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秋の季節と行事

聖護院門跡特別公開 2017年秋の日程は?聖護院拝観のアクセスと駐車場は?

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秋の京都はあちらこちらの寺社仏閣で、
特別拝観が催されます。
聖護院門跡でも秘蔵作品などが特別公開されます。
格式高い聖護院門跡の建物やお庭を拝観することもできます。
普段見られない宝物を見たり、
色付いた秋のお庭の風景に浸ってみるのもいいのではないでしょうか。

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聖護院門跡特別公開 2017年秋の日程は?

聖護院門跡では、秋の特別拝観が行われます。

特別公開されるのは 2017年9月16日から12月10日まで
(ただし、10月13日~15日と11月28日はお休みです)

聖護院門跡特別公開では、豪華阿絢爛な狩野派の秘蔵作品を格式高い名寺で鑑賞できます。

日本美術史上最大の御用絵師集団の狩野派の秘蔵作品が、
皇室や戦国大名ゆかりの古寺で、狩野派の競演として大公開されます。

中でも、2016年に狩野探幽の真筆作品と判明した、『釈迦三尊像』が
本邦初公開として見ることが出来ます。

狩野探幽真筆の釈迦三尊像は、数種類の墨を使い分けて、メリハリをつける一方、
洒脱な筆使いで柔和な空気間を醸し出しています。

狩野探幽は、慶長7年1月14日(1602年3月7日) – 延宝2年10月7日(1674年11月4日))
狩野派400年の歴史の中でも類稀な才能を有した同派随一の絵師であり、
江戸狩野派の始祖。

江戸時代初期の狩野派の絵師。狩野孝信の子。

法号は探幽斎、諱は守信。早熟の天才肌の絵師、と評されることが多いが、
桃山絵画からの流れを引き継ぎつつも、宋元画や雪舟を深く学び、
線の肥痩や墨の濃淡を適切に使い分け、
画面地の余白をに生かした淡麗瀟洒な画風を切り開き、江戸時代の絵画の基調を作った。

そして狩野益信は、狩野探幽の養子で、駿河台狩野家の祖とされています。

狩野益信の筆とされる謁見之間障壁画は、
謁見之間へ続く部屋は、拝観の通路となっていますので、
比較的至近距離で鑑賞することが出来ます。

狩野永納筆の孔雀の間障壁画は、京狩野の3代目による作品。
約350年前の障壁画ですが、
人の出入りが少ない門跡寺院だったため、保存状態は非常によく保たれています。

聖護院門跡 秋の特別拝観この時期を同じくして、
聖護院より西北西にある『大徳寺・本坊』でも、秋の特別拝観が開催されています。

大徳寺・本坊の特別公開は、9月16日から10月15日までで、
9月21日・10月4日と8日はお休みとなっていますが、
こちらにも狩野派の絵師、狩野探幽や永徳の作品を多数見ることが出来ます。

聖護院門跡の歴史

聖護院(しょうごいん)は京都市左京区聖護院中町にある本山修験宗総本山(本庁)の寺院で、
聖護院門跡(しょうごいん もんぜき)とも呼ばれています。

山号はなく、
開基(創立者)は増誉、本尊は不動明王です。

日本の修験道における本山派の中心寺院であると共に
全国の霞を統括する総本山です。

明治5年(1872年)の修験道廃止令発布後、一時天台寺門宗に属しましたが、
昭和21年(1946年)修験宗(のち本山修験宗)として再び独立して現在に至ります。

天台宗に属した後も聖護院の格は大本山ででした。

静恵法親王(後白河天皇の子)が宮門跡として入寺して以降、
代々法親王が入寺する門跡寺院として高い格式を誇っていました。

明治まで37代を数える門主のうち、
25代は皇室より、12代は摂家より門跡となりました。

江戸時代後期には2度仮皇居となるなど、
皇室と深い関わりを持ち、
現在も「聖護院旧仮皇居」として国の史跡に指定されています。

宮門跡でもあり寺社勢力でもありました。

11世紀の末に現在の場所に建てられた後、
4度の火災により市内を点々とし、延宝4年(1676年)に、現在の場所に戻りました。

明治までは、当時西側にあった「聖護院村」から鴨川にかけて広がっていた、
「聖護院の森」の中に寺があったため「森御殿」とも呼ばれ、
現在も近隣の住民に「御殿」と呼ばれることがあります。

なお、
聖護院の森は、紅葉の際の美しさから「錦林」とも呼ばれ、
現在も「錦林」の語が地名に使われています。

聖護院の南西には、平安時代に「聖護院の森」の鎮守として熊野神社が祀られ、
「京の熊野三山」(残り2つは若王子神社、新熊野神社)のひとつとされるなど、
篤い信仰を受けましたが、
応仁の乱で焼失した後、1666年に道寛法親王によって再興されました。

祇園祭の役行者山(えんのぎょうじゃやま)では、
聖護院が護摩焚きを始め(採燈護摩供)導師の山伏が護摩木を護摩壇に投げ入れる儀式を行います。

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左京区南部の地名である「聖護院」は本寺院に由来し、
その境域は旧愛宕郡聖護院村にほぼ相当します。

