お釈迦様の誕生日はいつですか?花祭りに甘茶をかける由来と灌仏会とは?

春の行事

お釈迦様の誕生日はいつなのかご存知ですか?

お釈迦様の誕生日 花祭りとはいつ行われるどんな仏教行事なのでしょうか。

仏教系の保育園や幼稚園、
寺院などでも『花祭り』の行事は行われます。

灌仏会とも呼ばれるお釈迦様の誕生日『花祭り』の由来はどういうものなのか、
また、花祭りになぜお釈迦様の像に甘茶をかけるのか、
『花祭り』の由来についてご説明します。

  

花祭りとはいつ行われるどんな仏教行事?

花祭りは、灌仏会(かんぶつえ)という仏教行事ですが、
降誕会・仏生会・欲仏会・龍華会・花会式と、
いろいろな言い方をされています。

花祭りは、お釈迦様がお生まれになった日のことで、
お釈迦様のお誕生日をお祝いする日のことです。

4月8日に行う灌仏会を花まつりというようになったのは明治以降のことで、
明治時代のグレゴリオ暦導入後、
4月8日は関東地方以西で桜が満開する時期である事から、
浄土真宗の僧侶安藤嶺丸が「花まつり」の呼称を提唱して以来、
宗派を問わず灌仏会の代名詞として用いられています。

国内で最も古い仏生会は奈良県法隆寺の聖霊会(しょうりょうえ)で、
行道面と呼ばれる仮面を被った人々に導かれた行列が、
仏舎利と聖徳太子像を載せた輿を東院から西院に移し、
管弦と舞楽を奉じた後に元に戻す法会だったと言われています。

花祭りは、多くの仏教寺院で執り行われ、参拝者にも甘茶がふるまわれ、
甘茶で習字すれば上達するとの願掛けや、
害虫除けのまじないを作るところもあります。

寺院が経営する幼稚園や保育園の園児には、
お釈迦様のお誕生日として、
花を飾り甘茶を頂く日として馴染まれいます。

お釈迦様に関連する行事では、
4月8日の花祭りのほかに、

お釈迦様がお悟りを開いた日を成道会といい、
12月8日を、
人間として生まれ、人間の幸福について悩み続けられたお釈迦さまが、
35歳のこの日に菩提樹の下で「お悟り」を開かれ、
仏陀(ぶっだ・覚者)となられました。

この尊い成道の日を記念した法会を「成道会」といいます。

また、
お釈迦様がお亡くなりになった日を涅槃会といいます。

涅槃会は、涅槃講や涅槃忌とも称し、
陰暦2月15日、釈迦の入滅(お亡くなりになること)の日に、
日本や中国などで勤修される、釈迦の遺徳追慕と報恩のための法要をいいます。

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花祭りでお釈迦様の像にかける甘茶の由来は?

花祭りにお釈迦様の像に甘茶をかけるのは、
釈迦の誕生時、産湯を使わせるために9つの竜が、
天から清浄の水を注いだとの伝説に由来しているといわれています。

花祭りに使われる甘茶は、
アジサイ科のガクアジサイの変種 小甘茶から作られています。

小甘茶の葉を時間をかけて発酵させ煎じることで甘みの強いお茶にした飲み物で、
虫除けの効果もあると言われています。

日本では、様々な草花で飾った花御堂の中で、
甘茶を満たした灌仏桶の中央へ安置した誕生仏像に、
柄杓で甘茶を掛けてお祝いします。

花祭りに飾る花は、仏花ではなく、
色とりどりの季節の花をかざります。

トゲのある花やニオイのきつい花も相応しくないとされていて、
ルンビニーの花園のように花でいっぱいにして、
お釈迦様の誕生を祝います。

花祭りで誕生を祝うお釈迦様とはどんな方だったのか

花祭りで、その誕生をお祝いするお釈迦様とはどのような方なのでしょうか?

