奈良の薬師寺の東塔は、現在改修工事中ですが、
かなり大掛かりな解体修理だったのですね。
いよいよ最終段階に入ったようで、
凍れる音楽のお姿に早くお目にかかりたいものです。
修理期間とその完成はいつなのかをまとめました。
薬師寺東塔 凍れる音楽の解体修理はいつまで?
天武天皇が発願
華やかな白鳳文化の遺構
680年、天武天皇が、
皇后・菟野讃良皇后(うののさららひめみこ)のちの持統天皇の、
病気平癒を願って建てたのが薬師寺で、
孫の文武天皇の代に完成した法相宗の大本山です。
当初は、飛鳥の藤原京にあったのが、平城遷都とともに、
現在の西ノ京へ移されました。
諸堂が移築されたか、新築されたかには諸説あるようですが、
飛鳥の薬師寺を『本薬師寺』と呼び区別しています。
本薬師寺の跡地には、中央に金堂、その前方正面に中門、
金堂の前方東西に塔を置き、
金堂の背後に講堂を配するという、
『薬師寺式伽藍配置』の礎石が残っています。
薬師寺においても同様の配置で造営されていることから、
同じものを新たにつくろうとしたのではないかと考えられています。
薬師寺の中で最も古い建造物は、東塔ですが、
現在、薬師寺東塔は改修工事中です。
2020年6月頃までの予定で、
約110年振りの東塔の解体修理が進められています。
改修工事には10年が必要だとの説明ですので、
今度姿を見せるのは平成30年頃になりそうとのこと。
2009年に、平成の修理が始まり、
解体修理で2011年9月からは、東塔全体を覆う素屋根の設置工事を開始され、
2012年9月には、瓦が外され東塔の解体が始まりました。
1300年前の優美な姿を今にとどめる国宝・薬師寺東塔。2009年の事前調査からほぼ10年、明治以来約110年ぶりの解体修理が続けられてきました。それもいよいよ最終盤。古代建築を未来に伝えるための事業の姿を動画付きで紹介します。 https://t.co/FdKCXkCmCD pic.twitter.com/JptZ9DOUNu
— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) March 7, 2019
2017年1月9日
薬師寺東塔で「心柱立柱式」 解体修理、再組み立て前に
約1世紀ぶりの解体修理が進む国宝・東塔の再組み立てを前に、
塔の中心を貫く心柱(しんばしら)をたて直し、
工事の安全を祈る「心柱立柱式(りっちゅうしき)」が営まれました。
約900人の参列者と村上太胤管主らが般若心経を唱える中、
基壇(土台)から外して修理してきた心柱(約4・3トン)を、
クレーンでつり、基壇の中心へ戻した。
根元を木づちで打ち、無事の完成を願われました。
2020年6月の完成を目指しています。
東京オリンピックの開幕には間に合いますね。
奈良時代に作られたもので、
総高34.1メートルで、
現存する江戸時代以前につくられた仏塔としては、
東寺の五重塔、興福寺の五重塔、醍醐寺の五重塔に次ぐ、
木造としては国内4番目の高さを誇っています。
この東塔は一見すると、屋根が六重にかかっているように見えますが、
実は三重塔で、1・3・5番目のものは裳階(もこし)という飾りです。
間のものが屋根になっていて、その美しい造形から、
米国の美術史家フェノロサが、
『凍れる音楽』と評したといわれており、国内外から注目されています。
薬師寺東塔の水煙と薬師寺再建のお写経勧進
薬師寺東塔の相輪上部の水煙に、
24人の飛天が舞う様子が透かし彫りで刻まれていて、
白鳳文化の水準の高さをうかがうことができる建物です。
相輪(そうりん)とは、
五重塔などの仏塔の屋根から天に向かって突き出た金属製の部分の総称で、
仏塔の最上部に取り付ける相輪の一部で、
水煙は天人が雲間を舞う塔頂部の装飾彫刻のことです。
東塔以外の建造物の多くは、
