芥川賞 直木賞は、
毎回発表のたびに話題を呼んでいますが、
芥川賞と直木賞の違いは何なのでしょうか。
また、芥川賞 直木賞は、
いつ、誰が創設した文学賞なのか、
その設立の経緯や目的をまとめました。
さらに、
芥川賞 直木賞と文藝春秋との関係についてもお伝えします。
芥川賞と直木賞の違いは何?
芥川賞
芥川賞の正式名称は『芥川龍之介賞』と言い、
小説家・芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)の名前から採られたものです。
芥川龍之介(明治25年~昭和2年)は、日本を代表する小説家で、
芥川龍之介の多くの作品が、
娯楽性よりも芸術性に比重を置いた『純文学作品』だったことから、
芥川賞の選考は、主に純文学作品が対象とされ、
選考委員の合議によって受賞作が決定されます。
芥川賞は無名の作家や新人作家が受賞することが多く、
芥川賞の受賞作品は、短編作品や中編作品が対象となっています。
受賞作品の長さに明確な規定があるわけではありませんが、
概ね原稿用紙100枚から200枚程度の作品が候補に選ばれています。
芥川賞の「作品の短さ」については、
本になったときに読みやすく、また値段も安くなることから、
直木賞に比べて作品の売り上げが伸びやすい理由となっています。
300枚未満で連作ではないもの、
何らかの雑誌で掲載済みのものならノミネートの対象になります。
芥川賞の受賞者には、正賞として懐中時計、
副賞として100万円が授与され、受賞作は『文藝春秋』に掲載されます。
芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)本名同じ
1892年(明治25年)3月1日 – 1927年(昭和2年)7月24日(35歳没)
東京府東京市京橋区(現:東京都中央区)
東京帝国大学英文科卒業
直木賞
直木賞の正式名称は『直木三十五賞』と言い、
こちらも日本を代表する小説家であり映画監督でもあった、
直木三十五(なおきさんじゅうご)の名前からきています。
直木三十五(明治24年~昭和9年)は、
主に『大衆小説』を多く残された小説家で、
『大衆小説』は、芸術性よりも娯楽性に比重を置いた小説の総称で、
直木賞の決定は、大衆小説を選考対象とされています。
ですから、芥川賞と直木賞の違いは、
芥川賞は『純文学作品』、直木賞は『大衆小説作品』という、
ジャンルの違いということになります。
直木賞も創設当初は同じく無名の作家や新進作家の大衆文芸が、
受賞の対象とされていました。
しかし直木賞は、時代の流れとともに新人が受賞することは難しくなり、
今では中堅作家の作品が対象になり、
直木賞の受賞作品は、おもに長編作品が対象となっています。
直木賞の受賞者には正賞として懐中時計、
副賞として100万円が贈呈されます。
また、受賞作は『オール讀物』に掲載され、
複数の受賞者がいる場合でもそれぞれに賞品と100万円の賞金が贈呈されます。
直木 三十五(なおき さんじゅうご)
1891年(明治24年)2月12日 – 1934年(昭和9年)2月24日(43歳没)
本名:植村 宗一
出生地:大阪府大阪市南区内安堂寺町(現・大阪府大阪市中央区)
最終学歴:早稲田大学高等師範部英語科(月謝未納で中退)
芥川賞と直木賞
芥川賞と直木賞のどちらの方が格が上かということが話題になりますが、
ジャンルも違い、選考基準も違うので、
比べられるものではありません。
芥川賞も直木賞も、どちらも権威ある賞であることに違いはなく、
候補者として選ばれるだけでも難しいことなのです。
芥川賞と直木賞はいつ誰が創設したのか
芥川賞と直木賞は、昭和10年(1935年)に、
出版社・文藝春秋の社長 菊池寛(きくちかん)が創設した文学賞です。
菊池寛が大正13年(1924年)に創刊した『文藝春秋』は、
芥川龍之介が創刊以来、毎号、巻頭に作品を掲載していました。
また、直木三十五は文藝春秋に文壇ゴシップなどを寄稿し、
芥川龍之介・直木三十五、
両者ともに文藝春秋の発展に大きくかかわってきました。
文藝春秋社長の菊池寛が、昭和9年(1934年)、
文藝春秋社発行の『文藝通信』に海外の文学賞が紹介されていた時、
日本にも権威ある文学賞を設立すべきだと書かれているものを読んだことが、
芥川賞・直木賞創設のきっかけだったそうです。
そのことから、文藝春秋の菊池寛は文学賞の創設にあたり、
この二人の作家の名前を付けたと言われています。
菊池 寛(きくち かん)
1888年(明治21年)12月26日 – 1948年(昭和23年)3月6日(59歳没)
本名:菊池 寛(きくち ひろし)
出身地:香川県高松市
職業:小説家、劇作家、実業家
最終学歴:京都帝国大学英文科
芥川賞と直木賞 選考基準や文藝春秋との関係は?
