神嘗祭と新嘗祭 大嘗祭の違いは?伊勢神宮と宮中祭祀のかかわりは?

秋の行事

神事の中心である天皇陛下が、
国家と国民の安寧と繁栄を祈って、
神や祖先を祭る宮中祭祀の中で、
秋に行われる神嘗祭と新嘗祭というものがあります。
また、
同じような宮中祭祀に大嘗祭がありますが、
いつ行われ、違いはどこにあるのでしょうか?

それらの宮中祭祀と伊勢神宮には、
どのようなかかわりがあるのでしょうか。

  

神嘗祭と新嘗祭はどう違うのか

神嘗祭とは

神嘗祭は「かんなめさい」と読みます。
「かんなめのまつり」「かんにえのまつり」とも読みます。

神嘗祭とは五穀豊穣の感謝祭にあたり、
その年の最初に収穫した稲穂「初穂」を、
伊勢神宮にお祀りされている天照大御神(あまてらすおおみかみ)にお供えし、
感謝するお祭りです。

日本神話で天照大御神が
天上の高天原(たかまがはら たかまのはら)で初穂を食されたことに由来し、
伊勢神宮では毎年10月17日に神嘗祭が執り行われ、
その年の初穂を天照大御神にお供えします。

これに合わせて伊勢市内で神嘗奉祝祭が行われ、
全国各地のお祭りや伝統芸能が奉納されされ、
収穫の喜びと五穀豊穣の感謝を分かち合います。

伊勢神宮の神嘗奉祝祭では、
日本各地の有名なお祭りを一度に見ることができます。

西暦721年に始まった行事とされ、
もともとは旧暦の9月17日に行われていましたが、
1872年(明治5年)に新暦の9月17日に実施されるようになりました。

しかし、9月17日では稲穂の成長が不十分の時期ということもあり、
1879年(明治12年)に10月17日に変更されました。

新嘗祭とは

新嘗祭は「にいなめさい」と読みます。
「しんじょうさい」「にいなめのまつり」とも読みます。

新嘗祭とは五穀豊穣の収穫祭にあたり、
新嘗の「新」は新穀(初穂)を、
「嘗」はご馳走を意味します。

天照大御神はじめ天神地祇(てんじんちぎ すべての神々)に初穂をお供えして、
天皇陛下自らも初穂を召し上がり、
神様の恵みによって初穂を得たことを感謝するお祭りです。

起源がいつなのか特定されていませんが、
日本書紀によると
「飛鳥時代の皇極天皇の時代(西暦642-645)に始まった」と伝えられており、
万葉集には新嘗祭にまつわる和歌も存在します。

新嘗際は毎年11月23日に行われる宮中祭祀で、
宮中恒例祭典の中でも最も重要なものとされています。

宮中恒例祭典とは元日に行われる四方拝(しほうはい)をはじめ、
春分の日、秋分の日に行われる春季・秋季皇霊祭(こうれいさい)、
6月30日と12月31日に行われる大祓(おおはらい)などたくさんありますが、
それらの毎年執り行われる宮中祭祀のことをいいます。

明治時代になり太陽暦が導入され、そのまま旧暦の日付を使うと、
「新嘗祭」は翌年1月になってしまい、
「今年の収穫に感謝する日」の意義にそぐわなくなっ てしまうので、
新暦の11月の2回目の「卯の日」に行うことになりました。

これがたまたま11月23日に当たり、その日は勤労感謝の日という国民の祝日で、
それ以降この日で行われるようになりました。

天皇陛下が天照大御神はじめ天神地祇に初穂をお供えになり、
感謝の祈りをされたあとに、初穂をお召し上がりになります。

日本神話では、
天皇は天照大御神の子孫ですので天皇自らが食すことで新たな力を得、
翌年の豊穣を約束するものとされてきたといいます。

第二次世界大戦後、
GHQによって国家神道の色が強い「新嘗祭」という祭日を排除し、
別の名前の祝日にするよう提案がありました。
天皇の国事行為という要素を取り除き改めて祝日にしたのが「勤労感謝の日」です。

神嘗祭と新嘗祭の違い

神嘗祭と新嘗祭 
この字に書いてもよく似ていて、混同してしまいそうな祭祀です。

どちらも五穀豊穣を感謝するお祭りで、
内容も同じように見えますが違いもあります。

神嘗祭と新嘗祭の違いを知るために、
それぞれの行事を要約すると以下のようになります。

〇神嘗祭
毎年10月17日に執り行われ、
伊勢神宮においてその年に収穫した新穀を奉納する儀式であり、
収穫された初穂を天照大御神にお供えし、五穀豊穣を感謝します。

