五山の送り火 点火の時間はいつ?よく見える場所と文字の意味と歴史は?

夏の行事

京都の大文字 五山の送り火は、
お盆にお迎えしたご先祖様の霊を、
ふたたび浄土へお送りするための灯りです。

『大文字』から順に、六ケ所 点火されていきますが、
昔の送り火は、十か所以上あったそうです。

京都市の北東、左京区の市原野に『い』
京都市西部、右京区の鳴滝に『一』
北嵯峨に『蛇』
旧観空寺村に『長刀』
旧葛野郡の西山に『竹の先に鈴』があったと言われています。

  

五山の送り火 点火の時間はいつ?

五山送り火(ござんのおくりび)は、
毎年8月16日に、浄土へ還られるご先祖様の霊を送るかがり火のことです。

宗教・歴史的な背景から「大文字の送り火」と呼ばれることがありますが、
京都五山送り火は祇園祭とならんで、
京の夏の夜空を焦がす京都の名物行事のひとつです。

五山(六つの山)で炎が燃え上がり、
お精霊(しょらい)さんと呼ばれる死者の霊をあの世へ送り届けます。

点火時間は1962年までまちまちでしたが、
1963年から観光業界からの要請によって固定化されました。

如意ヶ嶽の大文字は、五山の中でも横綱格なので、
1956年頃までは、最後に点火されていたという文献もありますが、
現在の点火は、如意ヶ嶽の大文字から、
反時計回りに5分づつ時間をずらし、順番に点火されていきます。

五山の送り火それぞれの点火時間は、

大文字 東山如意が嶽・・・・・・20:00
妙・法 松ヶ崎・・・・・・・・・20:05
船形 西賀茂船山・・・・・・・・20:10
左大文字 大北山・・・・・・・・20:15
鳥居形 嵯峨鳥居本曼荼羅山・・・20:20

五山の送り火 点火時間によく見える場所は?

如意ヶ嶽以外、妙法・舟形・左大文字・鳥居形の四山は入山禁止です。

かつては一般の人が、送り火の当日に大文字山に登って、
火のすぐ隣で送り火を見ることが可能でした。

山上からは五山の送り火を、自分がいる大文字山以外全てを見ることができ、
京都市街の明かりがだんだん減灯していく様子や、
送り火の点火と同時に市街全域で激しく焚かれる、
カメラのフラッシュが幻想的で、徐々に登山者が増えて行きました。

しかし、大勢の人が火の横にいることは危険が伴うため、
当日登山のできる時間を17時までとし、
それ以降は警備員を登山口に配して登山禁止としました。

しかし、それでも一般人登山者が減らないうえ、
送り火の最中にフラッシュを焚いたり、懐中電灯を点灯する一般人登山者が多く、市街から見て見栄えが良くないため、
現在では一般人は点火当日は13時までに下山をし、
それ以降は全ての登山口に警備員を配して一切の当日登山を禁止しています。

大文字山はそれ以外の日の登山は自由で、
京都市街の眺望のよい山として人気があります。

🔥 大文字 東山如意が嶽

如意ヶ嶽の麓には、銀閣寺や法然院などの名刹が連なっています。

所在地:京都市左京区浄土寺七廻り町(じょうどじ ななまわりちょう)
山名:大文字山(だいもんじやま)。如意ヶ岳、如意ヶ嶽とも呼ばれていた。
火床:75か所
大きさ:一画80m(45間・19床)、二画160m(88間・29床)、三画120m(68間・27床)

見どころスポットは、
賀茂川(鴨川)の堤防

🔥 妙・法 松ヶ崎 西山(燈籠山)・東山(大黒天山)

日蓮宗の僧が『南無妙法蓮華経』から『妙』の字を書き、
それを基に山に点火を始めたのが起こりとされています。

所在地:(妙)京都市左京区松ヶ崎西山、(法)京都市左京区松ヶ崎東山
山名:(妙)西山(135m)万灯籠山、
   (法)東山(186m)大黒天山 
    二山合わせて妙法山とも呼ばれる。

火床:(妙)103か所、(法)63か所
大きさ:(妙)最大100m弱、(法)最大80m弱

見どころスポットは、
妙・・・北山通り ノートルダム女学院付近
法・・・高野川堤防、高野橋北側

🔥 船形 西賀茂船山

船の形は、
慈覚大師の唐留学からの帰路の船をかたどったと伝えられています。
承和14年(847年)唐からの帰路に、
暴風雨にあった西方寺の開祖・慈覚大師円仁が、
「南無阿弥陀仏」と名号を唱えたところ、
無事到着できたという故事にちなむという。