和菓子の聖護院八ツ橋や、
京野菜の聖護院大根・聖護院かぶ・聖護院きゅうり発祥の地でもあるのです。

聖護院門跡の開基は園城寺の僧・増誉です。

増誉は師である円珍の後を継いで、師が行っていた熊野での大峰修行を行うなど、
修験僧として名をはせ、寛治4年(1090年)、白河上皇の熊野詣の先達(案内役)を務めました。

この功により増誉は初代の熊野三山検校(熊野三山霊場の統括責任者)に任じられ、
役行者(修験道の開祖とされる伝説的人物)が創建したとされる常光寺を下賜されました。

これが聖護院の創建であるとされ、
寺名は「聖体護持」の意である聖護院となりました。

増誉は、熊野三山検校として、また、本山派修験道の管領として、全国の修験者を統括し、
増誉の後も、聖護院の歴代門跡が上皇の熊野御幸の先達を務めました。

この間、熊野詣は徐々に隆盛となり、
「伊勢へ七たび 熊野へ三たび 愛宕まいりは月まいり」と言われ、
愛宕山も修験道の修行場として活況を呈しました。

熊野に屯倉を所有していた後白河上皇の皇子の静恵法親王が入寺したため、
熊野との結びつきが一層深まり、
また、同親王以後、代々法親王が入寺したため、門跡寺院として天台宗内で重視されました。

室町時代中期、聖護院は、園城寺から引き継いで、
熊野三山検校の地位を務めるようになりました。

熊野の修験組織を束ねて、最盛期に修験道の山は120余り、
全国に2万5千ヵ寺の末寺を持ったということです。

聖護院は応仁の乱の際など数度の火災で焼失し、
洛北の長谷(現・京都市左京区岩倉長谷町)に移転した後も火災にあい、
洛中などを転々とした後、烏丸今出川に建てた伽藍も延宝の大火で延焼してしまいます。

延宝4年(1676年)に現在地に再興され、
現在みられる寺院の姿となったのです。

享保19年(1734年)11月16日、
聖護院の森にて、呉服商の井筒屋伝兵衛と、
先斗町近江屋の遊女お俊との心中事件が起きました。

近松半二は、この事件をまとめ、
「近頃河原達引」(「お俊・伝兵衛」)という浄瑠璃作品を発表し、
現在も上演されています。

天明8(1788年)と安政元年(1854年)の内裏炎上に際し、
光格天皇と孝明天皇が一時期仮宮として使用していました。

当時の聖護院門跡は光格天皇と同母弟の盈仁法親王であり、
当院と皇室は深い関係であったのです。

そういえば聖護院門跡のご紋は、
皇室と同じ菊の紋の上にホラ貝が重なったような絵柄になっています。
皇室と修験僧を表しているのでしょうか。

慶応4年(1868年)1月8日に聖護院門跡雄仁法親王が還俗して聖護院宮嘉言親王となり、
海軍総督等を務めました。

1868年(明治元年)の神仏分離令に続き、1872年(明治5年)には修験道廃止令が発布されたため、
天台寺門宗に所属することになったのですが、
第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)、修験宗を設立して天台寺門宗から独立しました。

2000年(平成12年)、役行者1300年御遠忌を記念し、
数年かけて行われていた寺院の修理が終わりました。

聖護院門跡拝観のアクセスと駐車場は?

聖護院門跡のある場所は、京都市内の北東部にあり、
平安神宮の近く、岡崎というところです。

南禅寺からもそう遠くなく、500~600mのところに金戒光明寺や真如堂があり、
どちらも紅葉の名所として有名です。

聖護院門跡へのアクセスは、市バス熊野神社前バス停から徒歩5分圏内です。

・市バス1
京都駅より206号で熊野神社前下車。ひとつ北の通りを東へ160メートル。

・市バス2
阪急河原町駅より201・31号で熊野神社前下車。ひとつ北の通りを東へ160メートル。

・京阪電鉄
神宮丸太町駅で下車し、いちばん北の5番出口より出てください。
鴨川を背に、大文字山に向かって徒歩750メートル。

・市営地下鉄
京都駅より 地下鉄烏丸線 北行きに乗車、丸太町駅下車、
市バス65・202・204号で熊野神社前下車。
熊野の交差点のひとつ北の通りを東へ160メートル。

聖護院門跡の駐車場は約5台。
山門の外は月極め駐車場です。必ず山門内に駐車してください。

聖護院門跡より南に300m程のところに、岡崎グランドの地下に京都市営駐車場があります。 

自家用車で京都観光をされる場合、京都市内は碁盤の目になっているので、
わかりやすいかと思いますが、意外と一方通行が多く、迷われる方が多いのです。

小さなコインパーキングはたくさんありますが、市営駐車場を利用されると便利です。

〒606-8324
京都市左京区聖護院中町15

TEL 075-771-1880
FAX 075-752-4088

あとがき

京都は一年中観光客の方がたくさん来られていますが、
秋の特別公開が開催されているこの時期、
また、それに合わせて山々は赤く色づき、
紅葉を求める人々で、さらに溢れかえりそうです。
街を歩いていても、
すれ違う人の言葉が日本語でないことが多いのには
もう慣れましたが・・・

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