伊勢神宮 内宮と外宮の違いは?お伊勢参りの習わしとしきたり 式年遷宮とは?

神社仏閣

お伊勢さんと呼ばれ、世界遺産に選ばれた伊勢神宮は、
国内のみならず、日々世界中の観光客が訪れるパワースポットです。

そんなお伊勢さん、
伊勢神宮にある内宮と外宮はどのように違うのでしょうか?

歴史ある伊勢神宮に、
古くから伝わる習わしや仕来りにはどのようなものがあるのか、
また、皇室と神宮の関わりや、
庶民の楽しみとなったお伊勢参り、
伊勢神宮の式年遷宮についてお伝えします。

  

伊勢神宮 内宮と外宮の違いは?

伊勢神宮とは、
皇室の祖先を祀る 唯一の『神宮』です。

伊勢神宮の正式名称は『神宮』といい、
天照大御神をお祀りする『内宮(皇大神宮)』と、
豊受大御神をお祀りする『外宮(豊受大神宮)』からなります。

さらに、県内の4つの市と2つの郡にまたがって合計125の摂社や末社、
所管社があり、これらすべてを指して『神宮(伊勢神宮)』といいます。

内宮は神宮の中心で、その広さは伊勢市の4分の1を占め、
国内最大の神域となっています。

鳥居をくぐって玉砂利の敷き詰められた参道を15分ほど進むと、
『正宮』の前に出ます。

通常、正殿は四重の垣根で囲われていて、
中を見ることはできません。

御祭神・天照大御神は、皇室のご先祖様で、
日の神とも称し、すべての秩序の根源ともいわれています。

内宮の創建は、天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が、
天照大御神を伊勢にお祀りしたことが始まりとされています。

『日本書紀』によると、
「是れ、神風の伊勢の国は、即ち常世の浪、重浪の帰する国なり、
傍国の(中心ではないが)可怜(うまし=美しい)国なり。
この国に居らんと欲(おも)う」とのご神託があったとされています。

外宮が鎮座されたのは、内宮が創建されて500年後で、
雄略天皇の時代に、神様にお供えする食物を司る豊受大御神を、
丹波国(京都府北西部と兵庫県東部)からお迎えされました。

こちらも御神託によるもので、
天皇の夢に天照大御神が顕れになって、それを望んだということです。

伊勢神宮 内宮・外宮へのお伊勢参り

外宮の御饌殿(みけでん)では、天照大御神をはじめとする、
神宮の神々に、神饌をお供えする祭事が、朝夕2回行われています。

現在、いつも多くの人が参拝に訪れる伊勢神宮ですが、
もともとは、庶民にとって近い存在ではありませんでした。

というのも古来、伊勢神宮には、
私幣禁断(天皇以外のお供え物の奉納を禁ずる)の制度があったからです。

しかし、個人の参拝までもが禁じられていたわけではなく、
神宮の存在を民衆に広めたのは、
祭儀のために都から派遣されてきた勅使の従者だと考えられています。

彼らが伊勢から戻って、
神宮の話をしたのではないかということです。

さらに、中世には伊勢信仰の伝道師『御師』が登場します。

その信仰が全国的なものになると、
『伊勢講』と呼ばれる参詣集団が生まれました。

戦国時代には一時衰退していましたが、
近世に入ると、お伊勢講は再び活発になり、
こうして『お伊勢参り』は庶民の夢のひとつとなりました。

伊勢神宮 内宮と外宮に伝わるしきたりと習わし 式年遷宮

伊勢神宮の参拝にあたっては、
外宮を参拝した後に内宮をお詣りする順番で行うのが古くからの習わしでした。

また、外宮では参道の左側を、
内宮では右側を歩くのが習わしとなっています。

五十鈴川にかかる全長約100mの宇治橋は、
内宮への入り口で、神様と人を結ぶ架け橋と言われています。

外宮正宮の背後にある古殿地は、
前回の遷宮まで正宮が建っていた場所で、
中央には『心の御柱』を納めた覆屋があります。

唯一神明造という古代様式で建てられた内宮正宮は、
正式には皇大神宮という。

伊勢神宮では、本殿のことを正宮と呼びます。

伊勢神宮で二十年に一度行われる、最大の祭事・式年遷宮

神宮では、20年に一度、社殿や御装束などを新しくして、
神様を遷す『式年遷宮』が行われます。

その発案は天武天皇だと伝えられていて、
平成二十五年には、62回目が終了しています。

この1300年にわたる仕来りによって、
神宮は日本国民の心の拠り所として生き続けているのかも知れません。

あとがき

お伊勢さんと言えば、
子どもの頃、小学校の修学旅行の定番でした。

伊勢神宮へお詣りし、
二見ヶ浦の夫婦岩や御木本幸吉パールアイランド、
赤福餅に生姜板。

もう、半世紀も前のことですが、懐かしく思い出します。

そのあと何度も伊勢志摩を観光しましたが、
今一度、丁寧に伊勢神宮の内宮・外宮を、
参拝して見たいお年頃になりました。