石清水八幡宮の石清水祭はいつ行われるどんな行事?放生会や勅祭とは何?

お祭り

石清水八幡宮の石清水祭とは、いつ行われる、
どのようなイベントなのでしょうか。

石清水祭の放生会や勅祭についてや、
行事の式次第をお伝えします。

また、石清水祭が行われる石清水八幡宮の
創建の歴史についてもまとめてみました。

  

石清水八幡宮の石清水祭 放生会や勅祭はいつ?

石清水八幡宮の石清水祭とは

年間、100余りの祭典が斎行される石清水八幡宮で、
最も重儀とされているのが石清水祭です。

「勅祭」とは天皇陛下のお使いである勅使が直々に、
天皇陛下からのお供え物(幣帛)を供えに参向される祭典のことで、
全国8万社ある神社の中でも、
この「勅祭」が斎行される神社は16社しかありません。

石清水祭は、勅使が参向する勅祭で、
上賀茂神社・下鴨神社の『葵祭』や、
京都西院春日神社の『春日祭』と並んで、
三大勅祭のひとつに数えられています。

石清水八幡宮 石清水祭の起源は平安時代に行われていた、
『石清水放生会』を起源とし、
真夜中の神幸行列や、魚や鳥を放つ放生行事が大きな見どころです。

石清水八幡宮の石清水祭は、
毎年、9月15日の午前2時から午後8時まで行われます。

石清水八幡宮の石清水祭 放生会や勅祭とはどんなイベント?

石清水祭の祭典は、15日午前2時、
山上・御本殿にて御鳳輦(神輿)3基に3座の神霊を奉遷する儀式より始まり、
同3時には御本殿を出発、
約500人のお供とともに山麓へと下り、
絹屋殿に着御されたのち勅使以下の奉迎を受け頓宮に入御、
次いで献饌・供花・奉幣・牽馬など古儀による奉幣祭が厳修されたのち、
放生川にて魚鳥を放つ放生行事が行われ、
御鳳輦は同日夕刻、山上へと還幸になります。

真夜中、松明や提灯の灯りだけを頼りに、
八幡大神をお乗せした御鳳輦(ごほうれん)が、
約500名の神人と呼ばれるお供の列を従え、
男山山上の御本殿から山麓の頓宮へとお下りになる「神幸行列」、
早朝空が徐々に明けゆく静寂の中粛々と斎行される「奉幣の儀」。

これらはまさに平安絵巻から飛び出してきたかのような、
高尚典雅の風を現代に伝え、
文化と歴史を目の当たりにする〝動く古典〟として、
貴重な文化財といえます。

石清水八幡宮の石清水祭 その式次第は、

★前日の9月14日 午後6時から
    外殿渡御祭(げでんとぎょさい)
御本殿の門扉を全て閉ざし、
三座の御神霊を奥の神座(内殿)から前の神座(外殿)にお遷しする秘儀。

★9月15日 夜中の午前2時
    神幸の儀 宮司以下参進 

★引き続き午前3時頃
    御鳳輦発御(ごほうれんはつぎょ)
八幡大神様を乗せた三基の御鳳輦(御神霊の乗り物/神輿の原型)を中心に、
約500名の神職・楽人、また神人(じにん)呼ばれるとお供の行列が、
松明や提灯の灯りだけを頼りに山上の御本殿から山麓の頓宮へと向います。

★同 刻
    上卿(しょうけい)以下参進〔頓宮斎館〕
山上の行列が出発する頃、
上卿(勅使)は参議(さんぎ)以下の供奉員(ぐぶいん)を率いて頓宮斎館を出発、
一ノ鳥居を経て祓幄(はらいあく)に入り、
厳重な修祓(中臣祓という特別な祝詞を奉読して行う祓いの儀)を受けた後、
礼堂(らいどう)に入ります。

    上卿「式(しき)」を閲読〔礼堂〕
御鳳輦の到着を待つ間、
上卿は外記(げき)が進める「式」(祭典の内容を記した巻物)を読んで、
式次第を確認します。

★3時40分頃
    絹屋殿著御の儀(きぬやでんちゃくぎょのぎ)
行列が絹屋殿(4本の掘立柱に支えられた臨時の建物、
四方に白絹を張り廻らしているのでこの名がある)に到着すると、
里神楽奉奏・神職拝礼・太平楽奉奏があり、
手水を了えた勅使以下が御神霊を奉迎します。

これ以後を官祭と称して夕刻の奉送まで公の祭儀とみなされます。

なお石清水祭が雨儀となった場合は、
この絹屋殿著御の儀が省略されます。

★4時15分頃
    頓宮神幸の儀(とんぐうしんこうのぎ)
上卿以下が頓宮舞台西側に列立する中、
この整列の姿が渡り鳥の飛ぶ様に似ていることから、
雁列(がんれつ)と呼ばれている、三基の御鳳輦が著御。
神宝御剣が殿内に移されたのち入御されます。

