いわさきちひろ展2018 生誕100年記念特別展『絵描きです!』回顧展巡回

人生を楽しくする情報


2018年は日本の画家いわさきちひろの
生誕100年にあたる記念の年です。

この生誕100年を記念する
いわさきちひろ特別展『絵描きです!』の、
開催詳細をご案内します。

いわさきちひろは、55歳の彼女の生涯のなかで、
40冊の絵本と1万点に近い作品をのこしました。

「世界中のこども みんなに 平和としあわせを」
いわさきちひろが遺した言葉ですが、
この言葉にある通りの想いが、いわさきちひろの絵には込められています。

優しい色遣いの子どもたちに癒されます。

  

いわさきちひろ展2018 生誕100年記念特別展の開催詳細

【会場】
東京ステーションギャラリー
〒100-0005 東京都千代田区丸の内1-9-1 TEL.03-3212-2485

【会期】
2018/07/14(土) ~ 09/09(日)

【開催時間】
10:00~18:00 金曜日は20:00まで 入館は閉館の30分前まで

【料金】
一般       1000
高校・大学生   800
中学生以下    無料

前売り券および20名以上の団体料金
一般       600
高校・大学生   800

前売り券は各プレイガイドで 5月19日(土)~7月13日(金)まで販売

【休館日】
月曜と7月17日
ただし、7月16日、8月13日、9月3日は開館します。

【主催】

東京ステーションギャラリー(公益財団法人東日本鉄道文化財団)
日本経済新聞社
ちひろ美術館

【いわさきちひろ展 巡回】

美術館「えき」KYOTO、
2018/11/16(金)〜12/25(火)

福岡(予定)
2019/04~05にて開催

いわさきちひろ展2018 生誕100年記念特別展のコンセプト

あふれる白い光とうるおう色彩、
そのなかを泳ぐ花々と子どもたち。

童画のイメージを決定づけ、
今なお広く国民に愛され続ける画家・絵本作家、いわさきちひろ。

1918年生まれの いわさきちひろ 生誕100年を記念し、
いわさきちひろをあらためて「絵描き」として捉え返す回顧展を開催します。

ちひろの創作の魅力の秘密に踏み込む空間を演出。

同時に、いわさきちひろの感性の形成期、模索期、スタイルの完成、
そしてそれが世に浸透していく過程を、
新出の資料も交えてたどりながら、凝らされた技術の分析を試みます。

高畑勲氏監修による、
絵のなかに入り込む空間演出も見どころです。

いわさきちひろの魅力の再確認とともに、
童画家としてのイメージの刷新に挑む機会にご期待ください。

なお、今回監修されました高畑勲監督は、
2018年4月5日(木)午前1時19分、帝京大学医学部附属病院にて、
ご逝去されました。享年82歳でした。
心からご冥福をお祈り致します。

いわさきちひろ展2018 生誕100年 略歴とプロフィール

いわさきちひろさんは、本名が 松本知弘(まつもとちひろ)さんで、
旧姓が岩崎知弘さんです。

いわさきちひろさんは、
1918年12月15日 大日本帝国陸軍築城本部の建築技師である岩崎正勝と、
女学校の教師である文江との間に、
三姉妹の長女として母の単身赴任先福井県武生市で生まれました。

当時としては恵まれた家庭に育った知弘のまわりには、
ラジオや蓄音機、オルガンなどのモダンな品々がたくさんあり、
父、正勝はカメラも持っていたので、子どもの頃の写真も多く残っています。

子供の頃から絵を描くことが好きだった知弘は、
女学校2年の時、岡田三郎助に師事しデッサンや油絵などを学びました。

三人姉妹の長女だった知弘は、二十歳の時、
親の薦めを断り切れず、婿養子を摂ることになります。

相手の男性を知弘を気に入ったのですが、
知弘は嫌々だった結婚は形ばかりのものでした。

6月にはいやいやながら夫の勤務地である満州・大連に渡ったのですが、
知弘はついに夫を愛することができず、翌年、夫が死んでしまいます。

帰国した知弘は、中谷泰に師事し、再び油絵や書を習い始めます。

翌年には5月25日の空襲で東京中野の家を焼かれ、
母の実家である長野県松本市に疎開し、ここで終戦を迎えたのです。

宮沢賢治のヒューマニズム思想に強い共感を抱いていたちひろは、
戦前、戦中期から一貫して戦争反対を貫いてきた日本共産党の演説に深く感銘し、
勉強会に参加したのち入党し、両親に相談することなく上京しました。

東京では人民新聞社の記者として働き、
また丸木俊に師事してデッサンを学びました。

この頃から数々の絵の仕事を手がけるようになり、
紙芝居『お母さんの話』(1949年)をきっかけに画家として自立する決心をします。

画家としての多忙な日々を送っていたちひろですが、
1949年(30歳)の夏、党支部会議で演説する青年松本善明と出会い、
ちひろ31歳、松本善明23歳のとき、結婚しました。

1950年、善明はちひろと相談の上で弁護士を目指し、
ちひろは絵を描いて生活を支えました。

1951年4月、ちひろは長男・松本猛を出産するが、
狭い借間で赤ん坊を抱えて画家の仕事を続けることは困難だったので、
6月、2人はやむを得ず信州松川村に開拓農民として移住していた、
ちひろの両親のもとに猛を預けることにしました。

善明は、1951年に司法試験に合格し、
1952年4月に司法修習生となります。

ちょうどそのころ、練馬区下石神井の妹・世史子一家の隣に家を建て、
ようやく親子そろった生活を送ることができるようになりました。

善明は1954年4月に弁護士の仕事を始めて自由法曹団に入り、
弁護士として近江絹糸争議、メーデー事件、松川事件等にかかわり、
ちひろは夫を背後から支えたのです。

1963年、善明は日本共産党から衆議院議員に立候補し落選したものの、
1967年に初当選。

ちひろは画家、1児の母、老親の世話、大所帯の主婦としての活動と並行して、
国会議員の妻として忙しい日を送ることになりました。

童画家活動としては、
1940年代から50年代にかけてのちひろは油彩画も多く手がけており、
雑誌「子どものしあわせ」の表紙絵を担当することになったことが、
その後の作品に大きく影響を与えるようになり、
ちひろの代表作となるものがこの雑誌で多く描かれるようになりました。

その後、1973年秋、肝臓癌が見つかり、
1974年8月8日、原発性肝臓癌のため死去します。。

亡くなってからも、ちひろの挿絵は様々な場面で用いられ、
そのひとつに1981年の窓ぎわのトットちゃん(黒柳徹子著、講談社)があります。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

絵本 窓ぎわのトットちゃん [ 黒柳徹子 ]
価格:3240円(税込、送料無料) (2018/9/20時点)

楽天で購入

あとがき

『窓ぎわのトットちゃん』の表紙でおなじみの、
いわさきちひろさんの絵は、
いろいろの子どもたちの表情を描き続けてきました。

きっと、子どもたちを見つめるいわさきちひろさんの目も、
子どものように澄んでいたのではないかと思うのです。