興味津々

正倉院展はなぜ人気?第70回正倉院展の展示物と初出陳宝物の魅力

令和元年の正倉院展は、
2019年10月26日から 11月14日までの20日間 開催されます。

正倉院展は人気が高く、
開催期間中には10万人以上の人が訪れ、混雑は必至です!

人気の高い正倉院展に魅せられて、
何度も訪れるファンもいます。

約9000点以上はあると言われる正倉院の宝物。

毎年、5~60点が毎回公開され、
その中の約10点ほどが初出陳なのですが、
一生通い続けてもすべてを見ることはできません。

2018年の正倉院展で公開された正倉院の宝物の一部をご紹介します。

  

正倉院展はなぜ人気?

2018年の正倉院展は、
56件の宝物が出陳されました。
そのうちの10件は初出陳を含みます。

秋の奈良の風物詩ともいわれる正倉院展は、
今年71回の節目を迎えます。

昨年 第70回正倉院宝物展では、
北倉(ほくそう)10件、中倉(ちゅうそう)16件、南倉(なんそう)27件、
聖語蔵(しょうごぞう)3件の、合わせて56件の宝物が出陳されました。

今年は平成25年度から27年度にかけ、
宮内庁正倉院事務所によって行われた特別調査を踏まえ、
麻を用いた様々な宝物が出陳されます。
麻と人間の織りなす文化史に思いを馳せてみてください。

この他、正倉院宝物と同時代に、
朝鮮半島に栄えた王国・新羅(しらぎ)に関わる宝物も多数出陳されます。

唐との交流だけではなく、既に奈良時代に「宝物」の流通という形で、
グローバルなつながりがあったという、
「古代ロマン」をしみじみと体感できるのが、
「正倉院展」の醍醐味にもなっているのです。

奈良時代の多様な国際関係に、
注目です!

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正倉院展が開催される奈良国立博物館周辺にはどのような見どころがあるのか、周辺地域の観光スポットの詳しい情報はコチラで!

正倉院展2018 第70回正倉院宝物展で公開された展示物

正倉院宝庫は、
北倉(ほくそう)中倉(ちゅうそう)南倉(なんそう)に区分されています。

北倉は主に聖武天皇・光明皇后ゆかりの品が収められ、
中倉には東大寺の儀式関係品、
文書記録、造東大寺司関係品などが収められていました。

また、950年(天暦4年)
東大寺羂索院(けんざくいん)の双倉(ならびくら)が破損した際、
そこに収められていた物品が正倉院南倉に移されています。

南倉宝物には、仏具類のほか、
東大寺大仏開眼会(かいげんえ)に使用された物品なども納められています。

【北倉】

★北倉42 平螺鈿背八角鏡 [へいらでんはいのはっかくきょう]
(螺鈿かざりの鏡) 1面 径32.8 縁厚0.7 重3514.8

『国家珍宝帳』に記載された、聖武天皇ご遺愛の鏡。

外形が八弁をかたどる八花鏡(はっかきょう)とよばれる形式をとる。

鏡背面の装飾は、
ヤコウガイに精緻な毛彫(けぼり)を施した螺鈿(らでん)を主とし、
花弁や花心の赤い部分には彩色(さいしき)した上に琥碧(こはく)を伏せ、
間地にはトルコ石の細片をちりばめる。

鏡面は白銅(はくどう)製、鋳造(ちゅうぞう)で、
蛍光エックス線を用いた調査によれば、
本品の金属成分は中国鏡の成分比率と近いことから、
唐からもたらされたものと考えられる。

平螺鈿背八角鏡は鎌倉時代の寛喜2年(1230)の盗難にあった際、
大きく破損したが、明治期に修理が行われた。

★北倉152 繡線鞋 [ぬいのせんがい]
(刺繡(ししゅう)かざりのくつ) 2両
[その1]長27.5 幅7.6 踵高3.4
[その2]長27.6 幅8.2 踵高3.3

『屏風花氈等帳(びょうぶかせんとうちょう)』に記される
「繡線鞋」に該当すると考えられる女性用の履物。

甲の部分に花形の飾りが付くのが特徴で、爪先から花形飾りにかけ、刺繡(ししゅう)で装飾が加えられている。

軽量で、絹や麻、紙などの素材で作られていることから、
室内履きと考えられる。

表面に使用されている花鳥文錦(かちょうもんにしき)の組織は、
中国・唐代の遺例が知られ、
また中国・新疆(しんきょう)自治区トルファン市のアスターナ381号墓から
類品が出土していることなどから、中国製とみられる。

