京都の神泉苑 大晦日に行われる恵方回しの儀式でその年の恵方が決まる?

冬の行事

神泉苑は知る人ぞ知る京都のパワースポットです!

京都の大晦日の夜に行われる行事の一つに、
『神泉苑の恵方回し』と言われる“歳徳神の方違え式”があります。

神泉苑にある恵方社は、“恵方”つまりその年の幸福をもたらす方角を、
礼拝する可動式のお社(おやしろ)で、
毎年方角を変えてお祀りされる、日本で唯一のところです。

また、龍神様ゆかりの地としてパワースポットでもあるのです。

陰陽道に基づいて決められた新しい年の恵方に向けてお社を回転させ、
般若心経を唱えて法要します。

  

京都の神泉苑で大晦日に行われる恵方回しとは?

神泉苑の境内にある『恵方社』は、
一年の幸福を司る大歳神様(歳徳神)をお祀りするお社です。

歳徳神とはどういった神様かということは諸説あるようですが、
一説によると、
歳神様は美しい姫神様で、
祇園祭の牛頭天皇のお后様と言われています。

日本では牛頭天皇と素戔嗚尊(スサノオノミコト)を、
同一視していることから、
歳徳神は、素戔嗚尊のお后様と言われ、
櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコト)だということになります。

その歳徳神をお祀りしてある恵方社は、毎年大晦日の夜に、
祠(ほこら)を恵方の方角へ向きを変えるという点が、
唯一ほかの神社仏閣と異なるところです。

歳神様とはどんな神様で正月にお迎えする由来は何 その意味とお祀りの仕方は
歳神様とはどんな神様なのかご存知ですか? 昔からお正月には歳神様をお迎えする習わしがありますが、 歳神様をお迎えする由来は何なのでしょうか。 お正月はそもそも、 歳神様をお迎えしお祀りするためにあります。 では、正月にお迎えする歳神様とはど...

恵方回しで祠の向きを変えるのですが、
祠の下に回転台がついているというわけではなく、
僧侶や保存会の方々が、チカラマカセ?で祠を引きずって回しところが、
なんともユニークな儀式です。

大晦日の12月31日
午後十時半から、歳徳神の方違え式 恵方回しが始まります。

恵方回しの後、新しい歳徳神の御札を一体千円で授与していただけます。

神泉苑の恵方回し 方違え式では、
参拝に来られた善男善女に、
神泉苑の御隣にあるお料理屋さん祇園平八さんが、
本堂の前であたたかい年越しそばのご接待をしてくださいます。

午後十一時から、先着150名様限定ということですが、
京都の一流料理店のお蕎麦が無料だなんて、
大晦日のめちゃくちゃ寒い中、温かいお蕎麦はうれしいですね。

恵方回しが済んで、歳徳神の新しい御札を授与していただき、
温かいお蕎麦を頂いた頃、
午後十一時四十分から、除夜の鐘が年越しの夜空に響きわたります。

除夜の鐘は百八つですから、並んで順番が間に合えば、
除夜の鐘を撞くことができます。

除夜の鐘を撞いた後は、
神泉苑の法成就池の周りを特別拝観することもでき、
八剱大明神や弁財天、善女龍王社や本堂をお詣りして、
清々しく新年を迎えることができます。

神泉苑の初詣は、
一月一日 元日 午前十一時から、善女龍王社で新春祈祷会が行われ、
特別祈祷札を一体一万円で授与していただけます。

祈祷を受けられる方は龍王社奥殿をお尋ねください。

京都の神泉苑の歴史と龍神さんのパワースポット

京都の二条城 南側にある神泉苑は、東寺真言宗の寺院で、
ご本尊は聖観音・不動明王・弘法大師様です。

神泉苑のある二条城南側の地は、もとは平安京の大内裏に接していて、
天皇のための庭園として造園された禁苑でした。

神泉苑の歴史は古く、
延暦13年(794年)の平安京遷都とほぼ同時期に、造営されたました。

元々ここにあった古京都湖(古山城胡)という池沢の名残を、
整備して作られたと考えられています。

神泉苑が創られた当時の敷地は、今の10倍以上もあり、、
二条通りから三条通りまでを占める東西が約240m、南北も約500mという、
お池を中心とした大きな庭園だったのです。

神泉苑の名前が歴史に記されているのは、
延暦十九年七月十九日(800年8月12日)に、
桓武天皇が行幸されたという『日本紀略』の記事です。

延暦二十一年(802年)には雅やかな宴が催されたと書かれていて、
神泉苑はこの頃から、天皇や朝廷に仕えている臣との、
宴の場となっていたようです。

また、嵯峨天皇が弘仁三年(812年)に、
神泉苑で『花宴の節』を催したと『日本後記』に記されていて、
これが記録に残っている“お花見”の始まりと考えられています。

