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和歌山の淡嶋神社は人形供養や雛流し 針供養でも有名 その御神体やご利益は

和歌山県の加太にある淡嶋神社で行われる、
人形供養や雛流し、針供養についてお伝えします。

淡嶋神社は人形供養で有名で、
たくさんの人形が奉納されている様子は、
ちょっとミステリアスな感じもあって、
テレビなどのメディアに取り上げられ話題になります。

また、女性に優しい神社と言われる淡嶋神社では、
悩みを抱えた女性が、
あるものを納めることでも話題を呼んでいます。

淡嶋神社が人形供養や針供養で有名になった理由や、
淡嶋神社にお祀りされている御神体と、
そのご利益についてまとめました。

  

和歌山の淡嶋神社は人形供養や雛流しで有名

和歌山県加太にある淡嶋神社は、
人形供養や雛流しで有名です。

毎年三月三日に行われる『雛流しの神事』には、
全国から多くの女性が淡嶋神社を訪れます。

『雛流しの神事』は、
お祓いして供養された人形を白木の船に乗せて海に流し、
神の国に送る儀式です。

雛流しでは、人形に願い事を書き、人形とともに船に乗せます。

そこには、人形とともに過ごした思い出や、
無事に育ったことへの感謝など、
女性たちのさまざまな思いが込められているのです。

ひな祭りや人形供養などが行われる、
女性に優しい神様がお祀りされている淡嶋神社は、、
下着を奉納してご利益を頂く神社としても有名です。

でも、下着を奉納するって変ですよね!

奉納とは、
『神仏や精霊などに対して供物を捧げる宗教的な行為』とあるので、
もっと神様や仏様が喜んでくださるようなものでないと、
おかしいですよね。

ですからこの場合『奉納』ではなく、
下着を自分自身の分身として供養してもらうということなんですね。

しかし、女性用の下着供養を行う神社と言えば、
日本広しと言えど、和歌山県の淡嶋神社だけではないでしょうか。

『古い物の方がご利益がある』
などというまことしやかな噂まで広がったために、
境内奥の末社には、
ビニール袋に入った下着を納める場所まで用意されていて、
たくさんの下着が納められています。

それだけ切実な願いをもった多くの女性たちが、
この和歌山県の淡嶋神社に御利益を求めてやって来るのでしょう。

自分の使っていた下着をお納めて、供養してもらう、
何だか凄~い“怨念”が込められているような気がします。

深い悩みを持つ女性参拝者が増えていったのですが、
いつの頃からか、
安産や子宝祈願 婦人病回復のご利益があると評判になっていきました。

“髪は女の命”と言われた時代には、
髪の毛を奉納する人も多くいたそうですが、
今はもっとストレートな形のお願いの仕方に、
かわってきたということなのでしょうか。

こうした習わしが根付いたのも、
由緒ある淡嶋神社に、
さまざまな伝承が残っているからなのです。

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女の子の誕生と健康を祝う三月三日の節句『ひな祭り』も、
ここ淡嶋神社が発祥の地だと言われています。

『ひな祭り』という名称は、
少彦名命を祀る“すくなひこな祭り”が“ひこな祭り”となり、
『ひな祭り』の語源となったともいわれています。。

“男びな女びな”のモデルは少彦名命(すくなひこなのかみ)と、
神功皇后の男女一対のご神像で、
もともと少彦名命と大己貴命が祀られていた友ヶ島から、
対岸の加太へ遷られたご遷宮が、
仁徳天皇五年三月三日だったことに由来するのだそうです。

そんな経緯から、淡嶋神社は人形供養の神社としても有名です。

本殿を埋め尽くす数百数千のおびただしい数の、
ひな人形や市松人形の数には驚かされます。

これらの人形は、供養のために納められたものですが、
参拝者を見つめる人形たちの瞳の多さに、
思わずたじろいでしまうかも知れません。

まるで神社を埋め尽くすように、招き猫から不思議な仮面、
稲荷、ぬいぐるみからフランス人形まで、
あらゆる人形が並んでいるのです。

中には髪が伸びたり、奇怪な現象を起こすものもあるといわれ、
それらは一般公開されない場所に保管されています。

そのため心霊スポットとしてマスコミに取り上げられ、
紹介されることもあります。

人形には、持ち主の思いが宿ると言います。

人形に込められた様々な思いが、
ある種のパワーとなって渦巻いている場所でもあるのでしょう。

ところが、この供養のために淡嶋神社へ納められた数百体の人形が、
2016年の9月に、
USJが開催する『ハロウィーン・ホラー・ナイト』の、
「祟 TATARI ~生き人形の呪い~」というイベントに、
貸し出されたということで、
審議を醸し、ネット上で話題になったこともありました。

供養するために奉納された人形が、
興行収入のため、また神社の収益のため、
そのような形で利用されたことには、賛否両論が起こりました。

淡嶋神社は歴史ある神社ですので、
紀州徳川家から奉納された見事な雛人形も数多く残っています。

徳川家では、姫君が誕生する折りに、
その初節句には必ず一対の雛人形が奉納されたということです。

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和歌山 淡嶋神社の針供養の言い伝え

和歌山県加太にある淡嶋神社では、
毎年、2月8日に針供養が行われます。

針供養の日とされるのは、2月8日と12月8日の年に2回ですが、
淡嶋神社の針祭り(針供養)は、
2月8日午前11時より行われます。

淡嶋神社の御祭神少彦名命は、裁縫の道を初めて伝えた神様で、
一年の間に納められた針を、本殿にて祓いを受けた後、
針塚に納め、塩をかけ土に返すことで、
針の労をねぎらい、今後の上達を祈る祭りです。

