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夏の季節と行事

京都の大文字焼きの歴史と起源はいつ?文字の読み方と意味や由来は?

投稿日:

京都に夏の終わりを告げる京都の大文字焼き、

京都人がこの言い方にちょっと抵抗があるのですが、
『大文字焼き』と呼ばれる五山の送り火には、
どのような歴史があって、
その起源となるのはいつからなのか?
また、
五山の山々の読み方はどう読むのか?
それらの山の持つ意味や由来をご紹介します。

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京都の大文字焼きの歴史と起源はいつ?

京都の大文字焼きは、
五山送り火(ござんのおくりび)ともいわれ、
毎年8月16日に、
京都市左京区にある
如意ヶ嶽(大文字山)などで行われるかがり火のことです。

大文字焼きは、宗教・歴史的な背景から
「大文字の送り火」と呼ばれることがあります。

大文字焼きは、京の夏の夜空を焦がす
京都の名物行事・伝統行事で、
葵祭・祇園祭・時代祭とともに京都四大行事の一つとされています。

その大文字焼きの五山について解説します。

「大文字」
この山は京都市東部、
東山三十六峰に属する如意ヶ嶽の支峰・大文字山にあり、
山麓には銀閣寺、法然院等の名刹が連なっています。

「松ヶ崎妙法」
「松ヶ崎妙法」とは“妙”(西山)と“法”(東山)の二つの山があります。
昔の文字の書き方ならば右から読むものですが、
妙の字が法の字の左に書かれている所を見ると、
妙・法の2字が同時に作られたものでないことが推測されます。

すくなくとも法の字は、
時期として日良の時代(生歿年1590〜1660)近世初期。
妙の字は、戦国末期か近世初頭と考えられます。

「舟形万灯籠」
船形は麓の西方寺開祖慈覚大師円仁が、承和年間、
唐留学の帰路暴風雨にあい、
南無阿弥陀仏と名号を唱えたので、無事帰朝できたことから、
俗にこの船形は精霊船といわれており、
その船形万灯籠をはじめたと伝えられています。

船の形をとった動機としてこの円仁の故事が想起されたとしても、
創始の時期を1100年以前に遡ることは困難でしょう。

「左大文字」
左大文字も計画だけは江戸初期にあったらしいのですが、
中期以降にはじめられたものであろうと伝えられています。

「鳥居形松明」
鳥居形の場合、弘法大師が石仏千体をきざんで、
その開眼供養を営んだとき、点火されたと云うのですが、
むしろ愛宕神社との関係を考えるべきです。

このように、6つの山からなる五山の送り火は、
お精霊(しょらい)さんと呼ばれる死者の霊を、
あの世へ送り届けるとされる送り火なのです。

京都五山送り火の起源については明らかでないのですが、
地元の人々の信仰をもとにはじめられ受け継がれてきたからこそ、
それが直ちに記録にもとどめられなかったのであろうと考えられています。

山に画かれた字跡に点火する行為の起源については、
平安時代とも江戸時代とも言われているのですが、
公式な記録が存在するわけではありません。

場所と行為を具体的に特定した史料が登場するのは近世に入ってからで、
『雍州府志』によると、盂蘭盆会や施餓鬼の行事として行われていたとあり、
『花洛細見図』にも「盂蘭盆会の魂祭」として紹介されていることから、

江戸時代前期から中期までにはそれに類する性格を持っており、
大文字、妙法、舟形、加えて所々の山、原野で火を点けていたのです。

なお、以前の京都は過度の深林利用のせいでハゲ山が多く、
深林は少なく、
それが故に送り火と言う文化が産まれたのではないかと言う説もあります。

このように送り火の起源には諸説あり、
確かなところは現在もわかっていません。

ここでは数ある諸説と言い伝えをご紹介します。

① 平安時代初期に、弘法大師(空海)が始めたという説。

かつて大文字山麓にあった浄土寺が大火に見舞われた際に、
本尊・阿弥陀佛が山上に飛翔して光明を放ちました。
この光明を真似て実施した火を用いる儀式を、
弘法大師が大の字形に改めたという説があります。

② 室町時代中期、足利義政が始めたとする説。

1489(延徳元)年、
足利義政が近江の合戦で死亡した実子・義尚の冥福を祈るために、
家臣に命じて始めた、といわれており、

大の字形は山の斜面に白布を添え付け、
その様子を銀閣寺から、
相国寺の僧侶・横川景三が眺め定めたという説があります。

③ 江戸時代初期に、近衛信尹(のぶただ)により始まったとする説。

1662(寛文2)年に刊行された「案内者」には、
「大文字は三藐院(さんみゃくいん)殿(信尹を指す)の筆画にて」
との記述があります。

京都の大文字焼きの文字の読み方は?