〇新嘗祭
毎年11月23日に宮中三殿の神嘉殿(しんかでん)で執り行われます。
新嘗祭では収穫された初穂を天照大御神はじめ天神地祇にお供えし、
五穀豊穣を感謝したあと天皇陛下も初穂を召し上がります。

宮中三殿とは、皇居内にある神道の神を祀る
賢所(かしこどころ)・皇霊殿(こうれいでん)・神殿(しんでん)の総称で、
宮中三殿に付属して構内に神嘉殿があります。

神嘗祭も新嘗祭も、宮中行事、神事であることから、
われわれ一般人にはあまり馴染みのない行事のように思ってしまいますが、
古来より日本は稲作が生活の基本になっていましたので、
初穂の収穫を祝い感謝する「収穫祭」は、
各地の神社で行われる秋祭りと同じ意味を持つ繋がりがあります。

「勤労感謝の日」には
「勤労を尊び、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう日」という意味があります。

新嘗祭から勤労感謝の日へと変更されましたが、
呼び名は変わっても
「収穫を祝い感謝する」という本来の意味は変わらないのです。

収穫は勤労の上に得られるもので、
労働をねぎらい感謝することは、収穫を感謝して祝うことですね。

秋に新米を頂くときには、歴史ある伝統行事の新嘗祭を思い出して、
美味しいご飯が頂けることに感謝したいと思います。

神嘗祭と新嘗祭 大嘗祭との違いは?

新嘗祭と神嘗祭はどちらも、
五穀豊穣と収穫を祝い感謝するという意味をもつ行事です。

大嘗祭と神嘗祭や新嘗祭との違いは何なのでしょうか

大嘗祭(だいじょうさい)
天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭のことを大嘗祭と言います。。

新嘗祭(にいなめさい)は毎年11月に、天皇が行う収穫祭です。

その年の新穀を天皇が神に捧げ、天皇自らも食す祭儀です。

当初は「大嘗祭」とはこの新嘗祭の別名であったのですが、
後に、即位後初めての新嘗祭を一世一度行われる祭として、
大規模に執り行うこととなり、
律令ではこれを「践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)」とよび、
通常の大嘗祭(=新嘗祭)と区別されていました。

大嘗祭(=新嘗祭)の儀式の形が定まったのは、
7世紀の皇極天皇の頃でしたが、
この頃はまだ通例の大嘗祭(=新嘗祭)と践祚大嘗祭の区別はありませんでした。

通例の大嘗祭とは別に、
格別の規模のものが執行されたのは天武天皇の時が初めてでした。

ただし当時はまだ即位と結びついた一世一度のものではなく、
在位中に何度か挙行されたようです。

律令制が整備されると共に、
一世一代の祭儀として「践祚大嘗祭」と名付けられ、
祭の式次第など詳細についても整備されました。

延喜式に定められたもののうち「大祀」とされたのは大嘗祭だけなのです。

今上天皇では、平成2年(1990年)11月12日に即位の礼がおこなわれ、
11月22日から23日に大嘗祭が行われています。

即位の礼に関わる儀式が国の行事とされたのに対し、
大嘗祭に関わる儀式は皇室の行事とされました。

しばしば誤解されていることですが、
ここで「皇室の行事」というのは、「皇室の私的な行事」という意味ではなく、
「皇室の公的な行事」という意味です。

大嘗祭の予算は通常の内廷費以外の臨時のものが組まれています。

当時の政府発表によれば、
大嘗祭が「国事行為」とされなかった理由は、
憲法上の天皇の「国事行為」とは「内閣の助言と承認」を必要とするものであり、
皇室の伝統祭祀である大嘗祭は「国事行為」に当たらないためだったのです。

神嘗祭と新嘗祭 伊勢神宮と宮中祭祀はいつ行われる?

★伊勢神宮★

伊勢神宮は三重県伊勢市にある神社で、
古代、皇室の氏神とされ、天皇以外の奉幣は禁止されていました。

「伊勢神宮」という名称は通称で、
正式には“伊勢”という地名は付かず「神宮」とされています。

しかし、他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ばれることが多くなり、
人々は親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」と呼ぶようになりました。

伊勢神宮には、

太陽を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る内宮(皇大神宮)と、
衣食住の守り神である豊受大御神を祀る外宮(豊受大神宮)の二つの正宮があります。

内宮と外宮のある場所は少し離れていて、
観光客は内宮だけを参拝することが多いようですが、

先に、外宮を参拝してから、内宮を参拝するのが正しい参拝の仕方です。

江戸時代には弥次さん、喜多さんの『東海道中膝栗毛』にもあるように、
庶民からは親しみを込めて「お伊勢さん」と呼ばれ、
多くの民衆が全国から参拝するようになりました。

そんな伊勢神宮にはおみくじがありません。
一般に「伊勢神宮は、参拝した日が誰でも吉日であるから」と云う説と、、
伊勢神宮では個人的な吉凶を占うことがはばかられるという説があります。

その伊勢神宮で行られる神嘗祭とは、どういう催事なのでしょうか?