神泉苑には昔から、
パワースポットの『龍穴(りゅうけつ)がある』という噂が
都人のあいだで囁かれていました。

そのパワースポットの龍穴は異界に通じる穴で、
大地の気が溢れだし、池の水はいくら日照りが続いても涸れることはない、
龍神(善女竜王)の棲み処と考えられていました。

天長元年(824年)に、
西寺の守敏と東寺の空海が祈雨の法(雨乞い)を競い合った時、
空海が天竺の無熱池から善女竜王を勧請し雨を降らせ守敏に勝ちました。

空海以降も神泉苑では、龍神のパワースポットとして、
密教僧による祈雨の法が何度も行われています。

貞観5年(863年)に、都に疫病が流行り、神泉苑で御霊会が行われました。

貞観11年(869年)には神泉苑の南端(現在の八坂神社三条御供社)で、
その当時の律令制度の国の数である66本の鉾(ホコ)を立てて、
祇園社から神輿を出したことが、
現在の祇園祭の元になったと言われています。

そんなすごい歴史のある神泉苑でしたが、
武士が台頭する時代になり、
天皇の禁苑としても、法力の修行の地としての役目も終えてしまいました。

京の人々は『龍神さんがお池の龍穴から飛び去ってしまった』と噂し、
中世以降は池の水も涸れてしまい荒れ果ていきました。

徳川家康が二条城を造営した慶長八年(1603年)には、
神泉苑の敷地の大部分が二条城に取り込まれ
神泉苑の池の水も城の堀の水源の一つとして奪われました。

朝廷の許しを得て筑紫の僧覚雅(快雅)が、
慶長十二年(1607年)から元和年間(1615~1624年)に掛けて、
神泉苑の復興を図り、
弘法大師との縁により東寺真言宗の寺院となりました。

今の神泉苑は、境内も大幅に縮小して地味なところですが、
朱塗りの法成橋も美しく、街中にありながら静けさの漂う穴場で、
まだまだパワースポットとしてのご利益も健在です。

平成二十六年(2014年)には、善女竜王勧請1200年記念事業として、
五十五年ぶりに法成池の水をぜんぶ抜いて、
善女竜王社本殿等の解体・修復が行われました。

京都の神泉苑 恵方回しの儀式でその年の恵方が決まる?

神泉苑の恵方回しでその年の恵方が決まると言われていますが、
恵方は陰陽道で、
その年の福徳を司る神である『歳神様』の在する方位とされていて、
恵方は明きの方『吉方』とされています。

また、歳神様は、
お正月に各家庭に帰ってこられるご先祖様でもあるのです。

歳神様は元旦の日出とともに恵方から来られて、
松の内が明けると恵方へと戻られます。

歳神様がおられる恵方は陰陽道五行説で定められていて、
暦に記されています。

陰陽道で言うところの恵方は、
『東北東』『西南西』『南南東』『北北西』の四種類になります。

陰陽道五行説はとても複雑なのですが、
その年の恵方を知るには、とても簡単な方法があります。

それは、西暦の下一桁の数字を見ればわかります。

西暦の下一桁の数字が、4もしくは9の場合は『東北東』
           0または5の場合は『西南西』
           1・6・3・8のいずれかの場合は『南南東』
           2または7の場合は『北北西』が恵方となります。

ですから、2019年は東北東、2020年は西南西、
2021年は南南東、2022年は北北西の方角が恵方となります。

神泉苑
〒604-8306 京都府 京都市中京区門前町166

神泉苑の歴史と善女龍王の雨乞い 静御前と義経の恋愛ご利益の御朱印 
神泉苑は現在、二条城の南側にあります。 その神泉苑の起源と歴史、 神泉苑に祀られている雨乞いの善女龍王と、 毎年の恵方を示す歳徳神について、 また源義経が静御前を見初めたと言われる神泉苑の御朱印には、 恋愛のご利益があるのではないかというお...

あとがき

京都の隠れたパワースポットと言われる神泉苑で、
毎年大晦日に行われる方違え式の恵方回しは、
一年の締めくくりの時を過ごすのに最適な場所です。

来る年の福徳を頂ける歳神様の住まわれているところは、
パワースポットですから、
お正月に帰ってこられる歳神様をこちらからお迎えに行きます。

今年もおいしいお蕎麦を頂きに、
紅白歌合戦を見るのもそこそこに出かけます。