鏡餅の由来と歴史、鏡餅の飾り方と飾る日はいつまで 鏡開きの日はいつ

冬の行事

鏡餅が飾られてあると、
お正月だなぁ~!っていう気分になります。
そんな鏡餅の由来や歴史についてまとめてみました。
鏡餅を飾る家も少なくなっていく昨今、
正しい飾り方で鏡餅を飾る方法や、
飾る日のことを知り、
鏡開きの仕来りや鏡餅の処分方法も正しく行うことで、
より素晴らしいお正月と新しい年を迎えることが出来ますね。

  

鏡餅の由来と歴史

鏡餅は、新年の神様である「年神様」の依り代です。

お迎えした年神様の居場所が鏡餅です。

しかし、鏡餅の役割は、それだけではありません。

年神様は、新しい年の幸福や恵みとともに、
私たちに魂を分けてくださると考えられてきました。
その魂の象徴が鏡餅です。

魂というと驚きますが、生きる力、気力だと思ってください。
昔は、年の初めに年神様から新年の魂を分けていただく、
つまり、一年分の力を授かると考えられていたのです。

鏡餅の名称の由来

鏡餅という名称は、昔の鏡の形に似ていることによるもので、
昔の鏡は青銅製の丸形で、神事などに用いられるものでした。

三種の神器の一つ、
八咫鏡を形取ったものとも言われています。

また、
三種の神器の他の二つ、八尺瓊勾玉に見立てた物が橙(ダイダイ)、
天叢雲剣に見立てた物が串柿であるとされています。

昔の鏡というのは丸い形をした銅鏡ですが、
鏡というのは、天照大神から授かった三種の神器のひとつであり、
伊勢神宮をはじめ、鏡をご神体としているところもたくさんあります。

鏡餅は年神様の依り代ですから、
ご神体としての鏡をお餅であらわし、「鏡餅」と呼ばれるようになりました。

鏡餅の歴史

鏡餅は平安時代には既に存在し、
当時に書かれた源氏物語には、
『歯固めの祝ひして、餅鏡をさへ取り寄せて』の一節があります。

鏡餅が現在のような形で供えられるようになったのは、
家に床の間が作られるようになった室町時代以降です。

武家では、床の間に具足(甲冑)を飾り、その前に鏡餅を供えました。

鏡餅には、譲葉・熨斗鮑・海老・昆布・橙などを載せるのが通例となり、
これは具足餅(武家餅)ともよばれました。

現在『鏡餅』とは、元来、正月用の丸餅の呼び名で、
丸い形は人の魂、心臓をかたどっていると考えられてきました。

鏡が魂を示す神器でもあることから、年神様にお供えをして食べると、
新しい生命が授かると言われています。

鏡餅が二段重ねなのは、月(陰)と日(陽)を重ねて、
福が重なることを願うという意味が込められています。

神仏に捧げる鏡餅を飾る場所としては、床の間が最もふさわしいのですが、
床の間が無い場合は、玄関から遠い、
奥まった位置にするのがふさわしいとされています。

メインの鏡餅を床の間へ、
小さめのものを神棚や仏壇にお供えします。

床の間がない場合には、
リビングのように家族が集まる場所に飾ります。

年神様がいらっしゃるところですから、
テレビの上のような騒がしい場所や、見下すような低い場所ではなく、
リビングボードの上などにきちんとお供えします。

鏡餅を供える方角は、
その年の恵方が良いとされています。

鏡餅の飾り方

鏡餅の飾り方は、基本的には三宝と呼ばれる台の上に、
奉書紙か半紙を敷き、裏白とゆずり葉を置いて餅を重ね、
昆布を前に下げて、餅の上に橙を置きます。

鏡餅の飾り方は地方によって異なり、
串柿やホンダワラを添えたり、伊勢海老を橙に絡ませ、
水引に結んで乗せたりと、さまざまな飾り方があるようです。

飾り物には、それぞれに意味合いがあります。

伊勢海老

海老の中でも最も立派なその姿に、腰が曲がるほどの長寿を願う。

木から落ちずに実が大きく育つことから、家系の代々の繁栄を願う。

裏白

古い葉とともに新しい葉が伸びてくることから、
長命を願うと同時に、葉裏が白いことから後ろ暗さのない一生を願う。

ゆずり葉

新しい葉が大きくなってから古い葉が落ちるので、
後々の世代まで長く福が続くことを願う。

昆布

「よろこぶ」という語呂から、いつも喜んでいられる日々を願う。
古くは昆布の事を「広布」(ひろめ)と言い、喜びが広がる縁起ものです。

さらに蝦夷(えぞ)で取れるので夷子布(えびすめ)と呼ばれ、
七福神の恵比寿に掛けて福が授かる意味合いもあります。
また、
「子生」(こぶ)と書いて子宝に恵まれるよう願います。

干し柿

嬉しいことがやってくる「嘉来(かき)」という意味から、
幸福をしっかり取り込むことを願うという意味があります。

鏡餅を飾る日はいつからいつまで?

鏡餅を飾り始めるのは、早くても問題ないとされていますが、
12月28日が最適とされる事が多いようです。

「八」が末広がりで日本では良い数字とされているからで、
大安(12月31日を除く)を選んで供える地域もあります。

12月29日は、
日本では「九」が苦しむにつながるので避けるべきとされています。

また、
逆に29を「福」と読み替えて、この日に餅を搗く地域もあります。

12月30日はキリの良い数字なので悪くないと考えられていますが、
旧暦の12月は30日までしかないので、
旧暦通りならば「一夜餅」の扱いとなるので忌避される場合があります。

また、12月31日に飾るのは、
「誠意に欠ける」「葬儀の飾り方を連想する」などの理由により、
「一夜飾り」「一夜餅」として忌避される風習がありますが、
浄土真宗はこの限りではありません。

神様への供え物なので、
松の内に下げたり食べたりせず飾っておき、
松の内が終わりお供えが終了した後は、飾ったままにせず下げます。

鏡開きの日はいつ?

「鏡開き」は、
年神様に供えていた鏡餅を割って雑煮やお汁粉にして食べ、
一家の円満と繁栄を願う行事で、
武家社会で行われていた習わしが一般家庭に広まったと言われています。

鏡開きでは、
「切る」「割る」という忌み言葉を避けて「開く」といいます。

これは「開く」のほうがめでたい正月に合っていて、
神様とも縁を切らないという意味が込められているためです。

実際、鏡開きは刃物を使わずにてでったり木槌で叩いたりします。

もともと鏡開きは、一月二十日に行われていましたが、
この日が徳川家光が亡くなった忌日となってしまったために、
一月十一日になったともいわれています。

しかし、今でも一月二十日に行う地域もあり、
京都や近隣の一部では一月四日を鏡開きの日としているところもあります。

正月をすぎた鏡餅は硬く乾燥しひび割れているため、
主に汁粉や雑煮や焼餅などにして食べます。

鏡餅には「歯固め」という意味も含まれていました。
歯は生命の維持にとても大切で、
丈夫な歯の持ち主は何でも食べられ、健康で長生きできます。

そこで、年始に歯の丈夫を祈って行われる行事を「歯固め」といい、
固くなった鏡餅を食べました。

現在の鏡開きは「歯固め」の名残です。

あとがき

昔、大きな鏡餅が床の間に飾られていた記憶がありますが、
鏡開きの日までにバリバリにひび割れていたものです。
鏡開きの日のおぜんざいが大好きでした。