年賀状はいつ出しますか?
せっかく出すのなら、
年賀状は元日の朝に配達されたいですよね。
やはり、元日の朝に年賀状が届くのは楽しみですし、
出すのなら、ちゃんと『おめでとー!』って、
新年の朝に届いて欲しいのです。
そんな年賀状の歴史って、
いつからあるのものなのでしょうか。
でも、SNSやメールが発達して、
手紙やはがきも、あまり出さなくなってきました。
しかし最近、
そもそも年賀状って出さなきゃいけないのかなあ?って、
チョット思ったりもします。
そんな現代の年賀状事情についてまとめてみました。
年賀状はいつ出すの?
新年のご挨拶として送る『年賀状』ですが、
年末の慌ただしい日々の合間を縫って年賀状を何枚も書き、
翌年の元日に届くように年内にポストに入れたり、
郵便局の窓口に持って行ったりすることが、
私たち日本人の習慣のようになっています。
しかし、年賀状はもともと元日に書いて出すものだったようです。
良く考えてみれば、実際にはまだ迎えていない新年のご挨拶を、
前年に書くのはおかしな話しです。
前年末に年賀状を書いて出すようになったのは、明治時代のことです。
日本では明治四年に郵便制度が発足しましたが、
当時、郵便物は受付局と配達局それぞれの消印が押されていたのです。
その結果、受付局か配達局、
どちらかの郵便局に『一月一日』の消印を押してもらうために、
多くの人が前年末の十二月二十六日ごろから、
新年の元日にかけて年賀状を出すようになったのです。
膨大な数の年賀状をさばくために、
当時は年末に出しても、年内あるいは一月二日以降の消印となり、
元日の前後に配達されることもあったのです。
明治三十二年、その対策として年賀郵便の特別取り扱いがスタートし、
年末の十二月二十日~三十日に、指定された郵便局に年賀状を持ち込めば、
『一月一日』の消印で新年に配達されるようになったのです。
ちなみに、年賀郵便の消印が省略されることになったのは、
昭和三十六年以降のことです。
近年では、年賀状の受付開始は十二月十五日からで、
元日に年賀状が届くようにするには、
十二月二十五日までに投函する必要があるのです。
年賀状は松の内に出すものなので、
松の内が過ぎてしまったら、
年賀状の新年のご挨拶も“寒中お見舞い”となります。
年賀状は歴史的にいつからあるものなの?
日本で最初の年賀状に関しての史料は発見されていないので、
いつから年賀状を出すようになったのかは判明していません。
ただ、平安時代後期の学者・藤原明衡がまとめたとされる、
『往来物』という手紙の文例集『雲州消息』に、
年始のあいさつを含む文例が収められています。
当時の貴族階級の人々の間で年賀状のやり取りがされていた可能性は高く、
伊達政宗が京都の貴族たちに送った年賀状が多く残されています。
時代が進み、江戸時代になると街道など交通基盤が整備され、
輸送・通信手段として書状などを運ぶ『飛脚』制度が充実し行きました。
寺子屋で、庶民が往来物などを教科書として、
日本語の読み書きを学び、江戸時代後期には、
世界一と称されるほどの識字率の高さを誇るまでになったことも、
手紙や年賀状の普及を後押ししたようです。
明治四年(1871年)、
前島密を中心にして郵便制度が日本にも誕生しました。
当初は、
それまで通りに和紙などに年賀の言葉を書いて封書で送るのが普通でしたが、
そうした状況を一変させたのが、明治六年『郵便はがき』の登場です。
他人に読まれてしまう可能性はあるのですが、
その分、料金が安いのではがきの利用者はどんどん増えていきました。
特に年賀状は、書く文章も年賀の言葉だけでも済み、
長文にならないため、郵便はがきとの相性も良く、重宝されたようで、
しだいに年賀状は、はがきで出すことが主流となって行ったのです。
『郵便はがき』が明治六年に発行されたことによって、
年賀状をはがきで出す習慣が一般庶民の間で、
急速に普及することになりました。
明治二十年前後には、年賀状のやり取りは年中行事の一つとして、
国民の間に浸透し、定着していきました。
大正十二年(1923年)の関東大震災、
大正十五年の大正天皇の崩御、
昭和十二年(1937年)の日中戦争勃発から、
昭和二十年まで続く第二次世界大戦の影響により、
年賀状は一時的に減少することもありました。
特に終戦を迎える昭和二十年と、
終戦直後で混乱状態にあった昭和二十一年の正月には、
年賀状はほぼ姿を消していました。
しかし、新年のご挨拶を年賀状で行うという日本に定着した文化は、
時代が落ち着きを取り戻すたびに、復活を遂げているのです。
昭和二十五年(1950年)、官製のお年玉付き年賀はがきが売り出されると、
さらに年賀状は、人々の間に一層浸透していきました。
日本人の生活に深く刻み込まれた年賀状の文化には根強いものがあります。
年賀状を出すという文化や風習には、
日本人の持つ感性が大きく影響しています。
年賀状を送るのは真冬なのに、
年賀状に大きく書かれた『新春』『迎春』『初春』『賀春』の、
“春”という文字が目につきます。
これから寒さが厳しさを増す真冬を迎えるというのに、
どうして“春”が到来したかのように書くのかと、
疑問に感じることはありませんか?
