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秋の季節と行事

正倉院展2017年の展示物で目玉の「羊木臈纈屏風」とは?描かれた動物は?

投稿日:

正倉院展2017年
第69回の正倉院展に展示される展示物の宝物が発表されました。
ペルシャ風の巻き角の羊が描かれた「羊木臈纈屏風」や、
念珠など、初めて展示される9件を含む計58件が公開され、
話題を呼んでいます。
それら宝物の中でも目玉とされる「羊木臈纈屏風」について、
どのようなものなのか、描かれている動物についてまとめました。

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正倉院展2017年の展示物が発表された

第69回の正倉院展には、
北倉10件、中倉25件、南倉20件、聖語蔵3件、
そのうち初出陳を含むもの9件合をわせて、
58件の宝物が出陳されます。
正倉院宝物の全貌が概観される内容となっておりますが、仏・菩ぼ薩さつへの献物けんもつと考えられる品々を含めた仏ぶつ具ぐ類の充実や、佩飾品はいしょくひんや帯などの腰回りを飾った品々が多く出される点が特色となっております

槃龍背八角鏡(ばんりゅうはいのはっかくきょう)1面

~~北倉~~
(龍文様の鏡) 1面
径31.7 縁厚0.9 重4260
附 緋絁帯・題箋

 『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』に記載されている、
聖武天皇ご遺愛の白銅鏡(はくどうきょう)。
外形が八弁をかたどる八花鏡(はっかきょう)とよばれる形式をとる。
鏡背面の中心には亀形の鈕(ちゅう)(紐(ひも)を通す孔(あな)のあるつまみ)があり、
鈕を囲むように2頭の龍が絡み合う。
龍の下部には鴛鴦(えんおう)の遊ぶ山岳があり、そこから飛雲が吹き出ている。
龍の上部に配された遠山(えんざん)や、流れる雲の表現から、
天空を飛翔する龍の姿が表された図様(ずよう)を示すものといえよう。
唐からの舶載品(はくさいひん)と考えられる。
聖武天皇遺愛の品で、正倉院の鋳造鏡を代表する「槃龍背八角鏡」は、成分や鮮明な文様から、遣唐使が持ち帰った唐製品とみられている。鏡背には、天に昇ろうとする龍を左右に配し、つまみの「鈕」を亀形にするなど、中国の神仙思想を表現している。

羊木臈纈屛風(ひつじきろうけちのびょうぶ)1扇

~~北倉~~
(ろうけつ染めの屛風) 1扇
縦163.1 横55.9 本地縦154.6 本地横52.4

 『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』に
「臈纈屛風十畳」と記されるものの一部と推定される屛風(びょうぶ)の残欠(ざんけつ)。
いわゆるろうけつ染めの技法で、樹下に佇(たたず)む羊を大きく表す。
樹上には2頭の猿猴(えんこう)が遊び、
下方には山頂に樹木が小さく表された険しい山岳が表される。
山岳の左方の頂き近くには1頭の子鹿も添えられている。  
 本品に表されるような巻角(まきづの)の羊や樹下に動物を配する構図は、
ササン朝ペルシアの美術に由来するが、
下端部に調絁銘(ちょうのあしぎぬめい)と思われる墨書(ぼくしょ)があり、
天平勝宝3年(751)以降にわが国で製作されたことがわかる。
聖武天皇ゆかりの北倉からは、記念切手にも採用された、
高名な羊ひつじ木き臈纈ろうけちの屛びょう風ぶが出陳されます。
樹下に羊を大きく表した異国情緒溢あふれる図ず様ようが目を引きますが、
わが国で作られたことが確実視されており、
天平期における西方文化の受容を顕著に物語る遺例として注目されます。

