京都御所の東側にある「梨木神社」をご存知ですか?
『萩まつり』が行われる事で有名な梨木神社の由緒や、
京都三名水のひとつとされている梨木神社の『染井の名水』、
秘かな恋愛成就のパワースポットなっている御神木、
また今、話題を集めている御朱印帖についてなど、
梨木神社の魅力をまとめてみました。
萩まつりの名所 京都の梨木神社の由緒は?
梨木神社は「萩の宮」ともいわれ、
京都を代表する萩の名所として知られています。
梨木神社は毎年9月第3または第4日曜日前後に行われる「萩まつり」の日には
参道から社殿前まで咲きみだれる萩の花を愛でる参拝者で賑わいます。
萩まつりの祭典では、
神饌とともに紅白の萩の花と、黄白の菊の花を青竹に入れて神前に供える献華式が行われ、
鈴虫を竹のかごに入れてご神前に奉納します。
また、梨木神社境内の萩には献詠された短冊が下げられ、
拝殿で献華式、弓術披露、狂言、舞、琴、尺八などの奉納行事が行われます。
境内の萩には、まつりの参加者達が詠んだ俳句の短冊が飾られます。
まつりの間は茶会や神楽などの行事が行われ、境内には和菓子などの出店もあります。
萩は万葉の時代に最も愛された秋草であり、
その字もくさかんむりに秋と書いてハギと読みます。
観賞だけではなく食料、薬草、屋根材としても、
暮らしに深い関わりを持った植物でもありました。
万葉集に詠まれた植物のなかで最も多い可憐な花です。
しなやかにたわむ枝が風に揺れこぼれる優美な姿を万葉人は殊に愛したのです。
梨木神社の萩まつり
【日程】毎年9月第3または第4日曜日前後(詳細はHPで確認してください)
梨木神社は、
父子である贈右大臣正一位三條実萬公と内大臣正一位大勲位公爵三條実美公の、
二柱の神様をお祀りしています。
実萬公は才色兼備で、菅原道真公の生まれかわりと崇められ、
当時の人々から今天神様と称せられたといわれ、
早くから王政復古の大儀を唱えられ、明治維新の原動力となられた方です。
明治2年、明治天皇から「忠成公」のおくり名を賜わり、
明治18年10月、旧梨木町の今の地に梨木神社を創建、
別格官幣社に列せられたもので、
あまたある明治維新の元勲、元老、志士の中で唯一人公がお祀りされました。
内大臣正一位大勲位公爵三條実美公は、
父君の遺志を継ぎ、朝威回復、攘夷決行の急進派少壮公卿の中心人物として活躍し、
あらゆる困難に耐え、危機に遭遇されながらも明治維新の大業を達成され、
大正4年の大正天皇即位式にあたり第二座御祭神として梨木神社に合祀されました。
このように父子揃って同じ道を歩み、志を同じくし、
御祭神として同一の別格官幣社に合祀されるということは実に稀有な例です。
実萬・実美両公は、学問・文芸の神様として崇敬を集めており、
境内にはそのご神威にふさわしく、
江戸後期の国学者で雨月物語の著者である上田秋成翁や、
日本最初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士の歌碑が建立されています。
拝殿のかたわらにある天壌無窮の石碑は、実萬公が天壌無窮と軸に書かれ、
日夜皇室の弥栄をご祈念されていたものを石碑に刻んだと伝えられています。
明治天皇はこのことをお聞きになり、石碑の拓本をとられ、
2月11日の今の建国記念日にお居間に掲げられ、
国家の弥栄、国民の安泰をご祈念されたといわれています。
もともと梨木神社の境内辺りは、明治までは公家屋敷が建ちならび、
西側の京都御所との間にある梨木通りは、
朝夕参内する公卿たちの参内道としてつかわれていました。
また、
平安中期の歌人紀貫之が古今和歌集の撰にあたっていたという屋敷もありました。
万葉集を代表する植物としても知られる萩ですが、
梨木神社は「萩の宮」と称するほど境内には萩が咲き誇り、
古今を通じて和歌が詠まれてきました。
現在も京の萩の名所として、参拝者の目を潤す場所となっています。
実萬・実美両公の三條家は五摂家に次ぐ公卿最高の名家ですが、
代々質素清廉を旨とし清貧に甘んじて学を修め徳を養うということが家風であり、
すぐれた歌人、学者など賢才偉人を続出した家でもあります。
中でも実萬、実美両公は殊に傑出した方であったといわれます。
実萬公は、生来すこぶる賢明で温雅高尚なご性質でしたが、
尊皇愛国の精神においては確乎不抜の志をお持ちでした。
幼少の頃から広く和漢の学を修められ、政令宮中の古実礼典に精通され、
幕末の詔勅、諸政令を制定されました。
光格、仁孝、孝明の三帝にお仕えし、
幕末国事多難の際には武家伝奏の職にあって清廉に朝幕関係の周旋に奮励され、
