殿を造営し、
天満神をお祀りしたのが、京都の北野天満宮の創建とされています。

しかし、北野天満宮がある北野には、
菅原道真が生まれる以前から、天神社が祀られていて、
雷公として信仰されていました。

この天神と、菅原道真が習合して、
菅原道真には、
雷神としての側面が付与されることになったと考えられています。

この託宣の際、菅原道真の霊は、
『自分と同じように災難を被った人間を救う』と誓っているのです。

このことから、
北野へ参寵し、無実の罪を晴らしたという伝説がいくつか残っています。

これは菅原道真の霊が冤罪に陥った人間を救う、
『雪冤の神』として信仰されるようになったことを示しています。

祟るという悪を行うことが出来るのならば、
悪を制御できるという意味なのです。

菅原道真は、ここから正義の神としての側面を得て、
さらに生前の菅原道真が、学問に精進していたことから、
学問の神様として広く信仰されるようになって行った、
これが天神信仰の成り立ちなのです。

あとがき

かなり昔ですが受験の時、北野天満宮へ行きました。

子供達のお受験の時も参拝しました。

北野天満宮に祀られている菅原道真公の怨霊伝説と、
学問の神様と言われる由縁、
その繋がりには不思議な出来事がいっぱいです。