大徳寺特別公開2018秋の日程は?興臨院 本坊 黄梅院 総見院の見どころ

秋の行事

秋といえば京都
京都といえば紅葉
そして京都にある数々の寺社仏閣では、
秋の特別公開が目白押し。
大徳寺では通常非公開の、
伽藍やお茶室、庭園を拝見することが出来ます。
日程をご確認の上、
秋の京都を存分に味わってください!

  

大徳寺 特別公開 2018の日程とアクセスは?

大徳寺について

大徳寺(だいとくじ)は、京都市内、洛北紫野にあります。
所在地 京都府京都市北区紫野大徳寺町53
山号 龍宝山
宗派 臨済宗大徳寺派
寺格 大本山
本尊 釈迦如来
創建年 正中2年(1325年)
開基 宗峰妙超
大徳寺の開祖である禅僧・宗峰妙超は、弘安5年(1282年)、播磨国(兵庫県)に、
同国守護・赤松氏の家臣・浦上氏の子として生まれました。

正式名 龍宝山 大徳寺
文化財 方丈、唐門、絹本墨画淡彩観音猿鶴図ほか(国宝)
勅使門、山門、仏殿、法堂、木造大燈国師坐像ほか(重要文化財)
方丈庭園(非公開)(史跡・特別名勝)

京都でも有数の規模を有する禅宗寺院で、
境内には仏殿や法堂(はっとう)をはじめとする中心伽藍のほか、
20か寺を超える塔頭が立ち並び、近世寺院の雰囲気を残しています。

大徳寺は多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、
日本の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院です。

本坊および塔頭寺院には、
建造物・庭園・障壁画・茶道具・中国伝来の書画など、多くの文化財を残しています。
なお、大徳寺本坊は一般には非公開であり、塔頭も非公開のところが多いのです。

2018年秋 大徳寺真珠庵の襖絵新調 特別公開のプロジェクト
https://kyoumi.click/4367.html

伽藍とは

伽藍とは僧侶(そうりょ)の住む寺院などの建築物のことです。

・勅使門(重要文化財)
慶長年間(1596年-1614年)建築の御所の門を下賜され、
寛永17年(1640年)に移築されたものです。

・山門(三門) (重要文化財)
二層の山門。連歌師・宗長の寄進で享禄2年(1529年)にまず下層のみが竣工し、
天正17年(1589年)、千利休が上層を完成させて「金毛閣」と名づけられました。
利休の恩に報いるために寺は上層に雪駄を履いた利休の木像を安置しましたが、
このため門を通る者は利休の足下をくぐることになり、
これが豊臣秀吉の怒りを買って利休切腹の一因となったと伝わっています。

・仏殿 (重要文化財)
寛文5年(1665年)、京の豪商・那波常有(なわ じょうゆう)の寄進で建てられました。

・法堂 (重要文化財)
寛永13年(1636年)、小田原城主稲葉正勝の遺志により、子の正則が建立しました。
天井に描かれている「雲龍図」は狩野探幽35歳の作。

・方丈および玄関 (国宝)大徳寺本坊 【後述】
江戸時代初期の建築で、禅宗様建築である法堂や仏殿と異なる日本様式の建物です。
方丈は正面29.8メートル、側面17.0メートル、入母屋造で桟瓦葺(本来は檜皮葺)、
玄関は桁行6間、梁間1間、一重、唐破風造で桟瓦葺。
中心伽藍の北側に位置し、土塀に囲まれた一角にあたります。
方丈は寛永12年(1635年)、玄関はその翌年に豪商・後藤益勝の寄進で建てられたもので、
開祖・大燈国師(宗峰妙超)300年遠忌を記念して新築されたものです。
玄関は翌寛永13年に完成しています。
「方丈」は元来は住職の居室を指しましたが、後に住持の居間は別所に移転され、
朝廷の勅使や幕府役人の接待や宗教行事などに用いられる空間となりました。
妙超は自らの死後に墓所として別の寺院を建てるには及ばぬと遺言していました。
方丈の障壁画は狩野探幽の作。枯山水庭園は国の特別名勝および史跡に指定されています。

