霊山歴史館幕末維新ミュージアム坂本龍馬と新選組見どころとアクセスは?

秋の行事

霊山歴史館の幕末維新ミュージアムで、
大政奉還150周年記念の特別展が開催されています。
新選組や坂本龍馬、西郷隆盛ゆかりの品々を初め、
幕末から大政奉還、
そして明治維新となるその時に起きた事件の数々を、
知ることが出来る特別展です。

  

霊山歴史館幕末維新ミュージアム

霊山歴史館前の石碑には「館の理念」として

「近代日本を開化せしめた維新の志士の尊い精神を学び
この国の歴史と伝統に立ってあすの日本を考えるために
心をこめて若き人びとにおくる」と、刻まれています。

霊山歴史館とは

霊山歴史館は昭和45年(1970)に、
全国ではじめて幕末・明治維新期の歴史を総合的にとらえて研究する専門博物館として、
京都に開館しました。

幕末、京都は政治の中心地でしたが、
この時代に活躍した志士、大名、天皇、公家のほか文人、画家などの遺墨や遺品、
書状、各種資料・文献などを収集、調査、研究し、公開展示を行っています。

坂本龍馬、中岡慎太郎、西郷隆盛、木戸孝允、高杉晋作など倒幕派志士の遺品とともに、
新選組、徳川慶喜、松平容保など幕府側に関する資料も数多くあり、
倒幕・佐幕両派がともに活躍したこの地で、
幕末維新史を双方の視点から見ることができるという特色があります。

公開は5000点を超える収集資料から約100点を選んで展覧会を行っています。

霊山歴史館の運営は、
明治百年にあたる昭和43年(1968)に創設された霊山顕彰会(現・公益財団法人)の、
メイン事業として行われています。

幕末維新ミュージアム大政奉還特別展 開催日時と入館料

★2017年 夏の特別展「新選組、義に生きる!!」

期間  ・第1期 2017年7月11日(火)〜9月3日(日)
    ・第2期 2017年9月5日(火)~9月24日(日)

義に生きた新選組の展覧会。近藤勇や土方歳三の愛刀を展示。
新選組、坂本龍馬の関係資料からリアルな人物像に迫る。
幕末動乱の京を駆け抜け、
鳥羽伏見の戦いから箱館戦争まで旧幕府軍として戦った新選組。
幕府への義に生き、誠を貫いた新選組の思いと行動を多くの資料から探ります。

★2017年 秋の特別展「龍馬と西郷隆盛」

期間 ・第1期 2017年9月27日(水)〜10月29日(日)

「龍馬を斬った刀」など、約100点を公開。
近代国家の礎を築いた坂本龍馬や西郷隆盛の実像に迫る展覧会。

    ・第2期 2017年10月31日(火)~12月24日(日)

約100点の資料で龍馬や西郷隆盛の実像を探る。
「西郷隆盛肖像画」「西郷を介錯した刀」など。

★休館日

月曜日(祝日開館、翌日休館)

9月18日(月)は開館
詳しくは開館カレンダーをご覧ください

★開館時間  

午前10時~午後5時30分 
(入館は閉館30分前まで)

★入館料

大人700円、高校生400円、小中学生300円
(団体料金-20人以上-は大人600円、高校生300円、小中学生200円)