中世以降、
伊勢神宮の神嘗祭に対する奉幣のことを特に例幣(れいへい)と呼ぶようになりました。

奉幣(ほうべい・ほうへい)とは、
天皇の命により神社・山陵などに幣帛(へいはく)みつぎものを奉献することです。

例幣に遣わされる奉幣使のことを例幣使といいます。
また、
天皇の即位・大嘗祭・元服の儀の日程を伊勢神宮などに報告するための
臨時の奉幣を由奉幣(よしのほうべい)という。

伊勢神宮では、年間1500回に及ぶ神宮の恒例のお祭りの中でも、
最も重要なお祭りが神嘗祭です。

神嘗祭は、その年に収穫された新穀を最初に天照大御神にささげて、
御恵みに感謝するお祭りで、
由貴大御饌と奉幣を中心として、興玉神祭、御卜、御神楽などの諸祭を行います。

さらに附属のお祭りとして、
春に神宮御園で行われる御園祭、神宮神田で行われる神田下種祭、
秋の抜穂祭、御酒殿祭、御塩殿祭、大祓があり、
神宮の年間の祭典は神嘗祭を中心に行われているといっても過言ではありません。

神嘗祭は、伊勢神宮で最も古い由緒をもち、
天皇陛下の大御心を体して、天照大御神に新穀を奉り収穫の感謝を捧げる祭典です。

明治時代の改暦以前は9月に行われていましたが、
現在は10月15日の興玉神祭から始まり、続いて御卜が行われます。

御卜は祭主以下の神職が神嘗祭の奉仕に適うかをお伺いする儀式です。

翌16日、皇大神宮で午後10時に由貴夕大御饌、
17日午前2時に由貴朝大御饌が行われます。

大御饌とは立派な食事という意味で、
海川山野のお供え物を取り揃え、
神田で収穫された新米を玄米のまま蒸して土器に盛り、
御餅をつき、白酒黒酒のお酒を醸してお供えします。

17日の正午には、天皇陛下が遣わされた勅使が幣帛をご奉納になる奉幣が行われ、
同日天皇は皇居神新嘉殿にて皇大神宮を御遙拝になられます。

最後に夕刻、御祭神を和めるために御神楽が行われます。

御トとは神職が、奉仕直前に神の御心(みこころ)にかなうかどうかを、
おうかがいする行事です。

また、天皇陛下のお使いである勅使(ちょくし)により
幣帛(へいはく)が奉られるのが奉幣(ほうへい)の儀です。

神宮のお祭りは、外宮先祭といってまず外宮で祭儀が行われる習わしがありますので、
内宮に先だって外宮で15日から16日にかけて由貴大御饌・奉幣・御神楽が行われます。

また、
天皇陛下は皇居の御田でお育てになられた御稲穂を神宮に御献進になり、
両正宮の内玉垣に奉懸されます。

内玉垣には全国の農家が奉献した稲穂も懸けられており、
それは懸税と呼ばれます。

そこには天皇と国民の収穫奉謝の真心が一体となった光景が見られます。

このように神嘗祭は、
諸神に先立ち収穫の感謝を天照大神に捧げ、
翌11月に天皇陛下は新嘗祭を行われて天神地祇すべての神々に収穫を感謝されるのです。

古来お米を主食として生きてきた日本人にとり、神嘗祭は重要な祭儀であり、
その意義は今日も古代から一貫して変わることはありません。

伊勢神宮 神嘗祭

平成29年

■外宮(豊受大神宮)

由貴夕大御饌  10月15日(日) 午後10時    
由貴朝大御饌  10月16日(月) 午前2時
奉  幣    10月16日(月) 正午         
御神楽     10月16日(月) 午後6時

■内宮(皇大神宮)
  
由貴夕大御饌  10月16日(月) 午後10時      
由貴朝大御饌  10月17日(火) 午前2時※
奉  幣    10月17日(火) 正午           
御神楽     10月17日(火) 午後6時※

★伊勢神宮・・・たびノート★

まとめ

秋の収穫のシーズンになると、
新聞やテレビのニュースで、
神嘗祭・新嘗祭といったフレーズを耳にします。

また、大嘗祭という言葉を耳にした記憶があります。

それらは宮中祭祀ということで、
ベールに包まれていて、
目の当たりにすることはできませんが、

厳かな宮中祭祀や、
天皇陛下が
国家と国民の安寧と繁栄を祈って行われる神事を知るとき、
日本という国の伝統に重みを感じます。