玉尺八(ぎょくのしゃくはち)1管

~~北倉~~
(石製の縦笛) 1管
長34.4 吹口径2.0

 唐の2代皇帝・太宗(たいそう)のときに創製されたという古代の尺八は、
当時は指孔(しこう)を前面5箇、背面を1箇として、
今日の尺八が前面を4箇とするのとは異なった。
 本品は『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』に
「玉尺八一管」と記されているものにあたる聖武天皇ゆかりの尺八。
玉(ぎょく)と呼ばれているが大理石製と鑑定されている。
尺八は本来竹製であるが、大理石を用いながら3節の竹管を忠実に模している。
宝庫には北倉に5管、南倉に3管の、計8管の尺八が伝わるが、
本品はその中でも最も短い。

漆槽箜篌(うるしそうのくご)1張漆槽箜篌模造1張

~~南倉~~
(漆塗の竪琴) 1張
槽現存長139.0 肘木長79.0
附 模造

 箜篌(くご)は竪形(たてがた)ハープの1種で、アッシリアに起源があるとされる。
古代に中国・朝鮮半島・日本などで用いられたが、中世以降に姿を消した。
 本品は宝庫に伝わる2張の箜篌のうちの一つ。
現在大破し残欠となっているが、
槽(そう)とその下に続く頸・脚柱部をキリの一木(いちぼく)から作り、
頸部にカキ材の肘木(ひじき)を挿し込む構造である。
共鳴胴となる内を刳(く)った槽には、黒漆塗(くろうるしぬり)が施され、
革で作った鳥獣文を貼付け、花文や山岳文を彩色するという、
華やかな装飾がなされていたとみられる。
彩色に使用されていた顔料(がんりょう)から、本品は日本で製作された可能性が高い。
 本展では明治期に製作された模造も展示する。

伎楽面迦楼羅(ぎがくめんかるら)1面

~~南倉~~
(伎楽の面) 1面
縦36.9 横19.3 奥行28.3 重408

 伎楽(ぎがく)は朝鮮半島・百済(くだら)の味摩之(みまし)が、
中国・江南の呉(ご)国に学んで、わが国に伝えたとされる仮面舞踊劇。
飛鳥から平安時代に寺院での法楽(ほうらく)として盛んに行われたが、
その後衰退し、中世には途絶(とぜつ)したようである。  
 本品は、鶏冠(とさか)をつけ先端に玉を銜(くわ)えた尖った嘴(くちばし)を有する
鳥貌(ちょうぼう)に表されることから、迦楼羅(かるら)の面と推定される。
麻布(あさぬの)を漆で固めて表面を木屎漆(こくそうるし)で整えた
乾漆造(かんしつづくり)の面で、
緑青(ろくしょう)や朱、丹などを用いて彩色(さいしき)が施されている。
損傷が著(いちじる)しかったが、
近年修理が実施され、今回初めて出陳されることとなった。

銀盤(ぎんばん)1基

~~南倉~~
(銀の脚付き皿) 1基
径42.0 高12.3 重2173.7

 銀製、脚付きの盤。盤は八稜形(はちりょうがた)で、
底には葉の形をかたどった脚が4本取り付けられている。
盤の外側の各稜には、蹴彫(けりぼり)(長三角形の彫り跡をつなげて点線を作る技法)で、
唐花文(からはなもん)を線刻し、この文様の部分のみ鍍金(ときん)を施している。
本品の蹴彫は、奈良時代の金工品にしばしば見られる実線に近い蹴彫であることから、
わが国で製作されたことがうかがえる。
盤の裏面中央には「重大三斤三両」と線刻され、本品の重量を示している。

