やすらい祭とはどんなお祭り?京都三大奇祭 今宮神社と玄武神社の違いは?

春の行事


やすらい祭りは京都の三大奇祭の一つといわれ、
国の重要無形民俗文化財に指定されていて、
地域に根差した民俗行事として、
毎年多くの参拝者で賑わいます。
その京都三大奇祭には、、
太秦(うずまさ)の牛祭りや鞍馬の火祭もありますが、
赤い大きな傘と一緒に鬼たちが氏子町内を踊り歩くやすらい祭りは、
年々話題を呼んでいます。
京都の北西、紫野と呼ばれるこの地域で、
やすらい祭りが行われる今宮神社と玄武神社をご紹介します。

  

やすらい祭とはどんな京都三大奇祭?

やすらい祭りは、京都の三大奇祭といわれ、
本来、四月の十日に執り行われていたのですが、
昭和三十七年(1962年)からは、
四月の第二日曜日に行われるようになり、
現在も毎年、四月の第二日曜に執り行われていて、
珍しいお祭りとして多くの観光客が訪れ賑わいます。

やすらい祭りの行われる日が変更になった理由の一つは、
お祭りに携わる大人の男性や、祭りの花形といわれる小鬼役の子供たちが、
休日でないと練習に集まりにくく、
また、当日も参加できないひとが多くなったせいだということです。

やすらい祭りの起源は、
京に都が移された平安建都の後、平安京が都市として栄える一方で、
人々はうち続く疫病や災厄に悩まされていました。

洛中に疫病や災害が蔓延し、京都の人々を大いに悩ませた天変地異は、
すべて御霊(怨霊)の仕業と考えられていました。

桜の散り始める陰暦3月に疫病が流行したので、
花の霊を鎮め、無病息災を祈願したのが祭りの起こりです。

京の都の各地で、この御霊を鎮めるために、神泉苑、御霊社、祗園社など、
盛んに御霊会(ごりょうえ)が営まれ、やすらい踊保存会もその一つです。

現在は、
今宮神社(紫野今宮町)上野やすらい
玄武神社(紫野雲林院町)玄武やすらい
川上大神宮(西賀茂南川上町)川上やすらい
上賀茂(上賀茂岡本町)上賀茂やすらい
4つののやすらい踊保存会によって伝承されており、
踊りかたや囃子言葉はそれぞれの保存会によって違います。

やすらい祭りは、赤毛・黒毛の鬼たちが、笛や太鼓のお囃子(はやし)に合わせて、
長い髪を振り乱しながら踊ります。

「やすらい花や」の掛け声とともに、
祭りの列が町を練り歩き人々の健康を祈る伝統のお祭です。

やすらい祭りの中心はたくさんの生花で飾られた大きな赤い花傘(はながさ)で、
やすらい踊りで花傘に惹き寄せられた疫神は鎮められ一年の無病息災が祈られるのです。

やすらい祭りの花傘はながさの下に入ると、
その年は病気をせずに過ごせると言われています。

やすらい祭りは四月の第二日曜日となっていますが、
上賀茂(上賀茂岡本町)のやすらい踊保存会は、
上賀茂神社の葵祭に合わせて五月十五日に行われます。

今宮神社(紫野今宮町)・玄武神社(紫野雲林院町)・川上大神宮(西賀茂南川上町)
三つのやすらい祭り保存会は、四月の第二日曜日に執り行われます。

また、今宮神社のやすらい祭や川上大神宮のやすらい祭は、
今宮神社の疫神(やくじん)を参拝しますが、
玄武神社のやすらい祭は、今宮神社の疫神(やくじん)を参拝しません。

京都三大奇祭今宮神社のやすらい祭りとはどんなお祭り?

