興味津々

おわら風の盆 唄の発祥と起源「おわら」の語源は何?期間と日程は

秋の始まりを感じるころ
富山県は越中八尾という町で行われる おわら風の盆
年々人気が高まる中
おわら風の盆のおわら節発祥の起源や
おわらという言葉の語源
おわら風の盆が開催される期間や日程についてまとめました

  

おわら風の盆 唄の発祥と祭りの起源は何?

富山を代表する祭りの一つで
江戸時代の元禄期に加賀藩から下された「町建御墨付」を町衆が取り戻した祝いに
三日三晩踊り明かしたのが始まりとされています

二百十日の初秋の風が吹くころ おわら風の盆の幕開けを迎えます

毎年9月1日から3日にかけて行われるこのおわら風の盆は 
今も昔も多くの人々を魅了します

収穫前の稲が風の被害に遭わないよう豊作祈願した祭りを「風の盆」というそうです
お盆の行事が合わさったものだという説もあります
また
富山の地元では休みのことを「ボン(盆日)」という習わしがあったと言われます
種まき盆・植え付け盆・雨降り盆などがあり 
その「盆」に名前の由来があるのではないかとも言われています

明瞭な文献が残っていないため はっきりした由来はわからないようです

「おわら節」に合わせて 町中を踊りながら練り歩く「町流し」が行われます

越中婦負郡志によると 元禄12年(1702年)に加賀藩から下された「町建御墨付」を
八尾の開祖米屋少兵衛家から八尾の町衆が取り戻した祝いに
町中を歌舞音曲無礼講で三日三晩練り歩いたのが始まりとされています

それ以来 豊年豊作を願う踊りとして定着していきましたが
どちらかというと土着的で野卑な祭でした

「おわら節」が哀調帯びた今の風の盆に変わったのが 大正から昭和の初期
そのきっかけは八尾で開業医をしていた川崎順二の働きでした

昭和4年に結成された越中民謡おわら保存会の初代会長となった川崎は
彼の文化サロンの活動で 交流があった高浜虚子や長谷川伸など当時の文化人を八尾に招き
その文化の影響で「おわら節」の改良が重ねられていきます

その時代に生きた文芸人らの想いは今 歌碑となって町内のあちらこちらで息づいています
散歩がてら町の「おわら名歌碑」めぐりをして廻るのもおわらの楽しみの一つです

そして画家の小杉放庵や舞踊の若柳吉三郎により「四季の踊り」が作られ
今の新踊りとなる男踊りや女踊りとなっていきました

おわら独特の高く繊細な調子で上句・下句を一息で唄い切る唄い方は
大正時代の中ごろに浄瑠璃語りの江尻豊治が完成させたとされています

そしておわら風の盆をここまで全国的な有名にしたのが
作家高橋治の小説「風の盆恋歌」でしょうね

涼しげな揃いの浴衣に 編笠の間から少し顔を覗かせたその姿は
実に幻想的であり優美で 山々が赤くもえる夕暮れを過ぎると
家並みに沿って並ぶぼんぼりに淡い灯がともります

それぞれの町の伝統と個性を いかんなく披露しながら唄い踊り
その町流しの後ろには 哀愁漂う音色に魅せられた人々が1人 また1人と自然につらなり
闇に橙色の灯が浮かび上がり 誰もがおわらに染まっていきます

おわら風の盆のおわらと云う語源はどこから

おわら風の盆の“おわら”という言葉の語源はいったい何なのでしょう

文化9年の秋 遊芸の達人たちが滑稽な変装をして新作の謡を唄いながら町練りを行い
謡のなかに“おわらひ”という語をさし挟んで唄ったのが
“おわら”に変わったという「お笑い節説」

豊年を祈り 藁の束が大きくなるようにとの思いから
“大藁”が転じて“おわら”になったとの「大藁節説」

八尾近在の“小原村”出身の娘が女中奉公中に得意の美声で唄った子守歌が起源だとする
「小原村説」等が語源とされています

諸説ありますが どれが正しいかはわかっていません

おわらの里・富山県富山市八尾町は 富山平野の南西部にあり
平野から飛騨の山脈に連なる街道筋の富山県と岐阜県との県境に位置します

八尾の名称の由来は 
飛騨の山々から越中側へのびる八つの山の尾に拓かれた地を意味するといわれています

かつて「富山藩の御納戸」と称されるほど経済力豊かな町で
街道の拠点として飛騨との交易や売薬 
売薬用紙の販売 養蚕による収益などで繁栄していました

富山藩の財政を支えた八尾町民の心意気として
井波彫刻・高岡彫金・城端漆工など加賀藩の名工の作が
惜しげもなく散りばめられた豪華絢爛な曳山祭などを始めとした
伝統文化が八尾には数多く残っています

おわら風の盆の開催区域である旧町と呼ばれる地区は
山の傾斜に石を積み上げ 安定させたその上に細長くできた高地に町並みを見せる坂の町です

今もなお昔ながらの風情を残し
昭和61年に「日本の道100選」に選定された諏訪町本通りや
通りの両側を流れる火防・流雪用水路「エンナカ」が奏でる水の音は
おわらの音色と共に平成8年に「残したい日本の音風景100選」にも選定されています

