安産祈願で戌の日に水天宮の御祈祷を受ける初穂料と腹帯授与のお値段は?

人生を楽しくする情報

赤ちゃんを授かると、水天宮様で戌の日に、
安産祈願の御祈祷をしていただき、
五ヵ月目の戌の日に腹帯を巻く風習があります。
安産祈願で有名な水天宮様の起源や歴史をご紹介し、
安産祈願の初穂料や、
腹帯を授与していただくためのお値段についてまとめています。

  

水天宮の起源と歴史

水天宮の創建者 有馬家とは

水天宮は、安産・子育て祈願に篤いご利益がある神様です。

「恐れ入り谷の鬼子母神」と並んで
「情けありまの水天宮」と、
江戸っ子に親しまれた 東京・日本橋蛎殻町の『水天宮』

「情けありま」の「ありま」は「有馬」、
つまり、この神社を建立した九州は久留米藩主・有馬家と引っ掛けた
“掛け言葉”なのです。

水天宮はもともと有馬家が久留米で崇敬していた神社ですが、
江戸時代も末近くなって、
現在の港区三田にあった有馬家の上屋敷に分祀されました。

赤松家を祖とする摂津有馬家は、
応仁の乱の引き金となった嘉吉の乱の後に
有馬の郷(現神戸市北区)に落ち延びて隠れ住み、
その土地から姓を取って有馬と名乗りました。

後年、
太閤秀吉に見出されて中央に戻してもらいました。

その幸運を授けて下さった有馬(有間)神社のご祭神である
天御中主大神のご神徳を代々忘れぬよう、
有馬神社の社紋である三つ巴を有馬家の家紋としました。

現在でも、
当主にのみ三つ巴の紋を付けることが許されています。

大名家としての有馬家は、元和6年(1620)に久留米藩二十一万石を拝領し、
当時は尼御前大明神と尊称されていた水天宮に対して、
第二代藩主有馬忠頼公は、城下の筑後川に臨む広大な土地を寄進し、
社殿を造営致しました。

敬神の念は代々の当主に受け継がれ、
参勤交代の折に江戸で水天宮を親しくお参りできるように、
第九代藩主有馬頼徳公は、文政元年(1818)
芝赤羽根橋の上屋敷内へ国元久留米より御分霊を勧請致しました。

「情け有馬の水天宮」~深い温情~

文政元年、
久留米藩有馬家上屋敷内に祀られていた水天宮は、人々の信仰が篤く、
塀越しにお賽銭を投げる人が後を絶たちませんでした。

時の藩主は毎月5日に限り、お屋敷の門を開き、人々のお参りを許しました。

そのことから有馬家と「情け深い」ことを掛け
「なさけありまの水天宮」という洒落が江戸っ子たちの流行語となりました。

「湯も水も火の見も有馬の名が高し」~日本一と称された火の見櫓~

幕府により大名火消しを命ぜられた第八代藩主・有馬頼貴(よりたか)公は、
当時としては異例の高さである三丈(約9m)にも及ぶ火の見櫓を組みました。

有馬温泉・水天宮・火の見櫓を掛けて
「湯も水も火の見も有馬の名が高し」という言葉がうまれました。

水天宮の歴史

水天宮の総本宮は福岡県久留米市にあり、
分社は全国に20以上もあります。

1190年に鷺野ヶ原に創建された水天宮は、
戦を避けるために所在を転々としていましたが、
1650年に第2代藩主「有馬忠頼」が土地と社殿を寄進し、
現在の福岡県久留米市が水天宮総本宮の所在となりました。

その後、第9代藩主「有馬頼徳」が、
参勤交代の折でも水天宮へのお参りができるようにと、
江戸三田の藩邸に分社を創建したものが、東京の水天宮のはじまりです。

爾来、水天宮は当主と共にあり、
下屋敷のあった今の日本橋蛎殻町に移ったのは、
明治五年(1872年)のことです。
明治4年には青山、翌5年には日本橋蛎殻町へと移転致しました。

関東大震災をはじめ、
数多の苦難を乗り越え、現在に至っています。

社殿改築のため、
平成二十五年(2013年)3月から平成二十八年まで、
日本橋浜町の仮宮に移っていましたが、
4月8日より、水天宮は蛎殻町の新社殿での奉仕が始まりました。

安産祈願で一番有名な東京都中央区日本橋の水天宮は、
平成28年に、安産祈願に訪れる妊婦にも配慮された設計の、
木のぬくもりある新らしい社殿となりました。

東京水天宮 http://www.suitengu.or.jp/

〒103-0014 東京都中央区日本橋蛎殻町2-4-1

電話番号:03-3666-7195

アクセス:東京メトロ半蔵門線「水天宮前」駅5番出口から徒歩1分、
東京メトロ日比谷線「人形町」駅A1出口から徒歩6分

受付時間:8時00分~15時00分(ご祈祷は9時00分から)

