城南宮の神苑「楽水苑」の曲水の宴と源氏物語花の庭 御朱印を頂くには

秋の行事

城南宮の神苑 楽水苑では、四季折々に美しい花が咲き、
梅や桜、特にしだれ桜の咲き乱れる様子は、
曲水の宴が行われる源氏物語花の庭とともに、
平安絵巻の世界へと誘います。
春と秋に催される曲水の宴は、平安時代へタイムスリップしたみたいです。
そんな城南宮の御朱印や、京都五社めぐりの御朱印を拝領されてはいかがですか?

  

城南宮の神苑「楽水苑」は源氏物語花の庭

城南宮の神苑には、源氏物語花の庭と言われる、
趣の異なった五つの庭で構成されています。

この五つの庭を造ったのは、
昭和の小堀遠州と讃えられ、配石の素早い天才造園家、中根金作(1917~1995)氏。
金閣寺・天龍寺など京都の古庭園の調査・保護・修理に始まり、
国内外に300もの庭園を作った偉大な芸術家です。

城南宮「楽水苑」の「室町の庭」と「桃山の庭」が、
中根金作氏が造園家として最初に手掛けた庭園で、
その後「平安の庭」、「春の山」更に晩年の「城南離宮の庭」と、
生涯をかけて城南宮の神苑の作庭に携わりました。

〇春の山

椿や枝垂れ梅、三つ葉ツツジと、
春の草木が次々と花開く「春の山」エリア。

白河上皇は城南離宮を築く際に、
『源氏物語』に描かれた光源氏の大邸宅、
すなわち四季の庭を備えた六条院をモデルにしたといわれ、
ここ「春の山」 と対を成す「秋の山」が、
国道を隔てた西側に広がる史蹟「鳥羽離宮跡公園」内にあります。

〇平安の庭

平安時代の貴族の邸宅、寝殿造りの庭をモデルにした「平安の庭」。

庭を広く見渡すと、寝殿造りを模した神楽殿から木々の影を写す池に続きます。
この池には中ノ島があり、
段落ちの滝(階段状の滝)から清流が注ぎ、
2筋の遣水(やりみず・小川)が流れています。

さらに進むと王朝の雅を偲ばせる曲水の宴が催される苔の庭が広がっています。

生気あふれる新緑、
そして紅葉と、特に初夏から晩秋にかけてみごたえがあります。

〇室町の庭

 茶道、生花、能楽などの、
日本文化が大成された室町時代の様式でつくられた池泉回遊式庭園の「室町の庭」。

池の中央には不老長寿を象徴する松が生える蓬莱島があり、
その対岸の3っの石(三尊石)は三体の仏を表し理想の世界を象徴しています。

池には錦鯉が泳ぎ、
4月末の藤、5月のつつじ、秋の紅葉が特に美しい。

〇桃山の庭

 水を用いずに海を表した枯山水様式の庭で欧州の文化に出会い、
武士が天下統一を目指した桃山時代の豪壮な気風を反映しています。

広々とした芝生が大海原、
点在する岩が沿岸の島々を表します。

船の形に剪定された松を欧州から黄金の国ジパングに来た船と想像するのも楽しい。

4月の桜、5月のつつじ、
青空澄み渡る新緑の季節のころが美しい。

〇城南離宮の庭

城南宮の一帯が最も華やかであった平安時代後期の様子を表す枯山水の庭園。

平らな石を敷いた苑路が鴨川を、
敷き詰められた白い石が離宮の池を、
緑の草が陸地を、
そして岩組みが殿舎を表しています。

ここ城南離宮で、上皇のもと貴族が花見の宴や和歌の会を催し、
また武士が流鏑馬で弓馬の技を競った時代が150年余り続きました。

☆彡室町の庭と桃山の庭の間に建つお茶席『楽水軒』では、
巫女さんがお菓子とお抹茶をお出してくださいます。

美しい庭園を見ながら、
季節の花などをかたどったお菓子とお抹茶を味わえる優雅なひと時です。

城南宮の神苑「楽水苑」の曲水の宴

城南宮の神苑 この五つの庭のうち、
曲水の宴が催されるのは、平安の庭です。

狩衣(かりぎぬ)や小袿(こうちき)といった平安貴族の装束を身につけた男女の歌人が、
小川の辺(ほとり)に座ると、
川上から童子が、鴛鴦(おしどり)の姿をかたどった「羽觴」(うしょう)の背に、
朱塗りの盃をのせて流します。