・唐門 (国宝)
近世初頭の四脚門。切妻造、檜皮葺。前後軒唐破風付のいわゆる向唐門。
本願寺と豊国神社の唐門とともに「桃山の三唐門」と呼ばれます。
仏殿や法堂などの中心伽藍の北に位置し、方丈南の土塀に接続します。

塔頭(たっちゅう)とは

塔頭(たっちゅう)とは、禅宗寺院で、祖師や門徒高僧の死後その弟子が師の徳を慕い、
大寺・名刹に寄り添って建てた塔(多くは祖師や高僧の墓塔)や庵などのことです。

大徳寺は塔頭24を有する。
2015年現在、大部分の塔頭で一般参詣を認めておらず、
常時拝観可能な塔頭は龍源院、瑞峯院、大仙院、高桐院の4か院だけです。

ですから、秋の特別公開は普段見ることのできないところが、特別拝観できるのです。

・徳禅寺
元は徹翁義亨が船岡山の東に創建した独立した一禅寺。
しかし、応仁の乱で焼失し、徹翁を尊敬していた一休が現在の場所に移して再興。
明治の初めには無住の寺になっていたので、
農業試験場になったり、悪疫が流行したときには、臨時の隔離病棟になったこともあった。

・竜翔寺
南浦紹明の塔所として洛西の安井に創建。1386年(至徳3年)京都十刹に列せられる。
大永7年(1527年)桂川原の戦いの兵火で荒廃した後、大徳寺境内で再興。
明治11年養徳院と合併案が出るがこれを回避、
大正14年(1925年)に山口玄洞によって旧天瑞寺後に再建された。

・養徳院
応永年間に足利義満の弟・足利満詮が、
祇園の側に夫人善室の菩提を弔うため創建した妙雲寺が元で、
後に満詮の法名を取り将軍の許可を得て養徳院と改称。
明応年間に大徳寺山内に移動。

・龍源院
大徳寺の塔頭の中で一番古く、
仏恵大円国師を開祖として能登の畠山義元・周防の大内義興・豊後の大友義親が創建。
龍吟庭・東滴壷・阿吽の石庭などの庭が知られる。
方丈前の石庭は昭和末期に細合喝堂和尚の監修の元造られた。

・黄梅院【後述】
織田信長が父織田信秀の菩提を弔うため建立。蒲生氏郷の墓がある。明治11年昌林庵と合併。

・大慈院
立花宗茂と藤村庸軒の墓がある。

・瑞峯院
大友宗麟が建立。宗教専門紙「中外日報」の創始者真渓涙骨の墓がある。

・興臨院 【後述】

・正受院
室町時代、天分年間(1532-1555)開基・伊勢の関民部大輔衡、
開祖・清巌宗渭により創建された。
その後、美濃の蜂屋出羽守頼隆(1534-1589)が、正受院と院号を改め、
堂宇も一新する。
近代、1868年以後、神仏分離令後の廃仏毀釈により荒廃する。
昭和期、実業家・山口玄洞により境内が整備され、再建される。