所在地:京都市北区西賀茂船山(にしがもふねやま)
山名:船山(ふなやま)西賀茂山とも呼ばれる。
火床:79か所
大きさ:縦約130m、横約200m

見どころスポットは、
上賀茂橋など

🔥 左大文字 大北山

金閣寺近くにあります。
以前は、大の字に一画を加えて、
『天』としていた時代もあったということです。

また、大文字は一斉点火ですが、
左大文字は筆順に沿って点火されていきます。

所在地:京都市北区大北山鏡石町(おおきたやまかがみいしちょう)
山名:大文字山(または大北山)区別のため左大文字山とも呼ばれます。
標高:約230メートル
火床:53ヶ所
大きさ:一画48m、二画68m、三画59m

見どころスポットは、
西大路通り、西院から金閣寺、
北大路通、船岡山からも望めます。

🔥 鳥居形 嵯峨鳥居本曼荼羅山

鳥居形は、点火位置が低いため、市内で見られる場所は限られています。
鳥居形の火は、松明で一斉に各火床に突き立てられます。

松ヤニが入った松を使うため、
火の色が他山とは少し違いオレンジに近い色になっています。

所在地:京都市右京区嵯峨鳥居本一華表町
    (さが とりいもと いっかひょうちょう)
山名:曼荼羅山(まんだらやま)
   あるいは仙翁寺山(せんおうじやま)
火床:108か所
大きさ:縦76m、横72m

見どころスポットは、
松尾橋・広沢の池など

五山の送り火 点火される文字の意味と歴史は?

山に画かれた字跡に点火するという行為の起源については、
平安時代とも江戸時代とも言われていますが、
公式な記録は何もありません。

山城国(現在の京都府南部)に関する、
初の総合的・体系的な地誌『雍州府志』によると、
盂蘭盆会や施餓鬼の行事として行われていたとあり、
『花洛細見図』にも「盂蘭盆会の魂祭」として紹介されていることから、
江戸時代前期から中期までにはそれに類する性格を持っていて、
大文字、妙法、舟形、加えて所々の山や原野で火を点けていたということです。

如意ヶ嶽の大文字の『大』と言う字に関して、
『雍州府志』では、誰々が画いたという俗説が多く存在しています。

「大の字は青蓮院門主が画いた」
「大の字は三藐院(さんみゃくいん)近衛信尹(このえのぶただ)が画いた」
「大の字は相国寺の僧・横川景三が画いたという説」
「大の字は足利義政の命により、横川景三と芳賀掃部が画いた」

そして、弘法大師空海が始めたなどの諸説があります。

『五山の送り火』について
「大文字焼き」という呼び方をすることもあります。

地元の人の中には、
「大文字焼き」という呼び方を嫌悪する者もいるようですが
昔は大文字焼きと呼ぶ人も多かったという意見もあります。

今の京都では他の送り火も含めて単に『だいもんじさん』と呼ぶのが一般的で、
「焼き」を付けることはあまりしません。

近年、京都の大文字を模して全国各地で同様の行事が行われているようですが、
そのほとんどが「大文字焼き」と称しています。

これはマスコミなどで京都の五山の送り火を、
「大文字焼き」と呼んで違和感を持たない理由なのかも知れません。

京都の送り火には「焼く」という要素はなく、
ご先祖様の霊を浄土へ送るときの『御火焚き』の意味であって、
京都の五山の送り火に限れば、やはりこの呼び方は不適切だと思います。

「焼く」という呼び方は毎年1月に奈良で行われる、
「若草山の山焼き」との混同から生まれたのではないかという人もいます。

京都の大文字焼きの歴史と起源はいつ?文字の読み方と意味や由来は?
京都に夏の終わりを告げる京都の大文字焼き、 京都人がこの言い方にちょっと抵抗があるのですが、 『大文字焼き』と呼ばれる五山の送り火には、 どのような歴史があって、 その起源となるのはいつからなのか? また、 五山の山々の読み方はどう読むのか...

あとがき

『五山の送り火』を「大文字焼き」と呼ぶのはおかしい?

そうかも知れませんが、
京都に生まれて育った私には、
五山の送り火も大文字焼きという言い方もしっくりきません。

『大文字さん』で、すべて通じます。

ところで、京都の不動産屋さんが、マンションの物件を勧めるときに、
『ココの眺めは最高で、大文字さんが良~見えますえ~』と言われました。

一年にたった一日だけの『大文字さん』が見えるということが、
売り文句になるほど、
京都人にとって、大文字さんは大切な日なのです。