今宮神社のやすらい祭りの由来とは

やすらい祭りの由来は、
古来より悪疫が流行すると風流の装いを凝らして疫社に詣で、
流行病が鎮まり穏やかになることを祈願する習わしにあります。

桜や椿などで飾られた花傘を中心に、
赤毛・黒毛の鬼たちをはじめ約20名の行列が、お囃子に合わせて踊り歩きます。

疫病を鎮め、健康を願う春のさきがけの祭として知られ、
この花傘の下に入ると一年間健康に過ごせると云われています。

今宮神社のやすらい祭りには、
『上野やすらい』と『川上やすらい』があります。

川上やすらい

川上やすらいの川上大神宮は安良居神社(やすらいじんじゃ)ともいわれ、
平安時代の鎮花祭が起源と言われます。

長保三年(1001年)に、疫病が流行したとき、
川上地区の住人が鬼に扮して今宮神社の疫社に疫病の退散を祈願したことが期限です。

川上大神宮 〒603-8814 京都市北区西賀茂南川上町35  

上野やすらい

上野やすらい祭の行列は正午に光念寺を出発し、
そこここで踊りながら紫野の街々を練り歩き、今宮神社を目指します。

光念寺は浄土宗の寺院で、
常盤御前が牛若丸の安産を祈願して寄進したと伝えられています。

光念寺 〒603-8242 京都府京都市北区紫野上野町150

『上野やすらい』と『川上やすらい』は、それぞれ正午に出発し、
地域を踊りながら練り歩き、午後3時に今宮神社に到着します。

赤い直垂を付けた傘を生花で飾り、傘を中心に笛や太鼓を鳴らし、
行列が街中を練り歩きながら大鬼はやすらい踊を踊って、疫神の興味を誘い、
傘の中へ招き入れ、
集まった疫病を、今宮神社の疫社に鎮めるのです。

今宮神社の境内では、
2組8人の大鬼が大きな輪になってやすらい踊りを奉納します。

桜の花を背景に神前へと向かい、
激しく飛び跳ねるように、そしてまた緩やかに、
“やすらい花や”の声に合わせ安寧の願いを込めて踊ります。

今宮神社の御祭神

今宮神社本社の御祭神は、
中御座:大己貴命(おおなむちのみこと)
東御座:事代主命(ことしろぬしのみこと)
西御座:奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)が祀られていて、
その御神徳は、健康長寿と良縁開運とされています。

また、今宮神社 疫社の御祭神は、
素盞鳴命(すさのをのみこと)が祀られています。

疫社の御神徳は、厄除、健康長寿とされています。

今宮神社の創祀

今宮神社の地には、
平安建都以前より疫神を祀る疫社があったといわれています。

一条天皇の御代正暦五年(994年)六月、
今宮神社の疫神を二基の神輿に齋いこめて船岡山に安置し、
神慮を慰め奉って悪疫退散を祈った。

これが紫野御霊会であり今宮祭の起源です。

そしてこの時、京中の老若男女は挙って神輿に供をし船岡山へ登り、
綾傘に風流を施し囃子に合わせて唱い踊り、
病魔のよれる人形を難波江に流したといわれます。
これが夜須礼(やすらい祭)とされています。

長保三年(1001年)、
ご霊夢によって疫神は船岡山から再び現在の今宮神社に奉遷され、
新たに設けられた神殿三宇ともども今宮社と名づけられました。

これが今宮神社の起源とされています。

行列は「練り衆」と呼ばれ、先立、鉾、御幣持ち、督殿(こうどの)、
羯鼓(かんこ)、羯鼓廻し、大鬼、花傘、音頭取り、囃子方と続きます。

「花傘」は、「風流傘」「傘鉾」ともいわれ、
径六尺(約二米)の大傘に緋の帽額(もっこう)を掛けた錦蓋の上に、
桜、椿、山吹、柳、若松を挿したもので、
この中に入るとその年の厄を除かれるといわれています。

今宮神社の見どころは?

