京都のパワースポットの中で、
恋愛に最強のご利益があると言われる神社の極め付き、
幸神社・野宮神社・安井金比羅宮をご紹介します。
数ある京都の恋愛パワースポットの中でも、
ランキングトップスリーに並ぶ三社を参拝し、
縁結び神社として、
最強パワーのご利益を頂いてください。
京都のパワースポット 幸神社(さいのかみのやしろ)は縁結びの神様
寺町通り今出川を北に上がった一筋目に『西半丁』と刻まれた
幸神社の道標が建っています。
その通りを行くと、民家のあいだに小さな神社があり、
鳥居の奥の碑には『王城鬼門除出雲路幸神社』と記されています。
京都御所の東北角より北へ一丁行ったところにある“幸神社”は、
恋の行く手を遮る悪霊を追い払ってくれる道祖神なのです。
幸神社は、
平安遷都間もない延暦十五年(796年)に創祀された古社です。
猿田彦神を主神に八神を祀り、
疫病や悪霊を防ぐ道祖神として信仰されています。
閑静な境内の東北隅は、
角が取られていて「おせきさん」と呼ばれる神石(陽石)が据えられています。
桓武天皇によって鬼門ライン上に造営された幸神社は、
鬼門除けの守護神として祀られているのです。
その証拠に、格子越しに神殿を覗くと、
艮(うしとら)のところに猿の神像があります。
その姿は、御所の『猿が辻』の猿と酷似していて、
烏帽子をかぶった猿が祓いの忌串を肩にかかげ、
東北の天に向かって雲上飛翔している様子です。
都の東北隅に『さいのかみ』を祀ることは、奈良時代からの習わしでした。
そんな幸神社は、縁結びの神様としても霊験あらたかで、
幸神社の祭神である猿田彦大神と、
相殿の神である天鈿女命(あめのうずめのみこと)が結ばれ、
縁結びの神様となっています。
猿田彦大神は、天孫降臨の際に、天子様を高千穂まで道案内した神様で、
その妻、天鈿女命は、天照大神が天岩戸に籠られた時、
謡や舞で岩戸開きを祈願した神様です。
この御二人の神様が天と地を導き結んだのです。
もとは出雲路道祖神と呼ばれ、
京都から出雲に続く入口、賀茂川畔にあったとされています。
“契朽ちずば出雲路の、神の誓ひは浅からず、
妹背(夫婦)の仲はかはらじとこそ守り給うなれ”
『曽我物語』にもあるように、
幸神社で誓った男女の縁(えにし)は、永遠の結ばれると言われています。
神殿に結ばれた絵馬には、
たくさんの恋愛成就祈願が書かれています。
東北隅の神石も、現在では縁結びの石として、
持ち上げることができれば、恋が成就すると言い伝えられています。
幸神社
所在地:京都市上京区寺町通今出川上ル西入ル幸神町303
電話:075-231-8774
京都のパワースポット 野宮神社は源氏物語の悲恋の舞台
野宮神社へと続く竹林の小径は、
渡る風に揺れる葉擦れの音が耳に優しくささやきかけます。
野宮神社のこぢんまりとした境内を囲う小柴垣や黒木の鳥居が、
京の都、平安時代千年の往時を偲ばせます。
大黒天の横には、触れると願い事が叶うと言われる“縁結びの石”があり、
今では縁結びの神社として信仰を集めています。
若いカップルが、奉納木に願いを書き、
賑々しく恋愛成就を祈っている姿を見かけます。
野宮神社は平安の昔、斎宮に決まった内親王が伊勢神宮へ下向する前、
一年間の潔斎をした場所でした。
『源氏物語』の「賢木」の巻は、ここが舞台となっていて、
光源氏と六条御息所との哀切な別れの場面が描かれています。
六条御息所は、
光源氏の正室・葵上の死の原因を自分のせいと捉えていました。
自分が生霊となって葵上に取り憑いたのだと・・・・。
六条御息所が生霊となったのには理由がありました。
光源氏に疎まれて、源氏の訪れが途絶えていたことや、