・三玄院
石田三成・浅野幸長・森忠政が建立。
石田三成の墓がある。古田織部好みの茶室「篁庵」がある。
明治11年清泉寺・大源庵と合併し、龍翔寺の場所へ移動。

・真珠庵
一休宗純ゆかりの寺院で、村田珠光作と伝わる庭園(史跡・名勝)と、
曾我蛇足、長谷川等伯の障壁画で知られる。

・大仙院
常時公開の塔頭で、国宝の本堂と特別名勝・史跡の枯山水庭園で知られる。

・芳春院
加賀前田家の菩提寺。前田利家他歴代前田氏の京都における菩提寺。
明治11年高林庵と合併。

・龍泉庵
明応年間創建。明治維新後廃絶したが、
昭和33年(1958年)紹溪尼(佐々木ルース夫人)が日米第一禅協会日本支部を設立し、
庵を復興。

・如意庵
14世紀後半応安年中創建。
何度か場所を移るが、現在のものは昭和48年(1973年)に再興されたもの。

・聚光院
三好長慶の菩提のために嫡子・三好義継が建立。狩野永徳筆の国宝障壁画で知られる。
千利休の墓塔(鎌倉期の石造宝塔を転用)があることでも知られる。

・総見院【後述】
豊臣秀吉が織田信長の菩提のために建立。
明治11年大徳寺本寺に合併されたが、大正期に再興された。

・高桐院
常時公開の塔頭。細川氏に所縁があり、京都での肥後細川氏の菩提寺。
細川忠興やその室・ガラシャなどの墓がある。その他、出雲阿国のものと伝わる墓もある。
楓と灯篭だけで構成された方丈の南庭が特徴的。
忠興が北野大茶湯の際に使用したという茶室「松向軒」、
利休屋敷から移築したという座敷もある。明治11年泰勝庵と合併。

・玉林院
天皇や皇族の医師であった曲直瀬正琳が建立したのが始まり。
戦国武将・山中鹿之介の位牌堂などがある。

・龍光院
非公開の塔頭。黒田長政が父・黒田如水菩提のため三回忌の折に建立。
如水や正室光、長政の墓所があり、天下の三大茶室「密庵(みったん)」(国宝)が著名。
福岡藩黒田氏歴代の位牌が祀られ京都に於ける同家の菩提所。
茶道具など数多くの国宝・重文を有するが、完全非公開を貫いている塔頭である。
他に有栖川宮家の墓所(初代・好仁親王~七代・韶仁親王)や吉川広家の墓所もある。
明治11年寸松庵・看松庵と合併。

・大光院
大和豊臣家の菩提寺。豊臣秀吉と豊臣秀保が豊臣秀長の冥福を弔う為に建立した。
秀長の墓がある。明治11年清源庵と合併。

・孤篷庵
小堀遠州が龍光院内に建立。現在は移築し、茶室「忘筌(ぼうせん)」(重文)が著名。

・来光寺
創建の詳細は不明。安土桃山時代~江戸時代前期、清巌宗渭(1588-1662)が中興した。
現在地の東(紫野門前町)にあり、中興開山になる清巌が退隠し入寺した。

・雲林院 旧塔頭
もとは、淳和天皇の離宮・紫野院として造成された。
紫野一帯は野の広がる狩猟地であったが、桜の名所でもあった。
文人を交えてたびたび行幸したという。
その後仁明天皇の離宮となり、やがて皇子常康親王に譲られた。
現在の雲林院は、大徳寺と北大路通を挟んで南側にあります。

・松源院
春浦宗熙開祖のもと大徳寺塔頭。
元禄12年(1699年)大用庵と合併、治11年に徳善寺へ合併された後、奈良県宇陀市に再興。

・天瑞院(廃寺)
豊臣家の菩提寺。龍翔寺の近くにあり、秀吉の母・大政所の霊屋があった。
明治11年に大徳寺本寺へ合併。

・金龍院(廃寺)
この寺の辺りを天狗谷と呼んでいた。明治11年龍源院へ合併。

・大源庵(廃寺)
維新の時に筑前の軍が硝煙庫として使用していた。明治11年三玄院へ合併。

大徳寺 特別公開 2018の日程は?

【大徳寺塔頭の拝観】

総見院

総見院は織田信長の菩提所であり、利休参禅の師、古渓和尚が開祖。

羽柴(後の豊臣)秀吉が、本能寺の変に倒れた織田信長の追善菩提のために建立した、
大徳寺総見院。

信長亡き後の政権争いの中、秀吉がその主導権を握るための建立した、
歴史的に大変重要な寺院が公開されます。

本堂には秀吉が奉納した木造織田信長公坐像(重要文化財)が安置されていますが、
その大きさは高さ三尺八寸(約115cm)の等身大で、
慶派の仏師、康清によって作られました。

