東京国立博物館『運慶展』開催日程 運慶とはどんな人 快慶との関係は?

秋の行事

東京国立博物館で開催される『運慶展』の、
開催日程をお知らせします。
この東京国立博物館『運慶展』の
“運慶”という一人の仏師に注目し、
力強い作風の由縁に近づきます。
また、世界遺産 東大寺南大門金剛力士像を
合作したと言われていた快慶との関係について、
まとめてみました。

  

東京国立博物館『運慶展』開催日程

東京国立博物館『運慶展』は、
2017年 9月26日(火)~11月26日(日)の二か月間 開催されます。

日本で最も著名な仏師・運慶。

卓越した造形力で生きているかのような現実感に富んだ仏像を生み出し、
輝かしい彫刻の時代をリードしました。

東京国立博物館『運慶展』は、
運慶とゆかりの深い興福寺をはじめ各地から名品を集めて、
その生涯の事績を通覧します。

さらに運慶の父・康慶、実子・湛慶、康弁ら親子3代の作品を揃え、
運慶の作風の樹立から次代の継承までをたどります。

会場は、東京国立博物館『平成館』

開館時間は 午前9時30分~午後5時
     金曜日と土曜日、および11月2日は 午後9時まで開館
     ただし、入館は閉館の30分前までになります。

休館日は 毎週月曜日ですが、10月9日は 祝日のため開館しています。
    
お問い合わせは 03-5777-8600

東京国立博物館『運慶展』公式ホームページ
http://unkei2017.jp/
公式オンラインチケットもホームページより購入できます!

