太陽暦と太陰暦 太陰太陽暦の違いを簡単に!旧暦から新暦に変わったのは何故?

豆知識

太陽暦と太陰暦 太陰太陽暦とは、簡単に言うとどのように違うのでしょうか?

日々暮らしている中で、暦はとても重要な存在です。

太陽暦・太陰暦・太陰太陽暦、それぞれがどのようなものか、
またそれらの違いは何かをまとめました。

暦を用いるとき、今でも旧暦や新暦といった言い方をしますが、
旧暦が何故新暦に変わったのか、
その事情についてもお伝えします。

  

太陽暦と太陰暦 太陰太陽暦の違いを簡単に

太陽暦・太陰暦・太陰太陽暦、
それらは“暦(こよみ)”のことで、
今この時がいつなのか、季節や年月、日にちをあらわすものです。

そして人々は大昔から、季節や年月、日々の変化についてを、
月の満ち欠けや、太陽の運行を拠り所にして判断してきました。

“日”は、
陽が昇り陽が沈むという、太陽が大地を一周する周期

“月”は、
新月が満月になり、また新月になる、月の満ち欠けの周期

“年”は、
春夏秋冬という、季節の周期です。

太陽暦とは? 太陰太陽暦の違いは何?

私たちが現在使用している『暦』や『カレンダー』は、
その名の通り、太陽の動きを基準にした、
『太陽暦』に基づいて作られています。

その太陽暦と太陰太陽暦の大きな違いは、
『閏年(うるうどし)』の存在です。

地球は365.2422日かけて太陽の周りを一周するので、
一年で0.2422日余ってきます。

そこで太陽暦では、
四年に一度『二月二十九日』を設けて誤差を調整しています。

太陽暦の一年は約三百六十五日ですが、
太陰太陽暦の一年は約三百五十四日です。

この十一日間の誤差を調整するため、
太陰太陽暦では、約三年に一度『閏月(うるうづき)を設けて、
一年を十三か月とします。

太陰暦と太陰太陽暦の違いは何?

太陰太陽暦も太陰暦も、
どちらも月の満ち欠けにより日を数えますが、
太陰太陽暦はそれだけでなく、
太陽暦と同じく一年の季節の移り変わりにも対応しています。

月の満ち欠けは平均29.5日なので、
純粋な太陰暦では29日の月と30日の月が繰り返され、
1年は354日になります。

当然、
1年の365.2422日より短いので、
季節がどんどんずれていきます。

それを調整した暦が太陰太陽暦で、
中国やその影響を受けた日本で使われていた暦です。

その手法は、
閏月(うるうづき)を入れて調整するというものです。

『太陰太陽暦』で閏月を入れるタイミングは、
季節のずれが一か月に達した段階で、前の月を繰り返すというもので、
このような修正を行わないのが太陰暦です。

これを「十七年七閏法」といい、
17年間に7回の閏月を入れると、
平均すると太陽年の365.2422日に非常に近くなります。

『太陰太陽暦』で、閏月がない年は太陰暦と同じ354日あまりあり、
閏月がある年は13か月となり、384日程度となります。

江戸時代までの日本は、深く農耕に依存する社会でしたので、
太陰暦が用いられていました。

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太陽暦と太陰暦 太陰太陽暦の違い 旧暦から新暦に変わったのは何故

現在、私たちが使っている暦は『太陽暦』で、
これを『新暦』としています。

旧暦とは

『旧暦』とは、
新月、あるいは満月の日を『一日(ついたち)』とし、
次の新月までを一か月とする『太陰暦』と、
太陽の周りを地球が一周する間を一年とする『太陽暦』を組み合わせた、
中国伝来の『太陰太陽暦』のことです。

この暦法が、六世紀頃に日本に伝わり、
千年以上も改良を重ねながら日本の旧暦として、
明治五年(1872年)に『改暦の詔書』が発布され、
太陽暦(新暦)に移行するまで使われてきました。

つまり、日本の旧暦は、正確には太陰太陽暦といって、
月が基準の太陰暦と、
太陽が基準の太陽暦を良いとこ取りしたものなんです。

旧暦から新暦に変わった事情

日本の暦が、太陰暦(太陰太陽暦)から太陽歴に変わったのは、
明治5年12月3日からです。

この日は、明治5年12月2日の次の日がいきなり、
明治6年1月1日になったそうです。

太政官布告第337号という法律により、
明治5年11月9日に、正式に改暦が決定されました。

11月9日に発表され、12月3日からの改暦まで残り1ヶ月もない状態で、
すでに印刷済みだった翌年の暦は紙くずとなったのです。

旧暦から新暦になるというこの改暦は突然で、
十分な検討もされないまま施行されました。

ですから、多くの誤りやいろいろな問題を残したままの改暦で、
人々は戸惑い、大慌てしたことは間違いありません。

しかし、
何故そんなにまで急いで改暦をしなければいけなかったのか、
そこには明治新政府の深刻な財政問題があったといわれています。

旧暦のままだと、翌明治6年は“閏年”のため、
閏月が入り、1年が13ヵ月ある年になります。

当時の役人の給与は、それまでの年俸制から月給制に改めたばかりで、
このままだと明治6年には給与を13回支払わなければいけなかったのです。

財政難だった明治新政府は、
このタイミングで太陽暦に改暦することで、
明治6年からの給与の支払いを12回で済ませることが出来、
明治5年分の給与も一か月分少なくて済む、
まさに一石二鳥の改暦で、政府の財政も助かるということなのです。

また、旧暦の暦に記されていた
日時の吉凶・禁忌などの迷信的な事柄を削除してしまいました。

迷信的暦注の削除は、民衆からはなかなか受け入れられず、
暴動さえ起こり、農村では長い間旧暦が生き残ったため、
全国的に新暦が用いられたのは、
昭和になり、戦後の高度成長期になってからだったそうです。

その後、私たち日本人の生活のテンポが、
新暦に基づくようになったとはいえ、
今もなお、
旧暦が日本人の生活の一部となっていることに変わりはありません。

生活に生きている旧暦

新暦と旧暦では、大きな違いがありますが、
現在でも旧暦で行われてきた行事が数多く残っていたり、
季節や月日の呼び名に旧暦の呼称が使われていたりと、
旧暦は私たちの生活の中に引き継がれています。

たとえばお盆ですが、
新暦の七月十五日に行う地域もありますが、
ひと月遅れの八月十五日に行う地域や、
旧暦の七月十五日に行う地域もあるなど、
旧暦に基づいた行事が絶えることはありません。

また、季節、月々、日々の変化を表す言葉なども、
旧暦ならではの趣があって、
物語や詩歌などに良く取り入れられています。

それはまさに旧暦が日本の文化として、
長く息づいていることをあらわしています。

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あとがき

太陽暦・太陰暦・太陰太陽暦

もしも暦がなかったら、
世の中たいへんなことになって、ひっくり返ってしまいます。

太陽や月の動き、季節の移り変わり、
昔の人は、よくこんな難しいことをまとめてくれたものだと、
感謝しなければいけません。

今の暦(カレンダー)は、新暦ですが、
私たちの生活の中に、今でも旧暦という言葉が出てきます。

暦は改暦されても、
旧暦には自然に沿ったものがたくさんあり、
暮らしの中の風情も感じさせてくれます。