芥川賞 直木賞は、文藝春秋の社長 菊池寛が創設した文学賞で、
文藝春秋社内の『日本文学振興会』によって選考が行われ賞が授与されます。
芥川賞 直木賞を授賞する作品は、
選考委員の合議によって決定されますが、
第6回芥川賞 直木賞の選考から、
財団法人日本文学振興会により運営されています。
芥川賞 直木賞の選考会は『文藝春秋』の編集長が司会を務め、
東京都中央区築地四丁目にある料亭・新喜楽の、
2階で直木賞、1階で芥川賞の選考が行われます。
上半期には前年の12月からその年の5月、
下半期には6月から11月の間に発表された作品を対象とし、
候補作の絞込みは、
日本文学振興会から委託される形で、
文藝春秋社員20名で構成される選考スタッフによって行なわれます。
芥川賞と直木賞の選考は、毎年どちらも
上半期は各年7月、下半期は翌年1月の年2回選考会が行われ、
受賞作が発表されます。
芥川賞と直木賞 両方の賞に候補作品として選ばれていても、
どちらか一方で受賞が決まったときは、
もう一方の賞の選考からは外されます。
また、芥川賞と直木賞 いずれかの賞を受賞すると、
その作家の作品は、それ以降どちらの候補からも外されてしまいます。
芥川賞と直木賞ではジャンルが異なるので、
両方の候補となることも珍しいことのようですが、
芥川賞と直木賞の両方を受賞するというような、
『ダブル受賞』は、ありえないこととなっているのです。
「文學界」「群像」「文藝」「すばる」「新潮」の五誌は、
日本五大文芸雑誌と言われ、
この五大雑誌に掲載された作品が選出されることが多く、
文藝春秋社が刊行している『文學界』は、受賞作掲載数トップで、
直木賞 芥川賞の受賞では、
文藝春秋社が圧倒的に強い傾向にあります。
芥川賞 直木賞の設立者である菊池寛自身は、
『むろん芥川賞・直木賞などは、半分は雑誌の宣伝にやっているのだ。
そのことは最初から明言してある』と、
文藝春秋 1935年10月号に『話の屑籠』で、
はっきりとその商業的な性格を認めています。
そのうえで、芥川賞 直木賞に公的な性格を与えるため、
菊池は1937年に『財団法人日本文学振興会』を創設し、
両賞をまかなわせるようになった。
しかし『財団法人日本文学振興会』の財源は文藝春秋の寄付に拠っており、
役員も主に文藝春秋の関係者が就任していて、
『財団法人日本文学振興会』の事務所も文藝春秋社内にあります。
あとがき
芥川賞 直木賞の受賞発表は、
いつも大きな話題になりますね。
若い人が受賞したり、
芸人さんや有名人の方がが受賞したりするのを聞くと、
つい読みたくなってしまいます。
本離れが叫ばれる昨今、
きっかけはともあれ、それが書籍に親しむ機会となれば、
それはそれで有意義なことではないでしょうか。