興味津々

小正月はいつで何をする日?小豆粥や女正月 どんど焼き行事の意味と由来は

お正月はみんなでお祝いしますが、
小正月とはいつのことで、何をする日なのでしょうか?

最近では小正月という言葉をあまり聞かなくなりましたが、
小正月には小豆粥を食べる、
小正月は女の正月と言われた、
また、各地でどんど焼きをするといった、
いろいろな行事がありました。

では何故、小正月に小豆粥をなぜ食べるのか?
小正月を女正月というのはどうして?
どんど焼きの行事を小正月にする意味や由来は?
など、
小正月の行事についてまとめてみました。

  

小正月はいつで何をする日?

『小正月は』は、
歳神様を迎えるために準備が必要な大正月に対して、
農事的な行事を行う日です。

農作を占ったり、養蚕の盛んな地域では、
繭玉を作って飾ったりします。

十五日を年明けと考え、
一月十四日を『十四日年越し』として、
年越しを祝う風習もあります。

古くは、この日までが松の内とされていました。

江戸時代、幕府によって松の内は一月七日までとなったようですが、
関東地方以外には広まらず、
今でも一月十五日の小正月までを松の内とするところもあります。

小正月には『餅花』といって、
餅や団子を小さく丸めたものを、木の枝につけて飾り、
豊作を祈る習わしがあります。

餅花の色は、以前は白と赤に着色したものだけでしたが、
次第に多彩な色合いになってきました。

現在は、さらに小判やおたふくなどの縁起物を付けた、
賑やかなものが見られるようになっています。

小正月の一月十五日の朝に、『望粥(もちがゆ)』とも呼ばれる、
小豆の入ったお粥『小豆粥』を食べる風習もあります。

かつて中国では、小豆粥を炊いて、
家族の健康を祈る習わしがありました。

それにならって日本でも、一年間の無病息災を祈願し、
小豆粥をいただく風習が出来ました。

現在でも東北地方の農村などに、
左義長の前に小豆粥を食べる習慣が残っている地域があります。

左義長(さぎちょう・三毬杖)とは、
小正月に行われる火祭りの行事のことで、
地方によって呼び方が異なりますが、
日本全国で広く見られる習俗『どんど焼き』のことです。

小正月に小豆粥を食べる習慣は、
土佐日記や枕草子などにもでてきます。

また、その粥で農作物の豊凶を占う、
『粥占い』を行ったりします。

また、その昔は元服の儀を小正月に行っていたことから、
一月十五日を成人の日という国民の祝日にしたということです。

小正月の行事『女正月』とは何で、その由来は?

小正月を『女正月』と呼んで、
女性たちの骨休めの日に当てる地方もあります。

暮れからお正月にかけて、
忙しく働いてきた主婦を、家事から解放し、
ねぎらう意味が込められています。

女性はお正月も親せきやお年賀の挨拶に来られたお客さんの接待で、
なかなか休むことが出来なかったので、
お年賀の行事が一段落した小正月に一息ついたことから、
この時期を『女正月』と言われていました。

長野県の安曇地方では、十四日の晩を女の年取りといい、
男性が夕飯は作ることになっていたり、
新潟県の朝日村では、十六日を(女の年始)といい、
女性が寺や親戚に年始の挨拶に行ったと言われています。

また秋田県鹿角郡では、
一月十六日以降の半月を女子正月といい、
女性はお休みの日とされていたこともありました。

小正月の行事『どんど焼き』その由来は?


『どんど焼き』の由来は、平安時代までさかのぼり、
宮中行事のひとつとして御所の清涼殿・東庭で行われていました。

毬枝(ぎっちょう)と呼ばれる青竹三本を束ねて立てて、
その上に扇や短冊を置いて、
陰陽師が謡いはやしながらそれを焼くという悪魔払いの儀式でした。

その毬枝(ぎっちょう)が左義長(さぎちょう・三毬杖)となり、
次第に民間に広がっていきました。

現在は、氏神様の神社の境内や、
収穫後の田んぼなどで行われるようになり、
一年の初めに穢れを祓い、
『無病息災』『五穀豊穣』を祈る行事になっています。

刈り取り跡の残る田んぼなどに、
一月十四日の夜、もしくは十五日の朝に、
青竹を3、4本組んで立てて、火を焚き始め、
立ちあがる火の中に、正月飾りや書き初めなどをくべて燃やします。

その火で焼いた餅を食べると、
一年の厄から逃れることができるなどと言われています。

また、正月飾りの注連飾りなどを焼いた灰を持ち帰り、
自宅の周囲に撒くと、その年の病を除くと言われています。

さらに、書き初めを焼いた時に、
炎が高く上がると字が上達するとも言われています。

お正月に門松や注連飾りで出迎えた歳神様を送る時、
歳神様の依代であった門松や注連飾りを、
小正月のどんど焼きで焼くことによって、
炎と共に見送る意味があったとされています。

お盆にも火を燃やす風習がありますが、
こちらは先祖の霊を迎えたり、
そののち送り出す民間習俗が仏教と混合したものと考えられます。

とんど(歳徳)、とんど焼き、どんど、どんど焼き、どんどん焼き、
どんと焼き、さいと焼きなどといろいろな言い方がされます。

歳徳神を祭る慣わしが主体であった地域では特にそう呼ばれていますが、
出雲方面の風習が発祥であろうと考えられています。

“どんど”
これは燃やす際に青竹が爆ぜることからつけられた当て字で、
とんどを爆竹と当てて記述する文献もあります。

どんど焼きは、ただの焚火ではなかったようです。

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あとがき

年末はバタバタしていて、慌ただしかったのに、
お正月はあっさりと過ぎてしまいます。

女正月という風習も、今ではあまり残っていませんけど、
女性が楽できる風習って良いですね!

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