金銅水瓶(こんどうのすいびょう)1口

~~南倉~~
(金メッキの銅の水差し) 1口
口径8.8 胴径11.2 注口長21.7 高19.0 重569.5

 鳥頭形の注口(ちゅうこう)が目をひく銅製鍍金(ときん)の水瓶(すいびょう)。
胴部は扁平(へんぺい)な球形で、上部に広く口の開いた受水口、
下方に裾広がりの高台(こうだい)、
そして鳥頭形注口を先端に取り付けた細長い頸部(けいぶ)を側面に設けている。
鳥頭の鶏冠(とさか)などの表現から、これは鳳凰(ほうおう)を表しているものと思われる。
受水口の頸部や高台には素朴な花弁を刻んでいる。
 製作には、全体を10数箇所に分割して銅打ち出しで作り、
複数の材を鑞(ろう)付けと鋲(びょう)留めを組み合わせて接合し、
鍍金を施し仕上げるという工程がとられている。
 類品が知られていないエキゾチックな器形の水瓶を、
高度で複雑な技術をもって作り上げたといえる本品は、
宝庫の金工品の中では異色の存在である。

琥碧誦数(こはくのじゅず)1連

~~南倉~~
(こはくの念珠(ねんじゅ)) 1連
周長88
附 亀甲形漆箱

 様々な種類の珠(たま)が用いられた華やかな念珠(ねんじゅ)である。
白組紐(くみひも)に通された119箇の通珠は琥碧(こはく)製、母珠は大きめの真珠製で、
母珠の両脇には瑪瑙(めのう)製の珠が配される。
母珠からは4条の房(ふさ)が伸び、それぞれ琥碧珠と、
紫水晶珠あるいは真珠を用いた2箇の記子(きす)(房に付く珠)を通している。
母珠の反対側にも房が付き、紫水晶珠と瑪瑙の管玉(くだたま)を通す。
さらにその傍(かたわ)らにも小さめの真珠と水晶製の勾玉(まがたま)を通した房が付いている。 本品には漆皮(しっぴ)製の亀甲形(きっこうがた)の収納箱(出陳番号35-2)が附属しており、
その蓋表の貼紙(はりがみ)にある墨書(ぼくしょ)より、
本品が東大寺大仏開眼会(かいげんえ)に際し献納されたことが推測される。

碧地金銀絵箱(へきじきんぎんえのはこ)1合

~~中倉~~
(献物箱(けんもつばこ)) 1合
縦27.9 横17.5 高10.6

 仏・菩薩(ぼさつ)への献物(けんもつ)に用られた、美しく装飾された箱。
長方形、印籠蓋造(いんろうぶたづくり)、ヒノキ材製で、
下部に床脚(しょうきゃく)をめぐらし、内部には嚫(うちばり)を入れる。
嚫は底部に八稜唐花文白綾(はちりょうからはなもんしろのあや)を、
側面に長斑錦(ちょうはんきん)をあしらった豪華なもので、
緑絁(あしぎぬ)の裏地が施されている。
表面は群青(ぐんじょう)を用いて淡青色に塗られ、
金銀泥(きんぎんでい)で花鳥の文様(もんよう)を描く。
稜角(りょうかく)部分は押縁(おしぶち)風に蘇芳(すおう)色に塗られ、
金銀泥による小花文を並べている。
 底裏に「千手堂」の墨書(ぼくしょ)あり、
東大寺法華堂(ほっけどう)の東南に営まれ、
中世以降に廃絶したと考えられる千手堂(せんじゅどう)にて用いられたものと考えられる。

東大寺開田地図(越前国足羽郡糞置村田図)1張

~~中倉~~
(とうだいじかいでんちず(えちぜんのくにあすわぐんくそおきむらでんず))

(東大寺の荘園の地図) 1張
縦68.5 横112.5

 東大寺の荘園の開発状況を記録した麻布(あさぬの)製の地図。縮尺は約1800分の1。
越前国足羽郡糞置村(えちぜんのくにあすわぐんくそおきむら)に存した
東大寺領糞置荘は現在の福井市帆谷町(ほたにちょう)・二上町(ふたがみちょう)に当たり、
北を除く三方を山に囲まれ、南から尾根が張り出して2つの谷が形成された地形が、
本図にもよく表れている。
糞置荘については天平宝字3年(759)の地図も遺(のこ)るが、
その後の係争とその解決を踏まえ、
改めて作成されたのが天平神護2年(766)の年紀を有する本図である。  
 なお、東南院古文書(とうなんいんこもんじょ)第三櫃第十八巻(出陳番号39)は、
本図に対応する記載を含む同年月日の文書であり、
地図と文書とがともに伝わる点で大変貴重である。

