東京の一等地、世田谷豪徳寺に金運パワースポットがある。
そう聞けば、金運のご利益をいただきに、
是非とも訪れたいと思われる方も多いようで、
豪徳寺の境内には、招き猫で溢れかえっています。
豪徳寺がなぜパワースポットなのか、
どうして豪徳寺が招き猫の発祥に至ったのか、
その歴史をお伝えします。
東京の金運パワースポット豪徳寺は招き猫発祥の寺
福を呼ぶ招き猫発祥の寺『豪徳寺』は、金運のご利益で賑わっています。
滋賀県の彦根城 築城四百年を記念して誕生したキャラクターの、
“ひこにゃん”誕生当初は、
ゆるキャラの走りといわれ有名になったのですが、
ひこにゃんのモデルになった猫が東京にいます。
その猫は、『招福猫児(まねきねこ)』として、
桜田門外の変で暗殺された井伊直弼が眠る豪徳寺にいるのです。
その猫と豪徳寺の縁は、江戸時代にさかのぼります。
豪徳寺の創建は文明十二年(1480年)。
もともとは世田谷城主の吉良氏が、
亡くなった伯母の菩提のために臨済宗弘徳院を建立したのが始まりです。
ところが江戸時代に入ると吉良氏は衰退し、
それとともにお寺も傾いていきました。
それでもこの寺の和尚は貧しい暮らしの中で、
飼っていた猫の“たま”に自分の食べ物を分け与え、
可愛がっていたのです。
そんなある日、鷹狩からの帰り道、
馬に乗った武士たちがこの寺の近くを通りかかりました。
すると、その“たま”が手招きして、一行を寺へ招き入れたのです。
その直後、突然の雷雨が襲い、
武士たちは命拾いをすることができたというのです。
その一行を率いていたのは彦根藩の城主で、
当時の世田谷の領主だった井伊直孝でした。
後の井伊直弼のご先祖様だったのです。
恩を感じた井伊直孝は、この貧しい寺に多額の寄進をし、
寛永十年(1633年)には井伊家の菩提寺とし、
名前も豪徳寺と改めました。
こうして荒れていた寺は復興することができたのです。
この福を呼び、寺を蘇らせた“たま”が死ぬと、
和尚は墓を建てて、手厚く供養しました。
それ以降、たまのことは広く知られるようになり、
愛らしい姿も手伝って、江戸時代から今に至るまで、
大勢の参拝者がつめかけてくるのです。
招き猫発祥の伝説は様々ありますが、
このようなわけで豪徳寺の“たま”が招き猫の発祥とする説には、
根強いものがあるのです。
東京の金運パワースポット豪徳寺は招き猫のご利益 金運!
祈願成就のお礼の猫があふれる奉納所
さて、招き猫といえば、
『金運アップ』や『商売繁盛』がすぐに思い浮かびますが、
よく小判を持っていて「右手を挙げているのは金運」を招き、
「左手をあげているのは人」を招くといわれます。
なかには両手を挙げている欲張りなものまでありますが、
豪徳寺の招き猫は、右手を挙げ、小判は持っていません。
右手を挙げている理由は、『金運』というよりも、
武士にとって左手は不浄なものとされていたためらしく、
小判を持たないのは、
「機会は与えられるが、結果を出すのはその人次第」という意味で、
「努力せずして結果を期待するな」ということなのだそうで、
まさに武士が関わるお寺らしいパワースポットといえます。
祈願したうえで、
自分で日々努力すれば道は開ける…ということでしょうか。
ただ、豪徳寺のパワースポットとしてのご利益は絶大とみえて、
招猫観音を祀る招猫堂の横に祈願成就のお礼として、
招福猫児を奉納する奉納所があるのですが、
その奉納されている数といったら半端なものではありません。
猫好きならずとも、一度は訪れてみたいものです。
ちなみに、豪徳寺近くの商店街は、
『にゃんたま商店街』といって、
井伊直弼ノ命日には、
“ひこにゃん”が数珠をもってお参りしたこともあるのだそうです。
江戸時代からずっと、
招き猫は町も人々も活性化させていると言うことです
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豪徳寺の招き猫のご利益で金運と商売繁盛を招く!
毎年五月の第二日曜に行われる、『豪徳寺たまにゃん祭り』では、
商店街で『よさこい』や『阿波踊り』で盛り上がるほか、
境内では人形浄瑠璃も披露されるのです。
井伊直弼をはじめとする、国指定史跡の井伊家の墓所や、
世田谷区指定の有形文化財の由緒ある半鐘など、
歴史好きにはたまらないポイントがいっぱいです。
豪徳寺のご利益は、家内安全や営業繁栄、心願成就などです。
豪徳寺 (ごうとくじ)
〒154-0021 東京都世田谷区豪徳寺2丁目24−7
電話: 03-3426-1437
アクセス
小田急豪徳寺駅から徒歩10分
東急世田谷線宮の坂駅から徒歩5分
あとがき
招き猫は、飲食店などに良く置いてありましたが、
最近はあまり見かけないかも。
招き犬とか招き豚があるのかな?
憎めないキャラクターだから、
四百年も愛されているのかも知れませんね。
でも、一説によると、
招き猫発祥の地といわれているところは、
いくつもあるようです。