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壬生寺の節分祭 狂言のあらすじは?壬生寺創建の歴史とレンタル地蔵とは?


壬生寺の節分祭は毎年大変なにぎわいです。
節分の日は屋台の出店とお参りの人で溢れかえります。
節分祭で行われる壬生狂言の演目『節分』のあらすじや、
壬生寺創建の歴史についてまとめています。
壬生寺のレンタル地蔵についても考えてみました。

  

壬生寺の節分祭の行事

毎年、2月2~4日に壬生寺で節分祭が行われます。

2月2~4日にかけて壬生寺境内や周辺に露店が多数立ち並び、
行事は2日3日に行われます。

2日13:00(山伏・園児の練り供養)

山伏さんが、13:00より壬生寺の周囲を練り歩きます。
山伏さん一行が椰神社に到着します。
この椰神社では、「おかぐら」が舞われています。
椰神社に到着した園児と山伏さんは、
法螺貝を鳴らしながら神社前で供養をします。

2日14:00(大護摩祈とう)

壬生寺の節分祭の大護摩祈とうが境内で行われます。

最初に、東南より、山伏問答が行われ、
続いて大護摩祈とうも儀式が行われます。

火床には、中央に放った矢がささっていて、
祭壇のロウソクの火から松明に火をつけます。

山伏さん2人が火床の前にかがみ、座主さんが文を読み上げ、
山伏さんより法螺貝の合図で、真ん中の枯れ枝に火が点火されます。

護摩木に火が点くと、山伏の座主が祈祷を始めます。
その後、まわりにいる山伏さんがお祈りをして、護摩木を投げ入れます。

2日3日13:00~20:00(壬生狂言)

行事の他に、節分の題目の壬生狂言が連日行われます。
1時間置きに上演され無料で見れます。

壬生寺の節分祭 狂言のあらすじ

鬼は打出の小槌を振って変装し、
小槌で多くの着物を出し、夫を亡くした女性に与えます。

酒宴が始まり、
鬼は酔って変装した着物などを取られ正体がバレてしまいます。

鬼は目をさまし、何もないことに気づくのですが、
女性は鬼の嫌いな豆をまき鬼を追い払うと言う狂言です。

鬼と女性の動きがとてもユーモラスで、鳴り物の音も効果的です。
笑いを誘う演出もたくさんあって、
セリフがなくても何となくわかって、なんとなく笑える!
そんな喜劇じゃなくって狂言です。

2~4日(厄よけ招福のほうらく奉納)

炮烙割(ほうらくわり)とは、
京都では、二月の節分に壬生寺を参詣し、
炮烙を境内で求め、願いごとを書いて寺に奉納すると言う風習が古くからあり、
奉納された炮烙は、毎年四月に行われる狂言で割られることによって、
奉納者は厄除け開運が得られます。

壬生寺の節分では、
ほうらく奉納という独特の風習が行われます。

ほうらくとは漢字で書くと炮烙、素焼のお皿の事で、
このお皿に、年齢や性別、願い事などを墨で書いて奉納します。

炮烙(ほうらく)を奉納した人は、
その年の厄を免れ福徳を得るそうです。

奉納したお皿は、
4月に行われる壬生狂言の序曲である「炮烙割」で、全て割られます。

壬生寺 創建の歴史

京の律宗寺院 壬生狂言で知られる壬生寺は、
幕末に、新選組の兵法練習場として使われた場所です。

境内にある池のなかの島は『壬生塚』と呼ばれ、
近藤勇の胸像や新選組隊士たちのお墓があります。

壬生寺は、
滋賀県にある三井寺(園城寺)の僧・快賢が、
母の菩提を弔うために建立したもので、
当時は「小三井寺」と呼ばれていました。

南都六宗の一つである律宗の寺院で、古い名を『宝憧三昧寺』などと号し、
ご本尊として地蔵菩薩立像(重要文化財)を安置しています。

壬生寺の創建は、正暦二年991年
その後、火災により堂宇を焼失し衰退しましたが、
正元元年(1259年)、平政平によって再興されました。

さらに正安二年(1300年)、中世に入ってから、
融通念仏宗の円覚上人が人々にその教えを広く伝えるため、
『大念仏狂言』を始めたことで、ふたたび隆盛を遂げたのです。