高位の女性の所用品に相応しい華麗な品で、
室内履きを用いた当時の宮廷での生活がうかがわれる点も興味深い。

★北倉35 新羅琴 [しらぎごと]
(弦楽器) 1張  全長154.2 幅上方で30.6 羊耳形幅37.0
附 柱(じ)4枚

 新羅琴(しらぎごと)は、朝鮮半島に起源する12絃の琴。

羊耳形の緒留(おど)めが付くのが特徴で、
絃(げん)は緒留めの孔(あな)に通した長い麻製の緒に、
その端が留め付けられ、
緒の端は一条にまとめられ綱状に綯(な)われている。

新羅琴は、胴はキリ材製、
羊耳形緒留めと龍角(りゅうかく)はケヤキ材製で、
表裏に金泥及び截金(きりかね)による文様(もんよう)が表されている。

槽(そう)の片側に懸紐(ただし新補)が付いており、
演奏に際し頸(くび)などに懸けて槽を支えるためのものとみる説がある。

『雑物出入帳(ざつもつしゅつにゅうちょう)』(出陳番号33)によれば、
弘仁十四年(823)2月19日に出蔵された
「金鏤新羅琴」に代わって同年4月14日に代納されたもので、
他の多くの北倉の宝物と伝来を異にしている。

【南倉】

★南倉165 雑葛形裁文 [ざつかずらがたのさいもん]
(楽舞(がくぶ)用のかぶりもののかざり金具) 1組
縦46.5 横62 他

楽舞(がくぶ)に用いられたかぶりものの
一部と考えられる残欠(ざんけつ)。

金具を伴う大片や、
これと同様の多数の金銅(こんどう)製透彫(すかしぼり)金具、

雑葛形裁文の覆輪(ふくりん)だったとみなされる、
金銅縁輪(こんどうのふちわ)等の部材から当初の姿を復元すると、
側面がエックス字型で、麻布(あさぬの)の芯に濃紫色の綾(あや)を張り、
赤い平絹(へいけん)で、
裏打ちした金具を鋲留(びょうどめ)していたと考えられる。

金具は中央に鳳凰形(ほうおうがた)をあしらい、
斜め上に含綬鳥(がんじゅちょう)を置き、
周囲に唐草文様(からくさもんよう)を配していたと推定される。

縁には錦の縁裂がめぐらされていたことも明らかとなっている。
 
非常に豪華なかぶりもので、壮麗な楽舞の様が偲ばれる。
 
なお、今回は関係する金具類がまとめて出陳されるのも注目される。

★南倉97 錦紫綾紅臈纈絁間縫裳
[にしきむらさきあやべにろうけちあしぎぬのまぬいのも]
(女性用の裳) 1腰  現存丈86 腰部幅81

下半身に着用する巻きスカートのような装束(しょうぞく)で、
裳(も)と名付けられるが裙(くん)と考えられる。

女性が胸高に着用し、裾は足下に及ぶもので、
奈良・中宮寺蔵天寿国繡帳(てんじゅこくしゅうちょう)(国宝)や、
高松塚古墳壁画(国宝)の女性像に例をみることができる。

二つ折りした赤絁(あかあしぎぬ)の帯に、
スカート状の裂(きれ)を挟む構造で、裂の先端は失われている。

袷(あわせ)仕立てで、
表には赤地臈纈絁(ろうけちのあしぎぬ)、紫綾(むらさきあや)、
緑系織り色綾の3種の細長く裁った裂を、
繰り返し継ぎ分けた縦縞の裂が用いられている。

赤、紫、緑、黄の諸色を取り合わせた華やかな装束で、
銘記は伴わないものの、
伎楽(ぎがく)などの楽舞(がくぶ)の装束であったとする説が示されている。

★南倉114 磁鼓 [じこ] (三彩のつづみの胴) 1口
長38.3 口径22.0 腰径10.9

いわゆる奈良三彩(ならさんさい)の技法で焼かれた鼓(つづみ)の胴。

両端に革を張って打ち鳴らされる。

唐楽(とうがく)で使用された細腰皷(さいようこ)とみられ、
口縁と長さの比率からそのうちの二鼓(にのつづみ)と考えられる。

鼓胴(こどう)は木製が一般的であるが、
極稀(ごくまれ)に陶製のものがあり、
国内では京都府木津川市の馬場南(ばばみなみ)遺跡より、
須恵器(すえき)製の鼓胴が出土している。

