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知っておきたい知識

廃仏毀釈とは簡単にどういう意味?起きた背景ときっかけの出来事は?

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廃仏毀釈とはどういう意味なのか簡単にまとめてみました。
そして廃仏毀釈が起きた背景と、
そうなったきっかけとなる出来事について考えてみました。
歴史の解釈は難しいですね。
私的な見方としてお聞きください。

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廃仏毀釈とは簡単に言うとどういう意味

廃仏毀釈(廢佛毀釋、排仏棄釈、はいぶつきしゃく)とは、
仏教寺院・仏像・経巻を破毀し、
僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃することを指します。

「廃仏」は仏を廃し(破壊)し、
「毀釈」は、釈迦(釈尊)の教えを壊(毀)すという意味です。

日本においては一般に、神仏習合を廃して神仏分離を押し進める、
明治維新後に発生した一連の動きを指ます。

日本の歴史は、日本列島における歴史と同一視されます。
しかし、厳密な「日本」の成立は、国号にあるように7世紀後期で、
それまでは「倭国」と呼び記されていました。

この倭国がどのような地理的範囲、
あるいは系統的範囲をもつ集団であるかについては、
史料に明確にされていないので、多くの学術上の仮説が提出されています。

歴史学上は、
古代(古墳時代から・飛鳥時代・奈良時代・平安時代)、
中世(鎌倉時代・室町時代・戦国時代)、
近世(安土桃山時代・江戸時代)、
近代(明治維新から1945年8月14日まで)
および現代(1945年8月15日以降)の五分法が通説です。

日本では「天皇」という文字は大和の法隆寺の薬師仏光背銘に、

「池辺大宮治天下天皇」及び「小治田大宮治天下大王天皇」とあります。

池辺大宮は用明天皇(在位585~587)で、
小治田大宮は推古天皇(在位592~628)の御代です。

又、
推古天皇十六年(607年)隋の煬帝に遣わされた国書の中に、
「東天皇敬白西皇帝」云々と日本書紀に伝えてあり、
我が国の天皇と隋の皇帝との使い分けが見られます。

いずれも日本の方が中国より早い時に用いており、
これらから天皇の文字は我が国がつくり、用いた可能性が高いと思われます。  

「天皇」という称号の由来には、
紀元前に書かれた中国の淮南子に出てくる東海の海の島(日本)の、
義和(天照大神)の夫である天帝(天皇)である帝俊(スサノオ)から
来ているという説があります。

実際に日本書紀は冒頭部分をこの淮南子から引用しています。

『日本書紀』の第三十一代用明天皇の条に、
「天皇信仏法尊神道」(天皇は仏法を信じ、神道を尊びたもう)とあり、
これがわが国の文献上での初出です。

『神道』は日本民族の間に自然に生まれ育った、
伝統的な神祇信仰(じんぎしんこう)ですから、
これに対する固有の呼称はなかったようです。

欽明天皇の御時に伝来した仏法に対比して、
神道と表現することにより区別したのでしょう。

『廃仏毀釈』は、神道との関係が重要なポイントです。

神道は日本古来の宗教で、
古代の日本は祭政一致であり、
天皇は上古からその祭祀を行ってきたと考えられています。

仏教が伝来した後の用明天皇は「信仏法尊神道」であり、
それは以後の天皇にも受け継がれました。

天皇と神道の関係は天武天皇の大宝律令などで定められてゆき、
奈良時代から平安時代にかけて、
天皇は新嘗祭などの祭祀を自ら執り行い、
天照大神を祀る伊勢神宮に斎宮を遣わし、
延喜式に定められた神社などに奉幣を供えました。

鎌倉時代の順徳天皇は「先神事」とその重要性を述べています。

中世になり朝廷が衰微すると、
大規模な祭礼は実施できなくなり、
戦国時代の後柏原天皇などは大嘗祭を執り行えなかったようです。

江戸時代には江戸幕府の要求と金銭補助の下、
徳川家の神格化を目的とする日光東照宮への奉幣なども行われました。

明治時代になると、神道は国家神道となり、
神武天皇を祭る橿原神宮、
桓武天皇を祭る平安神宮、
明治天皇を祭る明治神宮などが創建され、
戦前戦中の昭和天皇は現人神として崇拝されました。