朝権回復に尽力されました。
安政5年、日米修好通商条約勅許問題に関して反対の立場に立ち、
将軍継承問題では一橋慶喜擁立に動いたことから安政の大獄により弾圧を受け、
翌6年落飾して一乗寺に幽棲され10月6日この地で薨ぜられました。
御子実美公は、実萬公の遺志を継がれ明治維新の大業を達成し、
この父子両公の偉業を賞せられ明治2年明治天皇より「忠成公」のおくり名を賜りました。
明治18年10月生地である現在の所に神社を創建し、
別格官幣社の御祭神として奉斎されました。
実美公は、和漢の学を始め作歌、作詩、書画の道にいたるまで
秀でた才能を発揮されました。
ご性質は温雅で玉のごとき君子人の風があったと伝えられています。
このご人徳が多くの人心をとらえ、
また一面家訓を厳守され位人臣を極められた時も
衣服、飲食、居邸にいたるまで奢るところがなかったといわれています。
実萬公薨去後、その遺志を継がれ幾多の困難を乗り越え、
果ては「七卿落ち」となり長州、筑州に不遇をかこたれること4年の長きにわたり、
ついに明治維新の大業を達成されました。
明治2年太政大臣となり、明治の諸制度を制定し、
辞職後は内大臣兼総理大臣ともなられ議会政治の基礎を作られました。
明治24年、御年54才の時、病を得て薨去、
国葬をもって送られ、
大正4年大正天皇の即位式にあたり梨木神社の第二座御祭神として合祀されました。
萩まつり 京都の梨木神社の染井の名水は?
京都の三名水と言われる
「醒ヶ井(さめがい)」
「県井(あがたい)」
「染井(そめい)」
そのひとつである染井の井戸が神社の境内の手水舎にあり、
今も名水を拝受しております。
梨木神社境内は、
藤原良房の娘明子(あきらけいこ-清和天皇の御母染殿皇后)の里御所の趾で、
この良房の屋敷を染殿と称し、
宮中御用の染所の水として染井の水が用いられたという由緒があります。
染井の名水は、甘くまろやかな味で、茶の湯にも適す水としても知られています。
この名水の永久保存のために、
昭和35年に「染井会」が発足したと言われています。
しかし、茶の湯との関わりはさらに深く、
昭和14年12月に淡々斎宗匠(たんたんさいそうしょう)が、
染井の名水を使って献茶をされています。
丹波篠山出身の南画家、平尾竹霞(ひらおちっか)翁が染井の水を崇拝し、
この水で酒を作るよう酒造会社に依頼したという由緒も伝えられています。
昭和35年当時は、
御所の賢所(かしこどころ)旧春興殿の一部、
六畳二間の部屋を茶室として利用していましたが、
会員の増加に伴い、昭和60年に茶室「虚中庵」が新設されました。
茶室は八畳二間続きの広間で、
今でも梨木神社の名水でお茶をいただくことができます。
染井の水を飲むことで心身が浄化され、
さらには神のご加護を受けることができるとも言われています。
ペットボトルを持参して、染井の水を頂きに来られる方も多いのです。
京都 梨木神社の恋愛成就パワースポットの御朱印帖は?
萩まつりで有名な梨木神社は、
恋愛成就のパワースポットとしても秘かに話題を呼んでいます。
京都の三名水と言われる「染井」の井戸のすぐ近くに、
梨木神社の御神木である桂の木があります。
この桂の木の葉っぱがハートの形をしていることから
「愛の木」と呼ばれ、
愛の木を撫でながら願い事を唱えると叶うといわれており、
恋愛成就のパワースポットとして口コミで広がっています。
また、恋愛成就だけでなく、
勤勉な三條実萬公・実美公を御祭神として祭っている梨木神社に祈願することで、
学問・文芸運のご利益があると言われています。
ノーベル賞受賞者である「湯川秀樹さん」の歌碑などもあり、
受験生、研究者、文芸に携わる方々にも
パワースポットとして人気が高い場所でもあります。
恋愛成就のパワースポットとなれば、今流行りの御朱印ガールが放ってはいません。
梨木神社の御朱印帖が『超~かわいい!』と評判です。
お取り寄せもできるようですよ!
梨木神社の詳細情報
舎名 梨木神社(なしのきじんじゃ)
住所 〒602-0844 京都府京都市上京区寺町通広小路上る染殿町680
電話 075-221-0885
FAX (075)257-2624
メール mail@nashinoki.jp
拝観時間 6:00-17:00頃
拝観料 無料
まとめ
梨木神社の萩まつりも楽しみですが、
染井の名水を頂いてきて、
コーヒーを入れて飲もうと思っています。
『御朱印ガール』ならぬ『御朱印おばさん』になって、
超~かわいい御朱印も集めたいですね。