日本では、明治時代初期まで採用していた太陰太陽暦(旧暦)では、
一年を約二週間ごとに分け、
二十四節気の一つ『立春』から、一年が始まっていました。
立春と言えば、現在の太陽暦(新暦)では二月四日ごろにあたりますが、
旧暦では正月にあたり、
気温が低くなって春の訪れへの想いが最も高まる時期と捉えられていました。
立春が正月であったことから、
旧暦では、現在の季節感とは大きく異なってきますが、
一月から三月を“春”とし、四月から六月を『夏』、
七月から九月を『秋』、十月から十二月を『冬』と定義されていたのです。
このように、かつては一年の始まりである正月は、
“春”の始まりでもあったため、
年賀状にも『新春』『迎春』などの春の訪れを喜ぶ言葉が記されたのです。
そして、新暦になった今でも、
その習慣が受継がれているということです。
年賀状は出さないといけないのでしょうか?
年賀状は、旧年中の厚誼の感謝と、
新しい年に変わらぬ厚情を依願する気持ちを伝え、
親しい相手への場合などには近況を添えることもできる、
コミュニティーツールです。
お世話になっている方や、親戚・友人・知人などの数が増えると、
とくに遠隔地の人には、
「年始回り」で直接会って、
新年のご挨拶ができないケースが多くなります。
『年賀状』はそうした場合にはとても便利な手段となります。
年賀状はもともと、相手が遠方に住んでいるなどの理由で、
お年始回りに行けないときに、
手紙で新年のご挨拶を送ったのが由来とされています。
でも、いつでもあっている人に、
また、
年が明けてすぐに合う人にも、
年賀状は送った方が良いのでしょうか?
家族の間で、『年賀状、何枚来た?』何て言って、
競うようにして楽しんだこともありましたが、
最近は、
年賀状って本当に必要なのか考えてしまいます。
特に昨今は、個人情報の扱いが難しくなって、
年賀状のようにハガキで出す場合は、
差出人の住所を書くことも懸念されます。
また、知り合った人とも、
住所の交換をあまりしなくなりました。
何だか世知辛い時代だとは思いますが、
いろいろ複雑な犯罪も増えてきて、
自己防衛するには仕方ないことでもあるようです。
今のように通信手段がなかった時には、
所在確認や生存確認を含めて、
年末年始のご挨拶として、必然性があったものだと思います。
しかし、昨今のように電話やメールが発達し、
リアルタイムで相手の返答が得られる時代です。
電話の場合は、声を聴いてすぐに返答が欲しいときに、
メールの場合は、一方的に伝えたいとき、といった風に、
伝え方の形も選べるのです。
年賀状は年中行事として、
これからも無くなることはないかも知れませんが、
時代が変われば、
必要とされる形も変わってくるということですね。
昨今、パソコンや携帯(スマホ)の普及により、
新年のご挨拶をメールで済ませる人も増えました。
景気の低迷や、少子化の影響もあり、
お年玉付き年賀はがきの発行枚数は、
平成十五年の約44億5936万通をピークに、
年々わずかながら減少する傾向にあることも、
また事実なのです。
あとがき
ここ数年、
年賀状を出す枚数がぐっと減ってしまいました。
今までのように、
アドレス帳にある住所の殆どに出すということは、
しなくなりました。
無礼なのは承知していますが、
年賀状が来ているから、返事、出さなきゃなー!
なんて思われていないか、心配になってしまいます。