    御鳳輦頓宮殿に入御

★5時30分
    奉幣の儀(ほうべいのぎ)
    修祓(しゅばつ)
神さまをお招きする前に心身の罪穢(つみけがれ)を祓うお祓いのこと
    上卿以下著座

    内蔵寮の史生著床(くらりょうのししょうちゃくしょう)
御幣物(ごへいもつ/天皇陛下の御奉納品)を納めた唐櫃(からひつ)が、
2名の白丁(はくちょう)に奉舁(ほうよ)されて斎庭に参進、
その後から内蔵寮史生(くらりょうのししょう)が続きます。

    搴簾(けんれん)
2名の神職が御神前の御簾(みす)を巻き上げます。
いわゆる御開扉に相当します。

    献饌(けんせん)
御神饌を献ります。
本祭の神饌は当宮に古来伝承されてきた特殊神饌で、
御飯(おんいい)・焼鳥・兎餅(ぶと)などの、
熟饌(じゅくせん/火を通したもの)と、
鮭・葡萄・茄子等の生饌(せいせん/火を通さないもの)と、
供花(きょうか)の3種に大別されます。

各々古規に従って切り揃えられ、盛り方にも定めがあり、
それらの中には、
鶏冠菜(とさかのり)・三島海苔(みしまのり)・海松(みる)・山葵(わさび)・河骨(こうぼね)・榧実(かやのみ)・金海鼠(きんこ)など、
珍しい品々も含まれています。

有名な供花は、四季を表した和紙造りの伝統工芸品(毎年新調される)で、
古来は皇室からの特別なお供えでした。

    宮司祝詞奏上
    奉幣
上卿が舞台で見守る中、
内蔵寮史生より宮司に手渡された三座分の御幣物が御神前に奉献されます。

なお上卿が舞台に著座したのち左手で裾(きょ)を引き寄せる動作は、
平安朝の殿上作法を今日に伝えたものとして注目に値します。

    上卿御祭文奏上
国家の繁栄・国民の安泰・世界平和を願われる、
天皇陛下の御祭文(ごさいもん)が微音(びおん)にて奏上され、
次いで宮司によって御神前に納められます。

この時、上卿と宮司が行う返祝詞(かえしのっと/合拍手)は、
極めて稀な作法で、
また上卿が御祭文奏上の前後に行う所作は、
起拝(きはい)という最も鄭重な拝礼です。

なお、本祭に用いられる御祭文の料紙は、
古来黄色の鳥子紙(とりのこがみ)と定められており、
伊勢の神宮の縹(はなだ)、上下賀茂社の紅、
春日大社の黄と共に格別の思召(おぼしめし)が拝されます。

    御馬牽廻(おんうまけんかい)
昔、宮中の左右馬寮(めりょう)から各1頭ずつ毎年奉納された姿が再現され、
2頭の神馬が御神前を3周します。

    勅楽奉奏(ちょくがくほうそう)
第112代霊元天皇が、
雅楽器(鳳笙(ほうしょう)・篳篥(しちりき・龍笛(りゅうてき)・太鼓・鉦鼓(しょうこ)を奉納された故事に因み、
その中の三管を楽人に授け、
颯踏(さっとう)・賀殿急(かてんのきゅう)・蘭陵王(らんりょうおう)・長慶子(ちょうけいし)の4曲を奉奏します。

    撤饌(てっせん)
    垂簾(すいれん)

    高良社に朝御饌(あさみけ)奉献
地元・八幡の産土神として鎮座する当宮摂社・高良神社に、
朝御饌をお供えします。

なお夕方の還幸の儀では祭典前に夕御饌が供されます。

★8時頃
    放生(ほうじょう)行事
宇佐宮の放生会に倣って貞観5年に始まるといわれます。
「最勝王経・長者子流水品」に因んで生類の殺生を慎み、
捕らわれた魚鳥を山川に解き放つ善行が尊ばれて多くの人々が奉仕します。

なお、放生川に架かる安居橋(あんごばし/通称・太鼓橋)においては、
胡蝶の舞が奉納されます。

    修祓
    放魚・放鳥(大祓詞奉唱)
    「胡蝶の舞」奉納

参列者放魚・放鳥(大祓詞奉唱)

★10時
    舞楽奉納
★13時
    演武奉納
★16時30分
    高良社に夕御饌(ゆうみけ)奉献
    修祓
★17時
    還幸の儀(かんこうのぎ)
上卿以下著座
搴簾(けんれん)
献饌(けんせん)
宮司祝詞奏上
参列者代表拝礼