戦後は政教分離となり国家神道は廃止され、
昭和天皇は人間宣言により自らの神格化を否定しました。

現在は宮中祭祀として新嘗祭などが執り行われ、
皇女が伊勢神宮の祭主となり、
皇室の私費により各地の神社へ奉幣が行われています。

日本の皇室と仏教との関係

『日本書紀』によると552年に百済の聖王(聖明王)により、
釈迦仏の金銅像と経論他が欽明天皇に献上され、
仏教が初めて伝来したとされています。

仏教が伝来した際に、
仏教信仰の可否については家臣達により議論されることになり、
仏教容認側の蘇我氏と、
反対側の物部氏との間で可否を巡って対立し始めました。

それは、用明天皇の後継者争いに繋がり、
物部氏が滅ぼされると仏教信仰に傾きました。

物部氏討伐軍にも加わっていた用明天皇の第二皇子である聖徳太子により、
法興寺や法隆寺が建立され、
儒教や仏教の思想が反映された十七条憲法が作られるなどし、
皇室は仏教と深い繋がりを持っていきました。

また、伝統的に天皇自ら寺を建てるようになり、
天武天皇は大官大寺、持統天皇は薬師寺を建立するなどし、
聖武天皇の代に入ると鎮護国家という政策が盛んになり、
国情不安を鎮撫するために国分寺を各地に作り、東大寺が建立されるようになりました。

平安時代に入るとこれらの寺院群が政治的な権力を持つことになり、
それが桓武天皇により平安京への遷都へと繋がりました。

日本古来の仏教と対抗させるために空海と最澄を遣唐使とともに唐に送り、
密教を学ばせました。

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空海は真言宗、最澄は天台宗を開き、
それぞれ空海は高野山を、最澄は比叡山を下賜承わりました。

また白河天皇を始めとする天皇が譲位後に出家し、
法皇と名乗る事も多くなりました。

その後、江戸時代までは仏教とも深く繋がっており、
法事は仏式で行われていた。

1871年(明治4年)までは宮中の黒戸の間に仏壇があり、
天皇や皇族の位牌は「尊牌」と称され、
歴代天皇の位牌があったということです。

しかし、明治時代に入ると、
明治政府の神道重視の政策により廃仏毀釈が行われ、
1000年以上続いた仏式の行事はすべて停止され、
尊牌は京都の泉涌寺にまとめられ、皇室は仏教とは疎遠となったのです。

廃仏毀釈が起きた背景

明治維新の思想的な原動力は尊王攘夷というものでした。

天皇が尊く、
外国は汚らわしいというこの思想は、
「国学」という学問から生まれました。

国学はもともとは日本の歴史や古典文学について研究する学問でしたが、
平田篤胤という国学者の登場によって宗教色を帯びはじめます。

平田篤胤は、
日本古来の宗教は神道であって、
外来の宗教である仏教と合わせ祀られている現状はおかしい!
とし、
仏教を神道から排除した「復古神道」を唱えます。

この平田篤胤の国学の排外性が、
黒船来航で沸騰して、
尊王攘夷運動という具体的な行動になっていったのです。

尊王攘夷運動はやがて討幕運動へと変質していき、
明治維新を迎えることになりました。

しかし、倒幕の志士たちも、
幕府を倒してじっさいに政権を獲ってみれば、
もはや「攘夷」などというのは空理空論であると認識せざるをえず、
開国、文明開化へと大きく主張を転換させていきます。

