お盆には、ご先祖様の霊をお迎えしますが、
京都ではご先祖の精霊を「おしょらいさん」と親しみを込めて呼んでいます。
ご先祖の精霊がゑんま様のお許しを得て、
各家庭に帰ってこられます。
水塔婆に戒名を記す「水供養」と、お迎えの鐘をついて「鐘供養」を行い、
一層の功徳を重ねます。
千本ゑんま堂では14日に『千本六斎念仏』が行われ、
16日は、ご先祖様にふたたび帰っていただく「お精霊送り」を行います。
千本ゑんま堂のお精霊迎えは、八月の七日からで、
朝八時から夜七時まで行われ、
八月十六日のお精霊送りは、夕方六時まで行われています。
千本ゑんま堂のお精霊迎え 引接寺の閻魔大王
引接寺は、死者に引導を渡し、野辺送りするお寺なのです。
一般に『千本ゑんま堂』の名前で知られている引接寺は、
高野山真言宗に属する寺院で
閻魔の庁を模したという本堂には、巨大な閻魔大王像が安置されています。
ゑんま様は、その怖いお顔から、地獄の支配者のように思われますが、
実は人間界をつかさどる私達に最も身近な仏様です。
死んでしまった人間を、
あの世のどこへ送るかを決める裁判長の役目を担っていらっしゃいます。
ゑんま様は、人間を三悪道には行かせたくない為に、
怒りの表情で、地獄の恐ろしさを語り、
嘘つきは舌を抜くと説いて下さるのです。
地獄の閻魔大王といえば、閻魔大王の臣下だった小野篁が、
あの世とこの世を往来する神通力を持っていて、
昼間は宮中に使え、夜になると閻魔之庁に使えていたと伝わっています、
小野篁は『お精霊迎え』の法儀を授かり、
塔婆供養と迎え鐘によって、この世を現世浄化の根本道場としました。
小野篁が閻魔大王に使え、あの世とこの世を行き来したという言い伝えは、
同じくお精霊迎えで有名な、六道珍皇寺にも伝えられています。
引接寺は、この地が開山以前から、
人々に『千本ゑんま堂』と呼ばれ親しまれているのは、
神仏や宗旨宗派を越えた信仰を集めていたからにほかなりません。
寛仁元年(1017年)、
藤原道長の後援を得た比叡山恵心僧都源信の門弟・定覚上人が、
ここを「諸人化導引接仏道」の道場とすべく
「光明山歓 喜院引接寺」と命名し、仏教寺院として開山しました。
迫力満点でリアルな閻魔大王像の作者は、
一説によると小野篁ともいわれています。
京の都が火の海となった応仁の乱の為、
当初の閻魔法王は焼失され、
現在のお像は長享二年(1488)仏師定勢により刻まれ再現安置されています。
その当時、蓮台野に葬送する際、
衆生の迷いを醒ますため、境内の鐘を撞いたのだそうです。
それが現在の盂蘭盆会にも行われていて、
八月七日から十五日間、
お精霊様を迎える鐘が途絶えることなく千本通りに鳴り響くのです。
お盆のお精霊迎えやお精霊送りの期間、引接寺の本堂は開け放たれ、
蝋燭の炎に照らし出された閻魔大王の顔が迫り寄ってきます。
有無を言わせないその眼光に見つめられると、
なるほど誰もが罪状を白状してしまうのがわかります。
千本ゑんま堂 引接寺と上品蓮台寺の蜘蛛塚伝説
上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)がある千本鞍馬口界隈は、
妖怪土蜘蛛が棲んでいたとされているところで、
源頼光(948年~1021年)が、この土蜘蛛を退治したという武勇伝は有名です。、
ある夜、原因不明の熱病にうなされていた頼光のもとに、
僧の姿をした妖怪が現れ、蜘蛛の糸を投げかけました。
頼光は、名刀でその土蜘蛛を斬りつけると、
その土蜘蛛は、血痕を残しつつ逃げ去り、
古塚に潜り込んで行ったのでした。
上品蓮台寺の墓地には、武将源頼光のお墓があります。
椋の巨木の根元を石柵で囲った塚がそのお墓なのですが、
一説にはこの塚こそ、土蜘蛛が潜伏した塚なのだと言われています。
この上品蓮台寺の上品(じょうぼん)とは、
極楽浄土の最上級の位を示していています。
極楽浄土は、上品・中品(ちゅうぼん)・下品(げぼん)の三段階に分かれ、
さらにそのそれぞれが、
上生(じょうしょう)・中生(ちゅうしょう)・下生(げしょう)と、
細分化されているのです。
まさに、死出の旅に向かう者にとって、上品蓮台寺はありがたいお寺なのです。
しかし、上品の位につくためには、引接寺(いんじょうじ)で閻魔大王に会って、
裁きを受けなければいけないのです。
上品蓮台寺の南にある引接寺の引接とは、
仏が衆生を浄土に往生させることを言い、「引接」とは「引導」と同義語です。
船岡山の西側から紙屋川一帯を蓮台野といって、
かつては鳥辺野や化野に並ぶ葬送の地だったのです。
千本通りに面して建つ上品蓮台寺は、
蓮台野墓地の墓守として創建されたようです。
千本ゑんま堂のお精霊迎え 引接寺と上品蓮台寺へのアクセスは?
千本通りは、蓮台野墓地へ通じる道で、
『千本』という名前は、墓地に建つ卒塔婆の数をあらわしています。
現在は民家が密集しているこの地域ですが、
人が住むようになったのは、室町時代以降のことで、
それまでは、うら寂しいあの世とこの世の境界だったのです。
引接寺(千本閻魔堂)
〒602-8307 京都府京都市上京区閻魔前町34
075-462-3332
京都市バス 6・46・59・206系統などで、乾隆校前下車すぐ
上品蓮台寺
京都市北区紫野十二坊町33-1
075-461-2239
京都市バス 12・59・204・205.206系統などで、千本北大路下車 徒歩5分
あとがき
引接寺(千本閻魔堂)と上品蓮台寺
ふたつの寺院は千本通りに面していて、
300mほどしか離れていません。
千本通りは北大路に向けて緩やかな上り坂で、
その先にある蓮台野という葬送地に向かう道、
まさに地獄へ続く道に並ぶ二つの寺院です。