「大文字」だいもんじ
「松ヶ崎妙法」まつがさきみょうほう
「舟形万灯籠」ふながたまんとうろう
「左大文字」ひだりだいもんじ
「鳥居形松明」とりいがたたいまつ

大文字の起源・筆者

近い時期に発刊された史料であるにも関わらず、
大文字の起源・筆者については史料ごとに差が見受けられます。

・大の字は青蓮院門主が画いたものである。
(『洛陽名所集』・『出来斎京土産』)

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・大の字は三藐院(さんみゃくいん)
(近衛信尹(このえのぶただ)を指す)が画いたものである。(『案内者』)

・大の字は弘法大師が画いたものである。
(『山城四季物語』・『雍州府志』・『都名所車』・『都名所図会』など)

・大の字は相国寺の僧・横川景三が画いたという説と、
弘法大師が画いたという説がある。(『日次紀事』)

・大の字は横川景三が相国寺に対して
大の字が正面を向くように考慮して画いたものである。
(『菟芸泥赴』)

・大の字は足利義政の命により、横川景三と芳賀掃部が画いたものである。
芳賀掃部は義政の臣であると同時に横川景三の筆道の弟子でもあった。
(『山州名跡志』・『山城名跡巡行志』)

筆者について、
史料上の初出は『洛陽名所集』の青蓮院門主説であるのですが、
三藐院説、弘法大師説と続き、
横川景三説が登場するまで18年の年差しかなく、
発刊時期の近い史料に多くの説が混在しています。

『雍州府志』では、
誰々が画いたという俗説が多く存在していることについて、
謬伝(誤って広まった噂話)ではないかとしています。

京都の大文字焼きの文字の意味と由来は?

一般的に送り火そのものは、盆の翌日に行われる伝統行事であり、
再び冥府(冥府・死後の世界)に帰る精霊を送るという意味をもつ、
盆行事の一形態でした。

この行事が一般に広く行われるようになったのは、
仏教が庶民の間に深く浸透した中世-室町時代以降であるといわれています。

五山のそれぞれの山にそれぞれの歴史が伝えられていますが、
その起源には平安初期、室町中期、江戸初期ではないかと、
さまざまな俗説がありますが、
どれ一つとして明らかな説はなく、確かな記録も残されていません。

それは「五山送り火」が宗教的行事でありますが、
地元の人々によって始められ、受け継がれてきたため、
記録にとどめられなかったのではないかとも考えられています。

そして現在も「送り火」は地元の人々や、
ボランティアの皆さんによって支えられ、
数百年という歴史が民間で受け継がれている行事なのです。

「大文字焼き」という呼び方について

現在では上記の通り宗教行事からのいわれで
「大文字五山送り火」と呼ばれることが多いようです。

雑誌やテレビでは「大文字焼き」という、
慣習的な表現を使うことがしばしばありますが、
京都に住んでいる人は、そのような言い方をしません。

「大文字焼き」という言い方は、
奈良高円山など他所で行われる大文字焼きに倣ったものと思われ、
地元の人の中には「大文字焼き」という表現を嫌悪するひとも多いのです。

「山焼き」は、新芽を出させるために山腹の広い範囲を焼くことであって、
なんだか『たい焼き』みたいです。

大文字さんは、京都人にとってそんな軽い行事ではないのです。
ご先祖さんをお送りする厳粛な行事なのです。

第二次世界大戦(太平洋戦争)中である1943年には、
主に灯火管制的見地から送り火が中止されたことがありましたが、
代わりに早朝に白いシャツを着た地元の第三錦林小学校の児童らが、
山に登り、人文字で「大」を描き、英霊にラジオ体操を奉納したそうです。

翌1944年にも錦林小学校、第二 – 第四錦林小学校児童が、
やはり同じようにして人文字を描いています。

1945年も本来の送り火は行なわれず、終戦の翌年、1946年に再開されました。

大文字さんの送り火も、今は京都市眺望景観創生条例に基づいて、
各五山への「しるしへの眺め」が損なわれないように、
建築物に規制が課せられています。

ですから、京都市内には高い建物が立っていないのです。

またかつては、一般人が送り火の当日に大文字山に登って、
火のすぐ隣で送り火を見ることが可能でした。

山の上からは五山の送り火全てを見ることができ、
京都市街の明かりがだんだん減灯していく様子や、
送り火の点火と同時に、
市街全域で激しく焚かれるカメラのフラッシュが幻想的で、
徐々に登山者が増えていきました。

しかし、不特定多数の人間が火の横にいることは危険が伴うため、
当日登山のできる時間を16時までとし、
それ以降は警備員を登山口に配して登山禁止としました。

しかし、それでも一般人登山者が減らないうえ、
送り火の最中にフラッシュを焚いたり、
懐中電灯を点灯する一般人登山者が多く、
市街から見て見栄えが良くないため、
現在では一般人は、点火当日は13時までに下山をし、
それ以降は全ての登山口に警備員を配して、
一切の当日登山を禁止しているのです。

五山の送り火 大文字とはどんな山 名前は?点火は何時どこから見える?

まとめ

大文字さんは、京都の夏の終わりを告げる風物詩ですが、
お盆に帰ってこられたご先祖さんが、浄土にお帰りになるのを、
お見送りする大切な行事です。

燃え盛る山の文字をしんみりと眺めながら、
旅立った人のことを想います。

山々の炎がだんだん消えていくのを見ながら、
今自分がここにあることをご先祖様に感謝する時なのです。

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