友の会会員は無料(会員証提示)
優待 クーポン券または本展チラシをご持参いただくと、
上記団体料金でご入館できます。

【お願い】
開館日等詳細は変更になる場合がありますので、
ご来館前に当サイト開館案内カレンダーや電話でご確認ください。

電話:075-531-3773

幕末維新ミュージアム坂本龍馬と新選組と西郷隆盛

幕末

265年続いた徳川政権が、
ペリー来航からわずか約15年で政権を返上するに至った歴史、
この約15年の時間の流れを幕末といいます。

1853年 ペリー来航
強大な武力を示すとともに開国を迫ったことで、日本の国政が大混乱になる

1860年 桜田門外の変
独裁政治を行った大老・井伊直弼が『安政の大獄』で諸般の恨みを買って
暗殺される。幕府の権威が失望。攘夷派の勢いが付く

1866年 薩長同盟 
坂本龍馬の仲介で有力藩である長州と薩摩が軍事同盟を結び、幕府と対立する。

1867年 大政奉還
15代将軍・徳川慶喜が大政奉還を表明 幕府単独での政治体制に終焉を迎えた。

坂本龍馬と新選組

★新選組とは

文久3年(1863)2月、
幕府は上洛する将軍・徳川家茂の警護のため「幕府浪士組」が結成されました。
近藤、土方らもこれに加わりました。

その後近藤を局長とする「壬生浪士組」をへて、同年8月「新選組」の名を賜り、
京都守護職・会津藩御預かりとして京都の市中警護に当たります。

近藤・土方らは池田屋事件、禁門の変などで活躍しましたが、
慶応4年(1868)1月に始まった鳥羽伏見の戦いで敗れ、江戸に敗走。

近藤は4月に処刑され、
土方らは東北から箱館まで旧幕府軍とともに転戦、
明治2年(1869)5月、土方が新政府軍の銃弾で斃れるまで戦いぬきました。
最後まで義に生きた一生でした。

★池田屋事件とは 

1864年7月8日(元治元年6月5日)に、
京都三条木屋町(三条小橋)の旅館・池田屋に潜伏していた
長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、
京都守護職配下の治安維持組織である新選組が襲撃した事件。

池田屋事件の前年、公武合体派が御所でクーデターを起こし、
長州藩は京都から追放されました。

池田屋事件の当日、朝7時、長州藩のスパイ古高が新選組に捕縛され、
驚愕の陰謀を自供してしまいます。

長州藩・土佐藩・肥後藩等の尊王派が、
古高を奪還するかどうか密かに京都・池田屋に集まっていました。

幕府の警察を務める新選組は祇園会所に集合し、尊王派の大捜索が始まります。
午後7時。近藤隊と土方隊の二手に分かれて捜索し、長州藩の定宿・池田屋を突き止めます。

尊王派は新選組に見つかり、午後10時。近藤隊が先に到着しましたが、
標的の桂小五郎は不在で一命をとりとめました。

その激しい斬り合いとなった場所が、旅籠・池田屋だったのです。

池田屋があった場所には石碑が立っています。

★近江屋事件  

龍馬暗殺1867年11月15日

坂本龍馬は、大政奉還の立役者です。

坂本龍馬は寺田屋で幕吏を殺害したことから指名手配中でした。
中岡慎太郎は土佐藩を脱藩し、一時長州藩に亡命。陸援隊を発足し隊長になりました。

坂本龍馬は中岡慎太郎とともに土佐藩の下級武士で脱藩経験がありましたが、
薩摩藩と長州藩を和解させ同盟を結ばせることに成功します。

坂本龍馬はそれまで宿舎としていた薩摩藩の定宿であった寺田屋が、
江戸幕府に目をつけられ急襲(寺田屋事件)されたため、
三条河原町近くの材木商鮓屋を京都での拠点にしていましたが、
慶応3年10月頃には近江屋(醤油屋)へ移りました。

大政奉還の翌月、1867年11月15日
土佐藩邸すぐ近くの醤油屋・近江屋に潜伏していた龍馬は、
風邪で不調でしたが、
その日の午後3時と5時にすぐ近くに下宿する土佐藩士・福岡を訪ねています。

