御利益のある神社ランキングはネットで話題になりますが、
人によって得たいと思うご利益は様々です。
金運や勝負運、恋愛運など、
運気がアップすることが御利益で、
人の運は強い意志と、
神の助けが組み合わさってこそ開かれるものです。
ご利益のある神社はパワースポットとと呼ばれ、
有力な祭神が祀られた神社や、
参詣や祈願のために労力を惜しまない人たちが訪れる神社、
福を招きそうな歴史的なエピソードを持つ神社などを言います。
ご利益の期待が大きく、
人々にパワースポットとして人気のあるおすすめの神社をご紹介します。
ご利益のある神社 パワースポット 伏見稲荷大社
農民や町人、武士に至るまで、
あらゆる益をもたらす『伏見稲荷大社』は、
京都市伏見区にあります。
伏見稲荷大社は、全国の稲荷信仰の中心とされる神社です。
神道の神の多くは、山や森に宿る自然神や、一族の祖霊ですが、
稲荷神は、平安時代以降の神仏習合の影響で、
万人向けの現世利益をもたらす神として人気を集めてきました。
主祭神の宇迦之御魂大神は『古事記』によれば、
須佐之男命と大市比売命の御子とされています。
また『日本書紀』によれば、
伊弉諾と伊弉冉の御子・倉稲魂大神とされ、
五穀・食物の神さまです。
本来は農業の神様でしたが、
漁村では漁業の神様として、
都市部では家屋を守護する屋敷神として、
また、武士たちには武運の神、
町人からは商売繁盛の神として信仰されるようになりました。
とくに商売の神様として、
企業経営者などからの信仰も多く集めましたが、
近年は、一万基を超えると言われる朱塗りの鳥居がSNSで話題になり、
外国人観光客が年々増え、つねに参拝者で賑わっています。
境内にあるこの朱塗りの鳥居は、信仰者の奉納によるもので、
本殿背後の千本鳥居が有名ですが、
鳥居の奉納が広まったのは、江戸時代からと言われ、
これは願いが『通る』ようにという祈りや、
『通った』というお礼の意味が込められています。
鳥居は稲荷山の山全体に奉納されていて、
一周約4キロの山道は、ゆっくり歩いて2時間ほどで巡拝できます。
鎮座は711年といわれ、
社伝によれば古代の有力豪族・秦氏の一人、秦伊侶具が勅命を受け、
三柱の神を稲荷山の三ヶ峰に祀ると、五穀豊穣となり、
地域の百姓がおおいに喜んだという言い伝えがあります。
また『山城国風土記』逸文には、
秦伊侶具が餅を的にして矢を射たところ、
その餅が白い鳥となって飛び去り、舞い降りたところに稲が実ったため、
その奇瑞により社名を『イナリ』としたと伝えています。
827年に淳和天皇の体調がすぐれなくなったため占いをしたところ、
東寺造営の際に、稲荷山の御神木を切ったことにより、
稲荷神に従五位下の神階が与えられ、
東寺の守護神として崇められ、さらに942年には正一位となりました。
現在でも幟に、
『正一位稲荷大明神』と書かれているのはこのためです。
稲荷神社では狐、とくに白狐を神の使いとしていて、
境内にもたくさんの狐の像を見ることが出来ます。
これらの狐はよく見ると、
稲穂や玉、鍵や巻物など、様々なモノを銜えています。
稲穂は五穀豊穣のシンボルであり、
巻物は知恵の象徴、玉は神徳を表していて、
鍵は米などを納める稲蔵の鍵だともいわれ、
狐たちのスタイルも、座っているものから、
逆立ちしているものまで多彩です。
伏見稲荷大社
京都市伏見区深草藪之内町68
ご利益のある神社 パワースポット 出雲大社
旧暦の10月には日本全国の神々が大集合し、
主祭神はモテモテとなる『出雲大社』は、
島根県出雲市にあります。
出雲国(島根県)は、
古代日本において、渡来人によって伝えられた、農耕や製鉄など、
最新技術の発信地でした。
大国主大神を御祭神とする神社は多くありますが、
出雲大社はその中心的となる神社です。
大国主大神のご利益は、
五穀豊穣や商売繁盛など幅広いのですが、
大国主大神は、多くの女神を妻にし、181柱もの子どもがいたことで、
とくに縁結びや安産に御利益があるとして知られています。
江戸時代までの神仏習合の時代には、
七福神の大黒天とも同一視されていました。
また、出雲大社の主祭神である大国主大神は、
日本各地に農業や医術を広めた『国造り』の神様とされています。
古事記によれは、大国主大神は天照大神に国を譲りましたが、
代わりに自分を大きな社に祀ることを求めました。
このため、出雲大社の本殿は、
現在でも全高24mと、神社建築では最も巨大で、
『大社造り』と呼ばれる様式の代表格です。
巨大な柱を用いた高床式が特徴で、
平安時代までの本殿は、15階建て相当(約48m)の高さがあったと言われ、
東大寺の大仏殿(高さ45m)より大きかったと伝えられています。
2000年には、これを裏付けるように、
直径1.35mもある巨木3本がまとまった柱が出土しています。
出雲大社には例年、