情緒ある八尾町 町民の生活から見いだしたおわらの歴史は古く
「おわら風の盆」は八尾に暮らす人々が大切に守り育んできた民謡行事であり
町民の生命ともいうべき特別な存在です

現在の唄を創ったと言われるのは名手江尻豊治
大阪で浄瑠璃を本格的に修行した美声と独自の唱法でおわら節を一層洗練させました

昭和5年に出版された句集「二百十日」の序文には
三味線を従えて町を流す江尻豊治の声に 
夜12時頃に200人近い聴衆がいたと記されていることからも
美声と長息のやわらかく唄い上げる江尻調は大変な人気だったことがうかがわれます

おわら風の盆が開催される期間と日程は

おわら風の盆が開催されるのは 9月1日~3日です
この3日間が本番で
その前に 前夜祭が開かれます

前夜祭と言っても 本番の前の晩ではなく

前夜祭は 8月20日~8月30日までの11日間 催されます
(※毎年開催日の変更はありません)

開催時間は 午後8時~午後10時(降雨の時は中断します)

前夜祭の内容は 輪踊りと町流しが毎晩行われます
1町内が輪踊りや町流しなどを行います
輪に入って一緒に踊る場合には必ず町内役員の指示に従ってください

おわら風の盆 本番 3日間の輪踊り・町流しについて
各町内(11支部)が決めたコースでの輪踊り・町流しがあります
(降雨中の輪踊り・町流しはありません)

9月1日と2日は 午後3:00~午後11:00
(但し 午後5:00~午後7:00は夕食・休憩のため踊っておりません)

9月3日は 午後7:00~午後11:00
(午後7:00以前は、一切踊っておりません)

ワンポイント演舞場出演中の支部は 輪踊り・町流しで踊っておりません
出演していない町内へ行くと町流しを見られる機会が増えます

※フラッシュ撮影を禁止している町内もありますので ご注意ください

6月の温習会の1週間を皮切りに 7月の演技発表大会
8月20日~30日の前夜祭を経て9月1日~3日の「おわら風の盆」本番を迎えます

戦時中の「踊ったら国賊」という時代背景にもめげず受け継がれてきた
伝統の「おわら」は 町ぐるみの熱い思いとなって現在に至っています

現在では 子供のころから風の盆の演舞会に出場させます
演舞会で恥をかかないようにと一生懸命練習するので 皆格段に上手になります

「おわら風の盆」の町流しは
11あるおわら支部がそれぞれ一団となって町の通りを唄い踊りながら流すもので
昔からの「おわら風の盆」の姿がここにあります

町流しには踊りと地方(じかた)が一体になった町流しと
地方だけの町流しがあります

11町内とも町流しをしますが
演舞場出演や休憩・食事等で中断したり
また 大変混雑いたしますと町流しができない場合もあります

おわら風の盆の行事はどの町内も 午後11:00までで終了しますが
地方を中心に 午後11:00以降も気の合った5~10人の同士が自然に集まり
町を流し歩くこともあります

行事終了後のため 必ずあるわけではありません
また 深夜の町流しが行われたとしても 
混雑している場所や騒がしい場所は避けて通りますので
どこの町内でも見られるというわけではありません

前夜祭は11ある町内がそれぞれ1日ずつを担当し 8月20日~30日までの11日間
午後8:00から10:00までの2時間にわたって実施するもので
昭和57年から始まりました

本来 各町で実施していた練習の延長として始まったものですが
本番の混雑解消を図る目的もあって
当初から「みんなで踊ろう」を合い言葉に観光客も交えた輪踊り形式で行っています

また 富山市八尾曳山展示館では
期間中毎晩午後6:30から7:50まで踊り方の解説やステージ出演が行われています

なお 各町内での行事は雨天の場合は中断となります

町内は路上駐車及びバスの乗入れは禁止です
町民ひろばを駐車場として用意していますが
バスは行事運営協力金として1台5,000円 一般車両は1台1,000円が必要です
※交通規制は19:30~22:30になります

本番の 9月1日・2日は 午後7:00から演舞会(有料)が開催されますが
3日はありません

また町流しや輪踊りは 
1日・2日は 午後3:00~11:00まで
(午後5:00~午後7:00までは 夕食等のため行っていません)

3日は午後7:00~11:00までとなり 午後7:00以前は行っていません

おわら風の盆が開催される 富山県の八尾町は人口 僅か2万人余りの町ですが
風の盆が開催される3日間で10倍以上の観光客が押し寄せます

特に午後7:00~午後9:00までの演舞会開催時間帯は混雑が激しく
おわら風の盆が十分に見られない場合もあります

また3日間が週末にかかる場合は バスツアーなども組まれ 一層の混雑が予想されます

静かに流れるような胡弓の音色が 心を包み込むような
そんな瞬間を想像したいのですが

残念ながら おわら風の盆は年ごとに人気が高まり
昔のような情緒を味わうことは難しくなっているようです

まとめ

仕事で富山を訪ねた時
『きのどくな~』と言われました
何か気を使わせるようなことをしたのかと考えましたが
よくよく聞くと
『きのどくな~』というのは
富山の方の言葉で
『ありがとう』という意味なんだそうです

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