六道珍皇寺のお精霊迎え 六道まいりは、
毎年8月7日から10日に行われます。
京都では、8月の13日から始まり、
16日の五山の送り火に終る盂蘭盆(うらぼん)には、
各家庭で先祖の霊を祀るお盆の供養が行われます。
そのお盆の8月7日から10日までの4日間に、
ご先祖様の精霊(御魂 みたま)を迎えるために、
六道珍皇寺へ参詣する風習があります。
これを“六道まいり”または“お精霊さん迎え”と言い、
多くの人が六道珍皇寺を訪れます。
六道珍皇寺にある地獄絵図や黄泉がえりの井戸、
小野篁が地獄へ通ったと言われる冥途通いの井戸について、
また、六道参りの参詣の仕方をお伝えします。
六道珍皇寺のお精霊迎え 六道参りとは?
六道珍皇寺の六道参りとは、
お盆に冥土から帰ってこられるご先祖様を、
六道珍皇寺へお迎えに上がることで、
それをお精霊迎えといいます。
なぜ、六道珍皇寺へご先祖様をお迎えに行くのかというと、
これは、平安時代においてこの辺りが、
墓所である鳥辺山の麓で、
俗に六道の辻と呼ばれた京の東の葬送の地であったことからです。
“六道の辻”それはまさに生死の界(冥界への入口)であり、
お盆に冥土から帰ってくるご先祖様の霊は、
必ずここを通るものと信じられた事に由来しています。
六道参りの“六道”とは、
仏教の教義でいうところの、
地獄道・餓鬼道・畜生道・阿修羅道・人道・天道の、
六種の冥界のことをいい、
人は因果応報により、死後はこの六道を輪廻転生するといわれています。
輪廻転生とは、
生と死を繰返しながら流転するという意味なのです。
この六道の分岐点で、
いわゆるこの世とあの世の境の辻が、
古来より六道珍皇寺の境内あたりであるといわれ、
冥界への入口とも信じられてきたのです。
このような伝説が生じたのは、
六道珍皇寺が平安京の東の墓所であった鳥辺野に至る道筋にあたり、
この地で「野辺の送り」をされたことより、
ここがいわば「人の世の無常とはかなさを感じる場所」であったことや、
小野篁が夜毎冥府通いのため、
六道珍皇寺の本堂裏庭にある井戸を、
その入口に使っていたことによるものであろうと言われています。
この「六道の辻」の名称は、
古くは「古事談」にもみえることより、
この地が中世以来より「冥土への通路」として、
世に知られていたということがうかがえます。
六道珍皇寺のお精霊迎え 六道参りの仕方
六道珍皇寺でお精霊迎えをするときの六道参りの仕方ですが、
まず、参詣にあたっては、ひと通りの順序があります。
六道珍皇寺の境内にも案内されているところがありますので、
六道参りの際はそちらもご参照ください。
六道珍皇寺境内の山門を潜る参道に店を出す花屋さんで、
高野槇(こうやまき)を購います。
古来より、精霊は槇の葉に乗って冥土より帰ってくるとされていて、
門前で買い求めた高野槇には、
「迎え鐘」で迎えた”おしょらいさん”が、枝に乗り移り、
懐かしき我が家へのしばしの里帰りとなるということです。
本堂で水塔婆に戒名を書く僧侶
六道珍皇寺 本堂の前に移動して、
僧侶にご先祖様の戒名や俗名を水塔婆(みずとうば)に書いてもらいます。
六道珍皇寺 本堂の左手側では、
初盆新仏さまの特別追善供養も行われています。
次に、迎え鐘を撞きます。
精霊を迎えるために撞くので「迎え鐘」は、
その音響が十萬億土の冥土にまでとどくと信じられ、
亡者はそのひびきに応じてこの世に呼びよせられるといわれています。
8月7日から10日までの4日間は、お精霊迎えの人で混雑し、
「迎え鐘」は順番待ちで長蛇の列ができます。
猛暑の続く時期ですので、
早朝の涼しい時間帯や日の陰った頃に行くようにするなど、
また、日傘や冷たい飲み物を持参するなどして、
熱中症対策の準備をしていくことをおすすめします。
迎え鐘を撞いたあとは、水塔婆を線香で浄めます。
浄めた水塔婆を持って地蔵尊宝前に進みます。
水塔婆をその場に用意された高野槙で水回向を行ない、
その場所に納めます。
六道珍皇寺のお精霊迎え
六道まいりの一連の流れは以上です。
古来より、こうした麗しい、
宗派を越えた京のお盆の精霊迎えのしきたりは、
都人の厚き信仰のもとに千年の時空を越えて脈々と受け継がれ、
今や、京洛の夏の風物詩ともなっています。
六道珍皇寺の六道参りで地獄絵図や黄泉がえりの井戸とは?
