茶摘みの八十八夜とは いったいいつなんでしょうか?
八十八夜といえば茶摘み歌の歌詞に出てくることで知られていますが
八十八夜とはどんな意味のある“夜?”なのでしょう
夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは茶摘みじゃないか
あかねだすきに菅の笠
日和続きの今日このごろを
心のどかに摘みつつ歌う
摘めよ 摘め摘め 摘まねばならぬ
摘まにゃ日本の茶にならぬ
これは八十八夜によく歌われる『茶摘み歌』の歌詞です
茶娘がお茶を摘みながら歌ったとされる歌です
茶娘が摘む 新茶と茶摘み唄
そして八十八夜の別れ霜について調べてみました
茶摘みの八十八夜とは いつ?その意味は?
八十八夜は季節を知らせる雑節のひとつで
立春から数えて88日目の日を指し
毎年5月2日頃がこの日に当たります
雑節とは
二十四節気・五節句以外の季節の節目となる日のこと
二十四節気を補う意味合いを持っていて
一年間の季節の移り変わりをより的確につかむことができます
いずれも生活や農作業など
暮らしの生業に基づき 照らし合わせてつくられているものですから
古くから日本人の生活の中に溶け込んでいました
年中行事や民俗行事となっているものも多く
なじみ深いものです
もともと
太陰暦がベースである日本の旧暦では
暦日と季節が最悪の場合 半月もずれてしまうために
太陽暦をベースとした雑節としておこり広まったもののようです
21世紀初頭の現在では 平年なら5月2日
閏年なら5月1日が八十八夜にあたります
数十年に一度の割合で 立春の変動により
八十八夜が5月3日の年もあるということです
その年で最初に新芽を摘んで淹れたお茶を
「一番茶」または「新茶」といいますが
八十八夜に摘まれた新茶には
冬の間に蓄えられた成分がいっぱい詰まっており
お茶のうまみとなるテアニンなどの成分が豊富に含まれています
香りもとても良く
栄養価が高いとされ珍重されています
実際は
産地の気温などによって茶の成熟度も異なるので
茶摘みの時期は地域によって違うわけです
また 八十八夜はお米作りとも関係があります
八十八夜は
“春から夏に変化する節目の日” にあたるのですが
お米を作る際には八十八夜が稲作開始の目安になるとされてきました
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八十八夜の茶摘み歌 歌詞意味と青製煎茶製法の発明
♪夏も近づく八十八夜~♪
誰もがこどもの 頃歌った覚えのある茶摘み唄です
この文部省唱歌の「茶摘み」がきっかけで
八十八夜といえば茶摘みというイメージが定着しました
実際の茶摘みの時期は
九州から北上していくので
八十八夜の頃は
だいたい関西あたりが茶摘みの時期になることが多いようです
絣の着物に赤いたすきがけ
頭に白い日本手ぬぐいをあねさん被りにした
茶摘みの衣装は
この季節の風物詩とされています
また 八十八夜に摘んだお茶を飲むと
長生きするともいわれ
この日に摘んだ新茶は 上等なものとされ
その新茶を飲むと長生きするともいわれています
茶の産地である埼玉県入間市狭山市や静岡県清水市
京都の宇治市などでは
新茶の試飲サービスのほかにも
手もみ茶の実演や茶摘みの体験など
一般の人々も参加する茶摘みイベントが行われます
この茶摘みの時に歌われた茶摘み歌は
文部省唱歌「茶摘」で 作詞・作曲者 は不詳とされています
明治45年尋常小学校唱歌に採用され
尋常小学校や高等小学校
国民学校及び学制改革後の小学校で文部省唱歌として
明治から昭和にかけて文部省が編纂しました
あの有名な「茶摘」の歌詞の一部が
宇治田原に伝わる茶摘み歌が基になっているいう説が
一般的に広まっています
いま私たちが『お茶』と呼んでいる煎茶は
永谷 宗円 (1681年-1778年)が
「青製煎茶製法」を発明したといわれています
永谷宗円は
山城の国 宇治田原郷湯屋谷村の農家に生まれ
彼を輩出した土地に伝わる茶摘み唄とともに
煎茶の普及に大きな功績を残したと伝えられています
『喫茶養生記』で茶の効能を説いたように
当初は寺院での修行や薬用として飲用されました
宗円の子孫の一人は お茶漬けのりで有名な
「永谷園」の創業者です
また シンガーソングライターで雑誌『CanCam』専属モデル
chay(チャイ)本名、永谷 真絵さんは
「永谷園」の創業者の末裔
「お茶のように多くの方から愛されるように」という
思いを込めて『chay』という名前が付けられたとか・・・・
八十八夜の別れ霜の意味とユニークな日本発祥の記念日
「八十八夜の別れ霜」という言葉を聞いたことはありますか?
初夏の訪れを感じるこの季節
この頃から霜が降りなくなり 日ごとに夏めいてきます
「八十八夜の別れ霜」「八十八夜の忘れ霜」とは
そんなときに急に気温が下がって遅霜(晩霜)が降り
農作物に被害を与えることを警戒した言葉です
農作物の多くが新芽を出し育ちはじめるこの時期の遅霜は
農作物に大きな被害を与えます
しかし
八十八夜が過ぎれば
遅霜が降りることも少なくなり 気候も安定することから
昔から八十八夜は 農作業の目安とされ
農家ではこの頃から本格的な農作業の始まりです
八十八夜の『八十八』という文字を組み合わせると
「米」という字になります
八十八夜は茶摘みとともに農家では稲作の作業が始まります
『米寿の祝い』は八十八才のお祝いですが
“米”という字を使うのは
稲作と八十八夜という言葉から来ているのですね
また「お米は八十八の手間がかかる」という意味で
漢字が米になったともいわれています
お米作りも大変ですね
八十八夜の「別れ霜」から生まれた
現代のユニークな記念日があります
それはメイストームデー(五月の嵐の日)といって
5月13日は「八十八夜の別れ霜」に因んで
「バレンタインデー」の88日後に定められた記念日です
『カップルが別れ話を切り出すのに最適な日』
とされているそうです
メイストームとは和製英語で
温帯低気圧が急激に発達して大雨や大風をもたらす
4月から5月にかけて発生する気象現象のことをいいます
春の嵐とともに 恋人のご機嫌にも気をつけましょう
そんな注意を促す意味があるのでしょうか
……こんな日本発祥の記念日ってどう思います?
まとめ
『八十八夜』という言葉や茶摘み唄に
これほど深い事情があったとは
昔の人が考えた“暦”って随分複雑な物なんですね
中国から伝来してきた“暦法”から
天文学や地理学 そして日本人の生活に基づいて
飛鳥時代の推古12年(604)に
日本最初の暦が作られたと伝えられています
日本人って本当にいろんなことを考え出しますね
昔の人は凄い!