2体彫られたうちの1体は、葬儀の際に荼毘にふされますが、
香木によって作られたその木像の薫りは洛中一帯に広がったと言われます。

・特別公開
2018年10月6日~12月9日

・公開内容
本堂
木造織田信長公坐像(重文)
信長公一族の墓
お茶室

・拝観休止日
10月6日、7日、13日は11:00すぎから公開
10月18日は15:00受付終了
10月19日は終日休止
11月4日は11:00すぎから公開
11月5日~8日、11日は終日休止
11月18日は11:00すぎから公開
12月2日は11:00すぎから公開

・拝観時間
10:00~16:00(受付終了)

・拝観料 
 600円

黄梅院

黄梅院の庫裡は日本の禅宗寺院では最古のもの。

千利休作庭「直中庭」を持ち、美しい苔とモミジが訪れる拝観者の目を楽しませる。
織田信長、豊臣秀吉など戦国大名ゆかりの寺院、大徳寺黄梅院が公開されます。

毛利元就の三男で豊臣秀吉政権の五大老をも務めた小早川隆景の寄進による、
禅宗寺院において現存最古の庫裡や、加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰ったとされる釣鐘、
また狩野永徳や長谷川等伯と並ぶ桃山時代の日本画家、
雲谷等顔の障壁画(複製)などが公開されます。

・特別公開
2018年10月6日~12月9日

・公開内容
千利休作庭「直中庭」
武野紹鴎好み茶室「昨夢軒」
方丈庭園「破頭庭」
雲谷等顔筆 本堂障壁画(重文・複製)
庫裡(重文)

・拝観休止日
10月28日
11月5日~8日

・拝観時間
10:00~16:00(受付終了)
11月11日は14:00受付終了

・拝観料 
 600円

興臨院

興臨院は、本堂、表門、唐門が室町時代創建で禅宗建築の代表作です。

大永年間(1521年- 1528年)に、
能登国の戦国大名・畠山義総が大徳寺86世の小渓紹付、仏智大通禅師を開山として建立、
以来畠山家菩提寺となる。
創建年次については天文2年(1533年)ともいう。
その後、畠山家が没落するが天正14年(1586年)に、
加賀百万石の基礎を築いた戦国大名・前田利家により改修が行われ、
前田家の菩提寺となり庇護される。

〇建造物

・本堂 - 室町時代の方丈建築様式の特徴をみせる入母屋造・檜皮葺の建物。
床の間は日本で最初のものであるといわれる。
また、かつて狩野元信や土佐光信などの障壁画を飾っていたとされるが、
幕末から明治維新の混乱期に失われた。
全20面ある襖絵は、福岡県久留米市の水墨画家、村石米齋によって執筆された。

・玄関(唐門) - 檜皮葺の門で、室町時代の禅宗建築様式の特徴がみられる。

・表門 - 檜皮葺の平唐門で、大徳寺でも古い門のひとつに数えられる。

・涵虚亭(かんきょてい) - 蘇軾の詩から名付けられた古田織部好みの四畳台目に、
隅板を加えた茶室で、
床の間は袖壁が出ているために洞のように見えることから洞床(ほらどこ)と呼ばれている。

〇庭園

・方丈前庭 - 1978年、方丈の解体修理完成時に資料を基にして、
中根金作により復元されたもので、
白砂に石組を配し、理想的な蓬萊世界を表したものという。

・特別公開
2018年9月8日~30日・10月6日~12月16日

・公開内容
表門(重文)
方丈庭園
本堂(重文)
茶室「涵虚亭(かんきょてい) 」

・拝観休止日
9月23日
11月5日~8日

・拝観時間
10:00~16:00(受付終了)