沈香把玳瑁鞘金銀荘刀子1口

~~中倉~~
(じんこうのつかたいまいのさやきんぎんそうのとうす)

(小刀) 1口
全長16.1 把長7.8 鞘長11.2 身長6.2 茎長4.9

 刀子(とうす)は紙を切ったり木簡(もっかん)を削ったりするのに用いる文房具であり、
また腰から提(さ)げて腰回りを飾る装身具としても用いられた。
 本品は鞘(さや)を玳瑁(たいまい)で飾った気品ある刀子である。
沈香(じんこう)貼りの把は新補。
鞘は木胎(もくたい)に金箔を押したうえに、黒い斑(ふ)の交じる玳瑁をかぶせて作られており、
玳瑁の下に金色がのぞく伏彩色(ふせざいしき)の技法を見ることができる。
鐺(こじり)(鞘尻(さやじり)金具)や鞘口には、
唐草文(からくさもん)を透彫(すかしぼり)し鍍金(ときん)を施した銀製の金具を取り付ける。
刀身(とうしん)は平造(ひらづくり)。
鍛(きたえ)は板目(いため)で柾(まさ)が入り、
刃文は直刃(すぐは)。茎(なかご)は剣先形(けんさきがた)を呈する。

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最勝王経帙(さいしょうおうきょうのちつ)1枚

~~中倉~~
(経巻のつつみ) 1枚 
縦30 横53
経巻を数巻まとめて包むための帙(ちつ)。
中央部分に織り表された「天下諸国毎塔安置金字金光明最勝王経」
「依天平十四年歳在壬午春二月十四日勅」の銘文(めいぶん)から、
天平13年(741)2月14日の詔勅(しょうちょく)を受けて、
各国毎に営まれた国分寺の塔に安置された
金光明最勝王経(こんこうみょうきょうさいしょうおうきょう)の帙と考えられ、
本品は大和国の東大寺安置分に該当するものとみられる
(ただし『続日本紀(しょくにほんぎ)』に記される詔勅の年月日と銘文とでは
1年の違いがある)。  
インドに起源を持つ迦陵かりょう頻びん伽ががあしらわれた
最勝王さいしょうおう経帙きょうのちつ。

緑瑠璃十二曲長坏1口(みどりるりのじゅうにきょくちょうはい)

~~中倉~~
(ガラスのさかづき) 1口
長径22.5 短径10.7 高5.0 重775

 濃緑色を呈するガラス製の長楕円形(ちょうだえんけい)の杯(さかづき)である。
ササン朝ペルシアの遺品にみられる器形を呈し、
長側面の両側に半月形のひだが3段ずつ付き、口縁に12の屈曲ができることから、
十二曲長坏(じゅうにきょくちょうはい)とよばれる。
ゆるやかな曲面に沿って植物文様が陰刻され、
長側面の口縁近くにはうずくまるウサギ、短側面にはチューリップに似た大輪が表されている。
鉛ガラス製で、鉛分を多く含んでいることから中国製と考えられるが、
西方に由来する意匠を濃緑のガラスで作り上げた、異国情緒を感じさせる品として名高い。

組帯残片(くみおびざんぺん)2片

~~中倉~~
(最勝王経帙の外帯の残片) 2片 
大片=長19.7 幅3.0

近時の調査で、帰属不明の残片として整理されていた
白茶地(しろちゃじ)朱暈繝斜格子文(しゅうんげんしゃごうしうもん)
組帯残片(くみおびざんぺん)が、
本品の外帯と幅や組み技法が共通することから、
本体側の外帯の欠失する先端部分であることが明らかにされた。

