長楽寺は京都の紅葉の名所 秋期特別展2018遊行上人とその秘宝展はいつ?

秋の行事

長楽寺は平家物語ゆかりの隠れた名所です。
京都の中心から程近いのに、
こんなに静かなところがあるのかと思うほどです。
京都の紅葉の風情をしっとりと味わいたいなら
円山公園からちょっと足を延ばして、
長楽寺はお勧めです。

  

長楽寺 秋期特別展2018「遊行上人とその秘宝展」

鎌倉末期の混乱期に諸国を巡りながら旅の遊行を続け、
一所不在の念仏化導を行ったことから
「遊行上人」と呼ばれた時宗(じしゅう)の開祖一遍上人と、
その後、法燈を継ぎ、同様に「遊行上人」と呼ばれた時宗法主の資料が、
長楽寺にて公開されます。

開催日時
2018年10月20日(土)~11月30日(金)
9:00~16:30
開催場所 京都市 長楽寺
料金 特別拝観料/大人650円、中小生300円
主催 長楽寺
お問い合わせ 長楽寺 075-561-0589

所在地
〒605-0071 京都市東山区円山町626番地

京都で最も重要な遊行上人の道場でもあった七条道場金光寺が、
明治40年に長楽寺に合併されたことから、
その資料の多数も長楽寺に移管されました。

中でも一遍上人像などの遊行上人像七躯と、
遊行上人の消息(手紙)の24通は、昭和55年に重要文化財に指定されています。

京都の長楽寺 紅葉祭りと久寿扇祈願会

長楽寺は紅葉の名所としても知られ、
例年11月中旬からモミジなどが色づき始め、
12月上旬まで楽しめるほか、11月23日には「もみじ祭」も開催されます。

紅葉祭り

  真葛原にそよそよと 秋の色ます華頂山
     時雨を厭う唐傘の 濡れて紅葉の長楽寺

この歌は、長楽寺の景勝をこよなく愛し、
遺言によって境内に眠る江戸末期の有名な文人、頼山陽が詠んだ「京の四季」の一節で、
今日も多くの人々に詠われ舞われて深く親しまれています。

  よもすがらをしげなくふく嵐かな
       わざと時雨の染むる紅葉を

と「山家集」に歌った西行や、
江戸中期の画家長沢蘆雪、浄瑠璃の竹本綱太夫など多くの文人墨客が、
長楽寺を訪れ留めた詩歌が数知れず残されて今日に至っております。

詠われた境内の時雨の紅葉が燃ゆるがごとく染まる頃、
この地の景勝をこよなく愛したゆかりの人々を偲んで開催いたします恒例行事です。

扇祈願会

当寺の宗派であります時宗に伝わる「御影堂扇」(みえいどうおうぎ)は、
またの名を「久寿扇}(くすおうぎ)とも称して現存し、
京扇子が全国各地に広まるきっかけとなる由緒ある扇として知られていたものであります。

平敦盛の奥方であった玉織姫が、京の五条大橋のほとりにあった新善光寺御影堂で出家し、
一の谷の合戦で没した敦盛の霊を弔うとともに、
後鳥羽上皇のご病気の全快を祈願して阿古女扇に呪文を封じ献上されるや、
たちまちにご病気が平癒されたといわれています。

上皇はこの霊験あらたかな扇に御心をうごかされ、
特別に「久寿扇」の名称を下賜されました。

平家にゆかりの深い当寺の縁起にちなみましたこの由緒ある扇を復元し、
当寺にご参集されます方々の病魔退散と無病息災のご祈願を執り行う行事です。

日程:11月23日
時間:午後3時~午後4時30分頃まで
参集志納料:5,000円

相阿弥作の園池

この庭は室町時代、
相阿弥が足利八代将軍義政の命により銀閣寺の庭を作る時、
試作的に作ったと伝えられています。

苑内に東山(長楽寺山と言う)をとりいれ、
山腹より湧き出づる滝の水を落として苑池となし「築山庭造伝」(享保二十年1735)にも
「相阿弥作」として「庭の景すぐれて自然の趣のあるすがた」とたたえられています。