いろいろと企画されたプレミアムチケットは販売終了になってしまいました。

~~~運慶学園 みうらじゅんさん~~~~

人間を超えた存在としての仏。だから超人は決して人間ぽくあってはいけない。
それは仏法と仏師(理想と現実)の境界線であり、
またはせめぎ合いであったかもしれない。悟りを開いた如来、または悟りを約束された菩薩。
これはいじれないが明王、天、そして童子に至っては運慶の腕の見せどころ。
今も現代作として現存しているものは彫刻家・運慶の輝きを失ってはいないのだ。

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東京国立博物館『運慶展』の運慶とはどんな人

運慶がいつ生まれたかは不明ですが、
運慶の息子・湛慶は承安3年(1173)生まれであることと、
運慶の処女作とみられる円成寺の大日如来坐像を、
安元元年(1175)に着手しているところから見て、
おおよそ1150年ころと考えられています。

運慶の父 康慶も、興福寺周辺を拠点にした奈良仏師で、
奈良仏師は新たな造形を開発しようとする気概を持っていたようです。

東京国立博物館『運慶展』では、
運慶の父あるいはその師匠の造った像と、若い運慶の作品が展示されていて、
運慶独自の造形がどのようにして生まれたかを、
源流に基づき見ることが出来ます。

文治2年(1186)運慶が造った、静岡・願成就院の阿弥陀如来坐像や、
不動明王・二童子立像・毘沙門天立像などには全く新しい独自の造詣が見られます。

建久8年(1197)頃の高野山金剛峰寺の八大童子立像は、入念な玉眼の表現、
立体的に表した頭髪と墨描した後れ毛などが写実性に富み、
感情までもが表現されています。

晩年の無著菩薩立像・世親菩薩立像は、圧倒的な存在感と、
精神的な深みが感じられます。

鎌倉時代の人々が仏像に求めたものは、
仏が実際に存在するという実感を得たいということだったようです。

運慶はその要求を受け止めて、余すところなく応えたのです。

そんな運慶には6人の息子がいて、いずれも仏師になっていて、
そのうち単独で作った作品が残っているのは、湛慶・康弁・康勝です。

東京国立博物館『運慶展』では、湛慶と康弁の像が展示されます。

運慶の後継者として、13世紀半ばまで慶派仏師を率いた湛慶は、
多くの作品を残しています。

快慶とともに造像したこともあるためか、
運慶の重厚な作風より、快慶の洗練に近づいています。

しかし、京都・高山寺の牡牝一対の鹿や子犬、
高知・雪蹊寺の善賦師童子立像などの写実性と繊細な情感表現は、
運慶を継承したものです。

康弁作の龍燈鬼立像は、力士のようなモデルの存在を思わせる、
筋肉の表現において、より直接的に運慶と繋がっています。

このほか、東京国立博物館『運慶展』では、
運慶に極めて近い作風の像が展示されています。

東京国立博物館『運慶展』運慶と快慶の関係は?

日本に仏教が伝わったのは6世紀半ばごろ、
そして、
日本で仏像が造られ始めたのは飛鳥時代と言われています。

それ以来、日本の仏像はいろいろな製法で作られてきました。

・金属を溶かし、型に流して作られた金銅仏
東大寺の廬舎那仏=大仏様がそうです。

・粘土を使って造られた塑像

・漆を浸した麻布で造られた脱活乾漆像

・一本の木を彫り上げた一木造り

・複数の木材を組み合わせて作られる寄木造り などがありますが、

この寄木造りは、平安時代後期に完成された技法で、
今までの仏像造りとは違う、繊細で複雑な表情と人に似させたリアリティー、
大型の仏像造りを可能にしました。

寄木造りの製法に伴い、
大仏師を中心に小仏師が配置された組織的な分業制で形成された、
仏像制作工房ができました。

平安末期、仏師の祖と言われる定朝の『定朝様』が完成し、
隆盛を誇るようになります。

源平の争いで焼き尽くされ荒廃した多くの寺院の復興といった要因が重なり、
仏師たちの活躍する場面が多くなっていきました。

仏師「定朝」の流れから、京の都で活躍した「円派」「院派」
奈良で活躍した『慶派』と、主な仏師が分かれていきました。

栄華を極めた公家の時代から、武士の時代へと移っていきます。

武士の時代 鎌倉時代になって、仏師や仏像制作工房への発注者が、
貴族から武士へと様変わりし、
ダイナミックで写実的な作風の『慶派』が武士たちに好まれました。

定朝の直流を引き継ぐ「成朝」と同時期に傍系の『康慶』がいます。

康慶の弟子であり息子である「運慶」と
その兄弟弟子たちが盛り上げたのが『慶派』でした。

そこには快慶いて、運慶は快慶の兄弟子に当たります。

1186年 運慶は、平家が滅亡した直後に北条時政に依頼され、
願成就院の阿弥陀如来像、不動明王、毘沙門天などを作り始めています。

北条時政は、後の鎌倉幕府の立役者源頼朝の妻北条政子の父です。

その縁からできた鎌倉幕府との繋がりが、
慶派が大いに活躍できたベースとなっています。

願成就院の毘沙門天は、
当時の北条時政が討伐しようとしていた奥州方面を睨み、
鋭く射貫く様な玉眼の迫力は逞しい武将姿と相まって、
運慶の才能を後世に伝えています。

平安貴族に好まれた定朝様の気品を受け継ぎつつ、
奈良時代の彫刻、宋の様式なども積極的に取り入れ、
力強く写実的で、また人間味の豊かな仏像を多く作り上げました。

男性的ともいえる力強い表情、さまざまな文様の衣文、肉厚で迫力のある身体。
そんな運慶の作品は、勢いを増しつつあった武士たちに大いに受け入れられました。

一方の快慶もまた、慶派を代表する仏師として活躍しています。

代表作と言われる
「醍醐寺三方院・弥勒菩薩座像」
「浄土寺・阿弥陀三尊立像」
「石山寺・大日如来座像」などをはじめ、現存するものが非常に多く、
はっきりと快慶作とされているものは40件近くもあると言われています。

快慶の特徴とされる、利知的な表情と緻密で絵画的な衣文、
そして慶派特有の玉眼を持った仏像たちは、静謐な美しさを湛え、
見るものの心に直接せまる感動があります。

自らも、浄土宗の信者で「アン阿弥陀仏」と自称するほどで、
実際多くの阿弥陀如来像の作成をしています。

運慶が、彫技を尽くしてリアリティを映す仏師であるなら、
快慶は、自身の深い信仰にも元着いた、
精神世界をも表現するタイプの仏師といえるでしょう。

建仁3年(1203)造立の東大寺南大門金剛力士(仁王)像、
凄まじい形相をした二体の仁王像。

南大門に向かい、左側には口を開けた「阿形(あぎょう)像」、
右側には口を閉じた「吽形(うんぎょう)像」が、
世に悪さ為す敵に睨みを利かせています。

武士の世が始まるのと共に隆盛した「慶派」の作品として知られ、
世界遺産ともなっているこの仁王像。

「慶派」のなかでも天才の名高い運慶と快慶の合作と言われていました。

躍動感のある衣と筋骨隆々の体つき、
ギリと眉を上げた憤怒の表情が作るリアリティは、見るものに畏怖を与え続けています。

『東大寺南大門・仁王像』は長い間、
「阿形像は快慶作、吽形像は運慶作」と言われてきましたが、
1988年の解体修理の際、
像内から制作に携わった仏師たちの名前などが書かれた納入経などが発見され、
「阿形像は運慶と快慶、吽形像は大仏師である定覚と運慶の長男湛慶」
ということが、分かりました。

運慶はその時40代後半で、
現場監督のように一門を指揮して制作にあたったといいます。

この仁王像、
全長は約8.5メートル、重量は4トンもありますが、
作成日数はたった二ヶ月ほどだったということです。

3000もの部品を組み合わせた寄木造りで、
慶派一門の非常に機能的で統制のとれた分業スタイルが、
確立されていたことがうかがわれます。

ほかにも、快慶の作とされる『東大寺・僧形八幡座像』は、
運慶もその作成に小仏師と参加したと言う説もあります。

運慶と快慶、それぞれの弟子たちも、
それぞれも仏師として名を残し、
仏像制作工房としても慶派一門は強いつながりと独特の特徴ある作風を世に広め、
日本の仏教美術に革命を起こしました。

あとがき

芸術の秋に相応しい 東京国立博物館『運慶展』
古の宝物 国宝の数々
力強く彫り上げられた仏像

平安時代から鎌倉へと移り、
貴族の社会から武士の世となったときの、
慶派という仏師の
三代にわたる親子の作風の流れを感じられます。

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