木画螺鈿双六局(もくがらでんのすごろくきょく)1基

~~中倉~~
(遊戯の盤) 1基
縦33.0 横71.0 高11.3

 ボードゲームに使用された装飾性豊かな盤。
双六局(すごろくきょく)の名称が付くが、
中央がやや上に向かって蒲鉾(かまぼこ)状に湾曲(わんきょく)する形状から、
後世のおはじきに似た遊戯である弾棋(たぎ)に用いられた盤ではないかと推測されている。  
 盤面は長方形で、四隅に刳(く)り形(がた)を設けた短い脚を付ける。
表面はシタン貼りで、
盤面には木画(もくが)による界線(かいせん)で長辺に各12箇の坪を表している。
側面は象牙と木画の界線を用いて区画し、
螺鈿(らでん)の花と錫象嵌(すずぞうがん)の茎で構成された
唐花文(からはなもん)を各区に表している。  
 色味は少ないが、シタン地に螺鈿と象牙の白さの映える対照の美しさ、
木画や金属線を用いた技巧の冴える遊戯具である。

三無性論巻下(さんむしょうろん)1巻

~~聖語蔵~~
(先一部一切経) 1巻
縦27.6

 聖語蔵(しょうごぞう)は、もと東大寺尊勝院(そんしょういん)の経蔵で、
明治26年(1893)に皇室に献納された。
現在約5000巻の経巻が伝わる。  
 本巻は従来称徳天皇発願(ほつがん)の
神護景雲二年御願経(じんごけいうんにねんごがんきょう)に分類されていたが、
近年の研究により、
東大寺写経所において神護景雲4年(770)から宝亀2年(771)にかけて書写され、
後に薬師寺に納められた先一部一切経(せんいちぶいっさいきょう)のうちの
1巻であることが明らかにされた。  
 三無性論(さんむしょうろん)は護法(ごほう)(ダルマパーラ、530~561)の
新唯識説(しんゆいしきせつ)以前の古唯識義によって三性三無性の説を述べたもので、
古唯識義の研究史上重視される論書である。
陳の真諦(しんだい)(499~569)が漢訳した。

正倉院展2017年目玉の展示物「羊木臈纈屏風」とはどんなもの

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聖武天皇ゆかりの北倉からは、
記念切手にも採用された高名な羊ひつじ木き臈纈ろうけちの屛びょう風ぶが出陳されます。

樹下に羊を大きく表した異国情緒溢あふれる図ず様ようが目を引きますが、
わが国で作られたことが確実視されており、
天平期における西方文化の受容を顕著に物語る遺例として注目されます。

「羊木臈纈屏風」は、国家珍宝帳に記載されている品で、
型押し蝋防染・顔料彩色による屏風の画面は、1畳の屏風中の2扇で、地裂に調銘があります。

10年ぶりの公開となる羊木臈纈屏風は、
ペルシャ美術に見られる羊が樹下にたたずむ姿を、
筆でろうを付ける「ろうけつ染め」の技法で表現されています。

異国情緒あふれる描写ながら、国内で作られたとみられており、
天平期に西方文化が受容されていたことを示すといわれています。

羊木臈纈屏風(ひつじきろうけちのびょうぶ)と象木臈纈屏風(ぞうきろうけちのびょうぶ)
文字通り象と羊がデザインされた屏風ですが、
斉衡3年(856年)の6月25日に行われた宝物点検の記録から、
元々は1つの屏風であったことが判明していて、
どちらもろうけつ染めによって図があらわされているのです。

樹木の下に動物を配したこの様式は、
サーサーン朝ペルシアの聖樹禽獣紋から影響を受けていて、
屏風からは緑溢れる中でさまざまな動物が息づく楽園の情景が見てとれます。

正倉院展2017年の展示物「羊木臈纈屏風」に描かれた動物は?