今宮神社といえば、あぶり餅が有名ですが、
あぶり餅は平安時代、
疫除け等のために今宮神社へ参拝した人に振舞われたとも言われ
1000年以上の歴史を持つことになります。

あぶり餅屋さんの前の道や、今宮神社の境内は、
時代劇のロケによく使われていて、
最近は時代劇でなくサスペンスにもよく使われているスポットです。

また、今宮神社の前から東通りを北上する、
やすらい祭りのコースでもある道は、
今年7回目を迎える『京都マラソン』のコースにもなっています。

創祀以来朝野の崇敬を集め、
とりわけ徳川綱吉公生母桂昌院の崇敬は西陣への愛郷の念とともに厚く、
元禄七年(1694年)には荒廃していた社殿の造営など大いに務められ、
祭礼も往時のような盛況を取り戻したと伝えられています。

一説によると、桂昌院は西陣の八百屋の娘として生まれたそうで、
その娘が、将軍の母となり、従一位の高位にまで昇り詰めました。

玉の輿という言葉は、この桂昌院の成り上がった人生が起源とも言われています。

桂昌院は、故郷の西陣の活性化と繁栄を望んだ人物で、
当時荒廃していた今宮神社の復興にも努めました。

今宮神社は、明治二十九年本社殿を焼失しましたが、
同三十五年に再建し、その後も西陣をはじめ多くの人々の崇敬を集めています。

今宮神社へのアクセス

今宮神社 http://www.imamiyajinja.org/jpn/imamiya_JPN/toppu.html
所在地: 〒603-8243 京都府京都市北区紫野今宮町21
電話: 075-491-0082(受付時間9:00〜17:00)

JR京都駅より
市バス205・206番「船岡山」下車→北へ徒歩7分

地下鉄烏丸線 国際会館行「北大路駅」下車
  →市バス1・北8・12・M1・204・205・206番「船岡山」下車→北へ徒歩7分

阪急烏丸駅より
  市バス46番 上賀茂神社行「今宮神社前」下車すぐ

京阪出町柳駅より
  市バス1番 「船岡山」下車→北へ徒歩7分

金閣寺より
  市バス 12・M1・204・205・206番「船岡山」下車→北へ徒歩7分

大徳寺より
  北へ徒歩10分
(大徳寺の奥、高桐院のところの竹林を通るコースはおすすめです。)

京都三大奇祭玄武神社のやすらい祭とはどんなお祭り?

玄武神社のやすらい祭とは

やすらい祭と言えば、
京都の今宮神社のやすらい祭を思い浮かべる方が多いと思いますが、
やすらい祭りの発祥は玄武神社であり、
それを証明する正式な書物も大切に保管されております。

ですから玄武神社は、玄武神社歴代の氏子の方々と共に長年守り抜いてきた、
玄武やすらい祭こそ、「正統やすらい祭り」としています。

玄武やすらい祭は、京都を代表する地域に根ざした民族行事として、
鞍馬の火祭、太秦の牛祭と共に、
京都三大奇祭の一つと数えられています。

玄武やすらい祭は、やすらい祭りが執り行われる4月、
桜の花が飛び散る頃に、
人々を悩ませる悪霊や疫神も同時に飛び散るという言い伝えから、
鎮花祭の意味合いを持ち、無病息災や健康と長寿を願い、
やすらい祭りの行列の花傘に入ることによって、悪霊や疫病などの、
負のモノを追い払った上、
疫神をそのまま神社に封じ込めると言ういわれもあります。

また、後に稲の花が早く飛び散らないようにという、
豊作を祈願する意味合いも加味されながら、
京都紫野の玄武神社、玄武やすらい踊保存会、玄武会の懸命な努力により、
今日まで伝承されてきました。

玄武神社の氏子区域は、紫野学区と柏野学区の全域、鳳徳学区三十一町内で、
計百四町内会になっています。

玄武やすらい祭は、お祭り当日のお昼過ぎ頃、
玄武神社境内で、紫野学区、柏野学区、鳳徳学区の総踊りを観ることができます。

玄武やすらい祭の起源

玄武やすらい祭の始まりは、
今から約千年以上の昔、平安時代の中期頃だと云われています。

康保二年(965年)に、当時京都で発生した大水害の後に疫病が流行した事から、
大和国(現在の奈良県)の三輪大社の鎮花祭の慣わしにより、
玄武神社で行うよう勅命(天皇の命令)があったとされております。