針供養は、普段、裁縫などに使用している針に感謝し、
折れた針を供養する行事ですが、
主に関東では2月8日におこなわれ、
関西や北陸・九州などでは12月8日に行われる事が多いそうです。

針供養の多くは、
折れたり古くなった針を、豆腐やこんにゃくに刺して、
海に流したり、紙に包んで流したり、
地中に埋めたりして供養し、
その日、一日は針仕事を休み、
針を休憩させるとともに、裁縫の上達を祈願するお祭りです。

針は衣服を縫うときに使うものですが、
昔、鉄の針はとても貴重なもので、
一部の上流階級の人のみが使用していました。

その貴重品だった針が大量生産されるようになったのは、
今の着物の形の基礎ができあがった室町時代の頃からです。

京の都には、刀鍛冶たちの手で鋳造技術が発展し、
針は、姉小路の御簀(みす)屋で作られるようになったので、
『みすや針』と呼ばれ、
針供養が行われるようになるのは、江戸時代頃からです。 

針供養で有名な淡嶋神社は、全国各地にある淡嶋神社の本家本元で、
その淡嶋明神への信仰が江戸時代に大流行するきっかけは、
物売りを兼ねた淡嶋願人(がんじん)と呼ばれた放浪のお坊さんたちでした。

淡嶋願人は、淡島明神の人形を祀った厨子を背負い、
淡島明神の神徳を説いて廻るのですが、
家々に門付けする際、
歌の形をした語り物の祭文を唄っていました。

その歌詞は、
アマテラスオオミカミの第6番目の姫が、
16歳の春に女性特有の病気にかかった時、
巻物と神楽を小舟に乗せて堺の浜から流したところ、
あくる日に淡嶋に流れ着いたので、
巻物を取り出し、ひな形を作ったのが、
雛遊びの始まりだという内容でした。

その後に・・・

『丑寅の御方は針さしそまつにせぬ供養♪
紀州なぎさの郡加太淡嶋大明神、身体賢固の願、折針をやる♪』
と、続きます。

淡嶋願人たちの歌によって、
針を供養する信仰が広がっていったと言われています。

針供養というのは、供養という名前がついてはいますが、
仏事でも神事でもありません。

その証拠に、淡嶋神社も針供養で有名ですが、
京都の法輪寺など、針供養で有名なお寺もたくさんあります。

裁縫の専門学校などでも針供養が行われたりしますが、
針に感謝する気持ちがあればそれでいいというのが、
針供養の本来の姿だという事なのでしょう。

古い川柳に、
「針供養 宗旨(しゅうし)も知れず 寺もなし」と詠まれています。

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和歌山 淡嶋神社の御神体やご利益は


淡嶋神社(あわしまじんじゃ)は、
和歌山県和歌山市加太にある神社で、
加太淡嶋神社、加太神社とも呼ばれています。

全国にある淡嶋神社や粟島神社、淡路神社などの総本社で、
日本国内に淡嶋神社系統の神社は約1000社余りあると言われています。

住所:〒640-0103 和歌山県和歌山市加太118
電話番号:073-459-0043

淡嶋神社の御祭神は、
少彦名命(すくねひこなのみこと)
大己貴命(おほなむじのみこと)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后をお祀りしています。

淡嶋神社の社伝によると、少彦名命が医薬の神様で、
女性の病気回復や安産・子授けなどに霊験あらたかとされています。

ほかにも、身重の神功皇后が三韓出兵時に婦人病に悩まされ、
のちに平癒したとか、
住吉大神の妻で婦人病を患っていた淡嶋神が加太の地に祀られているなど、
さまざまな伝承が重なって、
淡嶋神社は女性に優しい神社として親しまれるようになりました。

またその昔、
神功皇后が三韓出兵からお帰りの際、
瀬戸の海上で激しい嵐に出会いました。

沈みそうになる船の中で神に祈りを捧げると、
「船の苫(とま)を海に投げ、その流れのままに船を進めよ。」
とのお告げがありました。

その通りに船を進めると、
ひとつの島にたどり着く事が出来ました。

その島が友ヶ島で、
その島には少彦名命と大己貴命が祭られていて、
神功皇后は助けてくれたお礼の気持ちを込めて、
持ち帰ってきた宝物をお供えになりました。
 
何年か経ち、
神功皇后の孫にあたられる仁徳天皇が友ヶ島に狩りに来られたとき、
そのいきさつをお聞きになりました。

そこで仁徳天皇は、島では何かとご不自由であろうと、
お社を対岸の加太に移され、
ご社殿をお建てになったのが、加太淡嶋神社の起こりとされています。

境内にある紀文稲荷社は、
淡島神社の近くで生まれ巨万の富を築いた紀国屋文左衛門が、
江戸に移り住む前、淡島神社に奉納したお稲荷さんです。

また本殿左にある『塩壷』通称“お歯黒石”は、
この水を歯につけると歯痛が消えたところから、
身体の痛い部分にこの水をつけると治るとされています。

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あとがき

人形ってかわいいのですが、
ちょっと怖い気もします。

うちにもたくさんの人形やぬいぐるみがあります。

ユーホーキャッチャーで獲得したぬいぐるみでさえ捨てられずに
今も玄関に飾っています。

しばらく一緒に過ごした人形ですから、
日々の私を見守ってくれていたような気がするんです。

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