    撤饌(てっせん)
    上卿「見参(けざん)」を被見
外記(げき)が文杖(ふじょう)に挟んだ見参(げざん)[神禄を受ける者の名簿。
現在「神禄を賜う儀」は廃絶している]を上卿に進めます。

    垂簾(すいれん)
    神宝御剣(しんぽうぎょけん)授受
    上卿以下列立(雁列)

★18時30分頃
    御鳳輦発御(ごほうれんはつぎょ)
★20時頃
    御鳳輦御本殿に著御(ちゃくぎょ)
★9月16日
後朝祭(こうちょうさい)
諸儀が無事斎行されたことを報謝します。

放生行事の観覧は自由ですが、参列は有料となります。

石清水八幡宮では、この9月15日勅祭石清水祭の斎行に際し、
伝統文化の継承・護持のため、金5,000円のご奉賛をお願いし、
ご参列のご案内をされています。

国家の平安と国民の幸福を願い、
平安王朝より連綿と受け継がれてきたこの祭典の意義を、
一人でも多くの方に知っていただき、
そして我が国の宝ともいうべき石清水祭を次代へと伝えるため、
ご参列およびご奉賛のお願いをされています。

ご参列に関する詳細などは当宮社務所までお問い合わせください。

(お申込み期間:8月中旬から9月初旬)
石清水八幡宮
〒614-8588 京都府八幡市八幡高坊30
TEL 075-981-3001 FAX 075-981-9808

石清水祭が行われる石清水八幡宮の歴史

日本三大八幡宮にも数えられる石清水八幡宮は、
京都府の南に位置する男山の山頂に建っています。

麓では木津川や宇治川、桂川が合流するところで、
古くから京都と大阪を繋ぐ交通の要衝であり、
平安京の裏鬼門にあたる場所でした。

平安京の鬼門にあたる比叡山延暦寺とともに、
京の都の安泰や国家鎮護の神社として、
古くから信仰を集めてきました。

現在でも、宮中の正月祭祀のひとつで、
天皇が豊穣と天下泰平を祈る『四方拝』で拝まれています。

石清水八幡宮の創建は平安時代859年で、
奈良・大安寺の僧侶 行教が豊前国(大分県)の、
宇佐八幡宮に籠って祈祷をしていた時、
『吾れ都近き石清水男山の峯に移座して国家を鎮護せん』との、
大神の宣託を受けたのが始まりです。

石清水八幡宮の御祭神は、
応神天皇・比咩(ひめ)大神、神功皇后で、
行教の奏請を受けた清和天皇が、六宇の宝殿を建立し、
そこに宇佐八幡宮の神々を祀りました。

創建に僧侶が関係したことからもわかるように、
当初から神仏習合の色彩が強く、
山麓には『男山四十八坊』と呼ばれた宿坊もありました。

しかし、これらは明治時代の神仏分離令によって廃止され、
境内の仏像や仏具など、仏教的なものはすべて排除され現在に至っています。

創建以来、朝廷から崇敬されてきた石清水八幡宮でしたが、
939年の平将門の乱を、神威で平定させたとの言い伝えから、
武将からも厚い信仰を集めていました。

氏神様として信仰していた源氏をはじめとする、
足利、織田、豊臣、徳川といった名だたる戦国武将に、
戦勝の神として信仰されてきました。

織田信長から寄進された本殿や、
相の間にかかる通称『黄金の雨樋』が今に残っています。

現在の社殿は、
1634年に徳川家光が造営したもので、
楼門、舞殿、幣殿、本殿を、
寺院のように約180mの回廊が取り囲んでいて、
いずれも桃山調の絢爛豪華な透かし彫りが施されています。

石清水八幡宮は、現在でも必勝祈願や厄除けの御利益を求めて、
多くの人が参拝に来られます。

とくに本殿脇に立つ、
楠木正成が必勝祈願のために奉納したと伝えられる御神木や、
三の鳥居近くに露出している『一ツ石』は、
勝運向上のパワースポットとして知られています。

楠木正成が奉納したと言われる樹齢約700年のクスノキは、
根のまわり約18m、高さ30mで、京都府の天然記念物に指定されています。

西門の蟇股(かえるまた)に『目貫きの猿』と呼ばれる、
猿の透かし彫りがあります。

名工・左甚五郎の作とされるこの猿は、
彫刻があまりに素晴らしいために、命が宿ってしまい、
夜な夜な社殿を抜け出して悪戯をしていたので、
それを封じるために、
右目に釘が打ち付けられたと言われています。

あとがき

真夜中に行われる祭事は、全国にもいくつかありますが、
500名もの人々が松明をもって、
山頂から麓へと行列する光景は、
まさに荘厳といえます。

また、長時間にわたる行事の一連の流れからも、
石清水八幡宮の歴史の深さを感じさせます。