正倉院展2017年の展示物「羊木臈纈屏風」ですが、
実は、羊だけでなくこの絵の中には、小鹿と猿も描かれています。

また「羊木臈纈屏風」と、元は一つの屏風だったのではと言われる、
「象木臈纈屏風」ですが、こちらにも猿やイノシシの姿を見ることが出来ます。

その他、正倉院の宝物の中にある「羊木臈纈屏風」と同じ屏風で、
「熊鷹臈纈屏風」と、「鸚烏武臈纈屏風」があります。

どちらも「羊木臈纈屏風」や「象木臈纈屏風」のように、
筆でろうを付ける「ろうけつ染め」の技法で表現されています。

「熊鷹臈纈屏風」(くまたかろうけちのびょうぶ)には、
熊鷹以外に、イノシシや麒麟が描かれています。

「鸚烏武臈纈屏風」(おうむろうけちのびょうぶ)には、
オウムのほかに、鳳凰や小鹿、つがいのオウムが描かれていて、
動物のほかに、楽器を吹く女性や馬に乗って鹿を狙う人も描かれています。

この4枚の屏風は、国家珍宝帳にも記載されていて、
一組の屏風だったかと思われます。

巻き角のある羊や、馬に乗って獣を狙う人の文様は、
ペルシャのものによくみられる図柄ですが、
象はインド、麒麟や鳳凰は唐の国に由来しています。

「羊木臈纈屏風」の下に、
『天平勝宝三年十月』と、日本の年号が記されているので、
これらの屏風が日本で作られたことがわかるのですが、

その時代の日本人は、象の姿を知っている人はいなかったはずです。

屏風に描かれている動物で、サルやイノシシ、小鹿などは、
日本でもおなじみの動物だったと思われますが、
麒麟や鳳凰は想像上の動物だと認識していたのでしょうか?

大陸から来た人、もしくは大陸へ行ったことがある人が、象の姿を伝えたのか、
象を描いた何かを持ち帰り(例えばインドの書物など)
象の姿を知ったのか、謎は深まるばかりです。

また、今回正倉院展でお目にかかれる「羊木臈纈屏風」にしても、
巻き角のある羊の正体を、日本人は知っていたのでしょうか?

いつから日本に「羊」が登場するかというと、
日本書紀に
推古7年の秋9月の癸亥の朔に、
百済が駱駝一匹・驢(ロバ)一匹・羊二頭、白い雉一羽をたてまつった。
と記されているのが最初のようです。

推古7年といえば西暦599年ですから、
聖武天皇のコレクションを、
光明皇后が東大寺に奉納し、正倉院が出来たころより、
100年以上も前のことですが、象の姿はありません。

それより、
その屏風の中に駱駝の柄は何故なかったのかとも考えてしまいます。

象が日本にやって来たのはいつなのかということですが、
以前、歌舞伎で日本に象がやってきたときの芝居を観たことがあります。

歌舞伎は殆ど史実に基づく戯曲ですから、いつのことかちょっと調べてみると、
江戸時代 将軍・吉宗の時代ということでした。

象という巨大な珍獣がいることは、
中国から輸入した書物で知られていた様ですが、
龍だの鳳凰だのと同じように、象もまた空想上の生き物なのか、
それとも実在するのか、はっきりしないでいたのです。
ところが、その幻の象が長崎に来たというのですから、日本中が大フィーバーした。

ということは、日本に象がやってきて、一大ブームを巻き起こした時よりも、
千年も前に、象の姿を描いていたことになります。

あとがき

正倉院の宝物に描かれている動物を見ても、
約1300年昔の日本がシルクロードを通じて、
世界中の国々の文化や知識を得ていたことがわかり、
正倉院の宝物が、日本の国の歴史を知る上で、
どれほど重要な役目をはたしていたかを感じさせられます。

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