御禊の日の車争いで、端に追いやられたことなどが、
御息所の心を苛んだのです。
底知れない物思いは、いつしか恨みとなり、
御息所の理性を超えたところで独り歩きしだしました。
生霊騒ぎのなか、煩悶の末に光源氏と訣別することを決めた御息所は、
娘のいる野宮へと移ったのでした。
斎宮となる娘について伊勢へ行く決心をしたのでした。
御息所が伊勢下向を目前に控えた晩秋の夜、
寂しい嵯峨野を分け入って、
光源氏は御息所を訪ねます。。。。。
言霊によるものなのか、
嵯峨野には女の性(さが)を呼び寄せる風土があったようです。
御息所の女性ゆえの業は根深く、光源氏が愛する女たちを呪い続け、
死んだ後も死霊となって彼女たちを苦しめるのでした。
しかし現代では、御息所の火のようなパワーを借り、
野宮神社は縁結びのご利益に転化しているのです。
野宮神社 http://www.nonomiya.com/
所在地: 〒616-8393 京都府京都市右京区嵯峨野宮町1
電話: 075-871-1972
京都のパワースポット 安井金比羅宮は最強の縁結び神社
安井金比羅宮の鳥居の下には、
『悪縁を斬り良縁を結ぶ祈願所』と大きく書かれています。
神道では、『縁結び』と『縁切り』は表裏一体と言われています。
「悪縁を切る」ことは「良縁を望む」ことに繋がり、
神前で良縁を願うと、神様はその望みをかなえるために、
まず、悪縁を切るところから始めてくれるのです。
逆に縁切りを願うと、
その先にある良縁までも視野に入れてくれるというわけです。
縁切り神社として有名な京都の安井金毘羅宮が参拝者で賑わうのも、
良縁を結ぶ前の禊として、悪縁断ちを望む人が大勢いるからに他なりません。
悪縁断ちの大切さに、
多くの人が注目している証拠ではないでしょうか。
安井金毘羅宮が、そもそも縁切りの祈願所として信仰されるに至ったのは、
御祭神として祀られている崇徳天皇の波乱に満ちた生涯が大きく関係しています。
安井金毘羅宮が建っているところには、
藤原鎌足が創建した“藤寺”がありました。
創建から480年後、
崇徳天皇は、この寺に咲き誇る藤の花をいたく気に入り、
寵愛する阿波内侍(あわのないし)を住まわせました。
その後、保元の乱に敗れた崇徳天皇は、讃岐の地に流されます。
結局、崇徳天皇は京に戻ることなく、讃岐の地で亡くなります。
その悔しさや切なさがどれほどのものだったか、知る由もありませんが、
おそらくは、
愛する人に会えない悲しみから解放されたいという思いが強かったのか、
亡くなるまでの数年間、
一切の欲を断って、讃岐の金刀比羅宮に国家安泰を願われたと言います。
崇徳天皇の死後、阿波内侍は御宸翰と御遺髪を寺内に祀られ、
菩提を弔われました。
心ならずも最愛の阿波内侍と離れ離れにならざるを得なかった崇徳天皇は、
人々が自分のような悲しい境遇に遭わないよう、
男女の絆をより強く結んでくださると言われています。
崇徳上皇とともに、鎮守社として讃岐の金刀比羅宮より勧請された、
大物主神と、源 頼政を祀ったことから、
『安井の金毘羅さん』の名で知られるようになり、
悪縁を断ち、良縁を結ぶ神社として信仰を集めているのです。
安井金比羅宮 http://www.yasui-konpiragu.or.jp/
所在地: 〒605-0823 京都府京都市東山区東大路松原上ル下弁天町70
電話: 075-561-5127
あとがき
パワースポットといえば、怨霊や祟りが思い浮かびますが、
恋愛成就や良縁祈願にも、そのパワーの効果はあるようです。
京都にはいろんなジャンルを得意とするパワースポットが、
街のあちこちに点在していますが、
今はどこも観光客でいっぱいです。