水天宮のご祭神

ご利益の安産祈願や子授けなどは、
主祭神の天御中主大神の広大無辺な御神徳を表したものとされています。

この神様は、天も地も混とんとしていた神代に、
高天原にあらわれた日本の神々の祖先神です。

同じく水天宮にお祀りされている御祭神は、
源平壇之浦合戦で敗れ、
平家とともに海に沈んだ幼い安徳天皇と、
その母の建礼門院、二位の尼で、
水天宮には四柱の神様がお祀りされています。

平家とともに海に沈んだとされる安徳天皇ですが、
久留米には、
安徳天皇は女官の按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ)に守られて、
秘かに筑紫に逃れ、
二十七歳で崩御するまで暮らしたという言い伝えがあるのだそうです。

天皇はそこで美しい玉江姫を恋し、
「椿は八千代を寿ぎ、井桁は契りを宿すとかや」と、
姫への想いを秘めて仰せられたとか。

二人のこの恋の物語がいわれとなって、
水天宮の神紋は椿の花です。

水天宮と戌の日

安産のご利益篤い水天宮は、
妊婦さんの参拝が絶えることがありません。

水天宮でいただく『御子守帯(みすゞおび)』は、
“戌の日”に妊婦に授与する腹帯で、
社殿の前で神様をお呼びするために鳴らす『鈴の緒』に、
安産の祈願を済ませたものです。

体調がすぐれないときや、陣痛が起きた時にちぎり、
水に浮かべて飲むと、具合がよくなり、
お産が軽くなると伝えられている護符『水天宮御守』も、
とても喜ばれています。

つわりが落ち着き安定期に入る頃になると、双方の両親や周囲から
「戌(いぬ)の日」「腹帯」という言葉が頻繁に出てくるようになるものです。

それは、日本には昔から妊娠5カ月の戌の日に、
腹帯(さらし)を巻いて帯祝いをする風習があるためです。

現在は妊娠5カ月の戌の日に安産祈願をし、
それに合わせて腹帯を締め始めるというのが主流です

犬は他の動物に比べお産が軽く、
一度にたくさんの子どもを産むことにあやかり、
日本では古くから犬を安産の守り神として崇めてきました。

また、一説によると、犬は悪霊を追い払い、
狐狸などからも子どもを守るというものもあります。

宮参りの際に祝いものとして犬をかたどった「犬張り子」が用いられるのも、
魔よけの一種で、子どものお守りとしての意味があるとされています。

そのため、昔から戌の日には、
子宝に恵まれたことを感謝し、安産を祈願してきたのです。

また、戌の日以外にも祈祷を受け付けている神社もありますので、
事前に確認してみましょう。

昔はお嫁さんの実家から、娘と孫の健康と安産を願い、
岩田帯(腹帯)を贈ったものです。

地方によっては、代々使用して来た岩田帯を、
母から娘へと次の世代に大切に受け継いでいく習慣のあるところもあるほどです。

全国各地に、安産祈願を行っている神社が数多くあります。

神社で岩田帯を購入できるところもありますし、
事前に購入したものを持参して、祈祷してもらうところもあります。

腹帯のはじまり

腹帯のはじまりは古く、
「古事記」が起源であるとの説が有力です。

古事記によると、
仲哀天皇の皇后であられた神功皇后・息長帯日売命(おきながたらしひめのみこ)が、
朝鮮半島征伐にお出掛けになられた際に、
お腹の中には後の天皇である応神天皇を身ごもっておられました。

お腹の子を守るために、
帯の中に石を挟み入れてお腹に巻きつけていたという記述があります。

その後、神功皇后は無事に帰国し、出産することができたとも書かれています。

水天宮で戌の日に安産祈願の御祈祷を受ける初穂料は

安産祈願を神社でする際に支払う謝礼金を「初穂料(はつほりょう)」といい、
神札所(受付)で申し込みをする際に熨斗(のし)袋に入れて差し出します。

水天宮での安産祈願の初穂料は5,000円のようです。

初穂料の熨斗袋には水引が「紅白ちょう結び」のものを使用し、
表書きに「お初穂料」と書きましょう。
腹帯などのお守りが欲しい場合は別料金となります。

・ご祈祷受付時間について

午前8時~午後3時30分【但し戌の日は、午後4時まで】

祈祷開始は9時からとなります。

戌の日や六曜にこだわる方、
ご妊婦様の体調の良い日にいらっしゃる方など、
ご祈祷日は参拝者によりさまざまです。

・昇殿参拝の人数制限について

《戌の日》
終日、ご妊婦様(もしくはお代理の方1名様)のみご昇殿となります。
《戌の日以外》
混雑した場合は、ご妊婦様と付添い大人1名様、お子様のご昇殿となります。