歌人は歌を作り短冊にしたため終わると、
流れ来る「羽觴」をとりあげ、盃の御神酒をいただきます。

宴の間には静々と白拍子の舞が披露され、一層興趣を添えます。

●曲水の宴とは
 
 木漏れ日もやわらかな平安の庭を、
ゆるやかに曲がりながら流れる一筋の遣水(やりみず、小川)の辺(ほとり)で、
雅やかな曲水の宴を行っています。

この曲水の宴は、奈良時代から平安時代にかけて宮中で催された歌会を再現した行事で、
京都を代表する年中行事に数えられ、
次のような次第で行われます。

 色とりどりの平安時代の装束(男性5名は狩衣[かりぎぬ]女性2名は小袿[こうちき]を着用)
を身につけた7名の歌人が席に着くと、
1人ずつ歌題を確認します。

そして歌人が遣水の傍らの座に着くと、
中央の舞台で白拍子の舞がしずしずと披露されます。

次いで2人の水干(すいかん)姿の童子が朱塗りの盃にお神酒を注ぎ、
羽觴(うしょう、鴛鴦[おしどり]の姿を象った盃台)に載せ、川上から次々に流します。

琴の音が響く中、歌人は歌題にちなんだ和歌を詠み、
それぞれ短冊にしたためます。

そして、和歌を書き終えた歌人は、
目の前に流れて来た羽觴を取り上げ、盃のお神酒をいただくのです。

全員が和歌を詠んで盃を飲み終えると童子が短冊を集め、
これら7首の和歌は、平安時代さながらに節をつけて神職によって朗詠され、神様に奉納されます。

こうして、春は新緑の中、
秋は紅葉が色づき始める神苑で、
約1時間にわたって王朝の雅な世界が再現されます。

なお、城南宮の曲水の宴で用いる鴛鴦を象った羽觴は、
吉田元陳が描いた「曲水の宴図屏風」(城南宮所蔵)や、京都御所の杉戸絵などに見られる形です。

●曲水の宴の歴史

 清流にのぞんで詩歌を作り盃を巡らす曲水の宴は、
古代、中国大陸や朝鮮半島でも行われました。

書道の手本として名高い『蘭亭序』は、
永和9年(西暦353年)3月3日に王羲之が会稽山の蘭亭で修禊の儀式をして催した曲水の雅会で、
人々が詠じた漢詩に寄せた序文です。

このように水ぬるむ春先に清流や浜辺に赴き水を浴びて身を清め、
不祥を祓い無病息災を願う風習は大陸にも古代日本にもあり、
顕宗天皇元年(485年)3月上巳に天皇のお出ましを仰いで、
曲水の宴が行われたと『日本書紀』に記されています。

奈良時代から平安時代中期にかけて宮中の年中行事として正式に行われた曲水の宴は、
その後、藤原道長や藤原師通などの貴族が自邸で行うようになります。

そして、戦乱の世となり長く途絶えましたが、曲水の宴への関心は高く、
江戸時代を通じて内裏の襖絵に和漢の曲水の宴が描かれています。

また江戸時代半ばの享保17年(1732年)に
8代将軍徳川吉宗が故実を精査して曲水の宴を江戸城で再興、
その5年後の元文2年(1717年)に中御門上皇が仙洞御所で行われました。

●4月29日(昭和の日)と11月3日(文化の日)の年二回、
 午後2時よりおよそ50分間、城南宮 神苑内 平安の庭で斎行されます。

・雨天の場合は、神楽殿の表舞台で、白拍子の舞と和歌の披講
・平安の庭(神苑無料公開:午前9時~午後4時)
・観覧自由
・団体での観覧はできません
・観覧者多数の場合は、危険防止の為、入場制限があります。

★京都・城南宮・・・たびノート★

城南宮で御朱印を頂くには

曲水の宴や、源氏物語花の庭を観て、平安京の情緒を満喫した後は、
ぜひとも城南宮の御朱印を頂いてください。

城南宮で御朱印を頂くには、城南宮の中央にある城南鳥居、
その前の菊水若水(手水舎)で身を浄め、
ご本殿を参拝してから、むすび殿にある授与所へ。

また、城南宮は京都五社めぐりの一つでもありますので、
是非とも「五社めぐり四神色紙」も授与されてください。

京で千年以上も栄えた都、平安京は、
風水において方角を司る四神が存在する、四神相応の地とされていました。

城南宮はそのうち、天皇のいる「王城」の「南」を守る社になっています。
四神相応に当てはめると、この地は朱雀のいる場所ということになります。
「朱雀」は中国の伝説上の神鳥で、南方を守護する鳥なのです。

平安時代末期には、
京の御所から少しだけ離れたこの地に
白河上皇が離宮(鳥羽離宮、城南離宮ともよばれる)を造営しました。
城南宮はそのすぐ近くにあります。

方位除けや曲水の宴で有名な城南宮の御朱印です。

古来より人々は、要所要所に鎮まるお宮に祈りを捧げてきました。
それに応えるように、神々は人々の暮らしを守り、願いを聞き届けて来られました。

とりわけ京の都においては、
方角を司る四神である北の玄武、東の蒼龍、南の朱雀、西の白虎が守護する「四神相応の地」として、
平安京が造られました。

 京都五社めぐりでは、平安京と深い関係にある神社を巡ります。

水清き賀茂川が流れ出る北の玄武「上賀茂神社」
西の桂川を渡ったところには白虎「松尾大社」
中央を守護する「平安神宮」や東山の麓にある蒼龍「八坂神社」
鴨川と桂川が出合う南には朱雀「城南宮」がそびえます。

 四季の祭礼行事と美しい自然に彩られた京都のお社を巡れば、
神々の空気に触れ、清々しい気持ちになるでしょう。

平安京にゆかりの深い神社に足を運んでエネルギーをいただき、
神様のご加護のしるしとして御朱印を集めてみてはいかがですか。

京都の四神相応の五社をめぐると、
最初にお参りした神社で「五社めぐり四神色紙(初穂料1000円)」を授与され、
五社をめぐり、すべての朱印(各300円)を集めると、
「満願記念品しおり」を最後の神社でいただけます。

まとめ

城南宮さんは、曲水の宴が催されることで有名ですが、
方除けの神様としても有名です。

旅をする時や、引っ越しの時など、
良くない方角ってやっぱり気になります。

新築時の地鎮祭でもよく知られています。