西郷隆盛『西郷(せご)どん!』NHK大河ドラマでも人気ですが、
幕末・明治維新 日本を揺るがせる出来事の舞台となった京都で、
西郷隆盛ゆかりの地と言われるところはたくさんあります。
ドラマチックな現場となった、京都の西郷隆盛ゆかりの地には、
石碑が建てられています。
西郷隆盛が京都で暮らしていたところや、
薩摩藩邸があったところ、
密談が交わされたところなどをご紹介します。
京都の西郷隆盛ゆかりの地 石碑の残る場所
明治維新(1868年)から、今年で150年。
幕末維新に活躍した人物として、
2018年の大河ドラマ『西郷どん(せごどん)』にも描かれた、
西郷隆盛(1828年~1877年)の生き様を示すゆかりの地が、
京都のあちこちに存在します。
西郷隆盛ゆかりの地 石碑の残る清水寺
清水寺の塔頭 成就院の二十四世住職 月照上人は、
安政の大獄(1858年)で追われて、薩摩へ避難しました。
西郷隆盛とともに錦江湾に入水して絶命しましたが、
西郷どんは助かりました。
弟の信海は江戸で獄死しました。
北総門の外に、
月照上人と、弟・信海の歌碑と、
西郷隆盛の弔詞碑が並んでいます。
所在地: 〒605-0862 京都府京都市東山区清水1−294
電話: 075-561-5783
西郷隆盛ゆかりの地 石碑の残る清閑寺
西郷隆盛と月照上人が、清閑寺の茶室・郭公亭で、
王政復古のための謀議や、京都脱出の密談などを重ねた処です。
『大西郷月照王政復古謀議旧跡』の石碑があります。
所在地: 〒605-0000 京都府京都市東山区清閑寺歌ノ中山町3
電話: 075-561-7292
西郷隆盛ゆかりの地 石碑の残る近衛家別邸・御花畑屋敷跡
幕末に薩摩・島津家が使用し、
家老・小松帯刀が寓居していました。
薩長同盟(1866年)に先立ち、木戸孝允(桂小五郎)が宿泊し、
小松帯刀、西郷隆盛らとともに会見して、
薩長同盟締結に至った地として、最有力候補と言われています。
1867年、西郷隆盛と大久保利通らがここで、
五山の送り火を見たという記録があります。
現地には詳しい解説板と石碑があります。
近衛家別邸・御花畑屋敷跡(京都市上京区室町通鞍馬口下ル)は、
2016年に場所が特定されました。
所在地: 〒602-0011 京都府京都市上京区森之木町 鞍馬口 通
西郷隆盛ゆかりの地 石碑の残る東福寺・即宗院
薩摩藩の菩提寺で、西郷隆盛と月照上人が密談を行いました。
鳥羽伏見の戦い(1868年)では、薩摩藩の屯営となり、
山頂から幕府軍を砲撃したところです。
『東征戦亡之碑』は、西郷隆盛の自筆で、1869年に建立されました。
明治維新で落命した薩摩藩士ら524人の名前が刻まれていて、
その中には隆盛の弟吉次郎の名前もあります。
紅葉で有名な東福寺の奥にある塔頭寺院「即宗院」は、
紅葉期間以外は非公開なのですが、この期間中は拝観可能です。
所在地: 〒605-0981 京都府京都市 東山区本町15丁目 813番地
電話: 075-257-7977
京都の西郷隆盛ゆかりの地 蛤御門と大黒寺
京都の西郷隆盛ゆかりの地 蛤御門
1864年、禁門の変(蛤御門の変)の際、
西郷隆盛率いる薩摩勢が駆けつけて激戦となり、
西郷隆盛自身も被弾しつつ、長州勢を退けました。
京都御所 西側、烏丸通に面する蛤御門には、
今も当時の弾痕が残っています。
京都の西郷隆盛ゆかりの地 大黒寺
大黒寺というのは、薩摩藩・伏見藩邸近くの通称『薩摩寺』のことで、
西郷隆盛が、志士らと国事を論じた処とされています。
寺田屋事件で殉職した、薩摩藩九烈士のお墓は、
西郷隆盛が建立したとされています。
所在地: 〒612-8062 京都府京都市伏見区鷹匠町4
電話: 075-611-2558
京都の西郷隆盛ゆかりの地 西郷どんはどこに住んでいたのか?
京都では、薩摩藩・二本松藩邸の近く、
相国寺に隣接した『塔之段』に、西郷隆盛が居住していたと、
桐野作人・著の『さつま人国誌』が推定しています。
かつて相国寺の七重大塔があった場所で、
それ以前は石薬師通の大久保利通旧邸近くの、
料亭の二階にも居住していたということです。
所在地: 〒602-0848 京都府京都市上京区扇町(寺町通)281
京都の西郷隆盛ゆかりの地 薩摩藩邸はどこにあったのか?
薩摩藩邸は、京都には三つあったとされています。
西郷隆盛ゆかりの地 錦小路藩邸跡
薩摩藩・錦小路藩邸跡は、京都で最初の薩摩藩邸で、
本邸が錦小路東洞院の「錦小路藩邸」
1864年、西郷隆盛が坂本龍馬と最初に出会った場所とされています。
藩邸の錦小路側には、石碑と解説板があり、
今、この地は、デパートの大丸京都店があるところです。
西郷隆盛ゆかりの地 二本松藩邸跡
1863年、島津久光が上洛後に、相国寺二本松に設けた新屋敷で、
幕末の重要な出来事の舞台となった場所です。
二本松薩摩藩邸は、
相国寺南門 勅使門の横から西側にL字型に相国寺境内に沿うように、
今出川通を隔てて、島津家と関係の深い京都御苑内の近衛家屋敷と、
向かい合うように建っていました。
御所の北側にあった武家屋敷には、
御付武家以外では、薩摩藩のみ藩邸があり、
近くには西郷隆盛邸や薩摩藩 家老 小松帯刀邸もあったといわれています。
今は、同志社大学の学舎があるところで、
同志社大学の西側の門近くにも、石碑があります。
西郷隆盛ゆかりの地 伏見藩邸跡
薩摩藩島津家の一門に生まれ、島津本家の養女となり、
五摂家筆頭近衛家の娘として、
江戸幕府第13代将軍 徳川家定の御台所となった篤姫が、
江戸へお輿入れ(1853年)の際に立ち寄ったとされる、
薩摩藩の藩邸です。
また、坂本龍馬も滞在したことがあり、
寺田屋事件(1866年)では、
坂本龍馬の妻、お龍が逃げ込んだところでもあります。
薩摩藩・伏見藩邸は、鳥羽伏見の戦いで焼失しましたが、
今そこには、石碑があります。
あとがき
役作りとは言え、鈴木亮平さんの役者魂は凄いものですね。
もともと華奢な役者さんだと思っていたのですが、
役柄によって体型や体格を自由自在に変えられるなんて!
だんだん西郷隆盛に見えてくるから不思議です。
今までは、西郷隆盛といえば、犬を連れている銅像が連想されましたが、
これからはずーっと、『西郷隆盛』というフレーズが出てくる度に、
鈴木亮平さんがイメージされるのでしょうね。