1528年の筒井順興の兵火によって焼失しました。
江戸時代末期に伽藍の仮再建が行われましたが、
本格的に復興したのは、1960年代以降で、
『お写経勧進』を薦めた元管主・高田好胤師の時代で、
金堂、西塔、中門、大講堂などが再建されました。
1976年に落慶した金堂は、白鳳様式の建築で、
創建時を思い起こさせるものです。
堂内には、
国宝に指定されている白鳳時代の『薬師三尊像』が安置されています。
金堂のご本尊は薬師如来像で、
中尊・薬師如来が、像高254㎝の坐像、
脇侍である日光・月光菩薩がともに、315㎝の立像で、
その大きさと彫刻技術の素晴らしさは息をのむほどで、
薬師さ三尊像は、飛鳥・奈良時代の、
白鳳期の仏像の最高傑作の一つと評されています。
しかし、東塔、西塔、大講堂などがそびえる壮大な伽藍は、
何度も火災に遭って焼失し、
東塔、東院堂を除き多くは再建されたものです。
20世紀半ばまでの薬師寺には、
江戸時代後期仮再建の金堂、講堂が建ち、
創建当時の伽藍をしのばせるものは焼け残った東塔だけでした。
1960年代以降、
名物管長として知られた高田好胤(たかだこういん)が中心となって、
写経勧進による白鳳伽藍復興事業が進められてきました。
1976年に金堂が再建されたのをはじめ、
西塔(1981年)、中門、回廊の一部、大講堂(2003年)などが、
次々と再建されました。
2017年5月には修行・食事に使われる食堂(じきどう)がほぼ完成し、
復興事業は最終段階を迎えました。
薬師寺のご利益とパワースポット
金堂のご本尊様、薬師如来像は、
またの名を『医王如来』ともいい、
医薬の仏様として、病気平癒のご利益があるということはもちろんのこと、
『応病与薬』の法薬で、苦を抜き楽を与えてくださる、
『抜苦与薬』の仏様なのです。
人間にとって『死』という一番恐ろしいものを招くのが病気です。
体が動かなくなるのも病気ですが、身の不幸、心の病も病気です。
欲が深くて不正直で、疑い深くて腹が立ち、
不平不満の愚痴ばかり言っているのも、
仏様は病気と言われます。
薬師如来は体の病気だけでなく、
人々の欲深で不平不満ばかりの心も、
取り払ってくださるありがたいご利益があるのです。
そのほか、東院堂には民衆の悩みや苦しみをお救い下さる、
聖観音菩薩像が安置されていて、参拝するとパワーが得られます。
東塔にはお釈迦様の苦行像、
西塔にはお釈迦様の初転法輪像や、涅槃像が安置され、
心に癒しを与えられます。
また、国宝の吉祥天女画像が安置されており、
毎年1月1日から15日まで、
金堂の薬師三尊像の前にお祀りされます。
吉祥天女は福徳豊譲の守護神として崇敬され、
この吉祥天女の前で罪業を懺悔し、祈願すると、
除災招福のご利益があるとされています。
薬師寺では吉祥悔過といって、
正月に行う法要・修正会で宝亀二年(771年)から、
罪業を懺悔し除災招福を祈る法要が行われています。
また、薬師寺ではお写経道場での写経によって菩提心の功徳があり、
心の安らぎが得られるとして、さかんに行われています。
このように薬師寺は、薬師如来による病気平癒だけでなく、
除災招福、福徳豊譲、抜苦与楽により、
心の安らぎが得られるご利益があるパワースポットなのです。
壮大な伽藍や東塔、西塔の美しい佇まいや、
国宝の薬師三尊像、聖観音菩薩像を参拝するだけでも、
心が和み癒されるのです。
薬師寺の行事
薬師寺では、修正会吉祥悔過法要のほか、
3月30日より修二会花会式、
5月5日 玄奘三蔵会大祭・万燈会、
10月8日 天武忌・万燈会、
11月13日 慈恩会、
12月8日 納め薬師縁日などの行事が行われます。
あとがき
大池から望む薬師寺の遠望は、
奈良盆地を代表する風景のひとつです。
背景に若草山を配した、夕日が沈む様子は、
心の底から何か熱いものがジーンとこみ上げてくる気がします。