鞍馬寺の魔王殿がパワースポットと言われる由来は宇宙エネルギー尊天

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鞍馬寺の魔王殿が凄いパワースポットだと言われていますが、
何故パワースポットと言われるのでしょうか?

パワースポットやスピリチュアルスポットなどと、
呼ばれる場所には
何かしらのエネルギーが存在するということですが、
パワースポットは大地の力(気)がみなぎる場所と考えれば、
宇宙の中の大地にも、
そのエネルギーがあっても不思議ではありません。

尊天に現わされたパワースポットの“気”を頂くために、
鞍馬寺を訪れて見てはいかがでしょうか。

  

鞍馬寺の魔王殿がパワースポットと言われる由来は

⇒ 鞍馬寺の周辺案内はコチラ!(たびノート)

鞍馬寺の創建については諸説あって、どれが本当かはわかっていませんが、
「鞍馬蓋寺縁起」によれば、
奈良時代末期の宝亀元年(770年)に、
奈良・唐招提寺の鑑真和上の高弟・鑑禎上人は、
正月4日寅の夜の夢告と白馬の導きで鞍馬山に登山し、
鬼女に襲われたところを毘沙門天に助けられ、
毘沙門天を祀る草庵を結んだということです。

桓武天皇が長岡京から平安京に遷都してから2年後の延暦15年(796年)、
造東寺長官、藤原伊勢人が観世音を奉安する一宇の建立を念願し、
夢告と白馬の援けを得て登った鞍馬山には、
鑑禎上人の草庵があって毘沙門天が安置されていました。

そこで、
毘沙門天も観世音も根本は一体のものであるという、
夢のお告げが再びあったので、
伽藍をととのえ、毘沙門天を奉安、
後に千手観音を造像して併せ祀りました。

鞍馬山には、神代以前からの古神道や陰陽道や、
修験道等の山岳宗教の要素も含まれていて、
宗派に捉われない懐の深さが、鞍馬寺の宗教伝統となっています。

義経伝説に彩られ、牛若丸こと源義経が修業したと伝えられる鞍馬寺は、
その後、延暦十五年(796年)に、桓武天皇の勅願により、
平安京の北方守護の寺として鞍馬寺が創建されました。

平安時代には天台宗の寺院となりましたが、
1949年に宗派を鞍馬弘教として独立しました。

鞍馬弘教総本山 松尾山 鞍馬寺は、山深い自然の中の寺院です。

大きな杉の木々に埋もれた鞍馬寺は、魔王殿だけでなく、
そこかしこ、山全体に霊気を感じるパワースポットです。

鞍馬寺 魔王殿パワースポットは宇宙エネルギー尊天

鞍馬寺には遥か昔、
魔王尊(サナト・クマーラ)が、この霊山に降臨したと伝わっています。

サナト・クマーラとはサンスクリット語で「永遠の若者」を意味し、
鞍馬はクマラの転化とされています。

つまり、鞍馬山に
護法魔王尊が650万年前に金星からやってきたとされています。

鞍馬山の信仰は、
宇宙の大霊であり大光明・大活動体である 「尊天」を本尊と仰いで信じ、
「尊天」の心を我が心として 生きてゆくことで、尊天信仰と言います。

尊天とは、人間を初め、
この世に存在するすべてを生み出している
宇宙生命・ 宇宙エネルギーです。

真理そのもので、神仏の区別を超えて ひとつの形に固定されず、
しかも本質を保ちつつ、森羅万象 、日月星辰、
あらゆる神あらゆる仏の相(すがた)となって 顕現します。

その働きは愛と光と力となって現れ、
また、月に代表される水の氣、太陽から放たれる氣、母なる大地 、
地球の氣の三つの「氣(エネルギー)」にあらわし、
それぞれを
月輪の精霊―愛=千手観世音菩薩
太陽の精霊―光=毘沙門天王
大地の霊王―力=護法魔王尊
という姿であらわして、この三身を一体として「尊天」と称します。

鞍馬寺のパワースポット 観光の見どころは?

洛北の奥深くにある鞍馬山は、神秘の山と崇められていて、
鬱蒼と大杉の繁る山懐は、季節を問わず冷気が漲っています。

ご本尊は毘沙門天で、その姿は左手を額の上にかざし、
まさに遠く平安京を見つめ、守護している様子です。

金堂の正面には、毘沙門天が天から降臨した翔雲臺があり、
現在でもそこから京都市内が一望できるのです。

鞍馬寺のご本尊
三身一体尊天、毘沙門天と千手観音、護法魔王尊は、
60年に一度だけ御開帳される秘仏です。

奥の院の僧正ヶ谷は木々が生い茂るなかに、
義経堂などの建物があります。

鞍馬寺から貴船神社 パワースポットへのアクセス

鞍馬寺へは、出町柳駅から叡山電鉄で『鞍馬駅』(30分)です。

〒601-1111 京都市 左京区鞍馬本町1074番地 
鞍馬弘教総本山鞍馬寺 
電話(075)741-2003

鞍馬寺から貴船神社へ続く道は、ハイキングコースとしても有名ですが、
ちょっとした山歩きという感じで、かなり足元は大変です。

鞍馬寺の仁王門を入ったところから、
右へ行くと『鞍馬の火祭』で知られている由岐神社を通って、
九十九折参道を行くコースと、
ケーブルカーに乗って多宝塔まで行き、
新参道を通って本殿金堂・金剛床まで行くコースがあります。