更には、その後も続いた疫病の流行を鎮めるために再度勅命があり、
それ以降も引き続き玄武神社が永代勤めることになったと云われています。

玄武やすらい祭は、
昭和50年12月に、国の「記録作成等の必要な無形民族文化財」に選定され、
更に昭和62年1月には、国の「重要無形民族文化財」の指定を受けました。

玄武神社の御祭神

玄武神社の御祭神は、
第五十五代文徳天皇の第一皇子、惟喬(これたか)親王です。

御生母は更衣で、
第八代孝元天皇の曽孫、竹内宿禰(たけうちのすくね)の末裔である正四位下、
刑部卿紀朝臣名虎の娘、従四位上 紀静子です。

親王は第一皇子であり、聡明な方で、
父の文徳天皇の愛情もことの他深く、皇太子になることが予想されていました。

しかし、当時に最も権威を誇っていた藤原良房の娘で、女御である藤原明子が、
嘉祥三年三月(850年)、
第四皇子の惟仁(これひと)親王を誕生するに及び、
天皇は良房をはばかられて、
同年十一月に生後僅か九ヶ月の惟仁親王を皇太子とされたのです。

惟喬親王は第一皇子として生まれながらも、
その生涯、国の中央の政治の圏外を歩まれることとなりましたが、
早くから時勢を観察せされ、
山崎水無瀬に閑居して詩歌吟詠などを以て過ごされました。
惟喬親王は、現在でも轆轤(ろくろ)の始祖としても崇拝されています。

玄武神社の創祀

玄武神社の創祀は、第五十七代陽成天皇の元慶年間(877年~884年)に、
親王の母方の末裔、雲林院村に居住していた星野市正紀茂光が、
悲運な生涯であった親王の御霊をおなぐさめし、
また京都御所北面の鎮護と、この地の守護神としてお祀りされました。

紀名虎の蔵していた御剣を親王が御寵愛されていたので、
これを御霊代として奉祀したと伝えられており、
その子孫が代々この地の郷士であり且つ神職として、
明治中期まで奉仕されたとされております。

やすらい祭りの玄武神社の御神体 玄武の石像

玄武神社の『玄武』とは

玄武神社の『玄武』とは、京都御所の守護四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)の一つで、
北面の鎮護神を意味しています。

青龍・白虎・朱雀と共に御所を護る四守護神として有名な神獣で、
その姿は亀に蛇がまつわることから、
玄武神社は古くから「亀の宮」とも云われ、
方除、厄除け、疫病除にご利益があると言い伝えられています。

その図柄は亀に蛇が絡むもので、配色は黒
“玄”は艶のない黒い色で天の色ともいわれます。

その昔、玄武の亀との関係から玄武神社境内の小池に亀が多く放育されていたので、
『亀宮』あるいは御祭神の御名から『惟喬社』とも別称されました。

玄武神社へのアクセス

玄武神社 http://yasurai.org/
〒603-8214 京都市北区紫野雲林町88
電話 075-451-4680

玄武神社へお越しの際は、公共交通機関のご利用をお勧めします。

京都駅より市営地下鉄で北大路駅(北大路バスターミナル)下車後、京都市バスの1,12,204,205,206,北8,M1,101,102乗車
「大徳寺前」下車後、徒歩8分

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あとがき

やすらい祭りのやすらい踊りを観るのが大好きです。
輪になって踊る鬼たちの年齢層が若いところは、
その飛び方も勢いがあってカッコイイです。(最近の若い子はイケメンが多い)
チョット経験豊富な方々の鬼さんは、
踊り方が重厚というか、ズッシリとした感じです。
『いや~いまさら傘の下に入るのもナンだし???』なんて言いながら、
ホントは入りたいのでチャッカリ入ります。