相本堂と梵鐘

本堂周辺はことのほか紅葉が見事に色づきます。
梵鐘は明暦三年に鋳造され、
その妙音は「長楽寺の鐘」として広く市民に親しまれていました。

戦時中惜しくも供出されましたが、その後昭和31年に再興、
その黄鐘調(おんじきちょう)の音色が蘇り、
毎年大晦日の除夜の鐘として鳴らされ、全国に中継放送をされたこともございます。
(一般の方も鐘をお突きいただく事ができます)

長楽寺創建の起源とご本尊の由来

祇園・円山公園の喧騒を抜けた奥にひっそりと佇む長楽寺は、
京都市内を一望できる絶景の見晴らしです。

長楽寺は、延歴24年(西暦805)桓武天皇の勅命によって、
伝教大師こと最澄を開基として大師御親作の観世音菩薩を本尊とし、
比叡山延暦寺の別院として創建されました。

平安時代の末期、
平清盛の娘で高倉天皇の中宮となった建礼門院徳子は、
壇ノ浦の戦いで平家が滅亡したのち、長楽寺で出家しました。

その後、
室町時代の1385年、時宗霊山派を開いた僧・国阿によって、時宗の寺になりました。

さらに、
明治の末に京都における時宗の本山だった七条道場金光寺と合併しました。

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御本尊准胝観世音菩薩は、伝教大師入唐の際、

『海上俄に暴風起り、船まさに破れんとした時、大師舳にすすみ、
除難のため三宝の救護を祈願し給うに、忽然として光明照耀して、
二頭の竜神その頭に准胝観世音を奉戴して、大師の船側に近づき、
観世音菩薩大師の御衣の袖に飛び移り拾うと覚えて、風波鎮まり無事御帰朝の後、』
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伝教大師が唐に行かれた時、海が荒れて船が沈もうとしました。
大師が舳にすすみ、除難のため三宝の救護を祈願したところ、
突然光がさして、二頭の龍を頭に乗せた准胝観世音が現れました。
そして大師の船に近づき、大師の衣の袖に移られ、風や波が静まったということです。

この海上示現の尊像を、
伝教大師自ら刻んで当寺の本尊として奉安されたという霊験あらたかなものです。

古来勅願所として歴代天皇の御帰依深く、勅封の秘仏として奉安せられ、
歴代天皇の即位時と厄年にのみ御開帳されてきました。

龍が描かれた豪華な厨子に納められています。

この厨子は、
江戸時代に後水尾天皇の中宮となった東福門院(徳川家康の孫娘)から寄進されたものです。

境内には建礼門院が出家した時の髪を納めた石塔があり、
源氏の目を逃れて隠されてきたという建礼門院御影、
建礼門院が産んだ安徳天皇の遺品の衣幡などが所蔵されています。

また、
室町時代につくられた寺宝の一遍上人像は重要文化財に指定されています。
運慶の流れをくむ七条仏所の仏師・康秀の作で、写実的な作風です。

2008年(平成20年)長楽寺は、
文化財を納めた収蔵庫が火災によりほぼ全焼しました。

この際、一遍木像(重要文化財)を始めとする全ての文化財は、
住職らによって火災直後に運び出されたため難を免れたのです。

長楽寺の本堂は、延歴年間創立、昌泰年中修復(898)、正保年中再建(1644)
明治18年丙丁の災いにあい、廃壊撤却しました。

明治23年西賀茂正伝寺の法堂(元桃山城御成門中に在りしを正伝寺に移したもの)を、
当寺に譲り受け今日に至ります。

「今昔物語」に一条天皇の朝(九六六即位)巨勢広高、
本寺新堂の壁に、地獄変の名画を揮毫して名を得たと言います。

准胝観音菩薩(御前立)とは

准胝(じゅんてい)は、「准堤」とも書き、
サンスクリット語の「チュンディー(清浄の意味」からきています。

インドでは「仏母(ぶつも)」として、
すべての菩薩の母という位置づけになっていたことから、
安産や子宝の仏という信仰もあります。

仏像は一面三眼十八臂(じゅうはっぴ)が一般的。
穏やかな表情で、
十八本ある手のうち真手(しんしゅ)の二本以外の脇手は持物(じもつ)をもっています。

あとがき

祇園の円山公園を抜けて、東の方へ歩いていくと、
両側に灯篭の建つ、長い階段が見えてきます。
そこが長楽寺です。
階段の下で足を止める人はいても、
階段を上がる人は少なめです。
素敵な日本庭園や重要文化財の宝物館もオススメです。