六道珍皇寺には、小野篁の不思議な伝説があります。
小野篁(802年〜852年)は参議小野岑守の子で、
嵯峨天皇につかえた平安初期の官僚です。
小野妹子の末裔ともいわれ、
また、小野小町や小野道風は、小野篁の孫にあたると言われています。
武芸にも秀で、また学者・詩人・歌人としても知られています。
文章生より東宮学士などを経て、
閣僚級である参議という高位にまでなった、
文武両道に優れた人物であったのですが、
不羈な性格で「野狂」ともいわれ奇行が多く、
遣唐副使にも任じられたのですが、大使の藤原常嗣と争い、
嵯峨上皇の怒りにふれて隠岐に流罪されたこともあるのです。
小野篁は、閻魔王宮の役人ともいわ
昼は朝廷に出仕し、
夜は閻魔庁につとめていたという奇怪な伝説があります。
このような伝説は、大江匡房の口述を筆録した「江談抄」や、
「今昔物語」「元亨釈書」等にも見られることで、
平安末期頃には篁が、閻魔庁における第二の冥官であったとする伝説が、
すでに語りつたえられていたことがうかがえます。
こうした篁の冥官説は、室町時代にはほぼ定着していたようです。
今なお、本堂背後の庭内には、
小野篁が冥土へ通うのに使ったという井戸があり、
近年旧境内地より、
冥土から帰るのに使った「黄泉がえりの井戸」が発見されました。
そばには小野篁の念持仏を祀った竹林大明神の小祠があります。
地獄絵図は人間が生まれてから成人し結婚、
そして老人となり死ぬまでの様子が上半分に描かれ、
下半分に死んでからのあの世での様子が描かれています。
★冥途通いの井戸
小野篁が毎夜、この井戸を通って冥界へ行き、
閻魔大王の手伝いをしていたとされます。
井戸の脇に植わっている高野槙の枝をつたって
冥土へ下っていったそうです。
★黄泉がえりの井戸
昼間は
朝廷の役人として勤めていた小野篁は、
この黄泉がえりの井戸を使って、
この世に戻ってきたということです。
黄泉の国から帰ってくる井戸は、
もとは嵯峨野の福生寺の井戸とされていましたが、
2011年に、六道珍皇寺の境内で別の井戸が発見され、
今はこの井戸が黄泉がえりの井戸と言われています。
本堂にある地獄絵図や冥土通いの井戸、黄泉がえりの井戸は、
年に数回、非公開文化財特別公開の時に見ることができます。
特別拝観について
9月15日(土)〜9月17日(月・祝)3日間
10月6日(土)〜10月8日(月・祝)3日間
11月1日(木)〜11月11日(日)11日間
11月23日(金・祝)〜11月25日(日)3日間
上記日時は特別拝観「寺宝展」を有料拝観開催致します。
予約は不要です。
拝観料:大人500円 中学生300円 小学生200円
11月1日(木)〜11月11日(日)の期間は
京都古文化保存協会主催の為拝観料が変ります。
時間:9時00分〜16時00分(最終日は15時30分閉門)
六道珍皇寺
所在地 京都府京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595
電話: 075-561-4129
JR京都駅より市バス206番
東山通 北大路バスターミナル行
→ 清水道下車 徒歩5分
京阪電車清水五条駅より(徒歩 約15分)
市バス80番 祇園行
→ 清水道下車 徒歩5分
京阪電車祇園四条駅より
市バス207番 東福寺九条車庫行
→ 清水道下車 徒歩5分
阪急電車河原町駅より
市バス207番 東福寺九条車庫行
→ 清水道下車 徒歩5分
あとがき
六道珍皇寺の六道参り
お精霊迎えのこの時期は、ホント暑いんですよね!
子どもの頃、
母に連れられて行ったお精霊迎えを思い出しますが、
帰りに買ってもらうアイスクリームが楽しみでした。