これでは収まりがつかないのが、
尊王攘夷を思想的にリードした国学者たちでした。

そこで明治政府は、
排外的・排他的な民族主義者といってもいいこの平田国学の連中を、
「神祇官」という役職で処遇します。

神祇官は設立当初は政府と同格かそれ以上のポジションでした。

権力をにぎった国学者たちがやったことが、
神道を仏教伝来以前の姿にもどす、ということでした。

そこで明治元年にいきなり「神仏分離令」が出され、
これによって各地で廃仏毀釈が行われました。

日本史上最悪の文化破壊行為でした。

多くの仏像や寺院が破壊されるという、
取り返しのつかない行為でした。

この神祇官らが、神道の国教化も手がけていきます。

靖国神社をはじめ全国の護国神社や、
橿原神宮などという
歴史的根拠のない神社を創設していくのです。

ようするに国学というのは民族主義的な色彩が強く、
けっきょくこの思想が日本を、
第二次大戦という破滅にも導いていくことになります。

現在「ウヨク」と呼ばれる人たちも、
その思想的源流をさかのぼれば、平田国学に行き着きます。

ウヨクの人たちは、
自分たちの思想的祖先が廃仏毀釈をやったことも知らずに、
お寺や仏像といった日本文化を対外的に誇るのですから滑稽なことです。

明治新政府を牛耳った薩長は、
権力を維持強化する為に、
天皇と神道の絶対化を図り、仏教を弾圧しました。

この流れは昭和初期から終戦まで続きます。

廃仏毀釈が起きたきっかけ

「坊主にくけりゃ袈裟まで憎し」
っていうことわざはご存知でしょうか?

このことわざがあるように江戸時代までは、
幕府の庇護の下
ひたすら堕落し暴利をむさぼり

まぁ・・・やりたい放題やってたんです。
そのためか庶民には仏教は信仰の対象ではなく
恨みの対象になっておりました。

本来、明治政府は神仏分離令
つまり神道と仏教の分離が目的だったんです。

しかし上の理由により庶民に恨まれていたので、
このオフレを機に
「廃仏毀釈をするぞ!」という動きが高まり、
仏教に関するものをどんどん破壊してまわったんです。

これが廃仏毀釈の流れです。

こうなればもう、
廃仏毀釈に関して思想はあまり関係ないようです。

とにかく当時の仏教というのは嫌われていたので、
その仏教を説く江戸時代の坊主は、
侮蔑の対象ともなっておりました。

「坊主丸儲け」
「地獄の沙汰も金次第」
「布施の分だけ経を読む」
「経も読まずに布施を取る」
誰かを侮蔑するための「くそ坊主」
などという言葉を耳にしたこともあると思います。

江戸時代当時は檀家制度というものを採っていて、
これは寺の周辺の住民は
その寺に必ず信者とならなければならない という物なのですが

この制度により
冠婚葬祭の全てを寺のお世話にならなくてはいけなくなったんですね。

彼らはそのことあるごとにお布施を強要したんです。
それらを管理するために宗門人別帳などが作られました。

宗門人別帳とは、
江戸時代、幕府はキリスト教禁止令を発布し、
やがて寺請制度を確立させ、
民衆がどのような宗教宗派を信仰しているかを定期的に調査するもので、
これによって作成された台帳を宗門改帳と呼びます。

その様子は横暴、
暴利の限りを尽くしておりまして
とにかく民衆の怒りを買っておりました。

そんな折に明治時代に入り神仏分離令が発令されます。

これを機会に民衆の怒りが爆発し、
“自発的”に寺のあちこちの物を破壊して回ったんです。
これが廃仏毀釈といわれるものです。

明治維新後、天皇は神で唯一絶対でした。

国民は「臣民(つまり臣下)」というくらいですから。

そのため、
その理屈を通用させるためには日本の国教を神道に限定し、
それに合わないものや、
妨げになるものを徹底排除したためと思われます。

排除の対象は仏教はもちろん、
神仏習合の場合は無理やり分離させ、
神道でも自分たちに不都合と判断した場合は容赦なく異端としました。

つまりはローマ帝国でキリスト教を国教とし、
自分を最高権力者だと納得させるため、と同じようなことですね。

廃仏毀釈は、
江戸時代に僧侶が幕府の庇護の元、
増長しすぎた反動。

被抑圧階級の怒りの反撃ということですね。

この廃仏毀釈のためにわが国の寺院が半分以下になり、
国宝級の建物や仏像の多数が破壊されたり
売却されたりしたのです。

このような明治政府にとって都合の悪い史実は、
教科書や通史などで記載されることがほとんどないので、
長い間ほとんど何も知らされなかったことです。

あとがき

廃仏毀釈という言葉を聞いたことがあっても、
深く知ることはありませんでした。
歴史文学を読んでいて『ん?』と思うことがあっても、
スルーしていました。
語られることのない深い真実がもっとあるのでしょうね。

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