旧暦の10月に全国の神社の神様が集うとされていて、
ほかの地域では10月を『神無月』というのに対して、
出雲の国では『神在月』と言われています。
『神在月』つまり、この時期に出雲大社に参詣すれば、
全国のあらゆる地域の神様に祈願できるとされていて、
神在月には、御神火を焚いて神々を迎える『神在祭』を行います。
古代の出雲国を治めた出雲国造の一族が現在まで宮司を務め、
国造はお火所という場所にともされた神聖な火のみで食事を作るなど、
古来の伝統を守り続けています。
出雲大社
島根県出雲市大社町杵築東195
ご利益のある神社 パワースポット 西宮神社
不遇を福に変えた御祭神の、運試しの神事が名物となっている、
『西宮神社』は、兵庫県西宮市にあります。
主祭神のえびす大神は、福の神として有名ですが、
もともとは虚弱な身体をもっていた神様なのです。
えびす大神は、海に流された蛭児大神が、立派に成長した姿と伝えられ、
まさに逆境をはね返した強運の持ち主といえるのです。
西宮神社は、全国のえびす信仰の中心地で、
海から来られた『えびす(蛭児)大神』は、
豊漁や商売繁盛をもたらす神様として、
厚い信仰を集めています。
例年1月に行われる『十日えびす・開門神事』の走り参りでは、
表大門から本殿まで、真っ先に走り抜けた者が、
福男や福女に選ばれます。
過去には2位の福男が大学に合格したり、
職場で業績がアップしたという報道もあり、
運試しとして参加する参詣者が絶えないということで、
『十日えびす』の日には100万人を超える参拝者で賑わいます。
本殿の建物は全国で唯一の『三連春日造』で、
境内の表大門と大練塀は、国の重要文化財に指定されています。
御祭神は、主祭神のえびす(蛭児)大神のほかに、
天照皇大神・大国主大神・須佐之男大神
西宮神社
兵庫県西宮市社家町1-17
ご利益のある神社 パワースポット 金刀比羅宮
昔は犬も参詣したと言われる『金刀比羅宮』は、
船乗りたちの聖地とされ、香川県琴平町にあります。
江戸時代は移動の自由に制限が多かったのですが、
それでも全国から多くの参詣者を集めたのが、
伊勢神宮と『金刀比羅宮』です。
瀬戸内海に面した香川県の金刀比羅宮は、
船乗りの信仰が強く、直接参詣できない者は、
樽にお賽銭などを納めて海に流し、
それを見つけた船乗りが代わりに参詣する『流し樽』の慣習がありました。
金運や縁結びのご利益でも知られていて、
犬を代わりに参詣させた者までいたと言われていて、
それほどまでに参詣を願った人々の思いは、
半端ではない強さだったようです。
『こんぴらさん』として親しまれる金刀比羅宮は、
象頭山(琴平山)の中腹に鎮座されていて、
御本宮は海抜251mに位置します。
海上交通・五穀豊穣・大漁祈願・商売繁盛などの神様として、
大物主神(おおものぬしのかみ)と崇徳天皇をお祀りしています。
金刀比羅宮の奥社である
厳魂神社(いづたまじんじゃ)までの石段は1368段もあり、
境内には重要文化財の表書院や旭社など、
歴史的建造物が林立しています。
金刀比羅宮
香川県仲多度郡琴平町字川西892-1
ご利益のある神社 パワースポット 東京大神宮
大都会の真ん中で『お伊勢参り』が叶う、
『東京大神宮』は、東京都千代田区にあります。
江戸からのお伊勢参りの旅を描いた十返舎一九の滑稽本
『東海道中膝栗毛』は有名ですが、
当時の江戸庶民にとって『お伊勢参り』は、
生涯の憧れだったようです。
遥かに遠い場所から拝むことを『遥拝(ようはい)』といいますが、
東京大神宮は、
明治時代に伊勢神宮の遥拝殿として創建された神社です。
歴史的にはそう古くはありませんが、
参詣すれば、江戸ならぬ東京に居ながらお伊勢参りを果たしたのと、
同じ御利益が得られるとして知られています。
また、1900年(明治33年)に行われた、
当時の皇太子殿下(のちの大正天皇)の、御結婚の礼を記念し、
一般に向けた神前結婚式を創始した神社として有名で、
縁結びの御利益があるとして注目を集めています。
最初は日比谷にあったのですが、
関東大震災後に、現在地の飯田橋に移りました。
東京大神宮の境内社 飯富稲荷神社は、
明治時代の歌舞伎役者・九代目市川團十郎が、
厚く信仰したことで知られていて、
現在も芸能を志す人や、芸能関係者の参詣が多い神社です。
御祭神は、天照皇大神・豊受大神・天之御中主神・高御産巣日神
神産巣日神・倭比賣命
創建は1880年(明治13年)
東京大神宮
東京都千代田区富士見2-4-1
あとがき
ご利益のある神社は気になりますが、
唯々、『タナボタ』的にご利益を望んでも、
運が開けるわけありません。
善行を重ねることで好運が訪れる、
それがご利益だと思います。
ですから、
ご利益があると言われる神社に参拝するだけで、
御利益を得られるということではないのですね。