夕刻過ぎ、近江屋へ龍馬を訪ねてきた中岡は、龍馬と軍鶏鍋を食べようと、
使い走りの峯吉に軍鶏を買い出しに行かせました。

その後、数名の刺客が2階居室に突如乱入し襲われ、
龍馬は約30か所もの刀傷を負い、間もなく落命、
中岡は翌々月に負傷死しました。

龍馬らを斬殺した刺客は京都見廻組で、
京都見廻組は、江戸時代末期に幕臣によって結成された京都の治安維持組織です。

坂本龍馬と西郷隆盛

薩長同盟が結ばれる前、
龍馬は窮地に立たされていました。

勝海舟が責任者を務めていた神戸海軍操練所は、
尊王攘夷派の巣窟だと判断されて閉鎖されることになり、
勝海舟の海軍塾も解散されることになりました。

そして龍馬ら勝塾の門弟は路頭に迷うことになりましたが、
勝は龍馬らの身柄を薩摩藩の小松帯刀や西郷隆盛に預けました。

当時の薩摩藩は薩英戦争で海軍を失い、その立て直しが課題だったため、
龍馬ら海軍生の存在は利用価値が高かったのです。

そして薩摩藩の支援を受けた龍馬は亀山社中を結成し、
薩摩名義でグラバー商会から軍艦や銃を買い付けました。

そして外国から軍艦や武器を買うことを禁じられていた長州藩に納品します。

この商取引が長州藩と薩摩藩のわだかまりを氷解させ、
薩長同盟へと繋がっていきます。

薩長同盟は龍馬の粘り強い交渉によって締結しましたが、
西郷の決断がなければ実現しませんでした。

その後、龍馬は大政奉還を軸に倒幕を模索し、
西郷は武力討幕による幕府勢力の一掃を図りました。

そして「討幕の密勅」を手に入れた薩長に対し、
十五代将軍の徳川慶喜は武力討幕派の先手をうって大政奉還を決意します。

自らが政権を朝廷に返すことによって、
武力討幕派の大義名分を奪い去ろうとしたのです。

そこで武力討幕派の公家である岩倉具視や西郷らは、
天皇親政を復活させるために王政復古の大号令を発し、
慶喜の官位と領地を剥奪するために小御所会議を開いて慶喜を追いつめました。

その後、旧幕府軍は薩摩を討伐しようと、
「討薩表」を朝廷に提出するため京都郊外の鳥羽と伏見に進軍します。

そして鳥羽伏見の戦いが起こると、薩長軍は武力追討の大義名分を手に入れ、
官軍となった薩長軍は、旧幕府軍を破りました。

今回の特別展は、龍馬や西郷の関連資料に加え、
薩長同盟や鳥羽伏見の戦いの関係資料など約100点を公開します。

霊山歴史館見どころとアクセスは?

霊山歴史館幕末維新ミュージアム見どころ

★夏の特別展「新選組、義に生きる!!」 

見どころは、
近藤勇 詩書屏風、池田屋事件感状など新選組の貴重な資料

展覧会では、近藤勇 詩書屏風、池田屋事件感状はじめ、
新選組を多方面から知ることができる資料を多く展示しています。

長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を新選組が襲撃した旅籠・池田屋と、
大政奉還の立役者坂本龍馬が暗殺された醤油屋・近江屋

坂本龍馬と新選組の2大事件 池田屋事件と龍馬暗殺
石碑しか残っていない、二つの大事件を、
霊山歴史館の精密な模型とフィギュアが再現しています。

土方歳三の所用刀「大和守秀國」と近藤勇所用刀「阿州吉川六郎源祐芳」も展示しています。

★ 秋の特別展「龍馬と西郷隆盛」 

見どころ
ことしは慶応3年(1867)10月14日、
第15代将軍・徳川慶喜が大政奉還を行ってから150周年。薩長同盟から大政奉還へ、
倒幕への大きな流れをつくった坂本龍馬と西郷隆盛に焦点を当て、その実像に迫ります。
 土方歳三と近藤勇の愛刀も展示。刀剣ファンも必見です。

★<第84回>維新教養講座  

第1部 【龍馬祭記念講演】
     「大政奉還の謎」
      講師:木村幸比古副館長(霊山歴
      史館)

第2部 【朗読】 「西郷どん」
      下間都代子(しもつまとよこ)さん

霊山歴史館幕末維新ミュージアムアクセスは?

霊山歴史館幕末維新ミュージアムへは、無料シャトルバスを運行。

高台寺、二年坂方面から霊山歴史館にお越しいただく維新の道では、
大型車両が多く行き来する状況となっており、
来館者の安全確保と利便性の向上のために、運行されることになったものです。

バスの駐車場は、京都霊山護国神社の鳥居をくぐり、
維新の道を10メートルほど上がった左手にあります。

開館日の9時50分からバスが待機し、ご来館者が乗車され次第出発します。

満席の場合は次便までお待ちいただくことがあります。
最終は16時45分頃の出発です。

また、霊山歴史館からのお帰りの方も、
バスの運行時間が合えば、駐車場までご乗車いただけます。
安全に、またスピーディにご来館いただけるシャトルバスをぜひご利用ください。

〒605-0861 京都府京都市東山区清閑寺霊山町1

075-531-3773
営業中: 10時00分~17時30分

京都駅から 市バス206系統 (東山行き)東大路通を北上 

バス停 清水道 もしくは 東山安井下車 

あとがき

幕末や維新のことを知れば知るほど、
坂本龍馬とという人のイメージが幾つにも見えてきます。
ドラマや小説・映画などで描かれている坂本龍馬像でも、
多様に描かれていますが、
日本の夜明けを信じた誠心は一つだということは良くわかります。