子どもの脳の発達年齢には適齢期がある、ことわざ曰く子供は憎まれてナンボ?

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子どもの脳の発達には目を見張るものがあります。

この子どもの成長を、
ついついよその子供や年齢と比較して見たり、
教育することを焦って、
発達に必要な基本的なことを忘れてしまっているような気がしていました。

子どもの脳の発達段階には、
それぞれ適齢期があったのですね。

昔のことわざには良い言葉がたくさんあり、
子育てにカリカリする心をほぐしてくれます。

文明や文化が進歩しても、
人間として変わらない基本的なことが、
ことわざや格言に残されています。

  

子供の脳の発達年齢には適齢期がある

『三つ子の魂百まで』という時の“三つ子”とは、
数え年の3歳ということで、
現代風に言えば満2歳のなる子供ということになります。

さて、そんな年齢の子供の魂は、
本当に死ぬまで生き続けるのでしょうか?

魂を基本的な性格という意味だとすると、
このことわざは、医学や心理学、脳科学など、どの面からみても、
かなり高い確率で当たっているようです。

昔の人が脳科学を知っていたはずもないのですが、
経験的にその時期の教育の大切さを実感していたのでしょうね。

3歳になるまでに、子供は一般に、
『乳児期(言葉が離せない時期)』
『トドラー期(よちよち歩きの時期)』を過ごします。

この間、脳は急速に成長し、
今後の基本回路ともなるネットワークを構築していきます。

その乳児期の脳を健全に育てることがいかに大切かということを、
このことわざは示唆しているのでしょう。

脳を育てるというと、
特別な才能を伸ばすような英才教育を連想するかも知れませんが、
別に3歳児に英語やピアノを習わせるといったことではありません。

それはズバリ!人間らしさを育てることです。

専門家によれば、生活体験の中で基本的信頼、
すなわち、周りの人は自分を愛してくれているかということを、
実感させることが大事なのです。

脳にはそれぞれの能力を発達させるのに適した“適齢期”があり、
その多くは幼児期に集中しているのです。

しかし、だからといって特別な教育が必要かというわけではなく、
普通の環境でかまわないのです。

ただ、人生や人に対する基本的信頼が持てないと、
さまざまな能力の初期発達に、
支障をきたしてしまうことが起こりうるというのです。

極端な話、
赤ちゃんの頃に捨てられて、8歳まで狼に育てられたという少女。

カマラというこの少女は、人間として育てられていなかったので、
保護されてから死ぬまでの9年間、
彼女に人間の文化を教えようとしても、
結局、言葉もほとんど身につけることができず、
二足歩行も困難だったということです。

残念なことに、
彼女は人間としての『三つ子の魂』を、育ててもらう機会を、
逸してしまっていたのです。

もちろん、
やり直しのできない人生なんてありません。

人生を後で修正することは可能ですが、
修正を行うにしても、
幼児期に構築された脳の基本ネットワークを使って行うことになるのですから、
やはり『三つ子の魂』というものが、
どれほど大切なものかということになるのです。

子供の脳の発達年齢 ことわざ曰く

脳にはそれぞれの能力を発達させるのに適した、
“適齢期”があるということを見事に言い当てた江戸時代の格言があります。

江戸時代の商人の生活哲学をまとめた『江戸しぐさ』のひとつで、
『三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる』というものです。

これはどういうことを言っているかというと、

一、
3歳までに、愛情深く接して基本的信頼を実感させ、
子どもの心を豊かに育てる。

二、
6歳までに、親が自らの言動で手本を示し、
行儀作法を身に着けさせる。

三、
9歳までに、どんな相手にも失礼がないように、
挨拶や他人への口の利き方を教える。

四、
12歳までに、一家の主の代書ができるくらいに、
文が書けるように教える。

五、
15歳までに、世の中の道理や物事の本質を、
実感として理解できる力を養っておく。

そして、これだけのことができるかどうかで、
その子の行く末が決まる・・・・・」というわけです。

昔の年齢ですから、これまた数え年ですが、
脳科学のみならず発達心理学でも、
乳児期に人間を信頼する基礎が出来ていないと、
その後の発達に支障をきたすといわれています。

また、言語的知性の脳の発達の“適齢期”は、
0歳から満8歳(数え年なら9歳)までとされています。

これは現代科学のせいかともピタリと一致しているのです。

当時、数え年の15歳と言えば、元服の年齢で、
それまでに、年齢に応じて必要な教育を施し、
15歳で世の道理までわきまえさせて、
一人前の大人として立派にやっていけるように育てようとしていたのです。

この年齢別子育て法は、まったく道理にかなっていて、
現代でもそのまま通用します。

というか、むしろ知識偏重教育になっている現代に比べると、
すばらしい全人的教育だといえます。

しかし、子供に対する躾の指針であると同時に、
大人としての心構えの指針でもあったわけで、
こうしたビジョンをもって子育てをしていたとは、
江戸時代の庶民とは大したものだったのですね。

子供の脳の発達年齢 憎まれてナンボ?

『七つ八つは憎まれ盛り』は、子どもがきちんと成長している証拠!

昔の人は生きた知恵があるというか、
本当にうまいことをいうものだと思いませんか。

年齢に絡めたことわざにこんなものがあります。

『一つ二つは可愛い盛り、三つ四つはいたずら盛り、七つ八つは憎まれ盛り』
『七つ七里(ななざと)に憎まれる』これも同じ類語です。

7歳~8歳ぐらいになると、子どもは大人が言ったことに口ごたえをしたり、
生意気なことを言ったりします。

だから憎らしいほどで、
家の中だけでなくかなり広い範囲にわたって憎まれるものだという意味です。

たしかに親としては、『一つ二つは可愛い盛り』で、あんなに可愛かったのに、
いつの間にか生意気になってしまって…、
どこで覚えてきたのか、難しい言葉を使ったりして口ごたえをして、
『可愛くないったらありゃしない!』なんて思ったりもします。

しかし、これは心理学でいう『主体的自我の芽生え』であり、
子どもの心が順調に成長している証拠なんですね。

親の言いなりの“いい子ちゃん”を脱して、
自分の意思を主張しはじめることは大切な発達段階ののですね。

そうして自我が芽生え、さらに他者と出会い交わっていく中で、
社会性が芽生えて、それらが相まって、
自分の行動を律していく自律の土台を作っていくのです。

それは、複雑な社会や人間関係の中で、うまくコミュニケーションをとって、
関係を築いて生きていく力の基礎となるのです。

自分というものをきちんと持って自らを考え、
主体的に判断し行動できるようになって初めて、
他人を思いやることも、協調してよりよく生きることも、
うまくできるようになるのですね。

もちろん、
こうした生きる力は、一朝一夕に獲得されるものではありませんが、
『七つ八つは憎まれ盛り』は、主体的な自我に目覚め、
その端緒についたところと言って良いのではないでしょうか。

いわば、子どもなりに一皮むけようとしている時期なのです。

憎まれ盛りを過ごして一年もすれば、
子どもは自分をコントロールすることを覚え、
口ごたえも減って落ち着いてくるものです。

だから心配せず、自律の芽を摘まないように見守っていくことが大切ですね。

あとがき

ついこの間までこの腕の中で泣いていた我が子の成長を、
嬉しくも感じながら少し寂しい気もする複雑な心境。

子育てをする時、
親は親で育っていかなければいけないということが、
ずいぶん後になってわかってきたような気がします。

そして、私が子供だった時に、
きっと私の親も同じことを感じていたのだということを。。。