枚方大菊人形展の歴史 ひらかたパークのひらパー兄さんと菊人形現在は?

秋の行事

枚方大菊人形といえば、
ひらかたパーク秋の風物詩として、
長く人気を集めていました。

そのひらかたパークの
初代ひらパー兄さんのブラマヨの小杉さんや、
2代目 超ひらパー兄さんで園長の岡田准一さんによる、
ひらかたパークの宣伝効果は、
どれほど影響力のあるものなのか、
今後、
ひらかた菊人形はどうなっていくのかをまとめました。

  

枚方大菊人形展とひらパーの歴史

ひらかた大菊人形は、京阪電気鉄道の主催で、
2005年まで毎年10月上旬から11月下旬(年によっては9月から12月)に、
大阪府枚方市にある遊園地「ひらかたパーク」で行われていた
菊人形の展覧会のことです。

枚方大菊人形の起源となる菊人形展は、
明治43年、京阪本線 大阪の天満橋ー京都五条間の開業記念事業として、
現在の寝屋川市にあった香里園遊園地で開催されました。

その後、枚方に移り順調に開催していましたが、
当時、菊の造園を請け負っていた菊師との間で金銭トラブルとなり、
宇治へと移りました。

枚方時代より優れた菊師を招き、芸妓の余興などもあり、
好評を博しましたが、毎年赤字が続いたため開催できなくなり、
さらに、その菊人形館が火災を起こしました。

南海電鉄の後援で興行していた、堺の菊人形館からの申し出を受け、
大正12年、枚方に菊人形館を移築されました
次の年にはその周辺が整備され、
京阪電鉄の経営で、枚方公園が出来ました。

これが今の『ひらかたパーク』の起源なのです。

菊人形展は戦時中、開催中止になったり、開催場所を千里山に移したりしましたが、
昭和24年に枚方に戻り、
「ひらかた大菊人形」は、
それ以後毎年、ひらかたパーク 秋の風物詩として開催されるようになりました。

菊人形のテーマとなる題材のほとんどは、NHKの大河ドラマや、
新大型時代劇のテーマを用いたものにが多く、
1980年代半ばまでは順調でした。

しかし、菊人形を制作する菊職人の高齢化と、
その技術を継承する後継者不足などを理由に、
毎年開催されていた『ひらかたパークの大菊人形展』は、
2005年、96年の歴史に一旦幕を下ろすこととなりました。

枚方大菊人形展のひらかたパーク ひらパー兄さんは?

ひらかたパークの元となる枚方公園は、
大正12年に開業された歴史あるテーマパークです。

そのひらかたパークと言えば、
戦後のニューファミリーが休日に家族そろって訪れる夢の場所として、
大盛況を納めていたのですが、

東京ディズニーランドや、近くに USJユニバーサルスタジオジャパンが出来、
また家族の休日の過ごし方も変化したことで、
いわゆる遊園地と呼ばれる娯楽施設は、
次々へと閉園に追い込まれていくことになり、
ひらかたパークも経営の危機に直面します。

年間1億円前後の赤字を計上していたひらかたパークですが、
2009年よりブラマヨの小杉を「ひらパー兄さん」として起用したことが話題となり、
その広告効果で、中学生から高校生・大学生の入場者が増加しました。

2010年 ブラマヨ吉田と組んだ「ひらパー兄さん選挙」では、
グッズなどの物販販売も好調になり、
その影響で黒字計上できるまでに復活しました。

2013年 ブラマヨ小杉が「ひらパー兄さん」を引退し、
枚方出身のジャニーズ、V6の岡田准一を、
2代目のイメージキャラクター「超ひらパー兄さん」として起用、

『ワイで おまっ!』(俺だよ!)で話題を呼びました。

岡田准一は、NHKの大河ドラマ『軍師官兵衛』の主人公や、
特攻隊を描いた映画『永遠のゼロ』などで活躍中だったため、
さらに話題となり、「超ひらパー兄さん」の宣伝効果は絶頂となり、
来場者数も100万人に達しようとする勢いでした。

2014年に『園長』に就任?した岡田准一が、
着用していた白いヨットパーカーなどのグッズ販売も順調でした。

しかし、
来場者数があと一歩のところで100万人達成できず、
2015年3月1日までに達成できなければ、
岡田准一に
イメージキャラクター「超ひらパー兄さん」
および『園長』の座から解任するという条件が課せられました。

「超ひらパー兄さん」解任という情報の影響力は絶大で、
2014年3月1日からの年間来園者数は104万7246人と発表され
2015年3月7日には「超ひらパー兄さん園長去就発表会」が行われ、
「超ひらパー兄さん」解任は回避できました。

その後も岡田准一主演作品とひらかたパークとのコラボともいえる宣伝作戦で、
ひらかたパークの入場者数や売り上げは順調なようです。

「超ひらパー兄さん」の在任期間はいつまでなのか未定ですが、
しばらくはこの「超ひらパー兄さん」効果に甘んじるようです。

ひらかた大菊人形展の現在は?

菊人形を愛する枚方市民は、
「ひらかた大菊人形」が閉幕する以前から、
枚方市が主催する講習会で市民ボランティアが菊人形作りを学んでおり、

閉幕の翌年から枚方市民会館前などで、
市民ボランティアが作成した菊人形が飾られています。

「ひらかた大菊人形」が閉幕した翌の2006年には、
小規模な回顧展が開催された後、
2010年には京阪電鉄の創業100周年記念企画として、
限定復活開催されることになりました。

また、2012年の秋には ひらかたパーク開業100周年を記念して、
10月6日から11月25日までの期間
『ひらかたパーク大菊人形展』を復活させました。

2012年の菊人形展では、
竹と藁でつくった「胴殻」に、
根の周りに水苔を巻いた菊をU字型に曲げて取り付けるという、
伝統的な菊人形のほかに、
「トピアリー菊人形」という新しい技術を使った菊人形も登場しました。

後者の場合、園芸用の支柱と針金で胴殻を作り、
鉢植えの菊をそれに沿って育ててゆくという手法を使っています。

翌年以後もひらかたパークではイベントホールで、
菊人形の何体かを飾っています。

やはり、『ひらかた』といえば菊人形がイメージされ、
枚方市民の菊人形に対する愛は、長い歴史に裏付けされたもののようです。

ですから菊人形展は、
枚方市民にとって無くてはならないものなのですね。

まとめ

子供の頃、祖母に手を引かれ
枚方大菊人形展に言った覚えがあります。

今の若い人にとって、
菊人形ってそれほど興味を感じないものかもしれませんが、
年齢を重ねるうちに、だんだんと良さがわかってきたような気がします。

華やかな桜も日本の花ですが、
しっとりとした菊には日本の心があるように感じます。

超ひらパー兄さん!
ひらかた菊人形 いつまでもやったくださいね!