この大念仏狂言は、
一切セリフがない無言劇で、鐘や太鼓に合わせて演じられ、
パントマイムのように、身振り手振りだけで仏の教えを説いたもので、
娯楽の性質を持ちながらも、身分を問わず、
「勧善懲悪」「因果応報」などといった、
仏教の教えを知ることができる宗教劇なのです。

春、秋、節分にそれぞれ数日間公開されます。

演目は、全部で30番あり、
演じるのは、主に地元在住の小学生から長老までの、
「壬生大念佛講」の方々です。

壬生寺の「大念仏狂言」は、当日券の販売のみで、
全て自由席です。

詳しくは壬生寺まで→http://www.mibudera.com/

現在も「壬生さんのカンデンデン」と、広く親しまれ、
重要無形民俗文化財にも登録されています。

この大念仏狂言を行うのは、大念仏堂で、
1856年に再建をされたものです。

舞台・橋・飛び込みといった設備が壬生寺には整っています。

境内の中央には本堂が建っています。

壬生寺は、昭和三十七年(1962年)、
本堂を全焼し本尊地蔵菩薩像を含む多数の寺宝を失いました。

新しい本尊は、律宗の総本山である唐招提寺から移された延命地蔵菩薩で、
『安産』『病気平癒』『延命』など、
十の功徳「十益」を得られると言われています。

現在の本堂は、1970年に再建されたもので、
昭和四十五年(1970年)に本堂の落慶法要が行われました。

壬生寺は、五仏錫杖頭(重要文化財)や、
列仙図屏風(長谷川等伯筆・重要文化財)、
室町時代の作を含む190点の狂言の仮面などの寺宝を今に伝え、
年間法要や七百年の伝統を持つ壬生狂言(重要無形民俗文化財)は、
絶えることなく行なわれています。

壬生寺のレンタルお地蔵さん

南門の脇には、
パゴダ(東南アジアの仏塔)を思わせる大きな仏塔が経っています。

それは、「千本仏塔」と呼ばれるもので、
1989年に、壬生寺の創建一千年を記念して改築されたものです。

壬生寺には、室町時代からの石仏が境内に置かれていたとされ、
水掛け地蔵をはじめとする石仏が約三千体祀られています。

また、壬生寺では明治以降、京都の町の区画整理などによって、
祀ることのできなくなった街角の『お地蔵さん』を多数引き取っています。

その一部の石仏は、
八月下旬に京都市内各地で行われる「地蔵盆」に貸し出し地蔵として、
貸し出されます。

これは、地蔵が無い新興住宅地の町内から、
地蔵盆の期間に当寺の石仏を貸して欲しいとの依頼があり始められたもので、
50年以上の歴史があります。

マスコミでは、レンタル地蔵と現代風に呼ばれていますが、
出開帳に基づく伝統行事なのです。

京都の地蔵盆は子供のための祭とも言え、地蔵に詣った子供達は地蔵の前に集まって、
供養の菓子や手料理などを振る舞われます。
また地域の子供達が一堂に会するため、
子供達に向けたイベントも行われたり、そのまま子供達の遊び場となります。

ご近所の子供同士のコミュニケーションが取れる唯一の場所かも知れません。

レンタル地蔵という言い方に違和感を覚えますが、
地域を守ってくださるお地蔵さんと子供たちにとって、
必要なシステムなのかも知れません。

このように、創建より地蔵菩薩をまつり、
地蔵信仰をひろめる寺として地元に愛されているお寺なのです。 

毎年8月に行われる「壬生寺万燈会」では、
この千体の仏塔に灯りがともされます。

京都には数多くの寺院がありますが、
律宗の寺院は、この壬生寺と法金剛院(京都市右京区)の二寺だけで、
とくに中世以降、律宗寺院は地蔵菩薩との関係が深くなったとされています。

あとがき

壬生寺は新選組ファンにとって、聖地のような寺ですが、
壬生寺のなかには老人ホームと保育園が隣り合ってあります。
幼い子供たちを眺める老人と、お年寄りの姿があるところで遊ぶ子供たち。
核家族が多くなった現代にとって、とてもいい感じだと思って見た覚えがあります。
壬生屯所には多くの観光客が訪れています。
ちなみに私は幸福堂のきんつばを買いによく行きます。

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