そのあと奥の院 魔王殿までは1㌔弱の道も、
容赦のない不揃いな石段と、
無数の蛇が横たわっているような木の根道が続きます。

さらに下ると奥の院 魔王殿にたどり着きます。

650万年前に金星から護法魔王尊が地球に降り立った場所とされている、
奥の院の敷地に入ると、カラダ全身に霊気を感じます。

さらに進むと、鞍馬寺の西門へと続き、その先は貴船神社なのですが、
そのあたりの木々が、ねじれたような不思議な形をしています。

磁器の乱れが生じているという噂も聞くような、
不思議なことがいっぱいのパワースポットです。

貴船神社の奥宮も、恐~い話がいっぱいあるということで、
この辺り一帯、鞍馬山も貴船も、
パワースポットのニオイがぷんぷんします。

鞍馬寺 観光の見どころ

鞍馬の竹伐り会と大蛇

僧兵姿の鞍馬法師による6月の『竹伐り会式』は、
千年以上続く行事として有名です。

鞍馬の竹伐り会の起こりは、中興開山峯延上人が、
鞍馬山山中で修業をしているときに、
対の大蛇に襲われたことによるものです。

雄蛇は切り倒されましたが、
雌蛇は、ご本尊にお供えする水を絶やさないことを約束に助けられ、
閼伽井護法善神として、本殿の北東にお祀りされました、

鞍馬が清水に恵まれているのは、そのことに由来すると言われています。

鞍馬の竹伐り会は、鞍馬寺で大蛇を退治した峯延上人(ぶえんしょうにん)の、
故事に因む古儀です。

長さ4mの青竹を大蛇に見立てて、山刀を持った鞍馬法師が、
丹波方と近江方に分かれて、伐り競い、
いち早く本堂に駆け込んだ方に豊作が約束されるというものです。

牛若丸に扮した稚児の『七度半の使い』に続き、
僧兵姿の鞍馬法師が、近江・丹波の両座に分かれて、
大蛇に見立てた青竹を伐って速さを競い、豊凶を占う行事です。

毎年、六月二十日に金堂前で行われる竹伐り会は、
その年の稲作の豊凶を占う行事です。

羅刹鬼から守ってくれる毘沙門天

夜ともなれば、まったく闇に包まれる鞍馬山山中です。

その昔、一人の僧が鞍馬山で修業をしていた時、
美しい女人姿の人食い鬼が現れました。

僧は、女が魔物であることを見抜き、
焚火の中にあった金杖を鬼の胸に当て、怯んだ隙に逃げ出しました。

しかし、怒り狂った鬼は僧の後を追い、
大口を開け僧を食べようとしました。

「我を助けたまえ!」と、僧が毘沙門天に念じたその時、
御堂の朽木が崩れ、鬼はその下敷きとなって死んでしまいました。

これが、鞍馬の毘沙門天の霊験といわれています。

阿吽の寅が、鞍馬寺を守る

社寺の門前に据えられる狛犬の代わりに、
鞍馬寺では阿吽の寅が安置されています。

鞍馬寺のご本尊である毘沙門天が、
この地に出現したのが、寅の月の寅の日、寅の刻であったということから、
寅は毘沙門天の使いとされています。

そこから寅は、鞍馬寺を守護する霊獣となったのです。

鞍馬山には天狗が棲む

金堂から奥の院に通じる木の根の参道は、
大地に大蛇が這うかのように、太い木の根が張り巡らされています。

その先の森閑とした山奥に魔王堂があります。

その近くにある僧正ヶ谷は、源義経が天狗に兵法を習ったというところで、
修験者や呪術師の修行の地でもあると言われています。

鞍馬の魔王尊の姿を見たと言う人はいません。

ただ一人、室町時代の絵師・狩野元信は、奥の院に籠り、
霊示を受け、その姿を描いたと言われています。

その絵は六十年に一度の丙寅の年に御開帳されます。

巨木大杉に抱かれた自然の宝庫鞍馬山は、
魔王尊が降臨した霊山であり、
魔王堂の下には、地下(宇宙)へ通じる入口があると伝わっています。

あとがき

鞍馬山には何度も登ったことがありますが、
かなり厳しいハイキングコースですね。

でも、木々に包まれた中での何とも言えない空気は、
やはりパワースポットを感じさせるものがあります。