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中尊寺金色堂の歴史 世界遺産 平泉と藤原氏の栄華を表すパワースポット

投稿日:


奥州平泉にある中尊寺金色堂の歴史と、
藤原氏の栄華にまつわる歴史ミステリーには、
歴女ならずとも興味をそそられます。
絢爛豪華な金色堂はパワースポットとしても有名です。
中尊寺金色堂を含め世界遺産として登録され注目されている、
黄金の都・平泉をご紹介します。

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中尊寺金色堂の歴史とミイラのパワースポット

中尊寺といえば、岩手県平泉にあり、
平安時代の美術・工芸の粋を極めた豪華絢爛たる金色堂で知られています。

天台宗東北大本山の寺院で、九世紀半ば 慈覚大師の開山と言われますが、
実際は十二世紀初めに、
奥州藤原氏の藤原清衡が堀河天皇の命を受けて、
伽藍を整備したのが創建といわれています。

平安後期、
奥州には戦乱に明け暮れる京都を尻目に、
藤原三代(清衡・基衡・秀衡)の王朝風の華やかな文化が花開きました。

その藤原氏の栄華を物語るのが中尊寺で、
なかでも豪華絢爛な美しさとパワースポットとして有名なのが、金色堂です。

金色堂は、
1124年(天治元年)に藤原清衡が自らの廟堂として建てたもので、
内外ともそう金箔張りで、
平安時代末期の芸術、建築の粋を集めた豪華絢爛たる阿弥陀堂です。

堂内には三組の須弥壇に阿弥陀三尊と六地蔵尊、
持国天と増長天が安置され、
その下には清衡、基衡、秀衡のミイラと四代目の泰衡の首級が収められています。

総金箔張りで、藤原三代の武将のミイラが安置されているのですから、
金色堂のパワーは絶大です。

この金色堂のご利益は、
家内安産、心の安定、人間関係運向上などと言われていますが、
最も強いご利益は、信頼できる人間力が身につくことだと言います。

なぜなら、
藤原三代目の秀衡は、
源義経が兄の頼朝に追われて奥州藤原氏を頼って落ち伸びた際に、
頼朝が義経の引き渡しを要求しても、
断固として拒否し、義経をかくまいました。

金色堂のパワーは、
このような信頼できる人間力が身に付くといいます。

そして何をしたらいいのかの判断力、
迷っているときの決断力を授けてくれます。

さらに金色堂の金のパワーは、
やはり金運アップのご利益が強力にあるのです。

中尊寺 金色堂の豪華絢爛な黄金パワーを授かりたいと、
多くの人が訪れます。

中尊寺金色堂 浄土の理想世界のパワーが世界文化遺産に登録

中尊寺の境内には、
金色堂のほかにも、本堂、経蔵、能舞台などの重要文化財の宝庫です。

また中尊寺とはこの山全体の総称で、
本寺の中尊寺と山内十七ヵ所の末社で構成されています。

境内に向かう表参道は月見坂といい、
樹齢三百年以上もの杉の巨木の並木が続きます。

この坂をゆっくり登っていくと、
霧が立ち込めた時など幻想的で、
心を清浄にし、壁を乗り越える力を授けてくれます。

中尊寺の山自体が、パワースポットで、
正飛龍形という理想の吉形の地勢をしていると言い、
この中尊寺に参拝すると、財運に恵まれるご利益があるとされています。

2012年6月には近くにある毛越寺とともに、
世界文化遺産に登録されました。

藤原清衡・基衡・秀衡が求めたものは、
この世に浄土の理想世界を実現することでした。

中尊寺と毛越寺には、
仏教の中でもとくに浄土思想の考え方により造られた庭園や建築が見られます。

平安末期、
清浄な浄土の世界がこの平泉に造られていたのですから、
パワーが宿っているのです。

霊験あらたかな中尊寺のパワーをぜひ授かりたいものです。

中尊寺は850年、
慈覚大師こと円仁上人によって創建されました。

十二世紀に入って、
奥州藤原氏の初代・清衡が、戦乱で亡くなった霊を弔うために、
金色堂をはじめとした堂塔を建立しました。

十四世紀の火災で多くの伽藍を焼失しますが、
金色堂は1124年に上棟されたもので、
当時の様子を今に伝える貴重な建造物です。

また、本堂には比叡山から分けられた「不滅の法灯」が、今も守られており、
天台宗の東北大本山としての格式が感じられます。

巧緻を極めた金色堂は、 
まさに東北屈指の名刹といえます。

中尊寺金色堂 平泉の世界遺産とは

中尊寺金色堂をはじめとする平泉一帯は
『平泉―仏国寺(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺産群』という資産名で、
世界遺産に登録されています。

それらの世界遺産は、
中尊寺・毛越寺・観自在王院跡・無量光院跡・金鶏山の五つで構成されています。

平泉には、仏教の中でも特に浄土思想の考えに基づいて造られた、
多様な寺院や庭園、そしてそれら遺跡が一群としてよい状態で保存されています。

寺院や庭園は、この世に理想の世界を創り出そうとしたもので、
海外からの影響を受けつつ、
日本で独自の発展を遂げたものです。

中尊寺

中尊寺は山号を関山といい、十七院により構成される天台宗の寺院です。

嘉祥3年(850年) 慈覚大師円仁によって開山されたと伝えられています。

その後、奥州藤原氏の初代清衡が、
本拠地を江刺豊田館から平泉に移し、
長治2年(1105年)に造営に着手しました。

初めに多宝寺が建てられ、
次いで大長寿院(二階大堂)が完成しました。

大長寿院は、高さ15mという大きな建物で、
その中には、高さ9mの金色阿弥陀如来像が本尊として安置されていました。

平泉に侵攻した源頼朝は、大長寺院を見て驚き、
それを模して鎌倉に永福寺を建てたそうです。

このように清衡は次々に大伽藍を建立し、
天治元年(1124年)には金色堂を完成させました。

全盛期には40にも及ぶお堂や塔などがあったと言われています。

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国宝の金色堂は、七宝珠玉が贅沢に使われており、
他に類を見ない独自のものです。