中国、朝鮮半島にも僅(わず)かに例があり、
この磁鼓も中国製とする説が以前にはあったが、
我が国特有の右回転の轆轤(ろくろ)で成形されていることから、
国産品と考えられる。

奈良三彩としては精良で、
割れた部分を修補しているものの完形を備えており、
類例の少ない陶製の鼓胴として非常に貴重である。

★南倉33 白銅剪子 [はくどうのせんし]
(灯明の芯切りばさみ) 1挺  長22.6 重183.6

白銅(はくどう)製の鋏(はさみ)。

先端が半円形にふくらみ、
長い柄には随所に蕨手(わらびて)状の飾りをつける。

用途は従来不明とされてきたが、
韓国・慶州(キョンジュ)市の月池(ウォルチ)(雁鴨池(アナプチ))より、
大きさと形の近い鋏が発掘され、
この品の刃の部分に取り付けられた半輪形の金具は、
刃が噛(か)み合うと一つの円形をなし、
切り取られた残片が落ちない仕組みとなることから、
この白銅剪子も燭台用の鋏と考えられるようになり、
その後南倉の銅鉄類の残欠(ざんけつ)中より金具が発見され、
本来の姿を見せることとなった。

白銅剪子の製作地は慎重な検討が必要であるが、
新羅(しらぎ)との活発な交流を物語る品といえよう。

★南倉51 犀角如意 [さいかくのにょい]
(犀角かざり 僧侶の持物(じもつ)) 1柄
長58.0 掌の幅5.9

如意(にょい)は僧侶(そうりょ)が法会(ほうえ)の際などに執り、
威儀(いぎ)を正すための道具。

犀角如意は掌の部分に犀角(さいかく)を用いた豪華な品で、
掌の下方は、草花や蝶、鳥を表した、
表は赤色、裏は青色の、花先形の撥鏤(ばちる)で飾っている。

掌の付け根は、鳥や植物を透彫(すかしぼり)した
象牙を被(かぶ)せて装飾している。

柄(え)は板状で、金線で6区に劃(かく)し、
赤・青に染めて花卉、蝶、鳥を表した撥鏤の板を交互に貼り付けている。

中央には金製の八弁花文を配し、
花心には地に彩色(さいしき)を施した水晶を嵌(は)めている。

犀角や象牙、水晶や真珠、金など貴重な素材が、
ふんだんに用いられた豪奢(ごうしゃ)な如意で、
晴れやかな奈良時代の法会の様をうかがわせる。

★南倉153 仏像型 [ぶつぞうのかた]
(押出仏(おしだしぶつ)の型) 1面  縦16 横11.2 厚3.22 重4570

古代寺院の荘厳(しょうごん)などに用いられた、
押出仏(おしだしぶつ)の型(かた)と思われるもので、
同形同大のものが他に2面伝わる。

銅製鋳造(ちゅうぞう)で、
長方形の厚みのある銅板に二重円相(えんそう)の光背(こうはい)を負い、
蓮台(れんだい)上に坐(ざ)す、
偏袒右肩(へんたんうけん)の如来形(にょらいぎょう)を、
高肉(たかにく)に鋳出(いだ)している。

如来形は素髪(そはつ)とし、両手を腹前で衣の中に隠す、
いわゆる化仏(けぶつ)の図像に表される。

この仏像型の上に銅板を置き、鎚(つち)で像容を打ち出したとみられるが、
現在この型に合う押出仏は知られていない。

尊像は、
切れ長の目や鼻筋の通った張りのある面貌(めんぼう)に特徴が見出され、
体軀(たいく)も堂々とした充実ぶりをみせており、
奈良時代盛期の造像と考えられる。

【中倉】

★中倉14 山水図 [さんすいず] (風景を描いた絵) 1張
縦59 横179

麻布に墨で山水景観を描いたもの

波の間に鳥が飛び、洲浜形(すはまがた)の島が描かれる。

島には樹木が繁り、小舟と船頭のような人物、山を登る旅人の姿、
草庵と獣皮らしき敷物に坐(ざ)す人物、
その前に畏(かしこ)まるように坐す人物、
騎馬の狩猟者らしき姿などが描かれている。