お釈迦様という呼び方で親しまれている釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)とは、
釈迦族の出身の聖者(ムニ)、
すなわちめざめた者ー覚者=仏陀(ブッダ)という意味です。

お釈迦さまの名前は、ゴータマ・シッダールタといいます。

ゴータマとは、釈迦族の姓で、
シッダールタは目的を完成している者という意味だそうです。

紀元前463年(他にも誕生の時期には諸説あります)
4月8日
現在のインド国境に近いネパールのルンビニ園と言うところで生まれました。

ゴータマ・シッダールタの父は釈迦国の国王シュッドーダナ、
母はマーヤー夫人と言います。

マーヤ夫人はある夜夢を見ました。

夢の中では、6本の牙を持つ白い象が、
マーヤ様の身体の中へ入ってきました。

目が覚めた時、マーヤ様のお腹の中には赤ちゃんが宿っていて、
それがお釈迦様だったのです。

お釈迦さまは生まれて直ぐに、七歩あゆまれ、
右手で天をさし、左手で地をさし、
「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」
とおっしゃったそうです。

ゴータマ・シッダールタは、生後7日で母を喪い、
母の妹マハー・プラジャーパティによって育てられました。

ゴータマ・シッダールタは19歳の時、ヤソーダラーを妃に迎え、
ラーフラという一子ももうけましたが、
自分が生まれてすぐ母を亡くしたことや、
国をとりまくさまざまな困難から、心を悩ませておられました。

そのころの物語として、
農作業の様子を見て、掘りおこされた土の中から出てきた虫を、小鳥がついばみ、
その小鳥が大きな鳥にねらわれるさまを見て、
深く悲しんだと伝えられてます。

またある日、
城の東門を出ると、杖をついた腰のまがった白髪の老人に出会い、
南門を出ると病人に出会い、
西門を出ると死者に出会い、
そして最後に北門を出た時に聖者に出会い、自らも出家を志したとされてます。

これを四門出遊(しもんしゅつゆう)と言われています。

シッダールタが29歳の時、
人間はどうして生まれ、老い、病み、死んでいかなければならないのかという、
生老病死の問題を解決のため、
ある日の深夜ひそかに城を出て、王舎城に行き、
その近郊で修行生活に入りました。

ゴータマ・シッダールタは始めに、
二人の仙人から禅定の教えを受けますが、満足しませんでした。

禅定(ぜんじょう)とは、坐禅瞑想して精神を統一する修行のことです。

そこで今度は苦行林に入り、
父王が使わした五人と共に、断食などをする修行の生活に入りました。

ここでの修行は6年も続き、生死をかけた修行だったようです。

身は骨と皮だけに痩せ、眼は落ちくぼみ、肌は墨色のようで、
生きているとは思えないほどであったと言われてます。

しかし、苦行では目的を達する事は出来ませんでした。

苦行の無益を知ったお釈迦さまは、衰弱した体を尼蓮禅河の流れできよめ、
村の娘スジャータから乳粥の供養を受け元気を回復しました。
 
体力を回復したお釈迦さまは、ブッダガヤの菩提樹のもとに行き、
結跏趺坐(けっかふざ)の坐禅に入りました。

坐禅中、悪魔の誘惑や心の葛藤がありましたが、
8日目の暁の明星を見た時に、ついに悟りを開きました。

35歳の12月8日の事でした。
 
この日に行われる法要を『成道会(じょうどうえ)』と言います。

お釈迦さまは悟りを開いた後、
ベナレス郊外のサルナート(鹿野苑)へ向かい、
かつて一緒に苦行をした5人の修行者に、初めてその法を説きました。

これを『初転法輪(しょてんぼうりん)』と言います。

お釈迦さまはその後、ガンジス川中流地域を中心に、
やすみなく布教の旅を続けられました。

お釈迦さまの教えは広まり教団として発展していき、
その間に、竹林精舎や祇園精舎という寺院も建立されていきました。

お釈迦さまは各地に教化の旅の途中のある日、
ひとりの鍛冶屋から供養を受けました。

それにより激しい腹痛をおこし、
クシナガラの沙羅双樹のもとに身を横たえられ、最後の説法の後、
紀元前383年2月15日に涅槃に入られました。

涅槃(ねはん)とは、ニルヴァーナ=燈火を吹き消すという意味があります。

お釈迦さま80歳のことでした。
 
この日に行われる法要を『涅槃会(ねはんえ)』と言います。

アジアの精神文化に大きな影響をあたえた、お釈迦さまの教えは、
日本人の生活の中にも深くかかわっています。

あとがき

幼稚園の花祭り、かすかに覚えています。
『ののさま~ののさま~!』
本堂の奥の薄暗いところに、
本当に“ののさま”がいらっしゃると思っていました。