興味津々

母の日にカーネーションを贈る由来は何?日本ではいつから始まった習慣?


『おかあさん、ありがとう!』

毎年母の日には、
感謝の気持ちを込めて赤いカーネーションを贈ります。

母の日に限らず、いつでも母には感謝しているのですが、
五月の第二日曜のこの日が、何故母の日なのか、
どうしてカーネーションを贈るようになったのか、
ご存知ですか?

大昔の人も、
きっとお母さんには感謝していたはずなんですが、
母の日ができたのは、それほど昔ではなかったのです。

『母の日』ができた由来と、
カーネーションを贈るようになった経緯は何なのか?
また、日本ではいつから始まった習慣なのかをまとめました。

  

母の日の由来は何?

五月の第二日曜は『母の日』です。

母の日の歴史は、1850年代から平和を願って献身的な活動を続け、
1905年5月9日に亡くなったアメリカの社会運動家、
アン・ジャービスの貢献が始まりです。

アン・ジャービスは、病気で苦しむ人を救うための募金活動や、
病気予防のための食品検査や公衆衛生に力を尽くしました。

1861年から1865年まで続いたアメリカの南北戦争の時には、
敵味方を問わず、南北それぞれの兵士を看病するために、
地域の女性を結束させるなど、
母としての愛情を、あらゆる人々に注ぎ、
社会改革に大きな貢献を果たした人なのです。

1908年5月10日、
アン・ジャービスがこの世を去って約三年が過ぎたその日、

アン・ジャービスの娘、アンナ・ジャービスが亡き母を偲び、
母が日曜学校の教師をしていたフィラデルフィアの教会で、
追悼式を開きました。

その時、母への感謝の気持ちとして、
母アン・ジャービスが好きだった白いカーネーションを、
参列者全員に配りました。

人々に大きな感動を与えたその追悼式をきっかけに、
アンナ・ジャービスは、
母の社会貢献を讃える日『母の日』を、
国の祝日にするよう議会に呼びかけ、普及運動を展開するようになりました。

アンナ・ジャービスの思いは結実し、
まず1910年に、
アンナ・ジャービスの住むウエストバージニア州が母の日を祝日に認定し、
次いで、1914年には、アメリカ国民の祝日となって、
『母の日』は、5月の第2日曜に定められました。

母の日の由来 カーネーションを贈る習慣は何故?

アンナ・ジャービスの母、
アン・ジャービスの好きだった白いカーネーションですが、
カーネーションと母の日との繋がりは、それだけではありません。

カーネーションは、
十字架にかけられたキリストを見送った聖母マリアの涙が、
こぼれ落ちた地面に咲いたという伝説があり、
古くから母性愛を象徴する花として、崇められていたのです。

そこで、アン・ジャービスの追悼式で配られた白いカーネーションに倣い、
母の日になると、
母を亡くした人は「白いカーネーション」
母が健在である人は「赤いカーネーション」を、
自分の胸に付けるようになったのです。

そして歳月を経るとともに、
母の日には母親に赤いカーネーションを贈るという習慣も生まれたのです。

母の日の風習は世界中に広まり、
日本へ伝わったのは、明治時代末期から大正時代初期と言われています。

母の日は、今では家族のために毎日力を尽くす母親に感謝して、
カーネーションやプレゼントを贈る日へと変わっていきましたが、
本来は、平和な社会の為に貢献するすべての母親を、
讃える日であったことを忘れてはいけませんね。

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母の日の由来 日本ではいつから始まった?

日本で『母の日』の風習が広まったのは、
アメリカの『母の日』の提唱者アンナ・ジャービスが、
キリスト教系の学校・青山学院に働きかけ、
大正二年(1913年)頃、キリスト教会などで、
母の日の礼拝が始まった事がきっかけです。

さらに大正四年(1915年)には、
青山学院の教授だったアレクサンダー女史によって母の日が紹介され、
キリスト教関係団体が中心となって、
日本各地に『母の日』の風習を広めるようになって行きました。

母の日と言えば、五月の第二日曜ですが、
日本では、大正時代に貞明皇后の誕生日である6月25日が、
『地久節』といって国民の祝日になったことが礎となり、
皇后陛下の誕生日である『地久節』を、
母の日と定めることが、大正15年から提唱されていました。

そして時代が昭和に変わり、
昭和六年(1931年)、大日本連合婦人会が結成されたのを機に、
香淳皇后の誕生日である3月6日が『母の日』と制定されたのです。

それ以降 数年の間、
日本では皇后陛下の誕生日・3月6日と、五月の第二日曜という、
ふたつの母の日がともに祝われることになったのです。

昭和10年ごろからは、
五月の母の日を『万国母の日』『国際母の日』と名付け、
3月6日の母の日と区別して呼ぶようになりました。

ところが、戦前の昭和12年4月25日、
森永製菓が「お母様方20万人を豊島園へ無料招待する!」という、
母の日の広告を出したことが評判を呼び、
母の日は5月の第2日曜という認識が一般化されていったのです。

第二次世界大戦後は『地久節』が廃止になり、
昭和二十年代前半(1940年代後半)あたりから『母の日』は、
アメリカにならって5月の第2日曜に限定されるようになり、

現在も5月の第2日曜が『母の日』となっているのです。

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あとがき

母の日には、毎年カーネーションを贈っていましたが、
自分が赤いカーネーションをを貰うようになって、
ほんの少し母の気持ちがわかってきたような気がします。
カーネーションやプレゼントを受け取った時の
“母の笑顔”とっても嬉しかったです!
いま思うと、プレゼントはもちろん喜んでくれましたが、
そんな娘の成長と、
健康を喜んでくれている笑顔だったのだと・・・・

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