春分の日には、
皇居の宮中三殿において春季皇霊祭が行われます。
この春分の日とはどういう日で、
なぜこの春季皇霊祭が春分の日に行われるのでしょうか。
そもそも春季皇霊祭とはどのような宮中祭祀で、
何のために行われる行事なのか、
また、春季皇霊祭という宮中祭祀で、
天皇陛下がお召しになる装束は、
どのような装束なのかをお伝えします。
春分の日に春季皇霊祭が行われるのは何故?
春分の日というのは、春のお彼岸の中日のことです。
春分は二十四節気の一つで、
二十四節気は、太陽の黄道上の位置、黄経制度を二十四等分し、
それぞれ一期を約十五日として節気を配置し、
気候の推移がわかるようにしたものです。
天文学上の春分点は、太陽が黄経0度を通過するときのことで、
春分の日と言います。
秋のお彼岸の中日 秋分点も、太陽が黄経0度を通過するときのことで、
秋分の日と言われます。
太陽が黄経0度を通過するこの日は、昼と夜の長さが等しく、
太陽が真西に沈みます。
仏教の浄土思想でいう極楽浄土は西方にあり、
お彼岸は、その極楽浄土が最も近づく日なので、
日本古来の土俗的な祖霊信仰が起源となり、
祖先供養の行事へと変わっていきました。
ですからお彼岸にはお墓参りをして、
ご先祖さまの供養をする日となっていて、
お日様が真西に沈む春分の日は、昼と夜の長さが同じで、
お彼岸の期間の真ん中の日ということなのです。
第二次世界大戦以前、
その春分の日は「春季皇霊祭」と呼ばれ、
1908年(明治41年)9月19日制定の皇室祭祀令で、
大祭に指定された祝祭日でした。
しかし、昭和23年に改正された祝日法で、
春分の日は「自然をたたえ、生物を慈しむ日」という趣旨の、
国民の祝日の一つとなりました。
ですから春分の日は、お彼岸の中日と同じ日ですが、
仏事や神道とは全く関係のない国民の祝日なのです。
皇室は、天孫降臨された太陽の女神 天照大御神の、
孫邇邇芸命の曾孫の神武天皇を初代とする皇統です。
現在の皇室は、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)以降、
仏教とは直接的なつながりはなく、基本的に神道だけです。
今「春季皇霊祭」は、皇居の宮中の皇霊殿で行われる皇室の大祭で、
毎年春分の日に、
天皇みずから歴代の天皇・皇后・皇族などの皇祖の神霊を祀る儀式です。
【Facebook更新】今日は春分の日。宮中に参内し、春季皇霊祭、春季神殿祭に参列いたしました。長い歴史の中で培われた豊かな文化と伝統の下に、今日の私たちがあることに深く感謝の念を捧げるとともに、皇室の益々の弥栄と五穀豊穣をお祈りいたしました。https://t.co/L83PL1VFR4 pic.twitter.com/pQuOPdQuX8
— 首相官邸 (@kantei) 2018年3月21日
春分の日に行われる春季皇霊祭という宮中祭祀とは?
春分の日には、春季皇霊祭と春季神殿祭が、
秋分の日には、秋季皇霊祭と秋季神殿祭が行われます。
皇霊祭(こうれいさい)とは、皇霊殿で行われるご先祖祭で、
歴代の天皇・皇后・皇親の霊を祭る儀式です。
神殿祭は、神殿で行われる神恩感謝の祭典で、
どちらも宮中祭祀です。
現在、行われている宮中祭祀のほとんどは、明治41年(1908年)に、
皇室令の一つとして制定された皇室祭祀令に基づいて行われています。
皇室祭祀令(こうしつさいしれい)は、八世紀の大宝律令、九世紀の貞観儀式、
十世紀の延喜式などの法定書にある規定が、
明治維新期に再編され皇室令としてまとめられたものです。
また、宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)とは、
天皇が国家と国民の安寧と繁栄を祈ることを目的におこなう祭祀です。
皇居の宮中三殿で行われる祭祀には、
天皇が自ら祭典を斎行し、御告文を奏上する大祭と、
掌典長(掌典職)らが祭典を行い、天皇が拝礼する小祭があります。
1908年に制定された皇室祭祀令という制度としての宮中祭祀が、
確立して以降の天皇では、明治天皇や大正天皇はあまり熱心ではなく、
侍従らが代拝するのが主となっていました。
一方で、
貞明皇后・昭和天皇・香淳皇后は非常に熱心に行われていました。
終戦後、憲法で『政教分離』の原則が定められ、
皇室祭祀令は、皇室の祭祀に関する法令で、
1947年(昭和22年)5月2日に廃止されました。
廃止後も皇室祭祀令に基づいて宮中祭祀は行われ、
春季皇霊祭や秋季皇霊祭が、
春分の日や秋分の日となった1948年(昭和23年)の祝日法の改正以降も、
宮中では従来通りの春季皇霊祭・秋季皇霊祭が行われますが、
祭祀は天皇家の私的な行事となりました。
宮中祭祀では、事前の潔斎と平安装束を着用される事に加え、
長時間の正座が必要となることに、
生前の昭和天皇は祭祀が近づくと、正座してテレビを視聴するなど、
意識的に、
長時間の正座を心がけておられたというお話はよく知られていますが、
平成天皇も新嘗祭の時節が近づくと、
昭和天皇と同様に正座の練習をされるとのことです。
平成天皇・皇后は祭祀にはきわめて熱心に行われ、
諒闇(服喪中)や病気を除くと、
ほとんどの宮中祭祀に代拝を立てず御自ら出席されます。
ですが、平成天皇も在位20年を経た2009年(平成21年)以降は、
高齢であり、健康への配慮、負担軽減のため、
祭祀の簡略化や調整が計画、実施されています。
春分の日に行われる宮中祭祀『春季皇霊祭』での天皇陛下の装束は?
宮中祭祀の特徴は、
明治時代に造られ、冷暖房の設備もない、
神社のような建物である宮中三殿で、
平安時代から伝わる、古式の装束を陛下が着られて祭儀を行われます。
宮中三殿とは、皇祖天照大神を祀る賢所を中心に、
向かって左側に、神武天皇以降の天皇と皇族方の御霊をお祀りする皇霊殿、
右側に天神地祇、八百万神をお祀りする神殿で構成されています。
この宮中三殿で、春季皇霊祭などの宮中祭祀に、
天皇陛下は平安装束を着用されます。
平安装束とは、平安時代に確立された皇族や貴族の衣服で、
天皇は儀服の黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)を召され、
立纓(りゅうえい)の御冠を被り、笏(しゃく)を持たれます。
黄櫨染御袍とは、
黄褐色の生地に、桐、竹、鳳凰、麒麟の紋を織り込んだ特製の束帯で、
平安時代以降の日本の天皇が重要な儀式の際に着用する束帯装束のことです。
黄櫨染(こうろぜん/はじぞめ)は、
櫨の樹皮と蘇芳から染め出される色で、
「赤みがかった黄色」や「黄がかった茶色」などと言われますが、
時代や着用者の年齢等によって、
かなり幅のある色であったと考えられています。
黄櫨染の御袍が天皇の服となったことで、
黄櫨染は、平安時代に定められた天皇のみが召すことを許された色彩で、
最高の禁色の装束です。
あとがき
春分の日や秋分の日は、
お日さまが真東から昇って真西に沈み、
昼と夜の長さが同じ日です。
春分の日は「自然を称え、将来のために努力する日」と、
法律で定められた祝日なのでそうですが、
将来のためにどんな努力ができているかと思うと、
ちょっぴり不安です。