画題は不詳であるが、奈良時代に流行した隠逸を主題にするとも、
一種の理想郷を表したものとも解釈される。

簡略な筆致ながら、穏やかな構成や細密な描写に、
唐代の絵画を受容した後代のやまと絵に繋がる要素が見出され、
遺例の少ない奈良時代の絵画として貴重である。

用途も詳(つまび)らかではないが、室内に張り巡らし、
障屏画(しょうへいが)のように用いたとする説がある。

★中倉146 玳瑁螺鈿八角箱 [たいまいらでんはっかくのはこ]
(献物箱(けんもつばこ)) 1合  長径39.2 高12.7

八角形、印籠蓋造(いんろうぶたづくり)、木製の箱。

表面全体に玳瑁(たいまい)を貼り、螺鈿(らでん)で文様(もんよう)を表す。

蓋表(ふたおもて)は中央に大振りな唐花(からはな)を据え、
連珠文帯(れんじゅもんたい)で8区に区切って、
各間に雌雄の鴛鴦(おしどり)を交互に表している。

蓋側面は花文を中央に配し、一対(いっつい)の鴛鴦を表す区画と、
飛雲上に一対の飛鳥を表す区画とを交互に配している。

身側面は形状を違(たが)える大振りな唐花文が交互に配置されている。

花心には赤い色を地に塗った上に琥碧(こはく)と玳瑁を被せるなど、
細部にまで珍貴な素材をふんだんに使用した、
一際(ひときわ)豪華な献物箱(けんもつばこ)で、
壮麗な献納品を納めたものと想像される。

また文様のパターンを交互に変えるなど、
鑑賞者を飽きさせない工夫が凝らされている点も注目される。

★中倉142 沈香木画箱 [じんこうもくがのはこ]
(献物箱(けんもつばこ)) 1合  縦12.0 横33.0 高8.9

長方形、印籠蓋造(いんろうぶたづくり)、床脚(しょうきゃく)付の箱。

表面に沈香(じんこう)とシタンの薄板を貼り、
沈香の部分には金泥(きんでい)で文様(もんよう)を描いている。

中央の区画には、小窓を開けて水晶製の薄板を嵌(は)め、
地には動物や花卉(かき)などの文様を色彩豊かに表している。

窓の周囲は矢羽根文(やばねもん)や甃文(いしだたみもん)の、
木画(もくが)で飾り、
箱の稜角(りょうかく)にも木画をあしらって、細部まで豪華に装飾している。

床脚には葡萄唐草(ぶどうからくさ)に鳥や獅子(しし)をあしらった、
透彫(すかしぼり)の象牙が嵌められており、
足下から一際(ひときわ)壮麗に飾られているのが特徴的である。

沈香、シタンといった豪華な素材を用い、
彩絵、木画、牙彫(げちょう)など各種の技法を駆使して、
隙間なく装飾されており、
献物箱(けんもつばこ)中屈指の優品として高名である。

★中倉59 華厳経論帙 [けごんきょうろんのちつ]
(経巻の包み) 1枚 縦29.5 横58.0

巻子(かんす)装の経巻を一定数巻いて包み、保管するための紙製の用具。

左上に「華嚴經論第七帙」の墨書(ぼくしょ)があり、
六十巻本『華厳経(けごんきょう)』の注釈書である
『華厳経論(けごんきょうろん)』百巻のうち何巻かを納めたものと思われる。

芯の麻布を挟む内張(うちばり)の紙に、
新羅(しらぎ)の公文書の反故紙(ほごし)が用いられていることが知られており、
『華厳経論』とともに新羅より舶載(はくさい)されたものと考えられる。

新羅は華厳教学が盛んであり、
我が国における華厳教学の中心である東大寺との交流がうかがわれる。

ところで、前述の新羅の文書は、2片5張からなるもので、
昭和八年(1933)の修理に際して取り出され、
修理後は再び本体に戻されたため、現在は写真でしか確認できない。

内容は4つの村落の明細を書き記したもので、
村名、村落の面積、戸数、人口、家畜の頭数、耕地の面積、樹木の数、
前回の調査以降の3年間の推移などを記録しており、
新羅の社会経済史を研究する上で重要な史料となっている。

★中倉20 続々修正倉院古文書 第四十帙第一巻
[(紙背)月借銭解(げっしゃくせんげ)ほか]
[ぞくぞくしゅうしょうそういんこもんじょ]
(写経生の借金の文書) 1巻

月借銭(げっしゃくせん)とは、月ごとに一定の利息がかかる借銭、
つまり現代でいう借金に当たるもので、
写経所の職員等がこの借銭を申請する際に提出したのが、
月借銭解(げっしゃくせんげ)です。

月借銭解は申請書であると同時に借用証書でもあり、
元本と利息が完済されるまで写経所で保管されました。

本巻に収める26通の月借銭解の大半は、宝亀三年(772)に借りられ、
翌四年に完済されたもの。

かつては月借銭解の存在から、
写経に従事する人々は生活が苦しく借金を重ねたと理解されていましたが、
現在では、生活苦から借金した人は少なく、
月借銭は写経所(または事務担当者)側が主導して、
銭を貸し付ける制度であったとする理解が定着しています。

正倉院展に展示される正倉院宝物とは?図録や関連書籍の入手方法は?

