東京にもいろいろな神社が多数ありますが、
新大久保にある 皆中稲荷神社は、
金運のパワースポットとして、
一発当てたい!と願う人がたくさん訪れます。
なぜ、皆中稲荷神社が金運パワースポットといわれるのか、
その由来をご紹介します。
皆中稲荷神社は金運のパワースポット
新大久保の皆中稲荷神社は、なんでも“百発百中”で当たる、
ありがたい神社として有名です。
韓流街にひっそりと佇む皆中稲荷神社は、
金運のパワースポットとして多くの人々の信仰を集めています。
都心の新宿駅からひと駅、
韓流ブームですっかり有名になった新大久保駅界隈ですが、
駅から歩いて100メートル位のところに、
皆中稲荷神社はあります。
まわりをビルに囲まれた、いわゆる小さな“町のお稲荷さん”ですが、
社名の『皆中』は「みなあたる」と読めることから、
商売繁盛をはじめ、入学試験や就職試験、資格試験、
そして賭け事など、さまざまな『当たり!』を求めて、
参拝者が絶えません。
境内は、ずらりと並んだ『開運稲荷大明神』の真っ赤な幟がはためき、
それだけで気分がアップします。
とくに『的中宝くじお守り』を授けてもらい、
宝くじに当選する人が続出しているということで、
勝ち運や金運の強力なパワースポットになっています。
お礼参りで掛けられた膨大な数の絵馬の中には、
「ジャンボ宝くじ、一等が当たりました!」などというものもあり、
思わず期待で胸を膨らませてしまいます。
皆中稲荷神社が金運パワースポットといわれる由来は?
皆中稲荷神社は、
鉄砲の下手な与力が神社を有名にしたということです。
皆中稲荷神社の社伝によれば、
この神社は、天文二年(1533年)に創建された古い神社なのですが、
注目を浴びるようになったのは、もう少し後からです。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の命を受けて、
徳川家康が江戸に入った時、
服部半蔵が頭領の鉄砲同心百人が、先陣を務めたという話は有名ですが、
その後、慶長七年(1602年)に、西方から攻めてくる北条氏の残党を想定して、
現在の地に『鉄砲組百人隊』を駐屯させました。
その中の与力の一人が、どうしても鉄砲をうまく撃てずに悩んでいたところ、
夢枕に稲荷大明神が現れて、
『お参りすれば願いを叶えてやろう!』と言ったのです。
そこで次の日の朝、近くの稲荷神社にお参りし、
大矢場で射撃を試してみたところ、見事に大当たりし、
しかも、どんな体勢から撃っても百発百中だったそうです。
それを聞いて、鉄砲組の仲間ばかりか、旗本たちも競って参拝したところ、
これもことごとく命中するようになったのだそうです。
そこで、この稲荷神社を鉄砲組の守護神としたところ、
近隣にも噂が広まり、
「みな当たる稲荷」として、人々からも篤く信仰されるようになりました。
しかも、射撃だけではなく、さまざまな願い事が叶ったため、
何でも当たる神社として、
現在の『皆中稲荷神社』という神社名になったということです。
ちなみに、皆中稲荷神社がある地名は“百人町”ですが、
これは『鉄砲百人隊』に由来しています。
また、皆中稲荷神社は、火縄銃や関係資料の収集でも知られていますが、
それは、第二次世界大戦で、本殿以外の建物が全て焼かれ、
伝来の武具や古文書を焼失してしまったため、
それを補い、百人隊行列を執り行うために、
今でも資料などの収集に力を入れているのだそうです。
皆中稲荷神社は金運の的中宝くじお守りが人気!
隔年で行われる例祭では、鎧や兜に身を包んだ男たちが、
百人町を練り歩き、
百人隊出陣式や、火縄銃の一斉射撃などが披露されます。
空砲ながら、轟音と煙、火薬のにおいなど、迫力十分で、
当時をしのばせるお祭りです。
『江戸幕府 鉄砲組百人隊 出陣の儀』は、
江戸幕府開設期から行われているお祭りで、
射撃の報恩感謝のために
『鉄砲組百人隊出陣式』が奉納されたのが始まりです。
お守り・絵馬
買った宝くじを入れておく専用の『宝くじ入れ』
何でも当たるという縁起の良い『皆中守』や『復刻皆中守』
鉄砲隊の人形が付いた『商売繁盛ストラップ』『合格祈願ストラップ』
弓矢の形をした『的中御守』など人気のお守りがたくさんあります。
的に矢が当たった絵のある『開運的中』と書かれた絵馬、
もうこれは当たるしかないといったご利益満点の絵馬です。
皆中稲荷神社 http://kaichuinari-jinja.or.jp/
〒169-0073 東京都新宿区百人町1-11-16
TEL:03-3361-4398 FAX:03-3360-1794
最寄駅 JR新大久保駅 徒歩1分
JR大久保駅 徒歩3分
あとがき
いつも「宝くじ 当たらないかな~!」って思いながら買うのですが、
当たりません。
皆中稲荷神社の金運パワーは、当たりそうな気がしますね。