また、須弥壇の中には初代清衡、二代目基衡、三代目秀衡の御遺体と、
四代目泰衡の首級が納められています。

〒029-4195
岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関202
TEL:0191-46-2211
中尊寺:http://www.chusonji.or.jp/

毛越寺

毛越寺はモウツウジと読みます。
通常、越という字をツウとは読みませんが、
越は慣用音でオツと読みます。
従ってモウオツジがモウツジになり、更にモウツウジに変化したものです。

寺伝によると医王山毛越寺金剛王院は、
仁明天皇の嘉祥3年(850)慈覚大師が東北巡遊のおり、
この地にさしかかると、
一面霧に覆われ、一歩も前に進めなくなりました。

ふと足元を見ると、
地面に点々と白鹿の毛が落ちておりました。

大師は不思議に思いその毛をたどると、
前方に白鹿がうずくまっておりました。

大師が近づくと、白鹿は姿をかき消し、やがてどこからともなく、
一人の白髪の老人が現われ、
この地に堂宇を建立して霊場にせよと告げました。

大師は、
この老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立し、嘉祥寺と号しました。
これが毛越寺の起こりとされます。

毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、
藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に、
多くの伽藍が造営されました。

往時には堂塔40僧坊500を数え、
中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。

奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、
現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構が、
ほぼ完全な状態で保存されており、
国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。

平成元年、平安様式の新本堂が建立され、
本尊薬師如来、脇士日光月光菩薩を安置しています。

かつて広大な境内に大伽藍が建ち並んでいた毛越寺ですが、
今は本堂、常行堂の他、大泉が池と様々の石組からなる、
浄土庭園、堂宇や回廊の基壇、礎石、土塁、それに堂塔十余、
僧坊十七坊が残されているのみです。

しかし、常行三昧の古修法と延年の催しが時代を越えて僧から僧へと伝えられ、
茅葺きの常行堂内でひそやかに、
しかし立派に継承されていることは、驚嘆に値することです。

〒029-4102
岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢58 
TEL:0191-46-2331 FAX:0191-46-4184
毛越寺:http://www.motsuji.or.jp/index.html

観自在王院跡

毛越寺東隣の観自在王院は、
藤原氏二代基衡の妻によって建立されたと伝えられています。

敷地の北側には、大小2棟の阿弥陀堂が建っていました。

その内壁には石清水八幡宮、賀茂の祭、鞍馬の様子、
宇治平等院などの首都京都の霊地名所が描かれていたそうです。

平泉に住む多くの人々にとって、京都観光はかなわぬ夢で、
その夢を描いていたと言いますから、
観自在王院は人気があったに違いありません。

毎年5月4日に『なき祭り』という珍しいお祭りが行われます。

基衡の妻の死を嘆き悲しむものですが、
ここにも観自在王院に対する民衆の思いを見て取れます。

観自在王院は、発掘調査と復元整備により甦りました。
今は史跡公園として親しまれています。

ほぼ完全に残っている浄土庭園の遺構は、
平安時代に書かれた日本最古の庭園書『作庭記』の作法通りと考えられ、
池の北岸に大阿弥陀堂と小阿弥陀堂が設けられていたことから、
極楽浄土を表現した庭園と考えられています。

〒029-4102
岩手県西磐井郡平泉町平泉字志羅山地内

無量光院跡

藤原氏三代秀衡が建立した無量光院は、京都の宇治平等院の鳳凰堂を模して、
一回り大きく造られました。

阿弥陀堂の柱間や翼廊の左右が鳳凰堂より大きく、
平等院を超えようとした意欲が感じられます。

しかし現在は、建物は焼失し、磁石が残っているだけです。

池跡は一段低くなっていて、往時の状況を今に伝えています。

院の正面に立つと、橋・中島・橋・本堂が、一直線に並び、
その先には金鶏山が望め、
浄土庭園の最高傑作と言われています。

〒029-4102
岩手県西磐井郡平泉町平泉字花立地内

金鶏山

金鶏山は、比高差60mほどの円錐形の優美な山です。

平泉を訪れた松尾芭蕉も、
「金鶏山のみ形を残す」と、その印象を述べています。

山頂からは平泉すべてを見渡せることから、
平泉の中心として意識されていたようです。

金鶏山には、秀衡が一晩で造った人工の山、
雌雄一対の黄金の鶏が埋められているなどの伝説があります。

これらの伝説は、
山頂に営まれていた経塚から派生したもののようです。

経塚は、初代清衡晩年から四代泰衡までの間に、
最低9基は造られたようです。

これら経塚造営により金鶏山は、
平泉を鎮護する聖なる山になりました。

また、毛越寺付近は、
金鶏山から南に伸ばした子午線を基準として造られています。

さらに無量光院も金鶏山を背景とする位置に造営されました。

このように金鶏山は、平泉における基準ともなった山なのです。

〒029-4102
岩手県西磐井郡平泉町平泉字花立地内

平泉の世界遺産:http://www.hiraizumi.or.jp/heritage/index.html

あとがき

みちのく奥州に藤原氏によって創り上げられた浄土世界も、
源 頼朝と義経兄弟の争いの巻き添えとなって消えてしまった。
全ては歴史の1ページです。
磁石や石組が残された場所が世界遺産として登録され、
世界中の人が訪れるでしょうが、
歴史の奥で起こっていた出来事の裏側や人々の心情までは、
なかなか理解できるものではありませんね。

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