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正倉院展2018 第70回正倉院宝物展で公開された初出陳の宝物の魅力

【正倉院北倉からの初出陳】

★北倉45 揩布屛風袋 [すりのぬののびょうぶぶくろ] 屛風の袋 1口 前面長157 幅61 

【正倉院南倉からの初出陳】

★南倉147 櫃覆町形帯 [ひつおおいのまちがたのおび]
(櫃覆いの押さえ帯) 1条 帯幅6 周長約340
 
「東大寺樻覆町形帯 天平勝寳八歳五月二日」の墨書(ぼくしょ)から、
天平勝宝八歳(756)5月2日に崩御(ほうぎょ)した聖武天皇の、
葬送に関わる品を納めた櫃(ひつ)の覆いを、
押さえるために用いられたと考えられる帯。

麻布(あさぬの)製の芯を赤絁(あかあしぎぬ)で包んだ帯を、
縦横2条ずつ交差させ、
その周囲を同じ帯で囲んだ形状で(本品は一部が欠失)、
「東大寺樻覆紐」と記された同様の紐が付く。

類品が30点余り宝庫に伝来している。
 
なお、近時の調査で、
大麻(たいま)製と判明した麻布(あさぬの)の芯から
「伊豆國印」及び「□□勝寳七歳十月」の墨書銘が確認され、
伊豆国より貢納された調庸布(ちょうようふ)であることがわかった。

★南倉82 雑色縷 [ざっしょくのる] 暈繝柄のひも 1条 長径21 紐の径0.3

★南倉74 古櫃 [こき] 宝物の収納容器 1合 縦66.8 横97.0 高47.0

★南倉10 漆鉢 [うるしばち] 漆塗の鉢 1口 口径20.9 胴径26.5 高17.4

【正倉院中倉からの初出陳】

★中倉20 続々修正倉院古文書 第四十帙 第一巻
[ぞくぞくしゅうしょうそういんこもんじょ] 写経生の借金の文書 1巻 (110張)

★中倉20 続々修正倉院古文書 第十六帙 第八巻
[ぞくぞくしゅうしょうそういんこもんじょ] 経典の借用記録 1巻 (25張)

【正倉院 聖語蔵からの初出陳】

★聖語蔵4-7 仏説徳光太子経 [ぶっせつとっこうたいしきょう] 奈良朝写経 1巻 (22張)

★聖語蔵2-10 摩訶般若波羅蜜経 巻第五 [まかはんにゃはらみつきょう] 唐経 1巻 (21張)

★聖語蔵3-97 摩訶般若放光経 巻第二十八 [まかはんにゃほうこうきょう] 光明皇后御願経 1巻 (18張)

【聖語蔵とは】
正倉院の構内にはもう1棟、小型の校倉造倉庫が建ち、
「聖語蔵」(しょうごぞう)と呼ばれている。

中に収められていたのは経巻類で、
正倉院文書とは別の古代の仏教関係の書籍(経巻類)が保管されていた。

もとは東大寺尊勝院の経蔵「聖語蔵」の一群である。

この経巻類は1894年(明治27年)に皇室に献納され、
校倉造倉庫も正倉院構内に移築されました。

現在は他の宝物と同様に宮内庁正倉院事務所が管理しています。

正倉院展の正倉院宝物は誰がどのようにして集めどこで守られてきたのか?

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あとがき

正倉院展は、聖武天皇ゆかりの
平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう)をはじめ、
沈香木画箱(じんこうもくがのはこ)、
玳瑁螺鈿八角箱(たいまいらでんはっかくのはこ)、
犀角如意(さいかくのにょい)など、

珍貴な素材を惜しげもなく使い、
技術の粋を尽くした華麗な工芸品が目を楽しませてくれます。

今も身近な素材である麻は、古来様々な用途に用いられ、
麻布は税として地方から都に納められていたそうです。

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