・拝観料 
 600円

大徳寺本坊

大徳寺本坊
方丈(国宝)、枯山水式の方丈庭園(特別名勝)を公開。

方丈内の襖絵八十余面(重文)は全て狩野探幽によるもの。

大徳寺本坊は一般には非公開です。
この本坊こそ、創建当時の趣を伝える、大徳寺の根幹なのです。

大徳寺の一角にある、
勅使門(ちょくしもん)、
三門、仏殿(ぶつでん)、
法堂(はっとう)、
まっすぐ並んだ七堂伽藍(しちどうがらん)の「大徳寺本坊」があります。

職の居住空間としての性格も持っていた方丈。
江戸時代初期の建築で、法堂や仏殿などの伽藍が中国風なのに対し、
方丈は日本様式となっています。
開山である大燈国師の塔所「雲門庵」を中心とした独特の造りであり、
室中には江戸時代の絵師・狩野探幽筆の障壁画84面が当時の姿のまま残っています。
絢爛豪華な装飾がなされた国宝・唐門や、
狩野探幽が35歳の時に描いた法堂の天井龍も公開されます。

2011年、大徳寺が所蔵する『織田信長公像』が狩野永徳の真筆であることが判明した。
同時代の他の人物画と比べて描き方に非常に力があり、
日本美術の専門家が見ても美術的な価値は非常に高い。
また、元々描いた肖像画を描き直して現在の形となっていることも伝えられた。
制作年月は、豊臣秀吉が信長の三回忌を大徳寺で執り行う前月で、
法要のための制作であったことが想像できます。

・特別公開
2018年10月5日 (金)~10月28日 (日) 

・公開内容

方丈(国宝)
狩野探幽筆 方丈障壁画(重文)
方丈庭園(史跡・特別名勝)
法堂 並びに 狩野探幽筆 法堂天井画「雲龍図」(重文)
唐門(国宝)

・拝観休止日
10月14日
10月21日は11:30受付終了
10月27日は13:00受付開始

・拝観時間
9:30~16:00(受付終了)

・拝観料
大人1,000円 中高生700円
小学生以下無料(保護者同伴)

ご連絡先
京都春秋事務局
TEL 075-231-7015 / FAX 075-231-6420
Emailでのお問合せはコチラから
ご注意事項
以下の事項について、予めご了承ください。

境内は撮影禁止です。
境内ではスタッフの指示に従ってください。
拝観の妨げになると判断した場合は、拝観料をご返納の上、お引き取りいただきます。
暴風警報や大雨警報、地震など、拝観に来られる方に危険と判断した際は、
事前の予告なく拝観休止とさせていただきます。
休止を決定した時点で当HPやFacebook、Twitterにてお知らせいたします。

大徳寺 特別公開 アクセス

所在地
大徳寺 本坊 京都市北区大徳寺町53

・電車、バスでお越しの方

京都駅烏丸口から市バス

A3のりばから市バス206系統 千本通、北大路バスターミナル行き
大徳寺前下車徒歩約7分【目安時間55分】
B3のりばから市バス205系統 西大路通、金閣寺・北大路バスターミナル行き
大徳寺前下車徒歩約7分【目安時間60分】

京都駅から地下鉄と市バス

地下鉄烏丸線京都駅から国際会館行き→北大路駅下車
北大路バスターミナル青のりばから市バス1・101・102・204・205・206系統
大徳寺前下車徒歩約7分【目安35分】

京阪電車出町柳駅から市バス

出町柳駅前から市バス1系統 西賀茂車庫行き、102系統北野天満宮・金閣寺行き
大徳寺前下車徒歩約7分【目安時間30分】

阪急大宮駅、嵐電大宮駅から市バス

四条大宮のりば8から市バス206系統 千本通、北大路バスターミナル行
大徳寺前下車徒歩約7分【目安時間35分】

・お車・タクシーでお越しの方

京都駅から約30分、地下鉄北大路駅から約5分。
大徳寺総門(旧大宮通り沿い)南側に有料駐車場有り

あとがき

秋の京都は見るところがいっぱい過ぎて、
どこから見ればいいのか迷ってしまいますね!
木の葉が色付くころは、
センチメンタルな気分で散策したいのですが、
残念ながらどこもかしこも人だらけなのです。