ご祈祷時間は約15分~20分となります。

水天宮で安産祈願の腹帯授与のお値段は

安産祈願の腹帯授与のお値段

安産祈願のご祈祷にかかる初穂料は5000円です。

安産御守が欲しい場合は、
昔ながらのさらしの腹帯である「御子守帯」が4000円、
小さい布を自前の腹帯に縫い付ける「小布御守」が3000円となります。

御子守帯 安産祈願の腹帯について

皆様が社殿に向かってお参りをされる時に鈴を鳴らしますが、
その鈴から下がる紐を鈴の緒と申します。

神様との架け橋とも言える鈴の緒ですが、
水天宮には特別な思いがあります。

水天宮が江戸時代に久留米藩上屋敷内に鎮座していた頃より、
鈴の緒には晒木綿が使われておりました。

月に一度その晒を交換しますが、
当時そのお下がりを受けられた方が腹帯としてお使いになったところ、
殊の外安産であったことから、
たちまちその評判が人づてに広まりました。

上屋敷の塀越しに参拝される方々の様子をご覧になった殿様の計らいにより、
毎月5日に限り門を開いて、
爾来、鈴の緒のお下がりとして晒をお分けあたえられました。

現代でも、水天宮の安産信仰の由来である鈴の緒「御子守帯(みすゞおび)」を、
多くのご妊婦様がお受けになり、ご家庭で帯祝いを行っています。

「御子守帯」は、無漂白の晒木綿の帯で、
所々に天然素材の証である綿花の欠片が残っているのが特徴で、
洗うとさらに柔らかく、優しい風合いになります。

昨今、
御子守帯を受けても、一度しか巻かなかったという声も聞きますが、
安産御守としてご祈祷した帯ですので、帯祝い後もお使い頂ければと思います。

~ 広げよう「帯プロジェクト」~
水天宮では、
出産後に御子守帯を赤ちゃんのための肌着やハンカチなどに作り変える、
「帯プロジェクト」という取り組みを平成23年より続けております。

これは東日本大震災後、ものの大切さやありがたさを実感し、
女子神職や巫女を中心に始めた活動です。

御子守帯は約5メートル程ありますので、
様々なものを作ることができます。

最近では、
ご自身のブログなどSNSに作品をアップされている方もいらっしゃいます。

妊娠中にお腹に帯等を巻くことは、
他の国では見られない日本独自の習慣です。

『古事記』や『日本書紀』では、神功皇后がご懐妊の折、
腹帯に石を巻き付け出兵し、帰還後無事に出産されたことが記されています。

また「帯祝い」は、宮中で行っていた
「着帯の儀」が一般に広まった云われています。

水天宮の御祭神でもある建礼門院が安徳天皇を身籠られたとき、
着帯の儀が行われたことが『平家物語』や、
当時の公卿である九条兼実の日記『玉葉』などに記されています。

昔から受け継がれてきた「帯祝い」は、
五か月目の戌の日を目安として戌の日に行い、
お腹のお子様が安定期まで成長できたお祝いと安産を願う儀式です。

多くのご妊婦様に「帯祝い」を行うと共に、
御子守帯の良さを感じていただければと思います。

水天宮の安産御守”御子守帯”は、水天宮の巫女が朱印を押し、
宮司が戌の日の早朝にご祈祷し、
「御子守帯」となります。

赤羽根の久留米藩上屋敷内に水天宮が鎮座していた頃より、
鈴の緒には晒が使われておりました。

当時、鈴の緒のおさがりを腹帯としてお使いになった方が、
殊のほか安産であったことから、たちまちこの評判が人づてに広まりました。

爾来、鈴の緒と同じ生成りの晒を戌の日早暁ご祈祷し、
安産御守として皆様にお分かちしております。
現在でも、お賽銭箱の上方にさがる鈴の緒は、
月に一度私たち巫女が新しく奉製したものと掛け替えられています。

鈴の音の響きに、
受け継がれてきた信仰と皆様の祈りや願いを感じます。

安産祈願には付き物の腹帯ですが、
普段の使用に関しては必ず必要というわけではありません。

お守りとして、おはらいを受けた腹帯を欲しい方は、
当日神社でさらし木綿の「お子守帯(みすゞおび)」を購入するか、
新品のさらしの腹帯を持参してください

「鈴乃緒」という小さなお守りを購入して、
縫い込んで使用するとよいでしょう。

あとがき

新しい命を感じ、初めて腹帯を巻いた日を忘れません。
母親になるんだ!ママになるんだ!
実感として、なかなかピンと来なかった覚えがあります。
少しづつ少しづつお母さんになって行くんですね。
何十年たった今でも、
毎日、少しづつ親になって行こうとしています。